それぞれの進軍
山道は、混乱していた。
敵兵は、棒立ちになっているか、犬頭人に手足を斬られてうずくまっているかのどちらかだ。
そうでない者も、ごく少数、残っていたのだが……王国軍の将兵が近寄ると悲鳴をあげて逃げるか、両手をあげて戦意がないことを訴えるか。
とにかく、手応えというものがなかった。
「こいつら、全部売り飛ばしてもいいのか?」
「そうしても、どこからも文句は来ないだろう」
我先にと急勾配の斜面を駆けあがり、山道の橋に積まれた土嚢の上を乗り越えた兵たちは、拍子抜けし、戸惑いながらもそんな会話を交わしあった。
捕らえた敵兵を換金するのは、この時代の兵士に与えられた当然の権利であり、下級兵士の重要な資金源でもあった。
「……あとにせよ!」
少し遅れて土嚢を乗り越えてきたブシェラムヒ・アルマヌニアは、周辺にいた兵士たちを一喝した。
「この程度の戦利品で満足するな!
この場にいる敵兵より、敵兵が来る道を絶つのが先だ!」
ブシェラムヒはそういって抜き身の剣を振り上げ、山道の山側、登り坂の方向に進軍するよう、号令をかける。
「進め、進め!
さらなる戦利品を求めて!」
「第二陣、用意!」
おおかたの傭兵や下級貴族が対岸まで渡りきったところで、ムヒライヒ・アルマヌニアは新たな号令をかけた。
今、川の上には、新たに架橋に成功した浮き橋が、何本か増えている。
山岳民の抵抗がほとんどなくなったおかげで、工兵たちの作業速度が一気に加速している手応えがあった。
「進め!
残党狩りは余人に任せ、第二陣はバタス川を渡ったのち、ボバタタス橋方面へと進軍!」
第二陣は、アムラヌニア公子飼いの家臣団や親アムラヌニア派の小貴族の子弟で構成されていた。
第一陣の者たちに比べ、装備も良質なものを揃えていたし、兵士としての錬度も高い。
それら、精強の兵士をボバタタス橋方面へと進ませ敵軍の反撃に抗する。それと同時に、せっかく架橋した浮き橋を破壊されないよう、防御のための陣地を構えるつもりだった。
盾兵を率いていたブシェラムヒは、盾兵と第一陣として乗り込んだ兵たちを糾合して、ボバタタス橋とは反対方向に兵を進めつつあった。
山道に沿って配置し、川を渡ろうとする者たちに対応していた山岳民兵たちは、すでにほぼ全員が無力化されているようだ。
だとしたら、そのあとに警戒すべきは、多くの敵兵や物資が供給される元である、「山側」にある……と、判断したのであろう。
その判断自体が間違っているとはいわないが、攻め込むことばかりで、せっかく架橋した浮き橋を守る、という発想ができていない。
そのあたりに……ムヒライヒは、弟の、用兵家としての限界を感じてしまう。
「……負けたくはないから、フォローはしますけどね……」
浮き橋を渡りながら、誰にも聞こえないような小声で、ムヒライヒは呟いた。
「……ハザマくんが五十匹も残していたわけがわかったわ……。
見事に、負傷者置きざりだし」
ムヒライヒ率いる第二陣のあとに浮き橋を渡りながら、エルフのムムリムは呟く。
「さて、皆さん!
わたしたちは敵味方関係なく、負傷者を手当します!
軽傷者はその場で、重傷者は応急手当をしたのち、犬頭人に命じて担架で医療所まで搬送すること!」
赤十字と「繁」の、ふたつの旗を掲げながら、ムムリム率いる治療者と医術士の団体は川を渡る。
「もう諦めたか?」
「まだ追ってきます!」
などといった形で、各人がこの局地戦に対応していた頃……ハザマたちは、逃げ回っていた。
ハザマたちは山岳民たちの高官らしい者たちを肩に乗せ、坂道を駆け下がっている最中だった。
追っ手は、まだ諦めてはいないらしい。
それだけ、ハザマたちが誘拐してきた人物が大事なようだった。
その割に、追いかけてくるだけで矢などを射かけて来ないのは、ハザマたちが肩に担いだ人物に矢が当たることを恐れて、それに、周囲に棒立ちになっている山岳民兵たちに流れ矢による被害が出ることを憂慮して、のことだろう。
ハザマの頭の上に乗っているバジルの能力によって近くにいる者はすべて硬直化してしまうので、迂闊に近寄ることもできない。
いや、それ以前に、山道に棒立ちになっている山岳民兵たちが邪魔になって、追っ手とハザマたちの距離は徐々に開きつつある。
たとえ障害物がなかったとして、身体能力が強化されたハザマたちはいずれは追っ手を引き離したはずなのだが……。
「……なかなか諦めないなあ」
「それだけ、この人たちが大事なんじゃないですか?」
息も切らさずに、ハザマとリンザはそんなことをいい合う。
「……それより!」
ハヌンが、不平を口にした。
「いつまで走ればいいの!
