斥候隊の墜落
一口に飛竜といっても、実際にはいくつかの種類がある。
アブロム隊の三名が乗用しているのは、小飛竜と呼ばれる飛竜の中でも一番小さな種類であった。
これは、飛竜というのは名ばかり、ほとんど鳥である。ただし、羽根は生えていない。
長い両翼から鱗に覆われた薄い膜が張ってあり、ここに風を受けて滑空する。たいていは、崖の上などから飛び降りて、上昇気流を捕まえて飛ぶ。
羽ばたくということも、ほとんどしない。
そんな様子であるから、人を乗せて飛ぶことは出来ても、自由自在に飛び回る、という訳にはいかなかった。
小飛竜にできるのは、あくまで「滑空」であって「飛翔」ではないのだ。
「……おーい!」
アブロム隊のズニエラが、僚竜に声をかけた。
アブロムが乗る小竜まで、五十メートル強の距離があった。が、大声を出せば、声は届く。
アブロムが顔をこちらに向けたことを確認し、ズニエラは大仰な仕草で下を指さした。
アブロムだけではなく、ニブルスもズニエラが指さした方向に顔を向ける。
そこに……遙か下方の地面に、一列に並んだ馬車が走っていた。
異様なのは……そのうちにいくつかの平馬車の上に、粗末な衣服を着た男たちがすし詰めになっていることだ。
この斥候隊の隊長であるアブロムが手真似で高度を下げるよう、指示を飛ばす。
ズニエラもニブロスも、すぐに手綱を操作して高度を下げはじめた。
今回のような斥候に出るときは、最低三竜編隊で出撃することになっている。
機動力に欠ける小飛竜が役に立つのは、もっぱらこうした斥候任務であった。
ここ数日、王国軍の軍需物資がまともに届かなくなっている……という情報を掴んだ山岳民連合は、その原因を探るべく、幾組も斥候部隊を飛ばしている。
アブロム隊も、その一つであった。
「囚人を護送する馬車か……」
何十人もの人間が、平馬車にすし詰めになっている。
高度を下げると、重そうな馬車が、いくつも続いていているのが確認できた。
その前後に箱馬車や荷馬車が何台も続いているのだが、目的地を同じくする馬車が隊列を組んで移動すること自体はさほど珍しいことでもないので、別段不思議には思わなかった。
隊長のアブロムが、左右のズニエラとニブロスに手信号を送る。
……右に旋回せよ。
小飛竜は、急激に方向を変えたりできるほど器用な竜ではない。
無理に速度や進路を変えようとすると、すぐに失速して落下してしまう。
もちろん、空中の一点で制止する、などという芸当も無理であったから、詳しく観察したい物を地上に見つけたら大きく旋回して見直すしかなかった。
もちろん、その際には弓矢などの遠距離用の武器を警戒して十分な高度を保持することが鉄則なのであるが、対象を間近に観察するためにはそれなりに高度を下げなければならない。
急制動を苦手とする小飛竜を、観察対象の細かいところまでを検分できるところまで高度下げ、移動中の対象を追う……というのは、それなりに高度な技術を必要としていた。
アブロム隊の三竜は、隊長を先頭にし、少し下がった左右にズニエラとニブロスを従えた編隊形を崩さないまま、ゆっくりと右に旋回して囚人が乗せられた馬車を追う。
ゆっくりと旋回し、視界に再び囚人が乗る馬車が入ってきたところで……アブロム隊を、異変が襲った。
「……プテラノドンだ……」
馬車の窓から顔だけを出したハザマが、空を見上げてそう呟く。
「プテ……なんだって?」
ファンタルが、ハザマに聞き返す。
「あれは、山岳民の飛竜隊だ」
「攻撃してくんの?」
「あれに魔法兵でも乗っていれば、可能ではあるが……。
まず、偵察目的のものと考えてよかろう」
「……ふーん……」
ハザマは、面白くなさそうな顔をして鼻を鳴らした。
「武器とか、積んでないんだ」
「武器だって?
