斥候の森
ハザマにはなしを通した後、エルシムは森の中に入る準備をはじめる。
洞窟にいるセイムに現状を伝える文をしたため、使い魔に託す。
この村に残るファンタルに細々とした子細を伝え、くれぐれも各所と連絡を絶やさぬように忠告する。
ファンタルも現在の状況は心得ているので、急ぎ複数の使い魔を確保して連絡を密にすると約束してくれた。
巫女であるエルシムほどではないが、エルフである以上、ファンタルも初歩的な魔法くらいは使えるのだ。
続いて申し訳程度の手荷物をまとめ、犬頭人五匹のみを引き連れて森の中に入った。
翌日、隣村に使いに出るハヌンとトエス、まだ挨拶もしていない村に女たちを送り届けにいくハザマたちの一行がそれぞれ三十匹づつの犬頭人を連れて村を出立し、一気に大人数の人影が消えたザバルの村は、少し寂しげな様子となる。
この頃には村人たちも復興や農耕に従事してそれぞれ多忙に過ごしていたわけだが、村の中で動いていた犬頭人たちが一度に六十名以上も姿を消すと、ワニによって荒らされた村の様相が一層の真実味を持って目前に迫ってくるのだった。
そんな中、村に残ったファンタルは森の中に入り、使い魔として使役できる動物を捕らえようとする。
森とはいっても、人里にほど近い場所であるのなら、そんなに危険な動物は滅多に現れない。
仮にファンタルに害を与えようとするモノが現れたとしても、単独で撃破する自信があった。
瞑想し、意識を周囲の森と同化させ、「精神の網」を張り巡らせる。巫女であるエルシムならばファンタルよりも短時間のうちに遠くまで「精神の網」を伸ばすことができるのであろうが、精神修養の行き届いていないファンタルでは自身を中心とした半径五十メートル内の状況を大雑把に把握するのが精一杯だった。
その気になって耳を澄ませば、森の中はこれで、喧噪に満ちている。
葉や枝が風に動く音。
虫が蠢く。
小動物がそれを補食する。
鳥が鳴く。
ファンタルが伸ばした「精神の網」に、そうした細々とした生命の営みが克明に伝わってきた。
必要なのは……鳥だ。
伝令に使うのだから、速くて、強い鳥がよい。
エルシムは夜行性である猛禽類のフクロウを選んだが……いた。
ハヤブサが一羽、上空を飛んでいる。
ファンタルは心話でそのハヤブサに語りかける。
十分な餌を与え、庇護するかわりにこちらの用事につき合ってはもらえないだろうか?
庇護だと?
ハヤブサの返答は、嘲笑を含んでいる。
天空をゆくおれは、そんなものを必要としない。
そうかな?
ファンタルは素早く持っていた弓に矢をつがえ、ハヤブサのすぐ近くに矢を放った。
矢は、ハヤブサの鼻先を掠めるようにしてまっすぐに真上へと飛んでいく。
少なくとも、こちらの手はそちらに届くぞ。
今度は、ファンタルの声が笑いを含む。
小賢しい地上の者め!
ハヤブサは、ファンタルの頭上で輪を描きはじめた。
おれを脅すつもりか!