行きはすぐだったのに!」
「直線距離と道なりでは、そりゃ違ってくるだろう!」
ハザマは、ハヌンに叫び返す。
「どうやらこの山道は、蛇行しているらしい!」
傾斜がきつい場所に、無理に道をつくった形であり、そうして蛇行することによって、道の傾斜を緩くしたのであろう。
往路のハザマたちは、傾斜をものともせず、樹木が林立する山道を最短で突っ切ってきたわけだが、余分な荷物を担いでいる今となっては、同じルートを辿って戻るわけにはいかないのだった。
足場が悪い上に下り坂。見通しもきかなければ、木の枝にも絶えずぶつかる……などという悪条件の走行を、大事な人質を抱えて行うわけにはいかない。
そんなわけで、ハザマたちは今、通りすがりに多数の山岳民将兵たちを不動の身にしながら、山道を駆け下りている最中だった。
ムムリムたちが山道まで到着する頃には、周辺はすっかり静かになっていた。
残っているのは、負傷しているか、それとも戦意を喪失しているかの敵兵たちばかり。
真っ先にここに到着した五十匹の犬頭人たちは、身振りで歩ける敵兵を一カ所に集めたり、弓矢などを取り上げて運ぶ準備をしたりしている。
山岳民たちは、この犬頭人をひどく怖がっているようだ。
言葉も通じない犬頭人が身振り手振りで行う指示に、従順に従っている。
「……はいはーい。
ご苦労様。
あなた方は、まとめた荷物や硬直した無事な人たちを縛って運びはじめてちょうだい」
ムムリムが、先攻組の犬頭人たちに指示をする。
降伏した敵兵が身につけていた武器などは、当然の事ながら没収されていた。
それと、積みあげられた土嚢の内側に大量に用意されていた矢などをまとめ、先攻組の犬頭人たちは運びはじめる。
「残りは……急ぐわよー!」
一声叫んで、ムムリムたち医療班は、猛然と手当を開始する。
「治療者は、魔力を節約するように!
回復魔法の使用は最低限に抑え、できるだけ外科的な処方で止血に努めること!
重傷者はこっちに回して!」
ムムリムはいうまでもなく、医療班の人員は猛然と動き出してる。
傷口を洗い、重要な血管だけを回復魔法で接合し、傷口に雑菌除けの塩を詰めて縫い合わせる。
打撲、内出血などは、痛み止めの軟膏や内服薬を与える。
骨折は、専用の対処法を学んだ者が骨格をあるべき形に整えたあと、添え木などを使ってしっかりと固定した。
もっとも多く、そして深刻な負傷者は、やはり刃物で斬つけられた者であった。
ハザマは犬頭人たちに「なるべく、致命傷は負わせるな」と命じていたようだが……たとえ犬頭人たちがそのように気をつけていたにせよ、実際には、深手を負っている者は少なくはなかった。
出血量から見て、「もう助からない」とムムリムが判断した者に関しては、治療を後回しにするしかない。
時間は有限であり、ムムリムたち医療班の人手も無限にあるわけではない。
と、なれば……最小限の犠牲で最大多数の患者を救うことを、優先するしかないのだ。
その見極めは、だいたいのところ、重傷者を優先的に担当したムムリムの負担となった。
「……隊列を崩さず、整然と進んでください」
ムヒライヒ・アムラヌニアは、率いてきた兵たちに、静かな口調で命じた。
頑強な盾と鎧に身を固めた重装歩兵たちが山道の横幅いっぱいに広がり、整然と前進する。
この場で一番大事なのは、敵軍にこの山道の再奪取を許さないこと。ムヒライヒは進軍の速度をあまり重要視していなかった。
この先にあるのは、敵軍の精強が集う激戦区、ボバタタス橋。
今の戦力で、すぐにでもそこに飛び込もうというほど、ムヒライヒは無謀ではない。
しかし、敵軍が本気でこちらに向かってくる前にこちらの体勢を整える必要はある。
そのためのの余裕を作るためにも、架橋された浮き橋から距離をおいた区域を確保し、陣地を作成する必要があった。
ムヒライヒは、整然と進軍していく兵を見送ったあと、今度は手の空いた工兵を呼び集めて、ボバタタス橋方面へ防壁を設置するよう、命じる。
