王国軍の野営地
「大貴族っていうのが八家あって、通常ならこのバタハムのいくさに出張ってくるのはそのうち三家……だったな?」
馬車に揺られながら、ハザマはカレニライナに確認してきた。
「そう。
他にも国境はあるし、王都の守りも軽んじるわけにはいかない。
だから、対山岳民問題に対して派遣されてくる大貴族様は、ここバタハムを治めるベレンティア家、穀倉地帯の東半分を治めるブラズニア家、それに、森林州を治めるアムラヌニア家の三家から司令官が派遣されてきます。
問答無用で出陣命令をくだされた人たちはもちろんのこと、戦功目当てに自発的に集まってきた小貴族や傭兵たちも、まずはこの三公家に自分を売り込んで参戦する形になるわね」
「そんで……おれたち洞窟衆に出頭を命じているのは、そのうちのアムラヌニア家、ってわけか……。
カレン。
このアムラヌニア公って人のこと、なんか知っている?」
「アムラヌニア辺境公。
大貴族である八公家の中では一番歴史が浅く、一番貧しい……と、いわれています。
新参であるその分、大貴族の中では新進の気質に富み、領地経営では次々と新しい事業を興そうとしているとか。
機転が効き、良質の人材ならば身分の上下を問わず積極的に登用し、一言でいえばあまり大貴族様らしくない大貴族様、という評判ですわね」
「おれにみたいな人間にとっては、ありがたい人らしいけど……そういう人が大貴族の中では例外ってことは……」
いいかえれば、通常の大貴族は、身分意識が強く、尊大で、保守的であるということだ。
「……大貴族ってやつらとは、あまりつき合いたくはねーなー……」
ハザマは、思わず本音を漏らす。
「心配せずとも、よほどの縁がなくては、直接、大貴族様方と親しくする機会は巡ってなんかきません」
カレニライナは、ハザマに断言する。
「大貴族様方の方でなにかしらご用事があったとしても、何人もの部下の方々を経由して伝えられるはずです」
「……雲の上の殿上人、ってわけか……」
大昔の日本の官位とは無関係なのだろうが、ニュアンスとしては遠くないはずだ。
「雲の上のナントカってのがなんだかはよくわからないけど、要するに、本来であればそれほど身分が隔たっているということね」
カレニライナは、そういったもっともらしく頷いて見せた。
「……旦那ぁ。
ぼちぼち、軍の野営地が見えてきましたぜ」
その日の夕刻、あといくばくかで日が沈もうかという頃に、馬車の御者からそう、声をかけられた。
「おお、やっとか……」
ハザマは馬車の窓から首を出して前方の様子を伺う。
「……思ったよりも、賑やかなもんだなあ……」
まず、人が多い。
天幕や色とりどりの幟、軍旗がたち並ぶ中、人馬、荷車が縦横に行き来している。
戦地とはいえ、このあたりはまだまだ後方だからであろうか。
殺伐とした気配はなく、活気と喧噪に満ちた賑やかさばかりが印象に残る。
「……なにより、人が多いもんなあ……」
ざっと見ただけでも、千はくだらないであろう人々が動いている気配を肌で感じることができた。
この距離で見る限りは、戦場というよりは祭かなにかのような陽性の活気を感じた。
「ここまでお世話になりました」
野営地までたどり着くと、衛士のガニニラスが挨拶にきた。
「おかげさまで、無事に護衛任務を全うすることができました」
彼ら、囚人の護衛隊は、これよりベレンティア公の陣に出頭し、囚人の身柄を明け渡すのだという。
「そうですか。
それでは……」
ハザマは、あらかじめ用意していた馬と具足、それに大槌をガニニラスに差し出す。
「……これらは、もともとヴァンクレスが持っていたものです。
囚人がこうした財産を私有することが許されるとも思いませんが、戦場では元の持ち主に使わせた方がよっぽど有効に活用できるでしょう。
この馬や具足をどう使えと指図できる立場ではありませんが、みなさんに寄贈させていただきます」
「お心遣い、感謝します」
ガニニラスは、生真面目な顔で頷く。
「ハザマ殿のご意見とお志はベレンティア家の方々にもしかと伝えて置きましょう」
ガニニラスら衛士の役割は、あくまで護送である。
囚人を現地の責任者であるベレンティア公家に引き渡したら、元の任地であるドン・デラに戻るだけで、戦場での囚人の運用に関しては意見する権限がない。
寄贈された馬や武具をさしだし、意見を具申するくらいのことしかできないのであった。
「ありがとうございます」
そのことを承知していたから、ハザマは、あえて礼をいった。
「礼をいわれる筋合いでもありませんよ」
ガニニラスは、苦笑いを浮かべてこれに応える。
「それでは……みなさまのご武運をお祈りします」
そういって、ガニニラスは、馬に乗った。
「……おおーい! 大将!」
荷台の上に立ち上がって、ヴァンクレスが大声を張りあげた。
「もう一つ、欲しいもんがあるんだが……」
「……あのなあ。
お前はこれから戦場に送られる囚人なんだぞ!」
ハザマも、大声で怒鳴り返す。
「ちっとは遠慮ってもんを考えろ!」
「いや、別にたいしたもんじゃないんだ!」
ヴァンクレスは、慌てた口調で叫ぶ。
「旗。
あの、妙な模様の旗をくれ!
