儀式の準備
「……で、みんな忙しくしているのに、なんでおれはこんなことをやっているわけ?」
「まともな読み書きができないからでしょう」
ハザマの問いかけにルアが答える。
「会話はともかく、読み書きはかなり上達しているだろう」
ハザマは憮然とした表情で指摘した。
「会話については、心話の魔法があれば不自由はしないわけだし」
「以前より上達したとはいっても、まだまだスペルの間違いは多いですけれどね」
ルアはため息混じりにそういう。
「でも、読む分には、もうかなりのもんだろう」
ハザマはそういって口をとがらせた。
「会話ができて書類がだいたい読めれば、当面は不自由しないんじゃないか?」
隙間の時間を利用して、ハザマはこれまでにこちらの世界の言語をコツコツと学んでいたのだ。
その指導は当初、ルアが担当していた。
だが、途中からルアは不特定多数の人間への読み書きを教える講師として働きはじめたため、結局はリンザやクリフと共同して担当することになった。
実のところハザマの上達ぶりは、最近までこちらの言語をまるで知らなかったとは思えないほどの高速度で進んでいるのだが、ルアやリンザら、この世界の住人にとっては「まるで異なった言語」という物自体が想像力の及ばない範囲にある事物であり、ハザマの学習能力についても比較の対象がないため遅々としたものにしか感じられなかった。
その実、今後の死活に関わり兼ねない部分でもあり、ハザマはハザマで機会がありさえすればどん欲にこの世界の知識を身につけようとしているし、疑問に思うことがあれば口頭かあるいは通信で即座に周囲の者に問い合わせをし、着々と知識を蓄えていたりする。
この世界にきた当初、バジルの助けがあったとはいえ、ひとりっきりのサバイバル生活を何十日も経験したハザマにとって、なんらかの理由で「心話術式が機能しなくなった場合」という想定もさほど意外な思いつきとはいえず、結局はなるべく短時間で自力だけでもなんとかこの世界で生活できる程度の能力を身につけておきたいところなのである。
当初の経験からかハザマは、その心性の根底に、「生き残ること」を第一条に掲げているようなところがあり、そのためにできることはすべてやっておくような用心深さも身につけていた。
呑気なようにみえて、ハザマはハザマで必死になってこの世界に適応しようとしているのである。それだけに、言語学習へもそれなりに真剣に取り組んでいる。
リンザらこの世界の住人にしてみれば、なまじ心話魔法があり、普段からハザマと意志の疎通ができるため、ハザマから諸々の質問を投げつけられても、かえって「どうしてこの程度のことが理解できないのか?」と思ってしまうことが多いのであるが、それでも面倒くさがらずにその都度、知っている範囲のことを教えていた。
言語だけに限らず、ハザマのこの世界の知識は着々と累積しているわけであるが、そのことを客観的に評価できる軸を持つ者は周囲には存在しなかった。そのそも、「別の世界からいきなりやってきた者」という存在からして、この世界の住人にとっては理解の外にある。
そうした原住民たちにとっては、ハザマは規格外に無知なだけの存在であり、その学習能力についてもまともに評価される機会には恵まれなかった。
「……難しいいいまわしとか、普段使わないような単語はともかくとして、日常的に使う文章ならなんとか意味が取れるくらいには来ているんから、もうあまり問題ないんじゃないのか?」
ハザマはこの時点での自分の読解能力を、そのように評価している。
「わからないことがあったら、近くに居るやつに聞けばいいわけだし」
「公式の場でもそうするつもりですか?」
ハザマがそういっても、ルアは退かなかった。
「これからは、衆人環視の場で文書のやり取りをする機会も多くなると思いますけど」
ルシアナの分身として活躍していた期間が長いため、ルアはそういう想像力には恵まれていた。
「そりゃ、そういう機会は多くなるんだろうけど……」
ハザマはそう指摘した。
「重要な案件であればあるほど、即答を迫られるということはほとんどないんじゃないのか?
持ち帰って検討してからお答えします、というのは普通の対応だと思うし……」
政治的な約束事であるのならば、そのまま独断で即決できないことの方が多いのだった。
これは、ハザマの世界でもこの世界でもあまり変わらない。
完全な独裁体制でもないかぎり、組織の長ともなれば内部に異なった見解の持ち主を数多く従えているものであり、どのような方針を提示しようとも、結局はその意見を調整するための時間を必要とする。
この世界の、少なくとも王国の体制はお世辞にも民主的とはいい難かったが、それでも領主は家臣の、国王は各地領主の意見を無視して自分の方針をごり押しすることはまずできず、仮に強引にそうしようとしてもなんらかの反発を招くだけでうまくはいかないだろう。
ある案件についてそれなりに広い賛同がすでに得られているような事例ならともかく、上からの号令だけで革新的な命令が即座に隅から隅まで行き届く……ということは、まずないのであった。
社会体制に関わらず、多人数からなる集団だと、どうしても合議制的な性格は抜けきらなくなるのではないだろうか、と、そういう印象を、ハザマは受けている。
「……とにかく!」
ルアは語気を少し強くした。
「まだまだ、もっと正確な知識を身につけないと、先行きが不安になります!」
ハザマの語学力について、そう判定する。
なにしろ今のハザマは、それなりの勢力となっている洞窟衆という集団を率いる頭領なのだ。
そんなハザマが読み書きに不自由するようであっては、いろいろと困ることが多いのは事実なのであった。
「へいへい」
そのこと自体については、ハザマにしてみてもあまり異存はない。
「時間がもったいないから、先に進もう」
ハザマはルアを促して、学習を再開させた。
ハザマがこうしていられる時間というのも、実のところ、かなり貴重ではあるのだ。
