お茶会の閑話
じゃらり、と、メキャムリム・ブラズニアが持参したそろばんを弾く。
「……三万枚なら……」
「……いや、しかし。
この値段では……」
こしょごしょと、タマルとメキャムリムが、額を寄せあうようにして小声で何事か囁き合っていた。
「おれ……この場にいなくてもいいような……」
その様子を見ながら、ハザマがぽつりと呟いた。
「お暇なようでしたら、お茶でもおいれしますが」
メキャムリムの侍女が、ハザマに提案してきた。
「うちのお姫ぃ様はこうなると長くなりますから、気長に構えていたほうがよろしいかと。
茶葉は普段から持ち歩いているものでして、お湯と器をお貸しいただければ、すぐにでもご用意できるのですが……」
「……あー。はい。
ええっと……おーい!
クリフかリンザ、いないか?」
「……はい!」
すぐに、息を弾ませたクリフが天幕に入ってくる。
どうやら、どこからか、ここまで駆けてきたらしかった。
「おお。クリフか。
ええっと、お茶をいれるためのお湯と、それから……」
「カップを五客、お願いします」
「はい。
今すぐにご用意します」
クリフは、来たときと同じ素早さで天幕を出ていった。
「急ぐのはいいが、転ぶなよー」
ハザマがその背中に声をかけると、
「……はーい……」
という声が、遠くから帰ってくる。
「元気な男の子ですね」
メキャムリムの侍女はそういって、微笑んだ。
「ええ、まあ」
ハザマとしては、無難にそう答えておく。
「……なんですってっ!
ドワーフの手による穂先を!」
「二千ばかり、さる筋から入手したばかりでございまして……」
「それも……二千。
今、二千とおっしゃいましたかっ!」
「はい。
この穂先を今の槍につけ替えれば、ブラズニア公家の軍もより精強に……」
「いや、待て。
それは大変に魅力的な申し出でありますが……いかんせん、予算というものが……」
「しかし、ここで入手しなくてなんとします。
ブラズニア公といえば大貴族様の中でも並ぶ者がないお大尽様でございましょう。
なにぶん、戦場でしか使いようがない品でございますゆえ、この機会を逃してしまわれますと、他の方に流すしか……」
「いや、待て。
買わない……とは、いっていませんの。
ただ、その……この場では、どうにも手元が不如意で……」
「なるほど戦場であれば、潤沢に金子を持ち合わせてもいらっしゃらないでしょう。
なんでしたら、後払いでもよろしいのですが?」
「……本当でございますの?」
「なにをおっしゃいます。
天下のブラズニア家のご令嬢が。
ご実家のことを考慮すれば、その程度の信用貸しはむしろ当然のことで……。
むろん、完済するまで、相応の利子はいただく予定でございますが」
「いや、それはむしろ、当然でございましょう。
しかし、ドワーフの手による穂先が二千、ですか。
そうすると、先ほどの紙代と合わせて……このくらいで……」
「いえいえ。滅相もない。
それでは元値にも届きません。
せめて、これくらいは都合していただきませんと……」
「いやいやいや。
此度のいくさ、思ったよりも想定外のことが多いもので……それだけ、費えもかさんでおります。
当家の負担も生半可なものではなく……。
……ということで、これくらいは……」
「いえいえいえいえ。ご冗談を。
元値以外にも輸送に関わる費用というものがございます。
もうちょっと、加減をしてくださらないとお話になりません……」
「……楽しそうで、なにより」
「粗茶ですが、どうぞ」
「あ。これはどうも」
「そこの坊やも、どうぞ」
「え? あ、はい……」
「遠慮なくいただいとけ、クリフ。
子どもが遠慮なんかしなくていい」
「それでは……いただきます。
……いい香りですね」
「ブラズニア公の領地で穫れる香草でいれたお茶でございます」
「……あのー……。
