出兵の前夜
三ヶ国の異変を報じた山地月報の号外が出回りはじめてからにわかに、居留地方面は騒がしくなったようだ。
ようだ、というのは、その間もハザマは仮庁舎の執務室内でさして面白くもない領主としての職務に取り組んでいたため、実際に自分の目で確認したわけではないからだった。
領地の外でどんな異変が起ころうが、それが原因で日常の業務は増えることはあっても減ることはない。
流石に雇用契約書などのすでに定型化している契約については法務部だけで審査して自動的に契約を締結する機構が整っているわけだが、それ以外にもその都度領主の判断なり諒承なりを必須とする細かい案件は無数にあるわけで、そうした案件はハザマが目を通して判子を捺さない限り先へは進まないわけだった。
「……このままでは、どんどん身動きが取れなくなるかなあ」
とハザマは思い、
「もっと各部門ごとの裁量権を強くして、できるだけ領主である自分自身が判断しなければならない案件の種類を減らすようにしよう」
とも、改めて決意をした。
まだ領内にまともな建築物がいくつもできていないこの段階においてもこの有様。
この先、領内の設備が完成したら、さらにこの手の案件は増えていく道理でありで、このまま推移すればいくらもしないうちにハザマは身動きが取れなくなってしまう。
本格的にそうなる前に、対策を取っておいた方がよさそうだった。
ハザマが領主として働いている間にも、他の人たちはそれぞれ独自の都合と思惑に従って動いている。
「いいか!
このままガンガジルの横暴を許してはおけん!」
アジエス、ガルメラ、ブリュムルの三ヶ国の者たちはいくつかの酒樽を開け、居留地に在住していた様々なな国々の者たちに振る舞いながら意気をあげていた。
「別の国も、いつ標的とされるものかわからんぞ!」
こまま諸国の兵を糾合して反ガンガジル王国の軍を起こし、あるいは包囲網を完成させようと三ヶ国人は呼びかけた。
その意見を丸呑みにしたわけではないのだが、おおかたの諸国の人士は好意的に反応し、資金なり兵なりの提供を申し出る。
もともと、この居留地に集まってきている外国人たちは、定期的に部族連合の被害にあっているという共通点があった。
相手が部族連合であるかガンガジル王国であるかの違いはあるものの、この手の災厄に対する対応は普段から考慮していたという側面がある。
一番大きな理由は普段からそうした姿勢をみせていないと自分の祖国が同じような犠牲になったときにどこの国からも援助が貰えないからでもあったが、それ以外にもこれを機会に三ヶ国に対してせいぜい恩を売っておこうという思惑もあった。
その時点で居留地に来ていた武官や兵士の数はたかが知れていたが、この異変については通信網に乗ってかなり広範囲に知らされている。
途中の国々でで数十名とか数百名ずつ合流していき、最終的には数万単位の混合軍になる目処がごく短期間のうちに着いてしまった。
軍資金や途中の補給物資などについても、行軍の途中にある何カ国かで負担してくれるということになり、少なくとも事態が長期化しない限りにおいてはどうやら心配することがなさそうだ。
「……さて、ここまではうまくいった」
そこまでの手配が整った時点で、三ヶ国の関係者は顔を見合わせて頷き合った。
「だが、人数は揃ったものの、このままでは烏合の衆だ。
統制が取れていない大軍が少数の兵に翻弄される、という例は過去にいくらでもある」
彼ら三ヶ国人は、自分たちの陣営に多くの国の将兵をまとめあげるだけの手腕や名望を持つ者が居ないことを自覚している。
「現実問題として、王国各地から兵を率いてきても間に合いません」
一方、王都から派遣されてきているマヌダルク・ニョルトト姫も、彼らの動きと平行して王都と頻繁に連絡を取り合い、最善を尽くそうとしていた。
「この場では、ハザマ領とそれにベレンティア領に頼るほかないかと。
それと、軍資金などの援助と……それに、ハザマ領の方々が動きやすいように便宜を図ることですね。
幸いなことに、彼らには大ルシアナを破った実績があり、居留地に関係する国々の間ではその点が過大に思えるほどに評価されております。
烏合の衆である多国籍軍をまとめあげるための旗印としては、十分な役割を果たすことでしょう。