この場で射抜かれるか、こちらに降るか。
……好きに選べ。
ファンタルはハヤブサにそう告げる。
ハヤブサは、悪態をつきながらファンタルの使い魔となることを了承した。
エルシムやファンタルがそれぞれに準備を整えている間にも、ハザマの一行は洞窟から来たばかりの女たちを送り届ける旅程にあった。ハザマたちにとっては新しい村、女たちにとっては故郷となる村へ、である。
ハザマ、タマル、リンザの三人と女たち。それに、三十匹ほどの犬頭人たちが同行している。
以前は「せっかく連れて行った女たちが村から排除されたら」という不安があった。事実、これまでの例をみる限り、一度異族に捕らわれた女たちが故郷に帰っても、無事に受け入れられた例はほとんどない。
しかし、これからはザバル村という受け皿ができたので、仮に排除されても将来の身の振り方を案ずる必要がなくなっている。木登りワニによる獣害はなるほど悲劇ではあったが、洞窟周辺の食糧事情を案じるハザマにしてみれば幸運なアクシデントという側面もあった。
何年かあの村で普通の村人として暮らせば、無事に社会復帰できそうな気がする。それ以上に、食わせる口が減ってハザマの心配の種が減少する。これ、重要。
まあ、ハザマにもそれなりに思惑はあるわけだが、今は犬頭人に担がれて移動中。森の中の不整地であることに加えて速度もかなり出ているから、ガクガクとよく揺れて乗り心地は最悪だったりするのだが、それさえ我慢すればさし当たってやるべきことはなにもない。
「……楽なことは楽なんだが……」
人によっては、酔うな。これは。
などという他愛もないことを考えている内に、一行は目的の村へと近づいていく。
一方、五匹という最低限の護衛を連れて森の深部に入ったエルシムの方は、盗賊の拠点とおとぼしき廃村に着くまで三日ほどの時間を必要としていた。
まずは、廃村からかなり距離を取った場所を定位置とする。
必要もないのに危険な森の中に入る者は、さほど多くはない。無法者である盗賊ならなおのこと、廃村の外へは出てこないであろう……とは、予想しているのだが、念には念を入れ、集めてきた蔦を体に巻きつけ、虫除けの効果がある葉をすり潰して体中に塗りたくる。犬頭人たちは、少し距離を取って分散させ、いざというときにすぐにエルシムのそばに駆けつけられる状態で待機をして貰う。
エルシムは大樹を背にして地面に座り込んで目を閉じ、瞑想をしはじめた。
長年、巫女としての訓練を積んできたエルシムは、何度か呼吸を繰り返す短い間に精神を統一。
自分を中心とした森の中に、「精神の網」を張りはじめる。
森のざわめきを感じながら、エルシムは「精神の網」の半径を徐々に拡張していき、ついには廃村自体をすっぽりと包むほどに成長させる。
森の中の生物たちの息吹とともに、廃村にいる生物の気配をも、エルシムは把握する。
廃村の中で、住宅としてまともに機能している小屋は四棟。盗賊たちはその四棟に分散して寝起きしているようだ。
先に斥候として出した犬頭人たちは盗賊の数を五十人前後と見積もったが、エルシムが気配を探ったところによれば、その半数以上が盗賊たちによって拐かされた人間らしかった。
住宅として使われている四棟の内二棟が、多数の人間を詰め込んで軟禁するために使用されている。
ここからでは会話の内容までは把握できないが、小屋の中にすし詰めになった多数の人間と、それを見張る少数の人間という構図から見て、まず間違いはないだろう。
どうやらこの拠点は、どこからか連れてきた商品候補の一時保管場所であるらしい。
その商品候補を見張っている者たちの人数を、エルシムは慎重に数える。
寝ているのが八人。商品保管所の周りをうろついて見張りをしている者が四人。あと二人は、居住区に人を連れ込んで、せっせと励んでいるらしい。
……やっていることは、野生の犬頭人たちとたいして変わらんな……と、エルシムはげんなりした。
今いるのが盗賊たちの総数であるとすれば、制圧するのは意外に簡単に思えた。
しかし、今外出している者もいるかのしれない。いや、これだけの人数を軟禁しておいて、たったこれだけの見張りしかいないというのが不自然だ。きっと、別の場所にまだ仲間がいるのだろおう。
その仲間の所在がはっきりするまでは、内偵をやめるつもりはない方がよさそうだった。
そうすると……やはり、新たに使い魔を捕らえる必要があるか。
この場合、高い知能はあまり必要はない。耳目を共有することができて、こちらの意図しているところに移動する能力さえあれば。今、あの人がいる小屋の近くにいるのならば、なおさら、いい。
最適な条件を持つ動物を求め、エルシムは「精神の網」に引っかかった動物を選択する。
