二人の大貴族
「それよりも、君。
君のところの商会は、聞くところによると発足したばかりだというのにブイブイいわせているそうじゃないか。うん。
いや、いいことだよ。国内の産業が振興するのは。
それでだねえ。
来たそうそうで悪いのだが……」
「われわれは、より多くの食料を必要としている」
ブラズニア公が、前置きもなしに用件を切りだした。
「どうした加減か、ここ数日、ここに着くはずの荷物が、ほとんど到着しなくなった。
三割も届かない。
これでは、早晩、兵士が飢える。
実際に飢えてからでは、戦線が維持できない。崩壊する。
聞けば、ハザマくん。
君のところの商会では、穀物も扱っているとか……」
「ええ、まあ」
ハザマは、もっともらしい顔をして頷いた。
「今、出荷できる穀物がどれほどあるのかは、実際に問い合わせてみないことにはわかりませんが……。
お望みとあれば、すぐにでもこちらに運び込むよう、伝えておきましょう。
その代わりといってはなんですが……」
……この野営地に、医療所を開くことをお許しください、と、ハザマは続けた。
「いいんじゃないか?
いや、むしろ歓迎すべき事だろう。それは」
アムラヌニア公は、そういってうんうんと一人で頷いている。
「拒否すべき理由がないことは確かですな」
ブラズニア公は、アムラヌニア公と比べると冷静な様子だった。
「しかし、ハザマくんのところには、そこまで財政的な余裕があるのですか?」
「財政的な余裕は、そんなにあるわけではありませんけど……」
少なくとも、今、対峙している二人の大貴族の権勢と比較すれば、その足元にも及ばないだろう……と、ハザマは思う。
「うちは何人かのエルフを抱えていまして、その知識を有効活用するため、薬物の販売にも手を広げております。
それらエルフのうち一人は、優秀な治療者であり専門的な医術の知識を持っています。
その知見を生かし、他の者たちへ効率的に伝えるためには実地に多くの経験を積ませるのが一番でしょう」
「回復魔法の使い手がいるのかね?」
そう聞き返してきたのは、ブラズニア公だ。
「経験豊かなエルフが一人と、その薫陶を受けたばかりの新人たちがまずは三十人ばかり。
ここで希望する人がいれば、学べるように手配をしておきますが……」
「そいつは、重畳」
アムラヌニア公は、両の掌を打ち合わせた。
「怪我人は、これからいくらでも出てくるからな。
むしろこちらから頼みたいくらいだ。
なあ、ブラズニア公よ」
「そうですね。
問題はないかと」
ブラズニア公は片眼鏡の縁に目をかけて、あっさりと頷く。
「薬品などは十分に用意できるのですか?」
「それなりに準備はしてきましたが、これからの需要すべてを満たせるとも思えません」
ハザマは、正直に答える。
「なにぶん、こちらは新興勢力でありますし、それに、この都度の参戦も急に決まったので準備をするための時間もあまりありませんでした」
「ああ、それは、どちらかといえばこちらの不手際であるな」
アムラヌニア公は鷹揚に頷く。
「こちらとしては、頭数に数えられさえすれば誰でもよい、といったくらいのつもりで心当たりに片っ端から声をかけて回ったのだが……。
そちらの、洞窟衆といったか。
召集をかけてから、やれ、かのヴァンクレスを捕縛しただのドン・デラで盛大に賞金首狩りを行っただのといった報せが追いかけて来た形で……」
「ドン・デラは、このわたくしの領地なので」
アムラヌニア公の言葉に、ブラズニア公も頷く。
「……はは」
ハザマは、力なく笑った。
「頭数……ですか?」
「いくさは、まずは数を揃えなければいかんともしがたいからな」
アムラニア公は、声を大きくする。
「どのみち、最前線の采配は地元のベレンティア公が握って離さぬであろう。
われらは、万が一、その最前線を突破されたときの後詰めよ」
「それだって重要な役割ですよ、アムラヌニア公」
ブラズニア公は冷静に指摘する。
「第一、参戦すれば下々の者に給金を支払える。
戦功をたてれば、平民は爵位を、爵位持ちは領土を授けられる。
ここでのいくさは国内の経済を活性化する立派な公共事業なのです」
公共事業なのかよ! と、ハザマは心中でつっこみを入れた。
なんか、ハザマが漠然とイメージしていた戦争と、違うような気がする……。
「それで、洞窟衆の。
貴公は、いったいいかほどの兵を引き連れてきたのか?」
アムラヌニア公は、そういってハザマの目をまっすぐに見据えた。
「あ、それです」
ハザマは、軽く返答した。
「今のところ連れてきたのは、おれの身の回りの者が数名と、あと、医療班三十名ばかしになります。
おれの身の回りの者はほとんど戦えますが、純粋な兵士は今、ここには連れてきていません」
アムラヌニア公とブラズニア公、二人の大貴族が、
「こいつはいったいなにをいっているんだ?」
とかいいたそうな顔をして、ハザマの顔を見つめた。
「逆にお聞きしたいのですが……兵隊さんはどのくらい、欲しいですか?