そんな重い物を積んだら、まともに飛べやしない。
乗り手だって、体が小さくて体重が軽い者から選ぶくらいだ」
「……なるほどねー……。
あ、ぐるっと回った」
ハザマやファンタルたちが見守る中、一度頭上を通過した飛竜隊は、編隊形を崩すことなく大きく旋回をはじめる。
「引き返してくる……ってことは、こっちに興味を持ったってことかな?」
「多分な」
「あ。
結構、高度が下げて来てる。
……これなら……」
いうが早いか、ハザマは窓から身を乗り出して馬車の屋根に手をかけ、そのまま箱馬車の屋上へと降りたった。
そのままハザマは、箱馬車の屋上で四つん這いになり、頭だけを下げて窓から馬車の中に声をかける。
「……おい、リンザ。
バジルが入った鞄、取ってくれ」
「はい」
リンザは、座席に放置していたハザマの肩掛け鞄を素直に手渡した。
「……今度はなにをするつもりですか?」
「あれを、落とす」
ハザマは、ゆっくりとこちらに近寄ってくる三つの点を指さす。
「バジルの餌にちょうどいい」
「……落とす、って……どうやって?」
馬上のファンタルが、疑問の声をあげた。
「バジルを投げる」
ハザマの答えは簡単にして明瞭だった。
肩掛け鞄の紐を握り、ぶんぶんぶん、とバジルを入れたままの鞄を何度も回転させる。
そして……飛竜隊が近づいてくるところを見計らい、十分に勢いをつけたバジル入りの鞄を空高くに放り投げた。
「ズニエラ!
高度を落としすぎだ!」
アブロム隊長の声が遠くから聞こえる。
ズニエラは反射的に手綱を起こし、飛竜の姿勢を制御して高度をあげようとした。
まさにそのとき……。
『……なんだ?』
手綱を握るズニエラの手が、思うように動かなくなった。
いや。
手、だけではない。
足も腰も、体全体が、自分の意思を無視して動かせないということに、気がついた。
それどころか、声も出せない。瞬きさえできない。
『なんだ……これは……』
身動きが封じられたズニエラは、すっかり恐慌に襲われている。
小飛竜を上昇させかけていたズニエラの竜は、そのまま緩やかな螺旋を描いて上へ上へと昇っていく。
アブロム隊長とニブロスは、ズニエラとは反対に緩やかな仰角で降下をしているところだった。
まだ高度差がでてくるほどの影響はないが、このままでいけば二人が乗る竜はズニエラの視界から消えていくことだろう。
瞬きが封じられたズニエラの視界の隅に、竜を御する様子が見られないアブロム隊長とニブロスの姿が見える。
あの二人は、何故動かないのか……と、ズニエラは思ったが、すぐに今の自分と同じように、あの二人も動きを封じられている可能性に思いあたった。
アブロム隊長とニブロスだけではなく、二人が乗る竜、ズニエラが乗る竜さえピクリとも動かない有様だったからだ。
今、アブロム隊の小飛竜は、三体とも風に乗って流されているだけの状態だった。
硬直状態がこのまま続けば……いずれ、地面に激突するな……と、ズニエラは他人事のように考えた。
何しろ、御者である自分だけではなく飛竜までもが硬直しているのだ。
ちょいとした気流の変化が命取りになりかねない。
そしてその瞬間は……上へ向かっている自分よりも、下に向かっているアブロム隊長とニブロスの方が早く訪れるに違いない。
「……落ちてこないな、鞄」
「……うまいこと、どこかに引っかかったかな?」
ファンタルとハザマは、そんな呑気な会話を交わしていた。
「プテラノドンのうち二つが、下降。
一つが上昇してる。
どれも、大きく旋回しているが……」
「……このままいくと……落ちるな。
少し、時間がかかるかも知れないが」
「……おーい、馬車を止めろ!」
ハザマが、箱馬車の屋根の上に立ち上がって大声を出した。
「落ちてきた竜を回収する!」
まず、ハザマたちが乗る箱馬車が停止し、次いで、前後にいたハザマ商会の荷馬車が止まった。
最後に、囚人たちを乗せた衛士の馬車が停止する。
「……なにかありましたか?」
護送任務の責任者である、ガニニラスが乗る馬が近づいてきて、ハザマに問いかけた。
「あれ」
ハザマは、ゆっくりと弧を描いて下降している最中の竜、ニ体を指さした。
「山岳民の、斥候だそうです。
あれを回収してから進みましょう」
「……なるほど。
了解しいたしました」
ガニニラスは一瞬、難しい顔をしたが、すぐに気を取り直して護送隊に命令をした。
「全員、これよりこの場に待機する!