できれば、王都からの勅命という形で洞窟衆にこの件についての働きかけを行って頂きたいのですが。
ええ。
そうですね。
もちろん、十分な報酬を提示した上で、です。
彼らは、強圧的な命令に関しては反抗しがちです。
ですが、あくまで仕事として穏やかに提示された場合は、比較的従順に請け負うようですので」
「三ヶ国から連名で、反ガンガジル王国軍の指揮をわれわれに執って欲しいという要請が来ている」
ぼちぼち偵察部隊が出発しようかという夕刻、ハザマの執務室にやってきたファンタルがそう切り出してきた。
「王都からも、書状で同じような依頼をしてきているな。
ある意味では、予想されてた通りの動きではあるが……」
「受けた方がいいんですか、それは?」
ハザマはそう訊ねてみた。
「連中にとっては、そうなるだろうな」
ファンタルは頷く。
「命令系統も明確に定められていない寄せ集めなど、いくら人数が多くとも実戦の際にはものの役に立たん。
ましてや、他人の国のために命を懸けて戦う義理など、やつらにはないわけでな」
この場でいくら威勢がいいことをいっていたとしても、いざ、戦地で敵に直面してしまえば多くの兵が逃げ腰になるだろう……と、ファンタルはそう予想する。
「では、洞窟衆にとっては?」
ハザマは、重ねて訊ねる。
「金銭的なことから考えるのであれば、実に割がいい仕事であると思う」
ファンタルは即答する。
「簡単な割に、報酬がいい。
だいたい、ガンガジルの連中は欲をかき過ぎだ。
一度に三ヶ国にむけて兵を出すなどど。
補給線は短く単純であればあるほど、守るのも容易いというのに……。
無闇に戦線を拡大しても、いいことはなにひとつとしてない」
「では、ファンタルさんなら、ガンガジル王国を完全に潰せるわけですね?」
「こちらから現地に移動するまでの時間で情勢がかわらなければな」
ファンタルはそういって方をすくめた。
「ガンガジルの総兵力は、国土や人口を考慮すればある程度は予想がつく。
しかし、それも一カ所にまとまっているわけがないから、洞窟衆の戦力で各個撃破することは十分に可能なはずだ」
「各個撃破、ということは、今回は足が速い騎兵を中心に運用するわけですか?」
「必然的に、そうなるしかないだろう」
ファンタルは頷く。
「地味な兵站の維持や歩兵の役割については、今回は洞窟衆とは別にやりたがっている者が多いわけだからな」
ハザマは、ここで少しファンタルのいうことを考えてみた。
「……つまり、少数の騎兵で先行して、ガンガジル王国の内部をかき回すというわけですか?」
「まずは、ガンガジル内部の補給線を拿捕するなり攪乱することを目的とする」
ファンタルはいった。
「そのあとで、現地の様子をみて余裕があるなら、ガンガジル王国内部の主要な中継地を占拠してみるのもいいな。
そこまでかき回せば、ガンガジルももはや外部にある三ヶ国にかまけている余裕もなくなってくるだろう」
他者を殴っていいのは、殴り返されることを覚悟している者だけ、というわけだった。
ファンタルはそのあと、
「それに、今回の経験はなかなか実戦の機会に恵まれてこなかった洞窟衆の騎兵どもにとってもいい経験になる」
ともつけ加えた。
「……うおぉぉぉぉおっ!」
無手のヴァンクレスは雄叫びをあげながら十騎以上で編成されていた隊列へ突入した。
槍を構え、迎え撃つはずだった騎兵たちは左右に道を開けてヴァンクレスの馬を通す。
「……だから、避けるなっていってんだろう!」
一瞬で騎兵たちとすれ違ったヴァンクレスが、馬の足を止めて振り返り、怒鳴り声をあげた。
「……いつまでも逃げていちゃあ、練習にならんだろう!」
「馬が怯えるんですよ!」
騎兵たちのひとりが、そう怒鳴り返した。
「馬が勝手に逃げていくんだから、こっちはどうしようもありません!」
「……ったく!」
ヴァンクレスは兜を外しながら毒づいた。
「こんなんじゃあ、いつまでたっても仕上がりやしねえ。
せっかくおれがつきあってやっているってのに……」
「ヴァンクレスさんとかその馬とかには、なにか根本的に他の生物を怯えさせる雰囲気を出しているんですよ」
そういいながら、先ほどヴァンクレスに反駁した騎兵も兜を脱いだ。
「ヴァンクレスさんを相手にしてなれておけば、たいていの相手には気おくれしなくなるっていう意味では、訓練の相手として最適なんでしょうけど」