今、山道の川側に積んである土嚢をそのまま流用できるはずだ。
非戦闘員の人夫も召集し、バリスタの部材も運んでくるよう、向こう岸に伝令を走らせた。
せっかく架橋に成功した浮き橋は、死守しなければならない。
ボバタタス橋にいる敵軍にとっても、正面だけを相手にするのと、正面と側面を同時に警戒しなければならないのとでは、取り得る戦術の幅が大きく異なってくるはずなのだ。
思いもかけず短時間で、ほどんど犠牲らしい犠牲を出さずに成功したこの上陸作戦を無駄にしないためにも……強固な防衛陣地を急増する必要があった。
「……貴様! 洞窟衆の!」
渡川作戦第一陣の兵を率いてきたブシェラムヒ・アルマヌニアとハザマたちが、ついに邂逅を果たした。
前者は山道を登り、後者は同じ山道を下っていた。
いずれ顔を合わすことは確定していたのだが、ブシェラムヒ側は抵抗する敵兵を排除しながら、ハザマたちは人質を肩に抱え、駆け下りながら……で、両者それぞれの理由により取り込み中であった。
しかし、ブシェラムヒが率いる者たちが対峙している山岳兵が、不意に動きを止める。
「誰かと思えば、アルマヌニア公の三男坊か!」
困惑するブシェラムヒたちの耳に、ハザマの声が響いた。
「……ちょうどよかった!
ほれ、こいつを!」
ハザマは、手首だけを翻して、器用に持っていた棒状の物体をブシェラムヒに投げる。
「……こいつは?」
「敵の……おそらく、前線司令部のひとつだと思うんですが、そこにあった旗で一番立派なのを持ってきました」
「……なんだとうぉ!」
ブシェラムヒが、大声で叫ぶ。
「貴様!
この短い時間の間に、そんな場所まで足を延ばして生還したのかっ!」
「さらにいっておくと、今、その司令部までにいるほとんどの敵兵が、役立たずになっております!」
ハザマは、叫び返す。
「こっから先は、楽して手柄のたて放題ですよ!
……お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
リンザ、ハヌン、トエスが、ハザマの叫びに唱和する。
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「お……おい……」
ハザマがいっていることを半分も理解できていないブシェラムヒは、狼狽した様子で左右を見渡す。
「なにをしておいでです!
ブシェラムヒ様、他の皆様方!
ここから先はろくな抵抗もなく敵司令部まで迅速に進軍できるのです!
そこいらに棒立ちになっている者たちの始末は後回しに、今はさっさとそこまで兵を進め、敵司令部を占拠しておしまいなさい!
これは……大手柄となりましょうっ!
……お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
「お味方勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
「ブシェラムヒ様、勝利ぃ!」
再び、唱和するハザマたち。
最初のうち戸惑っていた将兵たちも、ハザマの口車に乗せられて徐々にその気になってくる。
「ほ……ほんとうに、この先も棒立ちなんだな?」
「楽に敵陣まで至れるのか!」
「これは……」
「やるしかないだろう!」
「さ、ブシェラムヒ様。
今こそ、進軍のご命令を!」
「お、おう……。
全軍、前速前進!」
ついに、ブシェラムヒはそう叫んだ。
全将兵は、雄叫びをあげながら坂道を駆けあがっていく。
「……ヴァンクレス並に単純なやつだな、あいつ……」
ブシェラムヒ率いる一軍の姿が見えなくなってから、ハザマはそう呟く。
「……なんで手柄をあの人に譲ったんですか?」
「首尾よく敵の陣地を占拠できたとしても、そのあとはそこが最前線になる。
いつまで続くのがわからない防衛戦なんて、退屈だし消耗するばっかりだ。
そんな割に合わない仕事は、他人に押しつけるのが一番だろう?」




