国債の放出法
夜も明けきらないうちに目をさましたハザマは、鎧戸を開けて窓の外の風景をぼうっと見物していた。
ハザマにあてがわれた部屋は商会の建物の五階部分にあり、なおかつその建物は本来倉庫として使われていたらしく、一階部分の天井がかなり高い。
だから、現在のハザマはかなりの高所から建物の前を見下ろしている形となっている。
基本的に、この世界の人たちは早起きであり、同時に早寝でもあった。
というか、よほど必要に迫られなければ人工的な照明を必要としないような生活をするよう、生活そのものが統制されている。
太陽の恵みを最大限に活かすため、夜明け前に起き出して日が暮れるのと同時に野外での活動は終了する。
よほど、急ぐ用件がない限りは。
時計は、あるところにはあるそうだが、一般にはあまり普及しておらず、都市部などでは神殿などが一日に何度か鐘楼を鳴らして時刻を告げる。
その「時刻」も、日の出と日没の時刻としてそれを幾つかに分割した、いわゆる不定時法だという。
ハザマがよく知って馴染んでいた、「一年を通じて一定している時刻」という概念は、どうもないらしかった。
正確な時刻に拘らないからといって、別にこの世界の住人たちが勤勉ではないということにはならない。
その証拠に、ハザマの眼下ではまだ夜も明け切らないうちから大勢の人々か道を行き交っている。
商会の前にある道は、緑の街道のような謎の古代遺跡ほどには立派なものではなかったが、それでもちゃんと、問題なく機能している石畳の道だった。
馬車二台が余裕を持ってすれ違うことができ、なおかつ、道端に馬車を止めて荷物の上げ下ろしをしてもまだ余裕があるほどの道幅もある。
実質的には、馬車換算で五車線から六者線分の幅はあるだろうな、と、ハザマは推し量る。
ただし、その道を利用するのは必ずしも馬車ばかりではなく、実際には中央部分は馬車に譲って、道の左右は夥しい数の人々が、多くは荷物を抱えて右往左往していた。
どちらかというと、馬車を利用できるのは経済的に恵まれた者に限定されているのである。
みずから商品を担いでいる商人や王都の中央部に作物を運び入れているらしい農夫などは、その背中に、下手をすると自分の背丈の倍以上に荷物を積みあげて足早に歩いていた。
かと思えば、商会の建物の中に吸い込まれていく者たちもいる。
その多くは、どちらかというとみすぼらしい身なりをしていた。
……あれはどういう人種だ?
と、ハザマは一瞬訝しんだ。
これから王都を発つ馬車の御者……にしては、どうも、人数が多すぎる気がする。
しばらく観察して、商会の中から吐き出された人々が道端に停められていた平馬車の荷台に詰め込まれたことで、ようやくハザマにも彼らの正体がはっきりと理解できた。
幌もない荷馬車に満載された人々は、そのまま王都の外へと運ばれていく。
なんのことはない。
あれは、この王都で集められて、新領地や居留地建築のための要員として運ばれていく労働者なのだ。
出立前に、この商会で腹ごしらえをしてから出ていくのだろう。
この王都から国境近くまでだと、下手をすると馬車で二十日以上はかかる長旅となる。
今では街道沿いに、ハザマたち洞窟衆が設えた駅が点在しているから、食料や水の補給には事欠かないし、治安もかなり向上しているはずだったが……それでも、根本的な移動速度までが改善されるわけではない。はずだ。
運ぶ方も運ばれる方も、うんざりとするだろうな……と、ハザマはそう思った。
よく整備された道の上であっても、馬車が出せる速度など、たかがしれている。
飛ばしても、せいぜい時速ニ、三十キロ、といったところだろう。
途中で何度か馬を取り替えるとしても、ハザマが元居た世界の基準で考えたら、かなりのんびりとした旅路になるはずだった。
この世界には、転移魔法という便利な代物もあるのだが、それもごく限られた魔法使いしか使えない。
転移魔法は、多数の人間を輸送するための方法としては、コストを考えるとまるで割に合わないのだった。
そこまで考えたところで、
「ああ、それでか!」
と、ハザマはあることの真相に思い当たった。