ええっと……」
「メキャムリムの侍女をさせていただいております、リレイアと申します。
洞窟衆のハザマ様。
以後、お見知りおきを」
「ああ、はい。
こちらこそ、よろしく。
それで、リレイアさん。
その……あの方って、いつもこうなの?」
「そうですね。
今は少し、地が出ておりますが……」
「地が……ねえ。
まあ、楽しそうだからいいんだけどさ」
「うちのお姫ぃ様も、近頃はだいぶん煮詰まっておりましたから、ここで気散じをさせていただくのも、よろしいかと……」
「……内容的にあまり若い女性向けではないが、これもまた一種のショッピングではあるよな。
気晴らしにはなるか」
「そうですねえ。
うちのお姫ぃ様も、国元では、黙っていればいいのにとか残念な公女とかなどといわれておりますので……」
「……それ、褒められていないじゃないのか?」
「……と、そのような次第で……」
しばらくして、ようやくタマルとの商談を終えたメキャムリムは、ハザマに対して本来の用件を切りだしてきた。
「小麦を、分けて欲しいのです。
いい値で、とはいいませんが、そちらに損をさせない程度には、対価を支払うつもりでございます」
「と、申されましてもねえ……」
ハザマは、タマルに視線を走らせる。
「おれに異存はございませんが、こちらも商売で扱っている品でございます。
……支払いの保証は、いったいどなたがしてくださるので?」
ブラズニア家が食料だけではなく、現金の持ち合わせについても逼迫しているのは、先ほどまでのタマルとのやり取りで明らかであった。
「これ以上の借金となりますと、正直、なにかしらの担保をいただかないと」
タマルも、妙に明るい口調でそういった。
「ブラズニア公家の信用だけでは、少々きついかな、と……」
「では、奴隷を!」
メキャムリムは、そう提案してくる。
「此度の架橋作戦では、多数の敵兵を無傷のまま捕らえることに成功しており……」
「……それ、ブラズニア家が勝手に売り払っていいんですか?
捕虜は、捕らえた者に所有権が移ると聞いていますが……」
ハザマは、冷静に疑問点を述べる。
「あと、それだけ大勢の捕虜がいたら、たぶん、奴隷市場でも値崩れが起こるのではないですかね?
どんな商品も、結局は需要と供給の関係で値が決まりますから……。
奴隷と家畜は、一度買ってしまえば維持費がかかります。
それを考えると、今の時期に大勢の奴隷を貰ったとしても、こちらとしては全然おいしくはないわけで……」
「だったらどうすればいいっていうのよっ!」
メキャムリムが、今度はキレはじめた。
「国から下賜された戦費ではとうてい足らなくなってきているし、いくさはどんどん長期化しそうな情勢だし、人は増えるし食料は足りないし穀物はどんどん値上がりしていくし、おまけに、架橋作戦なんて無茶な局地戦にまかり間違って勝利してしまうし!」
ここで、その架橋作戦の立役者であるハザマは、そっと肩を竦めた。
「王都へ救援要請を送っても返信がここに着くまでにはまだまだ日数がかかるし、他の大貴族に援助を乞うても足元を見られるだけだし、アムラヌニア家の連中は目の前のいくさに勝つことしか考えていないし、ベレンティア家の連中はイマイチなにを考えているかよくわからないし!
いくさっていうのはねえ、実戦に参加する将兵だけではなく、後方で兵站に携わる人たちがいないと戦線を維持もできないのよぉ!」
感極まったメキャムリムは、今度は大声をあげて泣き出した。
「……あのぉ……これ……」
ハザマが、リレイアに訊ねる。
「少々興奮しておいでですね。
しばらく放置しておけばいずれ静まるはずですので、そのまましばらくお待ちください」
「は……はぁ」
そういってハザマは、冷めかけたお茶を啜った。
大貴族っていうのは、こんなエキセントリックなやつらばかりなんだろうか?