うまい具合に、その小屋の梁の上に潜んでいるヤモリを見つけることができた。
これくらいの知能のしか持たない小動物であれば、契約の魔法を使うまでもなく感覚を共有し、ある程度は自由に動かすことができる。
すぐにエルシムはヤモリの感覚を乗っ取り、その小さな体を動かして梁の下で励んでいる三人を視界の中に収めた。
寝台の上で絡み合う裸体の三人。
驚いたことに、その三人が三人とも、男性だった。
腹がつきでたのと、ガリガリに痩せている中年男二人に、十歳前後に見える少年がなぶられている。
その男たちは元々そういう性癖なのか、それとも商品候補の価値を損なわないよう、性交渉の有無が値段に反映しない少年を選んだのか。
いずれにせよ、この事実はエルシムの勘気に触れた。
今すぐ飛び出してその少年を救おうとするほどエルシムは「若く」はなかったが……捕まえた暁にはあの二人の中年男には取って置きの待遇を用意してやろう……と、そのように決意する。
エルシムはヤモリの耳を通じて、三人の会話に耳を傾ける。
しばらくその会話に注意していたが、いつまでたっても単なる睦言の域を出ず、エルシムが望む情報は得られなかった。
だとすれば……見張りか。
ヤモリを動かして、壁の隙間から外に出る。
三メートルほどの幅がある道を挟んで向こう側に、「商品仮置き場」の壁面が見える。
その壁に寄りかかった格好で、無精ひげを生やしたまだ若い男が突っ立っていた。
抜き身のままの槍を抱えているが緊張しているというわけでもないらしい。その証拠に、瞼は重く目つきはどんよりとし、今にも居眠りしそうな眠たげな顔をしている。
……他の見張りと会話をはじめないかと期待してしばらく待ってみたが、いつまでたっても会話をはじめる気配はなかった。
見張りから情報を収集することにも見切りをつけ、エルシムはヤモリを動かして壁を伝い、見張りの注意を引かないルートを選択して地面を移動。
なんとか「商品仮置き場」の壁に取りつき、中に入れる隙間を探す。
建てつけの悪い窓の隙間からなんどかヤモリを潜り込ませ、「商品仮置き場」の中に入る。
そこには、痩せ細った男女が十名以上、放置されている。
ヤモリが、すえた匂いを感知していた。
排出物の始末もろくにされず、おそらくは十分な食料も与えられずに、もうかなり長いこと、この狭い小屋の中に放置されている様子だ。
どうやら片っ端から拐かされてきたらしく、性別も年齢も所属する階級もバラバラな人間たちが着の身着のまま、そこに放り込まれていた。
長いことの食事の量を制限され、もう反抗する気力もないのか、皆、無気力な様子でぐったりと座り込んでいるばかりだった。
もちろん、会話などない。
……これは、思ったよりも長期戦になりそうだな……と、エルシムは思った。
「……ありゃりゃ」
ハザマは、使い魔の足からたった今解いた紙片を広げて間の抜けた声を出したのは、村に到着して初日の夜のことだった。
とりあえず、この村出身の女たちは金を持たせて生家に返し、本格的な交渉と商売は明日からとなっている。
ハザマたちは村と森の境界あたりに火を起こして、野営の準備をしていた。
「どうしました?」
「エルシムさんからの報せなんだけど……盗賊のアジトに、二十人以上の人が軟禁されているってさ。それも全員、腹を空かせて半死半生だそうだ」
「……商品として、でしょうね」
すかさず、タマルが口を挟んできた。
「奴隷は、いいお金になりますから」
「あそこに居るのが全員盗賊だとは思わなかったが……ちょいと、人質が多すぎるかなあ……」
ハザマは、天を仰ぐ。
「食料を余分に持って行かなければならないし、それに、救出した後の処理も面倒くさそうだ」
せっかく、洞窟に捕らわれていた女たちの処理がスムーズに運び出したところだっていうのに、また面倒なことになりそうだな……と、ハザマは思った。
「盗賊たちと一緒にそのまま奴隷として売り飛ばすという手もありますけど」
タマルは、無情な提案をしてくる。
「却下。
てか、お前。
本気でいってないだろ?」
ハザマは、深くため息をついた。
「あー……面倒くせぇー……。
あの、役人とかに届けたら、なんとかしてくれる?」
「まさか。
役人なんて威張って税を絞るだけで、そんなサービスをしてくれるわけがありませんよ」
「……じゃあ、やっぱりこっちで面倒みなけりゃならないのか……。
面倒だから、一括してザバル村に移住させてやろうかな……」
「場合によっては、それも手ですね。
あそこは、今深刻な人手不足なわけですから」
ハザマとタマルとの会話を、リンザはたき火を見つめながら黙って聞いていた。