この王国が、多数の領地を統合した一種の連邦体制になっている理由。
多数の人員を移動するための方法が限定されているこの世界では、強力な中央集権性は成立しにくいのだろうな、と、ハザマは思う。
そのために必要な大軍を仮に養うことが可能であったにしても、有事の際に、必要な場所まで短時間のうちに軍隊を輸送する方法がない。
生産力の問題とは別に、あまり一カ所に大勢の兵力を集中させて置いても、いざというときに使いきれないのだ。
だから、各領地に軍備をさせ、必要とあれば檄を飛ばして近隣の領地から兵力を集める……という現在の方式は、それなりに合理的だともいえる。
通信網や印刷技術によって、この王国周辺の情報伝達効率はこれから大きく改善されていく可能性は、あった。
しかし、この運送効率については、すぐに改善することはないのだろうな、と、ハザマは予測する。
だからといって、ハザマや洞窟衆になんらかの害があるとも思えないのだが……。
ただ、小手先の知識や技術だけではにわかに変えられないモノもある。
と、いうことは、脳裏に明記しておいた方がいい気がした。
「明日、ハザマさんはいよいよ正式に貴族になります」
朝食の席で、タマルはそんなことをいいだした。
「そうだな」
ハザマは、頷く。
そうとしか、返答のしようがない。
「それを記念して、ここ王都とドン・デラ、それに新領地にこれまで用意してきた国債、全部売りに出しちゃいましょう」
タマルは、さらりと続ける。
「……おい……」
ハザマは眉根を寄せた。
「昨日までの段階では、国債はもっと段階的に、細々と売っていくはずじゃあなかったのか?」
これまでに用意してきた国債のすべて……ということは、これまで発行する予定だったものすべてを一気に放出する、ということであった。
国債についてはかなり慎重な姿勢をみせていたタマルが、こうもいきなり豹変してしまうと、「なにか裏があるのではないのか?」と勘ぐってしまう。
「今回、一気に国債を放出してしまう理由はいくつかあるのですが……」
タマルは、ゆっくりとした口調で説明しはじめる。
「……ひとつは、ハザマさんの名前や洞窟衆の事績がだんだん知れ渡ってきていますし、なおかつ正式に王国貴族の一員に叙せられるのは、あとにも先にもこの一回だけですからね。
せいぜい利用させていただきたいなあ、と。
今、このタイミングなら、ご祝儀で国債を引き取ってくれる市井の人々も数多くいらっしゃるのではないかと……。
それに、王国や部族連合が、まとまった国債を欲しがっているという事情もありますし」
「ご祝儀で国債買ってくれる人と、その件に、なんか関係があるのか?」
ハザマはそういって、首を捻った。
「国債の買うやつが個人だろうが団体だろうが、新領地からしたら別に変わらない思うが……」
持ち主が誰であろうとも、国債は国債、借金は借金なのである。
「違いますよ、ぜんぜん」
タマルは口を尖らせる。
「個人による国債の持ち主は、新領地の経済に大きな影響を及ぼそうとたくらんだりしません。
国債が国に圧力をかけるための方便として使われることもあるといったのは、ハザマさんじゃないですか。
それに、現在用意した国債が全部捌ければ、新領地の普請に必要な資金の七割ほどが補填できる計算になります。
これ以降、なんらかの事情で国債を発行することがあるにしても、それはさほど緊急を要する資金ではないということになります。
新領地の道や建物が揃っていけば、それだけでまたどんどんお金を稼いでいくはずですから……」
「……つまり、なにか」
説明を続けようとするタマルを、ハザマは一度手で制する。
「外部の干渉を最小限に留めるために、今のうちに、不特定多数の個人客に国債をばらまいちまえ……ってことなのか?」
「ええ、それもあります」
頷いたあと、タマルは早口で続けた。
「それ以外に、投資効果的に考えても、初期の段階でわっと資金を投下して一気に進めてしまった方が、なにかと捗るという結論になりまして。