「……ぐすっ」
ようやくメキャムリムが泣きやみ、リレイアが手渡したハンカチで盛大に洟をかむ。
「……すいません。
つい、感情的になってしまって……」
「いや、それはいいんですが……」
考える時間があったせいか、ハザマの方は冷静に対応できるようになっていた。
「つまり、そちらとしては、当座の食料が欲しい、ということなのですね?」
「ええ。
領地がある貴族に関しては、自分の領地から直接兵糧も運び込んでいるはずなのですが、領地を持たない下級貴族や傭兵の分は、王家から下賜された戦費で当家が供出しなければならず……」
「……それが、度重なる予想外の事態により、用意した食料では、間に合わなくなりそうだ、と……」
「はい。
緑の街道の治安悪化や穀物の高騰などの原因により、当初予定されていた予算では到底間に合わないことが明らかになりました。
数日中に、当家の倉庫から持ち出した備蓄分がこちらに運びこまれる予定ですが、それも間に合うかどうか……」
「……と、いうことだが、タマル。
なにか打開策はないか?」
「余剰の穀物はまだまだありますし、これからも当地に運び込まれる算段をしておりますが……」
タマルは、冷静な声で告げる。
「……それらは、洞窟衆の関係者で消費するか、直接この野営地の人たちに有償で提供する予定です。
対価を払う予定もたたず、とにかくそれを供出してくれ、というのは……これはもう商売のはなしではありませんね。
それとも、大貴族としての強権を発動して没収いたしますか?」
「そんなことをすれば、当家の信頼は地に堕ち、出入りの商人たちから総スカンをくらってしまいます!」
メキャムリムが、また涙声になる。
「……ない袖は振れませんけどねっ!
なんとかなりませんかっ!」
キレているのか、媚びているのか。
「……そういわれてもなあ……」
ハザマは、頭を掻いた。
「……タマル。
うちの関係者が消費する分を除いた、商売に出す予定の麦の量とか、把握できるか?」
「明日以降、毎日、便が届く予定ですから……極端なはなし、今の手持ちをほとんど手放してもどうにかなるはずですけど……」
「……それ、パンや粥にして売りに出すつもりだったんだよな?
元々は」
「穀物のままで売るという手もありますが、加工した方が利益率はあがりますね」
「そうか。
では、加工にかかわる手間は、今回捕らえた敵兵捕虜に負担して貰う。
原料は、うちが供給する。
それで、ブラズニア家の方々には、できあがった食品の配布や販売を担当していただく。
どこまで無償で配るか、それとも金をもらって売るのかは、そちらで判断していただこう。
ただし、販売した分の原料費はこちらに、手間賃は捕虜たちに回して貰う。もちろん、残りは、そちらに入る。
無償で配布した場合でも、原料費と手間賃は同じように請求する。
……ということでは、どうですか?」
「……それは、つまり……」
メキャムリムが、目を見開く。
「まあ、共同事業の提案、ということになりますか。
こういう条件なら、準備に必要な資金とかはこちらで負担してもよい。
それに、おれたちぽっと出の新興勢力よりも、大貴族ブラズニア家の名前で売り出した方が世間的な心証がいい。
おれたちも、全部無償で軍に供出するよりは金になる。
ここまで来る途中、囚人の護送隊と同道したおり、軍の兵糧だとかいうクソ堅いパンを食べる機会があったんですがね。これが、堅くてまずくて、到底食えたもんじゃなかった。
無料で配るんならあれでもいいんだろうが、金を取るとなるともっとうまくしないとぼったくりになっちまう。
どうだ? タマル。
これなら、どうにかうまく回せるんじゃないのか?」
「……いいですね。
商品の差別化と、大貴族様のネームバリューを有効活用するわけですか。
今の洞窟衆なら、全部自前でやることも不可能ではないんでしょうが……。
その案には、目前の儲け以上に無形の利益があります。
ブラズニア家と手を組んだと対外的にアピールできることも魅力ですが、そのままでは食料を無駄に消費するしかない捕虜たちに賃金を与え、消費者に変えることでこちらの商機も一気に増します。
生きていれば、食費や医療費はどうしたって必要となりますから……」
ハザマとタマルは、顔を見合わせて「くっくっくっ」と、低い声で笑いはじめた。
「……どうしましょう、リレイヤ。
わたくし、ここに来たのはとても間違った選択だったような気がしてきました」
「失礼ながら、もう手遅れかと思います」
ブラズニア家の主従は、そんな会話をしている。
「どの道、他の選択肢はなかったのではないでしょうか?」




