静寂の夜襲
「どうした?
ずいぶんと顔色が悪いようだが」
翌朝、出発の準備で慌ただしい中、ハザマはファンタルに話しかけられる。
「いやあ。
昨日は、あんまり眠れなくてな」
「珍しいな。
体調でも崩したのか?」
「昨夜、な。
イリーナが来たんだ」
「……ほぅ。
あの娘が。
それで寝不足か。
……いや、待てよ。あの娘は確か……」
「その後で、な。
チェズ、ミンニ、アリサ……と、順番にやって来てな……」
「全員とやったのかっ!」
「……しまいには面倒になって、残りの全部いっぺんに来いっていって、その後は全員を相手に……」
「乱交か! 複数プレイか!」
「さっきから、なにをいってるんだか……。
懇々となあ、柄にもなく説教をしてしまった。
もっと自分を大切にしなさいとかなんとか……」
「……なんだ、そのオチは……」
「……おれが説明して欲しい……」
寝不足だろうがなんだろうが、森の中を移動をする際には犬頭人に担がれるか背負うかされて運ばれるので、別段、支障はなかった。
洞窟衆の女たちが四十名以上、犬頭人百六十匹以上、現時点で用意できる武器や防具も総動員した上で、足りない者には棍棒がわりに木登りワニの大腿骨を持たせている。
これまでにかき集めた武器には精一杯の手入れをし、その他に新造の弓矢や革製の楯などもなんとか百以上、完成させることができた。
これでも組織だった軍事行動をするには不安を感じるほどの脆弱な装備だったが、これが、現時点では、洞窟衆が動員できる最大級の人員と装備となる。
丸三日をかけて、ハザマたちはエルシムが潜伏する場所へと到着した。
「……なんだ。
誰もいないじゃないか」
あたりを見渡して、ハザマがぼやく。
「来たか」
ざざっと、音をたてて樹の根本から何者かが立ち上がった。
「……うわぁっ!」
誰もいない、と思っていたところにいきなり出現した人影を見いだして、ハザマが小さな声をあげる。
「大声をだすな、このタワケが。
せっかくの周到な準備が無駄になるだろう」
「その声は……エルシムさん、か……」
「偽装中でな」
エルシムは体中に蔦を巻きつけ、肌や服の上から草の汁や葉をなすりつけ、すっかり森の中に溶け込んでいたのだ。
「……迷彩、ってわけかぁ……」
「ここに来て目立つわけにもいくまい」
森の中を本来の住居とするエルフは、元々この手の行動は得意とする。
「さっそくだが、ここで張っていた期間、人の出入りはまったくなかった。
盗賊の仲間内でも、仕事に関する会話はほとんどなかったな。
どうやら、やつらはあまり仕事熱心ではないらしい」
エルシムが、説明をしはじめる。
「ってことは……人数も変わらず、ってこと?」
「その通りだ。
この人数なら、予定通り周囲を取り囲んで一斉にかかれば、まず、心配はなかろう」
エルシムは、うなずいた。
「ハザマの硬直化があれば、さらに仕事はしやすくなる」
ファンタルが、説明を補足した。
「外から、救援が来ないのか……というあたりが、少々心配ではあるが……」
「見張りをおいて警戒しておくしかないな。
……あと、相手の武器の数は?」
「剣と長柄の槍が五本づつ。
それに、弩が三丁」
ハザマの問いに、エルシムが短く答えた。
「……思ったよりも少ないな」
「この廃村はほんの留守番で、今、外に出ているのが本隊かも知れん」
エルシムが、肩をすくめた。
別働隊については、せいぜい警戒を強めておくくらいしか対策がないのだ。