立場が立場だけに、あちこちに飛び回って相談をしたり受けたりしていることが多く、ハザマが落ち着いて自分のために使える時間というのは、実のところ、あまり多くはなかった。
翌日、王国と部族連合はいくつかの調印を締結し、数日に渡った昼餐会は無事に終了した。それら、王国と部族連合の取り決めについては、ハザマはあまり関心を持たなかったので詳細を聞かずにおいた。
王国中央から派遣されてきた使節団は、一部の人員を残して王都に帰還していく。
ボバタタス橋が解放され、往来に制限がなくなった。
それと同時に、ベレンティア領が雇った人員がどっと橋を渡り、周辺の地域の測量を開始した。いよいよ、本格的な居留地の建設がはじまるのだった。
そんな日に、王国の官吏であるオルダルトがハザマを訪ねてきた。
「……五日後ということに決まりました」
ハザマをはじめとして、今回の戦争での戦功をたてた者への表彰と、ベレンティア公とブシャラヒム・アルマヌニア卿ら戦没者の国葬をほぼ同時に王都で行う、ということであった。
もちろん、領地と爵位を下賜されるハザマも、強制的に参加することになる。
「その前に、いくつか打ち合わせしたいことがありまして……」
オルダルトはハザマの目を見据えて、そういった。
「……また、王都へいった方がいいですか?」
王都には、以前にも、そうした儀式に臨むための服を仕立てるために出向いたことがあった。
「そうですね。
そうして頂けると、助かります」
オルダルトはそんなことをいって、しきりに頷いている。
ハザマに対して何事かを強制できるほど強い立場に居るわけではないのだが、様々な便宜を考えるとやはり王都に移動してもらった方がやりやすいのだった。
「今回は、関係省庁といくつか協議していただきたいことがありますので……」
実際に領地を下賜される前に、取り決めをしっかり明文化しておくことはやはり必須なのであろう。
ハザマはそう思い、その場で、通信であることを確認した。
『通信網、もう、王都まで届いているの?』
『昨日のうちに届いています。
今は、王都内での構築を急いでいる最中で……』
ハザマが問いを投げかけると、すぐに誰かから答えが返ってくる。
「わかりました。
一度、王都にうかがいましょう」
ハザマは短く返答した。
「今度は、目的が目的ですから、少し長居をすることになりますか?」
挨拶して少し歓談して解散、ということにはならないだろうな、と、ハザマは想像する。
「そうですね」
オルダルトも、ハザマの言葉に頷いた。
「短くても丸一日、下手をすると泊まり込みになります」
やはり、領地をやり取りするための会議がそんなに短く済むはずがないのだった。
「こちらでも、用意できるだけの資料を整理した上で臨みましょう」
ハザマも、そういって頷く。
ハザマたちはいくつか王国の役人にとっては斬新な政策を採用するつもりだったから、あとになって揉めるよりは事前に了解を取っておいた方がよかった。
「こちらからは、何名くらい行くことができますか?
それと、実行するのは何日後になりますか?」
「随行する人員は、八名までとさせていただきます」
オルダルトは短く答える。
オルダルトたちが抱える転移魔法の使い手は三名。
転移魔法はひどく魔力を消耗するそうだから、短期間のうちにそう何度も往復することもできず、必要な書類なども搬送することを想定し、実際的な輸送能力を考えると、それくらいに収まってしまうのだった。
「実行日は、明後日に開始することになっています。
ことによると、そのまま国葬とか表彰式まで王都に留まっていただくことになるかもしれません」
結局、期間については会議がどれくらい揉めるのかによって変わってくる。
オルダルトにしても、あまり正確には読めない部分なのだろう。
「では、明後日に王都へ行くという前提で準備を進めさせておきます」
ハザマも頷いた。
すでに、領地や爵位を受けるという方針が固まっている以上、今さら、避けることもできない過程なのである。
だとすれば、できるだけ円滑に進行するように準備をしておいた方がいい。
「……と、いうことに決まったわけだが……」
オルダルトが帰って行ったあと、ハザマはそういった。
「誰と誰を連れて行くべきかなあ?」
ハザマ自身は外せない。
それと、タマルがいないと、財政問題を語れる者がいない。
書記兼、ハザマの身の回りの世話係りとしてリンザとクリフ……いや、場合によっては、クリフは外してもいいか。
他には、新領地の政策を説明するために、事前に研究をさせていた者たちから何名か。
「それと、護衛も必要になると思いますが」
リンザがそんな指摘をしてきた。
「……護衛?
おれたちにか?」
ハザマは怪訝な顔をする。
「なにしろ、これから男爵様におなりに遊ばすわけですからね。
格好だけでも、つけておいた方がいいでしょう」
「なるほど。
格好だけでも……ね」
バジルが居て、ハザマ自身やリンザがいれば大抵の危地は脱することができるはずであったが……今問題になっているのは、もっと外面的な、体裁の問題なのだろう。
確かにこれから貴族様になる人間が、外から見てそれとわかるような護衛が必要なのかも知れなかった。
「なら、その役割はあいつに任せよう。
ちょうど今、暇していることだし、あいつはデカいしゴツいから、それなりの服装をさせれば飾りとしては申し分ない」
そういって、ハザマはヴァンクレスを見苦しくない程度に着飾らせるよう、手配をさせた。
「……エルシムさんやファンタルさんも行きますか?」
これは、通信で確認してみた。
彼女たちは、あっさりと辞退した。
『止しておこう。
ときおりイリーナたちから相談されることがあるし、今はこの場から離れない方がよさそうだ』
というのがファンタルの返答であり、
『……今さらヒト族の都に行っても、特にいうべきこともない。
それに、あまりヒトが大勢居る場所にいっても、人いきれで気分が悪くなりそうだしな』
というのがエルシムの返答だった。




