出兵の利害
「……ハザマ。
今、ちょっといいか?」
そんなことをいいながら、ファンタルが入ってきた。
「ブラズニア領に行く連中が、明日、出発する。
そのことを含めていくつか伝えておきたいことがあるのだが……なんだ、来客中か」
「いえ、お気になさらず」
ネレンティアス皇女は座ったまま軽く頭をさげる。
「わらわはただ挨拶に来ているだけですので」
「そうか。
ならば、遠慮なく……」
ファンタルはハザマの前の卓上に紙の束を広げた。
「……今回はブラズニアの魔法兵とともに転移魔法で移動するのが三十名、それ以外に、馬で移動する者たちが五十名ほど参加することになった。
こちらとしてはもっと多くしてもいいのだが……」
「今回の主役は、あくまでブラズニアの兵隊さんたちでしょう」
ハザマが、ファンタルの言葉を引き取る。
「おれたち洞窟衆があんまり目立ちすぎてもよくない」
「そういうことだな」
ファンタルも、ハザマの言葉に頷いた。
今回の出兵の目的はブラズニア領内の治安維持活動である。
そこで余所者である洞窟衆の活躍ばかりが目立ってしまっても、今度はブラズニア領の統治能力に疑問が持たれてしまう結果となる。
「洞窟衆はブラズニアの魔法兵に通信術式の実践法を教え、逆にブラズニアからは兵の運用法を学ぶ。
その目的が到達できるのであれば、あとはどうでも」
ハザマはそういって肩をすくめる。
「ブラズニア領内の治安がどうこうってのは、洞窟衆にとっては他人事だしなあ」
「だから、今回は最小限の人数に絞ることにした。
なにも、傭兵家業で食っていくつもりはないからな」
そういったあと、ファンタルはつけ加える。
「ただし……一部の者は、その治安維持活動を仕事にできないものかと模索しているようであるが」
「イリーナたちのことですか?」
すかさず、ハザマは訊き返した。
「知っていたか」
ファンタルは、頷く。
犬頭人の被害者である一部の女性たちは、自分たちの境遇から「虐げられる弱者」を救済することを望んでいる……ようだった。ハザマも以前から、「盗賊狩り」を洞窟衆の業務に加えてはどうかという提案を受けている。
ハザマの、いや、バジルの影響でなまじ身体能力が向上しているから、余計にそんな使命感を持ってしまっているのかも知れない。
「そんなようなことは、以前にもいわれていましたが……」
ハザマは、呟く。
これまでは、戦争があったから戦力の分散を避ける必要があり、実現することはできなかった。
が、これからは、本格的に検討しなくてはならないようだった。
「……ただ、そんなにうまくいくもんですかねえ?
いえ、うちのやつらがうまくやれないとかいいたいわけではなく、逆に、うまくやったらやったで、別のところから思わぬ反感も買ってしまいそうで……」
なんといっても、軍事力を持ち、それを他人の領地内で行使する、ということである。
事前にかなり活動するための条件などを詳細に煮詰め、関係者に対して根回しをし、同意を取っておかないと、かなり面倒なことになるのではないのか?
あるいは、イリーナたちの動機が善意から発していても、別の思惑に乗せられて悪用されることもあるのではないのか?