人間よりも毛深くてはしっこいやつらでいいのなら、千匹くらいは数日中に取り寄せますが?」
ハザマは根強い異族差別を考慮して、これまで戦地に犬頭人を連れてこなかったからそのように断りをいれたわけだが……。
「せ……千匹……ですと?」
ハザマの言葉を理解したブラズニア公が、まず口を開く。
「そんなに大勢を、あっさりと数日中に用意できるなどと……」
「それはあれか? 巡察官の報告にあった犬頭人ってやつか? おい」
アムラヌニア公は、ハザマのいいようを面白がっているようだ。
「いいな、そいつら。
おれは、異族ってやつとまともに触れあったことがないんだ。領内に出たって報告はときおり届くが、たいていは討伐の対象になっているからな。
それで、洞窟衆の。
肝心のそいつらは、使い物になるのか?」
「人間よりも俊敏で力が強いです。
近接戦に持ち込めば、普通の人間ならまずまともに対応できないかと。
ただし、欠点もあって、視力が悪いので弓などで遠くの対象を精密に攻撃するのは苦手です。
要は、使い方次第ってことですかね」
ハザマは、事務的に説明をする。
「こちらの軍隊の方々を無用に刺激する可能性を考慮して、そのまま連れてくるのは遠慮していたわけですが……」
「その犬頭人たちは……あなたのいうことであれば、聞くのですね?」
ブラズニア公が、ハザマに確認してくる。
「万が一、制御不能になって味方に襲いかかるなどということがあっては困るのですが……」
「おれのいうことには絶対服従。
おれが死ねって命じれば、そのまま自害するくらいです」
ハザマは、ブラズニア公の質問に対して、素直に回答する。
「そんな馬鹿な命令は、これまでやったことがありませんが……」
「よしよし」
アムラヌニア公が、鷹揚に頷く。
「多少毛深いからといって、貴重な戦力を遠ざけるのはわが軍の損失というものだ。
……それでよいな、ブラズニア公」
そういって、ブラズニア公は肩を竦める。
「彼ら洞窟衆は、アムラヌニア公の配下でございますから」
……ハザマなり犬頭人たちなりがなにかしらの不祥事を起こした際、真っ先に責任を取らされるのはアムラヌニア公である。
だから、アムラヌニア公の好きにしろ……と、いうことらしい。
「それよりも、わたくしは……ハザマ商会が提供できる食料の方に関心があるのですが……」
「それについて、のちほど改めて配下の者を差し向けます」
ハザマは、ブラズニア公に答える。
「正直にいいまして、おれは商人ではありませんので、具体的な商談は苦手です。
いつも、その手の仕事はそういうのが得意な部下に丸投げしておりますので、ここでおれが勝手な判断をしてなにか決めてしまったら、あとでおれが怒られてしまいます」
そもそも、ハザマ自身は現在の適正な価格も知りはしないのだ。
「いいでしょう」
ブラズニア公は、すぐに頷いた。
「どのみち、いますぐに決定しなければならないわけでもありませんし、こちらで提供可能な数量などについても明かされていない現状では、打ち合わせてもなにも決まりますまい」
ハザマの率直な物言いに、かえって信用を増したような態度だった。
「うむ。
では、兵については犬頭人を含めた出兵を認める。
食料の買い入れについては、今後、改めて相談をする……ということでよいな?」
アムラヌニア公は、ブラズニア公とハザマに確認をしてくる。
「ハザマ殿よ。
君も到着したばかりで旅の疲れが残っていよう。
より詳細な打ち合わせについてはまた機会を改めることにして、今宵の顔合わせはこれまでにしたいと思うのだが……」
「あ。ちょっとお待ちください」
ハザマは、片手をあげてアムラヌニア公の言葉を遮る。
「お開きをするのはいいんですが……その前に、おれたちの野営地を提示していたがかないと、今夜の宿にも困ります」
「……ふぅ」
洞窟衆の馬車が停めてある場所に帰り着いて、ハザマはまず太い息を吐いた。
「まさか、大貴族が一度に二人も出てくるとは思わなかった……」
「だが、なんとかやり過ごせたようだな」
答えたのは、エルシムである。
