戦場への道中
「四日くらいかかるのかぁ……」
ハザマの感覚からいえば、移動のために何日も潰さなければならないというのはいかにも無駄が多すぎるわけなのだが、それがこの世界の標準であるというのなら文句をいっても仕方がない。
「……なんとか、移動を短縮する方法がないもんかなあ……」
馬車の窓から顔をつきだして、そんなことを呟いてみる。
「ハザマ様は転移魔法をご存じありませんか?」
馬上のガニニラスが、声をかけて来た。
「聞くところによると魔法使いの中には、瞬時に遠くまで移動する術を使いこなす者がいるとか……」
「……その魔法使いってのは、簡単に雇えるもんなのか?
おれ、魔法使いってのに会ったことがないんだけど」
エルシムは、巫女だと名乗っていた。
それがこの世界でどのようなステイタスになっているのかハザマはよく知らないが、魔法使いとはまた別種の存在として認知されているのであろう。
それに、少し前にファンタルが盗賊の首領をしていた魔法使いを取り逃がしたとかいっていたが、ハザマ自身はそいつの顔を拝んでいない。
「雇うのは難しいでしょうね。
有力な魔法使いは、おおかたどこかの国なり貴族なりに仕えています。
そうでない魔法使いも、極端に数が少ない上に気難しい者が多い」
「なるほどねえー……」
数が少ない、ということは、礼金やら報酬やらも跳ね上がっているんだろうな、と、ハザマは思う。
どうやら魔法使いとかいう人種には、しばらく縁がつかなさそうだ。
「商人が使う契約魔法とかと、そういう魔法使いが使う魔法は、違うの?」
「規模や威力が、ぜんぜん」
ガニニラスは、ゆっくりと首を振る。
「魔法使い以外の者は、自然に偏在する魔力を利用して魔法を使います。
魔法使いは、それ以外にも体内に備蓄した魔力を使うといわれています。
そうしたことが可能な体質を持ち、複雑な魔法の知識を体系的に修めた者のみが有力な魔法使いになれます。
まあ、戦場に着けば……」
魔法兵も、いやというほど目撃することができますよ……と、ガニニラスが続ける。
宿場町ドン・デラを発ってから、丸一日が経過していた。
その間、ガニニラスなどの囚人護送の任務についた衛士たちともそれなりに打ち解けてきている。
囚人たちは、ときおり無駄に騒ぎはするものの、反抗する術もなくだいたいは大人しくしていた。
つき従っている衛士たちも、馬を走らせる以外はやることがないのであった。
そこで、ハザマらともときおり世間話をすることになる。
こうして移動しながらはなすこともあれば、朝晩の食事のおりに会話を交わすこともあった。
ちなみに、移動中の囚人たちの食事は朝晩の二回のみとなっている。量もあまり多くはなく、ほとんど必要最低限の栄養しか与えられていない。
途中で足を止めて時間を無駄にしないため、と説明されていた。
ハザマたちや衛士たちは、馬車の中や馬上で昼間でも携帯食料を口にしている。
干し肉や硬く焼いたパンなどだが、困ったことにこれらを食べると口中の水分を吸い取られるような気分になって、ひどく喉が乾く。
保存のために塩分を多くし、水分を飛ばしているため、だった。
昨夜、ガニニラスから勧められるままに、ハザマは、軍公式のパンをひとつ貰って食べてみた。
手のひらのほどの大きさで、五センチくらいの厚さがある。
とても硬くて、しばらくくわえて唾液で溶かすか、それとも砕いて飲料に入れてふやかすくらいしか食べようがない代物だった。
それが王国軍の公式携帯食料だと知って、ハザマはなんだかとても情けない気分に襲われたものだった。
料理法が広く流布されていて、煮炊きできないような逼迫した戦場ではこればかりが兵士に支給されるのだという。
朝晩、囚人たちに支給されているのも、この「戦闘食」だけだった。
「……戦争なんざするもんじゃねえ、ってこったな……」
ぽつりと、ハザマはそんな独り言を漏らす。
「まったくです」
ガニニラスが応じる。
「ですが、山岳民が攻めてくれば、こちらとしては応じるしかない。
そうしないと、蹂躙されるばかりだ」
「蹂躙、ねえ……」
ハザマは、うっそりと呟く。
「バタハムっていいましたっけ?