そんなことを、ハザマは心配しはじめている。
「心配するのもわかるのだが……」
ファンタルは軽くため息をついた。
「……依頼されたときにのみ動くとか、そういう条件づけを厳しくしておけばなんとかなるのではないか。
あとは、外交の問題になるな」
お主は新領地の主になるのであろう、と、ファンタルは続ける。
「そうか。
これも、外交問題になるわけか」
ある領主が他の領地の兵を借りる、という形になるわけだから……これは確かに、外交問題だ。
「……かなり面倒なことになるなあ」
手続きその他、諸々についてもあとでオルダルトあたりに確認しておかなければならない。
その上で、本当にそんなことをやる価値があるのか、改めて検討することになるだろう。
「どんどん、面倒なことが増えていくなあ」
重ねて、ハザマは呟く。
「ともあれ、今回のブラズニア領内の問題は、まだお主が領主になる前に交わした契約が元になっているから、問題視する者はおるまい」
ファンタルは、続ける。
「あとは、首尾よく役目を果たせるかどうかだが……」
「……勝算はありそうですか?」
ハザマは訊き返した。
「相手の規模もはっきりとはわかっていないのだぞ。
今の時点では、なんともいえん」
そういって、ファンタルは肩をすくめる。
「劣勢とみれば、ブラズニア側から予備戦力の投入を呼びかけてくるだろう」
これから本格的な内偵を行うわけだから、当然といえば当然の回答であった。
「とりあえず、戦死者が出にくいように錬度の高い者を選抜しているつもりではあるが。
洞窟衆の任務は主に通信術式の運用法を教授すること。
実際には多少の斥候や偵察をしてみせるくらいであるから、他の兵よりは危険が少ないはずだ」
「……だったら、いいんですけれどね」
ハザマは、表情を曇らせたまま頷く。
「せっかく戦争が終わった矢先、戦死者が出たんじゃ浮かばれない」
「なによりもまず、危険を最小限にする心得を最優先に仕込んでいるからな。
まず心配はないだろう」
かなり運が悪くなければ、被害を受ける洞窟衆は出てこない、とファンタルは断言した。
「偵察なども、使い魔を多用するように指示をしている」
「本当に、そううまくいけばいいのですけどね」
ハザマとしては、そういうしかなかった。
「……先ほどからいっている、ブラズニア領内の……とは?」
詳しい事情を知らないネレンティアス皇女が疑問の声をあげる。
ハザマとファンタルが交互に今回の出兵について説明すると、すぐに、
「わらわも同行したい!」
とかいい出した。
「お、おれもだ!」
ヴァンクレスも同じように叫び出す。
「いつまでもこんなところでくすぶっているよりも、そういうところで暴れたいぜ!」
「……あー……」
ハザマはすぐさま、そんなことをいう。
「ネリィ様はともかく、ヴァンクレスは駄目」
「……どうして!」
ヴァンクレスは目を剥いてハザマを睨みつけた。
「お前、装備もなにもボロボロだろう?
ただでさえこれまで連戦だったんだ。
しばらくは装備の補修がてら、大人しくしていろ」
ハザマのにべもなくそう答えた。
「ついでに、体も休めておけ」
「それでは、わらわは同行しても構わないのだな?」
ネレンティアス皇女はハザマに確認してくる。
「ネリィ様に関しては……そうですね。
こちらの指揮下に入ることをお約束していただければ、特に問題はないかと」
ハザマはファンタルと目を合わせ、ファンタルが頷くのを確認してから答えた。
「しばらく洞窟衆でやっていくつもりでしたら、うちの者たちとも早く打ち解けて欲しいところですし。
いい機会といえばいい機会でしょう。
洞窟衆の戦闘要員は今のところ女性も多いですから、その意味でもやりやすいと思います」
今回の出兵に関していえば、主役はあくまでブラズニアの兵隊さんたちであり、洞窟衆は控えの予備兵力扱いのはずだ。
ネレンティア皇女が同行しても、特に問題はないだろう。
「そうか。それはよいことを聞いた」
傍らに控えていた侍女に、
「あれの用意を」
と指示を出した。
「……あれ?」
ハザマは首を捻る。
「茶の一種だ。
もう残り少なくなっていたのだが……いくさが終わったら、本国との交易も再開するだろうから、別に問題はない」
ネレンティアス皇女はそう説明したあと、
「お湯を少々、都合していただけないだろうか?」
といった。
ネレンティアス皇女の侍女は目が粗い布を取り出して、それを筒状の茶器にかぶせた。
その上で、布を上から押して窪みを作り、その窪みに筒から出した黒っぽい粉末状の物体を盛った。
「……この香りは、まさか……」