たとえば、新領地の普請についても、工事が遅れればそれだけ新領地の生産性拡大の速度が鈍化してしまい、結果として多くの商機を逃がしてしまうことになります。
人手不足のためにそうなるのなら、まだしもあきらめがつきますが、ただ単に資金の不足から工事が遅れ、結果として儲けを損なうとしたらこれほど馬鹿らしいことはないと……。
昨日、あれから新領地の各所と相談した結果、そういう結論に達しました。
今の新領地は、なにもない傾斜地にすぎません。
が、道と建物が整備されたら、有機的な工場地帯に生まれ変わります。そのための土台は、すでに整っている。
くわえて、今後は王国方面、山岳地方面、ならびにトンネルを経由した諸外国を結ぶ交通の要衝としての機能も期待できるわけで、ここで急がないと逆に機会損失がえらいことになっていって……」
「ああ、もういいもういい」
ハザマは、タマルの説明をやめさせた。
「お前、今まで検討してきて、そういう結論に至らなかったのかよ」
「実をいうと、今でもかなり半信半疑です」
タマルはいった。
「ですが、昨日、いろいろな人の意見を聞いた結果、自分は商売のことだけを考えて行動した方がいいと判断しました。
失敗したら、そのときは……国債などという新規な借金法を提唱したハザマさんに責任を取って貰うことにします。
国債という手段の是非を度外視し、単純に資金を集める手段と割り切ってしまえば……これほど都合がいい資金の集め方もないなあ、と。
あとは……」
どれだけ短時間で、金利分も含めた国債の払い戻し分の金額を稼ぐのか? という問題だけが、残る。
不安や心配はすべてハザマの領分として考慮せず、タマルはこの「効率のいい金儲けの仕方」だけを考えることにした……ということであるらしかった。
「もともと、行商人の娘に新領地の財政全般の面倒を見させようってのが無理なんですよ」
そういってタマルは、昂然と胸を張った。
「商人は商人らしく、商いのことに専念します」
「……開き直ったなあ、お前」
ハザマは、目を細める。
「だがまあ、下手に萎縮するよりはそっちの方がいいか。
だけど……国債って、そんなに売れるもんなのか?
こっちでは、なじみがない代物なんだろう?」
これまでに、洞窟衆が用意した国債すべて……といったら、かなり膨大な額面になる。
「それはまず、心配いりませんでしょうな」
今度はペドロムが、口を挟んでくる。
「まず王国内でのことでいいますと、洞窟衆はこれでなにかと注目の的になっております。
領主の方々はもとより、商人の方々も洞窟衆にあやかりたい、もっといってしまえばなんとかして縁を繋ぎたいと思っている方は多い。
そうした方々は、競って国債を買うはずですな」
「それでも、新領地の経営については未知数だろう」
ハザマは、そういって口を尖らした。
「国債が紙屑になる可能性だって、ゼロじゃない。
そんな危険な代物に、わざわざ手を伸ばすか?」
「そうなったらそうなったで、洞窟衆に対して繋ぎを取る格好の口実になります」
ペドロムは、涼しい顔をして答えた。
「いや、むしろ、これから国債を買う方々にとってはそっちの方が都合いいかも知れません。
そうなれば、公然と人を送り込んで洞窟衆の方針に介入できるわけで……」
「……財政再建請負人の希望者が、大挙して押し寄せてくるってか……」
ハザマは、呟く。
「もしも、そうなれば……か」
正直、あまり想像したくはない、未来図だった。
「洞窟衆は、軒下を貸して母屋を乗っ取られることにもなりかねませんな」
ペドロムは、平然と結論した。
「とにかくもう、失敗はできませんということで。
これはもう、国債というものにつきもの含み損として割り切って貰うより仕方ありません」
「……む。むむ」
と、ハザマはうめく。
その国債も、元をただせばハザマ自身の発案なのである。
「……まあ、やるしかないのか」
しばらくして、ハザマはそう結論した。
「そうですよ」
このときはじめて、リンザが口を開く。
「この程度の綱渡りなんて、これまでとたいして代わり映えしないじゃないですか」
このリンザの見解について、ハザマはまともな反駁ができなかった。