その、戦場がある場所は?
そこ、そんなに重要な場所なんですか?」
「場所が重要……というより、あそこには、この緑の街道が続いているからな。
侵入を許してしまうと、国内の奥深くまで入り込まれる。
だから、普段から防備を固めているし、むこうの兵に動きがあれば国中から兵を集める」
「なるほどねえ……。
戦略的に重要な場所、ってわけか……」
緑の街道と国境が接している場所……という事実だけで、ハザマにはその場所の重要性が理解できた。
移動効率は、軍事的な優劣にも直接結びつきやすい。
「……あ。
こっちはもう、刈り取りが済んでいるんだな……」
麦畑が、麦の根本だけを残してすっかり刈り取られていた。
農夫たちが忙しそうに麦を刈り取って、荷車に乗せている。
「国境に近い場所から、急いで刈り取っているんですよ」
ガニニラスが説明してくれる。
「国境を突破されれば、略奪の対象になるわけですから」
「……ああ、それで……。
刈り取った端から、運び出すわけか……」
「収穫作業が終わったら、戦闘に参加しない民には避難して貰っています。
もっとも……」
国境を破られたら街道を利用して国の内部まで侵攻されてしまいますので、無駄といえば無駄なんですけどね……と、ガニニラスは続けた。
そういえば……宿場町のドン・デラも、少なくとも旧市街の方は城壁に囲まれていた。
外敵の侵攻を予測していなければ、あんな構造を採用するわけがないのだった。
今回の護送任務で衛士側が用意した馬車は全部で五台。
そのうち三台が囚人を乗せた馬車で、残り二台が水や食料、秣を積んでいる。
ハザマたちの方はというと、人を乗せた箱馬車が一台に荷馬車が六台という編成であった。
旅の最中に消耗する物資だけではなく、戦場で必要となる物資も合わせて運んでいるのでこれだけの荷物となっている。
なにより、ここから先は途中で補給できる場所が少なくなるとかで、馬のための水や秣まで運ばなければならないためどうしても荷が多くなる。まるっきり補給できなくなるというわけではないが、戦地に近づけば近づくほど、それらの物資の値は跳ね上がるそうだ。
そのため、このうちの荷馬車は、水や食料などの荷が空になり次第、すぐにドン・デラへと返送する手はずになっていた。
ガニニラスなどにいわせると、
「この人数でこれだけの荷物を運んでいるのは、ずいぶんと豪勢な編成ですね」
ということになる。
これに対し、ハザマは、
「なに。
うちの兵隊が集まってくるのは、これからのことです」
と答えておいた。
「……つまり、命令系統は一本化されていないってことなのか?」
カレニライナから王国軍の編成について一通りの説明を聞いたあと、ハザマはそんな感想を漏らした。
別にハザマもガニニラスとばかりだべっているわけではなく、馬車の中でこちらの知識の吸収にも努めているのだ。
「一本化されていない、と言い切るのは語弊があるけど……」
応じるカレニライナは、少々歯切れが悪い。
「……各領主様の下に家臣団が編成されていて、それなりに序列はあるわけであるし……」
カレニライナとて、まだ若干十二歳。
祖父や父から薫陶を受けてそれなりの知識は有しているのもの、実際に戦場を知っているわけではない。
「領主に家臣団、ねえ……」
ハザマは、少し考え込む。
この辺は、まるっきり中世レベルだな。
ろくな通信方法もない場合、現場での判断を優先し、柔軟な対応ができる構造の方がかえって都合がいいのかな……と、そんなことも、思った。
「規模……敵味方の人数的には、どれくらいなもんなんだ?」
「……さあ?」
ハザマが質問をぶつけてみると、カレニライナは首をひねった。
「人数といっても……どこからどこまでを、兵として数えていいのやら……」
馬の世話をする馬丁、貴族につき従う侍従など、物資を輸送する者、その他、食事や怪我人の世話をする者など、後方の仕事をする者も、多数、必要となる。むしろ、兵士よりもそうした後方を支える人数の方が、よほど多い。
戦場に集まるのは、別に直接戦闘に参加する者だけではないのだ。
その総数など、誰も把握してはいないだろう。
「では……その領主様ってやつらは、この国にはどれくらいいるんだ?」
「国王様から半ば自治を任されている大領主様が八家、それ以外の小領主様は八十七家、だったと思います。
最近、廃絶とか改易がなされているようでしたら、小領主様の数も多少の増減はあるかも知れませんが……」
「その全部が今回の戦場に兵を出しているの?」
「いえいえ。
それでは他の国境が手薄くなってしまいます。
これまでの例ですと、対山岳民戦の際に動員される大領主様は三家、その他の小領主様方は、こぞって参戦をなさると思いますが……」
小領主にとって、戦争は軍功を立てて自分の家を盛り立てるための大きな機会でもあるのだ。
余裕がある限り、多少の無理をしてでも兵を出そうとする。
「カレンやクリフの家も、その小領主ってことになるのか?」
「いえ。
その……領地を持たないので、さらにその下かと」
「……貴族といっても、称号だけなのね」
「失敬な!