兜を脱いでみるとその騎兵は思いのほか若かった。
汗で髪を濡らし、荒い息をついている。
彼らはかれこれ小一時間ほどもヴァンクレスにむかって突撃をする、という教練を行っていた。
肉体的にも、であるが、それ以上に精神力の消耗を強いられる教練だった。
それでも、やりはじめた頃に比べると、まだしも体が動くようにはなってきているかな、と、その若い騎兵、スセリセスは思う。
洞窟衆の騎兵隊はまだまだ人数も少なく経験にも乏しかったが、日に日に錬度が増してきているという実感があった。
こうしてヴァンクレスを相手にする以外にも、彼らはファンタルが発案した教練を日々実直にこなしてきていたのだ。
それなりに馬が扱える者を選抜して編成されてからまだまだ日は浅かったが、その代わり一日あたりの教練の密度はそれなりのものだったように思う。
対人戦、対騎兵戦、騎射のやり方……などなど、おぼえるべきことはいくらでもあった。
ファンタルが満足するところまで仕上げるためには、それこそ数年単位の時間が必要になるのだろうが……それでも、彼ら洞窟衆の騎兵隊たちは、一日ごとに自分たちが強くなっていることを実感している。
そんなヴァンクレスやスセリセスの元へ、異形の騎兵が近寄ってきた。
黒い金属製の甲冑に身を包んだ騎兵。
その乗騎の額からは、螺旋状にねじれた長い角が一本、延びている。
「朗報だぞ、諸君!」
その騎兵は、大きな声をあげてそういった。
「どうやら、明日にでもこの騎兵隊は戦地にむけて出立することになるらしい!
今回は、ファンタル殿が直々にわれらを率いてくださるそうだ!」
おお!
というどよめきが、騎兵たいの間から起こった。
その夜、アジエス、ガルメラ、ブリュムルの居留地に在住の三ヶ国の代表とマヌダルク・ニョルトト姫とがハザマが居る執務室へと集まってきた。
今朝の早い時間にも同じ顔ぶれが会議室に集まっていたのだが、あのときの用件は状況の説明であり、今回はそれを受けて今後どう動くべきかという具体的な対策になる。
「……ということで、洞窟衆の方にはわれら反ガルメラ同盟軍の指揮をお願いしたい」
ガルメラ貴族は細々とした説明のあと、ハザマにそういった。
「いくつか、条件をつけさせて貰ってもいいですか?」
ハザマは、そう返答をした。
別に予想外の依頼でもなかったので、特に戸惑うこともなくそう返すことができた。
「まず、完全に指揮権を委ねるのであれば、少なくとも戦時中はこちらの指示に従って貰います。
依頼する側だからとっても、命令に反抗する権利はないものと思ってください。
次に、道中、それに戦地において必要になるはずの各種補給物資についてですが、これについてもできるだけそちらで準備を整えておいてください。
これについていえば、通信である程度手配がつくはずです。
念のため、こちらの騎兵たちにもいくばかの軍資金を持たせるつもりですが、今回は行軍速度を重視する予定ですので必要最低限にとどめる予定です。
速度を重視するのなら、荷はできるだけ軽い方がいい……」
ハザマはあらかじめファンタルと打ち合わせておいた細々とした注意点を三ヶ国の関係者に説明し、反ガルメラ同盟軍内部でこの細則を徹底させるように、と要求した。
その中には要求される側にしてみればかなりきつい条件も含まれていたが、なによりこの戦争に勝つための必要条件だとハザマたちは考えていた。
「……以上の事項が味方の軍内部に徹底できないようであれば、われわれ洞窟衆もそれ以上に手を尽くすことができません。
最悪、それが原因で敵に敗れる可能性さえあります。
そのことを考慮した上で、絶対に守らせてください。
そのことを約束してくださらない限り、われわれ洞窟衆がこの依頼を受諾することはありません」
一通りの説明を終えたあと、ハザマはそう念を押しておく。
遠い外国への遠征、それも、出身地もモチベーションもバラバラな烏合の衆を率いての出陣なのである。
いくら締めつけを厳しくしても、それでもどこかしらから綻びが出てくるだろう。
ファンタルはそう予想していたし、ハザマもその予想に反駁するための根拠を持っていなかった。
三ヶ国の代表者たちは、ハザマの気迫に圧される形でその条件を受諾した。