どうせ戦場送りなら、大将の旗を背負って華々しく戦ってやる!」
「……いいっすか?」
ハザマは、騎乗のガニニラスにお伺いをたてた。
「寄贈品が多少増えても、誰からも文句は来ないと思います」
ガニニラスの返答には、事務的ではあるが心遣いが感じられた。
ハザマはリンザたちに指示をして、ヴァンクレスの馬の背に「繁」の旗を何枚かくくりつけた。
「……こっちは……まず、アムラヌニア辺境公とかいう人に挨拶に行かねばならんのか……」
面倒ではあったが、一応、その大貴族様の麾下に入るようにという指示でここまで出向いているわけである。
第一、このままでは自分たちが野営をする場所さえ確保できない。
ハザマは、リンザ、キャヌ、トエスの三人と、カレニライナとクリフの姉弟を伴って、アムラヌニア辺境公の陣を目指す。
クリフはハザマの侍従見習い、カレニライナは貴族社会の常識に疎いハザマへの助言役、あとの三人は護衛、といったところか。カレニライナとクリフの姉弟を除いた全員が、レザーアーマーで身を固め、腰に剣を差している。
この場合、武装というよりは戦場での礼服的な意味合いの方が強いのだが、大貴族様を訪ねるのにまさか平服というわけにもいかないので、無難な選択ではあろう。
誰もアムラヌニア辺境公の陣について具体的な場所を誰も知らないので、手近にいる人たちに訊ねつつ、進むことになった。
カレニライナはもちろん大貴族の一員であるアムラヌニア辺境公の家紋や旗印を知っていたが、野営地内が雑然としていて見通しが効かず、人に訊きながら進んだ方が早かったのだ。
「ああ。
アムラヌニア様の陣は、この先になるな。
しばらくまっすぐ歩いて、迷ったらまたそこで訊いてくれ」
「アムラヌニア様の陣? もっと先だな。
あそこに紫地の幟が立っているだろう。そこの角を右に曲がってしばらくいくと着くはずだ。
あんたらも売り込みかい?
傭兵か下級貴族にしては、随分と奇妙な組み合わせだが……」
「アムラヌニア様の陣なら、もうすぐそこだ。
ここからでは見えにくいが、道なりに進んでいくとアムラヌニア様の紋章が見える。
ところであんた、肩にトカゲを乗せて女子どもを引き連れて……慰問の旅芸人かなんかかい?」
たかが野営地されど野営地。
木や石でできた建築物の代わりに天幕で構成されているとはいえ、下手な町よりも多くの人間が集まっているだけあって、なかなかの賑わいを見せている。
なにより、思ったよりも、広い。
実際に歩いてみると、その広さが否が応でも実感できた。
「……ここか?」
「ええ。
こちらの紋章が、確かにアムラヌニア辺境公家の紋章になります」
ようやく着いた天幕の前で、ハザマとカレニライナはそんな短い問答をした。
「ええっと……受付は、どこになるのかな?