国王様よりちゃんと年金もいただいております!」
衛士の護送隊に合わせて進んでいるので、ドン・デラに向かった時よりはかなりゆったりとした進行となっている。
事故を避けるために、移動をするのは日が昇ってから沈むまで、あたりが明るい間だけだ。
日が沈んでしまったら、馬の足を止めてすぐに野営の準備に移る。
かなり余裕を持って荷を整えてきたので、ハザマはガニニラスに断りを入れて、衛士と囚人たちに食料を差し入れることにした。
全員に行き渡らせれば一食につき干し肉一切れとか、そんな量しか配分できなかったが、それでもハザマたちに対する衛士や囚人たちの心証は、かなりよくなったような気がする。
夕食の時、囚人たちに所望されて、火を囲みながらクリフやヴァンクレスが、ハザマとの決闘を大げさに実演してくれるのには少々閉口したものだが。
かなり派手に活躍していたヴァンクレスは囚人たちの中でも一番多額の賞金がかけられており、そのヴァンクレスがどのようにして捕まったのか、他の囚人たちも興味が掻き立てられるところだった。
自分たちと同じように、ハザマの硬化能力によって……ということなら納得はいくのだが、実際にはそのハザマの能力もヴァンクレスには効果がなかったという。
では、あのヴァンクレスをこの男が……ということで、ハザマは囚人たちから改めて一目置かれることとなった。
ハザマにしてみればそれらのことは、極めてどうでもよかったわけだが。
変化が起こったのは、ドン・デラを発ってから三日目のことだった。
その間、ハザマが引いてきた荷馬車は二台が返送され、四台に減っている。
「追いついたぞ、ハザマ」
馬に乗ったエルフが、箱馬車に乗っているハザマに向かって、そう挨拶をした。
「おお。
ファンタルさんか。
ってことは……あっちは順調にいっているんだな?」
「ああ。
森での商いは、順調に滑り出した……というところだな」
山岳民との、密貿易のことである。
「買いつけを増やす件は?」
「外注がいきなり増えたもので少々混乱はしたが、今では持ち直している。
荷は、飛躍的に増えることになろう」
ドン・デラの顔役を通して盗賊を使役する件も、それなりにうまく機能しているらしい。
「森の中も落ち着いてきたから、直にエルシムもこちらに合流してくるということだ」
「……森を留守にしても大丈夫なのか?」
「他のエルフも、女たちもいる。
すべては洞窟でやってきたことを規模を大きくして繰り返しているだけであるし、今回は前に比べて物資面での援護も行き届いている。
心配するまでもなかろう」
エルシムやファンタルがそのように判断をするのならば、本当に大丈夫なのだろう……と、ハザマも信じることにした。
「……ん?」
「どうしました?」
ふと、ファンタルが視線をあげて、いぶかしげな表情になった。
「……あれは……」
「え?」
ハザマは、箱馬車の窓から顔を出して、ファンタルが指さす方向を見る。
黒い点が三つ、飛んでいる。
それどころか、どんどん大きくなるような……。
「あれは……鳥、ですか?
それにしては、大きい……いや、大きすぎるような……」
「馬鹿!」
ファンタルが、叫んだ。
「あれは……山岳民の飛竜隊だ!
ここは、隠れる場所がない!
いい的になるぞ!」