山岳民の斥候をハザマ殿が捕らえるようだ!」
ガニニラス率いる囚人の護送隊、その中のヴァンクレスは、ハザマしか安全に護送することができない。
そのハザマが停止するというのなら、護送隊もその都合に合わせなければ任務が全うできないのだから、否も応もない。
アブロム隊長は自分が乗る飛竜が生きながら貪り食われる光景を目の当たりにしていた。
目を瞑ることも逸らすことも許されていないのだ。見続けるしかなかった。
飛竜に取りついたのは、見たところ小さな動物のようだった。
硬直している飛竜の鼻先をたどって、今では口の中に入り込んでいる。
ぴちゃぴちゃという水音と鮮血の飛沫が絶えずこちらに飛んできているので、飛竜の口内が貪られているのだな、と予想がついた。
なにしろ、飛んでくる血飛沫の量が尋常ではない。
遠からず、アブロム隊長の愛竜は地面に激突する前に絶命するだろう。
口の中から喉を経て内蔵にいこうが、逆に頭部に向かって脳内を食い荒らそうが、いずれにしても飛竜にとっては致命傷となる。
遠目でよく確認できないのだが、飛竜の鼻先に、鞄のような布切れが引っかかっている。
おそらく、その鞄の中に入ったまま、飛竜がいるこの上空まで放り投げられてきたのだろう。
地上からそこまでの距離を考えると、それを投げた者は人間離れした膂力を持っていることになるのだが……それよりも気になるのは、そのアブロム隊長や飛竜の硬直がその小動物に由来しているのかどうか、だった。
まさか、空中を伝わる麻痺毒の類とも思えないが……可能性が、まるでないわけでもない。
そこまで考えてから、アブロム隊長は自嘲する。
もうすぐ確実に死ぬっていうのに……そんなことを考えて、一体どうしようというのか。
なにしろ、今、アブロム隊長は墜落している最中だ。
ゆっくりと旋回しながらの落下だから、地面と激突するまでの時間は多少、かかるであろうが……硬直したままでは、どうにも対処のしようがない。
特に山岳部では急激な気流の変化は頻繁にあり、いつでも墜死の可能性については覚悟していたものだが……よりにもよって、こんなに訳の分からない死に方をするとはな……と、アブロム隊長は自分の死に様を呪った。
せめて、直接の死因となるこの硬直化現象の原因を把握し、友軍に届けたかった。
友軍といえば、ニブロスとズニエラはこの危難をうまく逃れることができたであろうか?
三竜編隊で先頭を飛んでいたアブロム隊長は、他のニ竜の動向を把握できていなかった。
「あ。
落ちた」
旋回する飛竜の動きに合わせて目線を左右に動かしていたハザマは、間の抜けた声を出した。
「……あちゃあー。
竜もろとも、地面を派手に転がっちゃって……こりゃ、乗っている人も……」
「おそらく、助からないとは思うが……」
ファンタルが、言葉のあとを引き取る。
「一応、様子を見に行ってくる」
そして、馬首を返して飛竜が落下した地点へと駆けだした。
「さて、もう一つのプテラノドンは、っと……あ。
落ちた」
今度は、地面を派手に転がるということはなく、先に手羽先が地面に着いたため、しばらく横方向に回転してから、ようやく停止した。
その途中で乗っていた人間が飛ばされたように見えたが、直接地面に激突するよりはダメージが小さかったはずだ。
ここが刈り取りが終わったあとの麦畑でよかったな、と、ハザマは思った。
岩がむき出しになった地面とか森林だったら、もっと大惨事になっていたはずだ。
「……おい!
落ちたやつを拾いにいくぞ!」
ハザマは馬車の中に声をかけて、馬車の上から地面に降りる。
ファンタルが駆けつけたとき、その飛竜の乗員はすでに虫の息だった。
何度も飛竜ごと転げ回り、その体重で地面に押しつぶされたのだから無理もない。
むしろ、まだ意識を保っていることが奇跡的でさえあった。
「……いい残すことはないか?」
上体を抱き上げてファンタルが声をかけると、その乗員は肺に入った血を盛大に吐きだし、それからゆっくりとしゃべりはじめる。
「……なぜ……落ちた。
われわれ……仲間に……その原因を……」
そこまでしゃべってから、その乗員……アブロム隊長はもう一度喀血し、今度は永遠に目を閉じる。