「今のうちに犬頭人たちを散開させ、村を包囲させておくか。
そして、夜に更けたら、まずはおれが村にいって、中にいるやつらを無力化する。
それが終わったら、人質と盗賊を確保してくれ」
前もって決めていた手順を、ハザマはその場で確認した。
「その前に……」
エルシムが、手のひらを上にして、腕をハザマの方に出した。
「……前にやった宝石を出してくれ。
新しい魔法をかける」
「ああ。いいけど……」
ハザマはポケットの中からハンカチにくるんだ宝石を取り出して、エルシムに渡した。
「……なんの魔法?」
「遠くまで声を届ける魔法だ」
答えながら、エルシムはハンカチをほどいて宝石をあらわにし、それに魔法を込めはじめた。
「前にいっていたろう。
遠くにいる者と通信できる魔法が欲しいと。
内偵する期間、暇だったので新しい術式を考案していた。
極端に遠い場所へはまだ無理だが、この廃村周辺にいる者へなら、誰にでも指定する相手に自分の声を届けられるようにする。
今回のように闇夜に動く際には、重宝するであろう?」
「そりゃ、便利そうではあるけど……それとは別に、かけて欲しい魔法があるんだけど……」
「……なんだ?」
「犬頭どもの言葉を聞き取れるようにはできないかな?」
「……そうか。
そういえば、人間の言葉しか訳していなかったな」
エルシムは、一瞬、虚を突かれたような表情をし、
「よかろう。
その方向で、手を加えておこう」
すぐに持ち直して、宝石の方に向き直る。
音をたてないように廃村を包囲してから、全員に干し肉が配られる。
火を起こせないから、どうしても食事は簡便なものとなった。
すっかり夜が更けると、まずハザマが廃村の内部に潜入した。
「頼むぜ、相棒」
そういって、ハザマは麻布の肩掛け鞄を軽く叩く。
何事か異変があれば、廃村を窺っているエルシムが心話で報せてくれる手筈となっている。
まずはやる気のない屋外の見張りの死角から近づいていって、順番に硬直させていく。
『外にいたやつらは全員無力化完了。
次に、屋内にいるやつらを制圧にいく』
ハザマは、仲間に向け、心の中でそういった。
エルシムの説明では、「声をかけた対象者」を指定から「伝えたい言葉」を明確に思い浮かべることで自然と伝わるようにした、という。
音もなく駆け寄ってきた犬頭人たちが近寄ってきた、硬直した見張りたちをその場で縛りはじめた。
……バジル。
この中にいるやつらを全員、頼む……。
そんなことを思いながら、ハザマは鞄の表面を軽く叩いた。
大量のワニを食わせてからこっち、バジルの位階とやらは格段にあがっている。
有効範囲もかなり広がったし、このような木製の薄い壁越しに人を硬直化することも十分に可能であろう。
心の奥底でバジルと繋がっているハザマの中に、「それくらいはわけない」という静かな自信が流れ込んでくる。
『控え小屋その一、おそらく制圧終了。
これより中を確認する』
心中でそう告げて、扉を開く。
二段ベッドがいくつか置いているだけの小屋だった。
暗くてよく見えないが、扉を開けても騒ぎ出す者はいない。
『よし。
この中のやつらもふん縛れ』
ハザマが合図すると、数匹の犬頭人たちが室内に入っていく。
後もみずに、ハザマは次の目標へと向かう。
確か……厨房がある小屋で、もう一つの盗賊の溜まり場だ。
こっちは、寝具はないが、人質をなぶるのにも使われているという。
前と同様の手順を踏んで、扉を開けて中に入った。
『……お楽しみ中だったか?