「無難な受け答えに徹してくれたのは、正直ありがたかったが」
ハザマに持たせたタグを通じて、ハザマが耳にした内容はエルシムたちも耳にしていた。
あの場でハザマは失言をしようものなら、その場でフォローしてやろうと待ちかまえていたのだが、予想以上に穏やかな形で会見が終了した形であった。
二人の周囲では、ムムリムが連れてきた三十名の男女とリンザたちが、天幕を張る準備を開始していた。
「しかし……なんでおれなんかのために大貴族が二人も出張ってきたのかなあ……」
ハザマは、そう呟く。
「あの人たちも、そんなに暇ってわけではないだろうに……」
「お前様がそれだけ注目されている……というだけでは、なさそうだな」
「……やっぱり?」
「なにしろ、客観的に見て、タイミングが良すぎるであろう。
洞窟衆に出兵の命令が来て、ハザマ商会が発足し、軍の輸送隊の不着が頻発する」
「短い期間に、いっぺんにいろんなことが起こりすぎたか」
「これで疑うな、という方が、無理な相談であるな。
しかし、洞窟衆の戦力が欲しいやつらにしてみれば、どんなに疑わしくとも今の時点でそれを追求することができない」
「戦争中は、どさぐさ紛れになんとかやってけるとして……そのあとは……」
「それまでに、洞窟衆なしではやつらが困るような体制を作り上げていけばよい」
「おま……そういうのは簡単だけどよ……。
いったい、どうやって?」
「知らぬ。
そういう大方針を決定するのは、洞窟衆の頭領であるお前様の仕事であろう」
「無責任な称揚のお言葉、どうもありがとうございました」
翌朝から、洞窟衆は多忙となった。
稼働したばかりの医療所は、朝のうちこそ静かなものだったが、エルフ製法の薬品があること、それに回復魔法の使い手が三十名以上揃っていることという噂が広まりはじめると、すぐに重傷軽傷の患者が集まりだす。
薬品だけを求める者も多かったが、買い薬でどうにかなりそうな軽傷者であるのならそのまま放置してもいずれは自然治癒するのだ。
結局、薬品を節約するためにも一度は診察をしてどの程度の緊急性があるのか判断する必要があり、新人の医療要員たちは、早速、経験を積むことになった。
最初から重傷とわかっている患者には、ムムリムが直接診察し、にこにこと笑いながら回復魔法を使って無理矢理治療を施していった。
大出血の元となる傷口だけを強引に魔法で塞ぎ、放置して問題がない程度の傷口は縫合で対処する。
患者が泣き喚こうが笑顔を崩さず最短のプロセスでテキパキと治療を施していくムムリムの姿は畏怖を呼び、その日のうちに「笑顔の悪魔医師」との称号が軍内部で定着した。
ハザマ商会からの荷車も、次々に到着した。
積み荷は、主として食料だったが、その合間に人や雑貨類も届けられた。
医療所の要員だけではなく、契約魔法や取引、帳簿のつけ方などの断片的な知識を得た半人前商人たち、特殊な技能は持たない単純労働力要員などもあいついで到着する。特に後者の、現場の状況次第でどうとでも使える人材は、それなりに重要だったりする。
彼らは、来る早々、天幕の増設や井戸掘り、患者の移送などに振り分けられ、さっそく酷使されることになった。
このうち井戸掘りについては、水場である川が洞窟衆の野営地から遠かったので、アムラヌニア公の許可を得た上で何カ所か掘ることになった。
医療所は、清潔さを保つためにどうしても大量の水を必要とするからだ。
井戸とは、専用の道具さえ用意されていれば、ハザマが考えるよりも、人力のみで簡単に掘れるものであるらしい。水源の深さや地面の硬さなどに左右されるが、早ければその日のうちに水場を確保できるという事であった。
それ以外に、到着した荷物を馬車から降ろし、しかるべき保存場所まで運ぶための人手も、当然必要となった。
空荷になった馬車は、すぐに街道に返送されることになる。
周囲にいた人々は、次々と到着しいつまでも途切れることのないハザマ商会の馬車を見て訝しがり、同時にその豊かさを羨望した。
洞窟衆の天幕は半日のうちにいくつも数を増やし、そして、昼過ぎに……犬頭人の第一陣、百匹が到着した。