ええ、すいませーん。
アムラヌニア辺境公にお取り次ぎをお願いしたいのですが……」
ハザマはそんな声をあげながら、そのひときわ大きい天幕の周りをうろうろしはじめる。
しばらくして、ようやく門衛らしい兵士たちが立っているところにでくわした。
「ちょいとお尋ねしますが、アムラヌニア辺境公の陣はこちらで間違いありませんかね?」
ハザマは、その兵士たちに声をかける。
「いかにも、ここはアムラヌニア辺境公の本陣である」
「そのように訊ねる貴公は、何者であるか?」
二人の兵士が、ハザマに訊ね返した。
「おれは、洞窟衆のハザマって者です。
お役人にこちらを訪ねるよう要請がありまして、急ぎ駆けつけた次第。
どうか、お取り次ぎをお願いします」
そういってハザマは、兵士たちに役人から貰った指示書を手渡した。
「……随分と待たされますね……」
クリフが、ぽつりと呟く。
無理もない。
兵士たちに取り次ぎを頼んでから、もう小一時間も放置されているのだ。
ハザマたちは控え室らしい一角に案内されたあと、見事なまでに放置されていた。
「お偉い大貴族様は、お忙しくていらっしゃるのだろうよ」
ハザマが答える。
「呼ばれたから来たとはいえ、アポなしで押し掛けてきたんだ。
待たされもするさ」
そういうハザマの声に、焦りの色はない。
戦場での大貴族様ともなれば、大小の決裁すべき事柄も多いのだろう。
待たされることは、ハザマも予想していたところだ。
「わたしたちが待たされるのは、別に構わないのですが……」
リンザは、そんなことをいった。
「……残してきた人たちが、少々心配です。
もう日も落ちてきたのに、いつまでも天幕を張れずに待機しなければならないので……」
「……あー。
それ、なあ……」
ハザマとて、そのあたりのことを考えないでもなかったのだが……。
「こんだけ大勢の人間が詰めている場所だ。
もうしばらく待機して貰っても、どうとでもなるだろう」
リンザの心配は理解できるのだが、ハザマはあえて気軽な口調を保持した。
みな、早く横になって、長旅の疲れを落としたいはずなのだ。
「洞窟衆のハザマ殿。
着いてきてくれ」
ようやく、案内役の兵士が声をかけてきた。
「おれは外国人だ。
この国の言葉は読み書きできん。
何人か、ともの者を連れても構わないだろうか?」
念のため、ハザマそう確認してみた。
「何人でも好きなだけ連れてこい。
それよりも時間が惜しい。
早くしてくれ」
その返答を待って、ハザマたちは全員で案内の兵士のあとに続く。
「や。や。や。
よく来てくれた。
ハザマくん、だったかな?」
六十前後だろうか?
頭髪が半分ほど白髪になった初老の男が、軽い足取りでハザマに近づき、ハザマの両手を取ってぶんぶんと振り回した。
「待っていたよ。うん。
君たち洞窟衆の噂はね、いろいろと届いている。
貴族なんて家業はね、耳が早くないとやっていけないからね。うん。
わたしが当代の辺境公、グレヌステルヌ・アムラヌニアだ。
それでこちらが……」
「バイアデアレル・ブラズニアと申します」
片眼鏡をかけた五十年輩の男が、にこやかに挨拶をしてきた。
「一応、東の穀倉公などともいわれております」
なんと、この戦場に出ているはずの大貴族三家のうち、二家の大貴族当主がそこに揃っていた。
……待たされたってことは……。
ハザマは、心中で舌打ちをした。
……おれが訪ねてきてから、このブラズニア公をわざわざ呼び寄せたのかも知れない……。
確信は持てなかったが……そういう可能性はあると、そう、心得ていた方がよさそうだ。
「名だたる大貴族のお二方にお目通り願うとは、まことに幸運な限り」
口に出しては、ハザマはそういった。
「おれは余所者で新興の軽輩ですが、これからもご指導ご鞭撻のほどを」
「ああ。うん。
ハザマくん。
ここは戦場であって、退屈な宮廷の中ではない。
そういう社交辞令はやめておこう。お互い」
アムラヌニア公は、そんなことをいい出した。