盗賊を縛るのはもちろんだが、誰か毛布となにか拭くものを持ってきてくれ。
犠牲者が一名、いる』
こうして廃村の盗賊たちは、一網打尽にされ、あっけなく全員が捕縛された。
『あとは……人質の救出だな。
女たち、出番だ。来てくれ』
二棟の小屋に分けて閉じこめられているということだったが……そんな中にいきなり犬頭人を引き連れて入っていっても、余計な警戒心をかき立てるだけだ。
エルシムが事前に内偵したところ、こちらの二棟の中には盗賊がいないということだった。
念のため、ハザマは、わざと扉を開けて中を窺う。
最初は小屋は、誰も反応しなかった。
いや。
盗賊を恐れて、わざと反応しなかったのかも知れない。
「この村の盗賊たちは全員、制圧した」
わざと大きな声で、ハザマは告げる。
「今、人が来るからその指示に従ってくれ。
ここにいる人はみんな、助けるつもりだ」
『……まずいぞ!』
その時、ハザマの脳裏にエルシムの声が響いた。
『どうした?』
『恐れていた、援軍が来た。
騎兵が、そちらにつっこんでいく』
『騎兵だと?』
この村の入り口は、倒木で塞がれていたはずだが……。
『かなり大きな馬だ。
あの図体なら、倒木も飛び越せるかも知れん!』
無茶な……と、ハザマは思う。
騎兵に対抗する準備などしていない。
「全員……早く森の中へ退避だ!」
ハザマは、声を張りあげる。
騎兵が相手なら、森の中へ逃げ込めば、逃げようはあるだろう。
救出したばかりの人を優先的に守らなければ、ここまで来た意味がない。
「敵が来た!
敵は騎兵だ!
急げ! 森の中へ……」
声を張り上げながら、その騎兵を迎撃するため、ハザマは村の出口へと向かう。
暗闇の中、わらわらと人が、犬頭人が動いている気配がする。
協力して、縛った盗賊たちや人質を抱えて移動しているようだ。
いつの間にか、もう一つの人質がいる小屋も開け放ち、中にいる人に肩を貸して移動しはじめている。
時を少し遡る。
「まずいな」
緑の街道の途上、ある馬車で、御者をしている男が呟く。
「誰かがあの村の様子を窺っている」
「どうした、兄貴」
荷台に寝ころんでいた大男が、上体を起こして御者に問いかけた。
「この気配は……おそらく、エルフだな」
「エルフだと?
エルフが、なんだってこんなところに……」
大男は訝しげな顔をする。
「知らん。
だが、エルフが相手となると、かなり分が悪い。
おれの魔法なんぞ、エルフ相手では児戯にも等しい」
「なんがかよくわからんが……ようするに、あの村にわけのわからん連中が入り込んでいるってことだな?」
そういうと、大男は、荷台の上で立ち上がった。
「どれ。
おれがいって、様子を見てこよう。
どんな強力な魔法使いでも、バンガスで一気に距離を詰めてぶった叩いてやれば静かになるさ!」
『相手の数は?』
『一騎だ』
『……はぁ?
単騎なのかぁ?』
『一騎だといっている。
さんざん矢を降らせたのだが、すべてプレートアーマーに弾かれて……』
『わかった。
後続の敵を警戒してくれ』
『すでにファンタルが何十匹か連れて、そちらに向かっておる!』
エルシムとそんな問答をしている間に、村から街道に抜ける入り口に到着した。
そこにいたのは……。
「……でけえ……」
馬だ。
それも、かなり大きい。
全高は、優に二メートルを超えている。
その背に、おそらく身長二メートルは超えているであろう、プレートメールを着込んだ大男が乗っていた。
その威圧感は、あの時の猪頭人にも匹敵していた。
「……どこの世紀末覇者だよ……」
思わず、ハザマは呟く。
「……そこにいるやつ!
お前、敵だな!」
それが、その大男の第一声だった。
……あっ。
こいつ、あまり頭がよくないな……というのが、ハザマの感想である。
不審な者に「お前は敵か?」と訊ねることは、逃走する泥棒の背に「待て!」と命令するのと同じくらいに不毛な行為だ。
「答える必要はない!」
だから、ハザマはそういった。
同時に、背中にくくりつけていたワニ革の楯を前に構える。
もう少し近寄ればバジルの能力に寄って硬直化できるのだが、大男の騎馬は、ギリギリ、有効射程の範囲外にいた。
「そうか」
うなずいて、大男は、手にしていた大鎚を構えた。
「では……潰れろ!」
うぉぉぉぉぉおっ……と、雄叫びをあげ、巨大な騎馬がハザマの元へと突っ込んでくる。