ハザマは目を見開いた。
「コーヒー……では、ないですか?」
「よくわかったな」
ネレンティアス皇女は驚いた表情になった。
「いかにも、珈琲でである。
こちらではほとんど出回っていないと聞いていたが」
「この辺では珍しいのかも知れませんが……おれはその、異邦人というやつなので」
ハザマはそう答えておいた。
「おれの世界では、日常的に飲んでいました」
ネレンティア皇女の侍女は、リンザから渡されたお湯の入った壷を傾けて、中の湯を少量ずつ落としてコーヒーの粉に含ませていく。
粉に水分が行き渡るにつれ、特徴のある香りがあたりに漂っていく。
そうだ。そこでまずよく蒸らすのが肝心なんだ、と、ハザマは心中で叫んだ。
「なあ、大将。
うまいのか? その、コーヒーというやつは?」
ヴァンクレスが疑問を口にした。
「慣れればうまいものだが……初めて口にする者は、おそらくその苦さに閉口する」
ハザマがなにか答える前に、ファンタルが口を挟んでくる。
「珈琲とは、そういう飲み物だ。
これまでに飲んだことがないのであれば、お湯で薄めるかなにかで甘味を足すかする方がいい」
長年諸国を放浪してきた経歴があるファンタルは、流石にコーヒーを嗜んだ経験もあるようだ。
「蜂蜜と、それに山羊の乳を持ってきます」
リンザがすぐに席を立った。
「でも、いい香りですね」
スセリセスが感想を述べる。
「これは、ネリィ様の国では普通に流通しているものなのですか?」
ハザマは疑問をぶつけてみた。
「南方でしかとれない豆であるため、場所によってはずいぶんと値が張る場合もあるが……流通しているといえばかなり広い範囲で流通している」
ネレンティアス皇女はそう答えてくれる。
「こちらの王国でも、扱っている商人はそれなりに居るのではないかな?」
「嗜好品扱いになるわけか」
ハザマはそういって頷いた。
これまで洞窟衆はどちらかというと食料などの必需品に目をむけることが多かったため、こうした品目にはあまり注目してこなかった。
「これからは、この手の商品も手がけた方がいいのかも知れないな」
高級な嗜好品とそれ以外の商品とでは、利幅がまるで違ってくる。
「それはいいな」
ネレンティアス皇女は頷く。
「洞窟衆はこれから、山岳部に通商路を開拓していくのであろう?
せっかく通商路を切り開くのであれば、もっと旨味のある商品も扱った方がよい」
ネレンティアス皇女は、何人かの有力な商人にも伝手があるという。
そうした商人も紹介してくれるようだった。
「……ちょっとうちの財務担当を呼びます」
ハザマはそう断ってから、通信でタマルを呼び出した。
「……本格的なネルドリップだ……」
ハザマはうまそうにコーヒーの入った椀を傾ける。
多少、雑味が多く苦みが強い気がするが、この世界に来てからはじめて飲むコーヒーだった。
「この味と香り、忘れかけていたな」
ハザマとファンタル以外の面々には、コーヒーはどうやら不評のようだった。
みな、口に含むなり眉を顰めて、蜂蜜なり山羊の乳なりを椀に入れはじめている。
「慣れるまではうまさがわからない類の飲料だからな」
ハザマ以外では、ファンタルだけが澄ました顔でコーヒーを飲んでいる。
「……商機があると聞いて飛んできました!」
そうしてみんなでコーヒーを喫していると、そんなことを叫びながらタマルが入ってきた。
よほど急いでいたのか、息を切らせている。
「別にそんなに急ぐ用件でもないんだがなあ」
ハザマはタマルにむかってそういった。
「そうはいいますけどね!」
タマルは少し大きな声を出してハザマに反発した。
「これから新領地普請のための予算をどうにかして捻出したいところでして、こっちも必死になって金策を模索しているところなんですよ!」
「……何年か先には儲かることがわかっているんんだから、国債を発行すればいいじゃん」
ハザマは平坦な声でそういなす。
山岳部の通商路を安定的に往来するようになれば、それだけで定期的な収入になる。
そのことについては、ハザマもタマルも見解を一致させていた。
「何ヶ月先の儲けよりも今現在の手元の現金ですよ」
タマルは不平を漏らした。
「国債って手段も、有効といえば有効な手段なんですけど、所詮借金じゃないですか。
借金はできるだけしないほうがいいんです」
国債の発行は、この世界ではかなり実験的な政策であるし、その意味でも最初のうちは必要最低限に収める予定だった。
「その、国債とはなにか?」
耳慣れない単語を耳にしたネレンティアス皇女が、ハザマにむかって質問をして来た。




