大帝国の皇女
ハザマは身をよじって背後を振り返り、そこに誰もいないことを確認してから再び腰を降ろした。
『……今の、見たか?』
ハザマのうしろに座っていたリンザとクリフに、通信で確認する。
『なにかもやもやしたものが立っているところは確認できました』
『現れたと思ったらすぐに消えましたけど』
リンザとクリフからは、そんな答えが返ってくる。
……もやもやしていたのか、と、ハザマは考えた。
あのときに聞こえていた声も、どう考えても自然なものではなかった。
姿を現すときは、ああして声や外見に手を加えて自分の正体を隠す必要がある職務、ということなのだろう。
暗殺者、隠密、間諜……とか、そんな役目の者なのだろうな、と、ハザマは予想する。
転移魔法があるくらいだから、視覚や聴覚を誤魔化す魔法くらいあってもおかしくはない。
誰にも気づかれずにどこへでも侵入して、少しも精神を乱さずに他人を手に掛けることができる者たち。
その役割から考えてみても、日常的に消耗することが前提となっているはずで、当然、一人や二人だけということはないはずだった。
一定水準以上のそうした技能を身につけた集団があって、王家はそれらを擁している。
さっき、ゼレタリウス王子がわざわざそうした者に姿を見せるようにしたのは、ハザマにそのことを誇示するためだ……と、ハザマは思った。
示威というか、脅しというか。
「お前という存在なぞ、その気になればいつでも消すことができるのだ」
という直截的な意思表示、なのだろう。
ハザマは陶器のゴブレットを手に取り、その中に残っていぬるいエールを喉を鳴らして飲んだ。
『……今のは、おれたちに対してプレッシャーをかけてきたのだと思う』
通信を介して、ハザマはリンザとクリフにそう伝えた。二人とも、その意見に異を唱えることはなかった。
実際、あんなのが何人も不意をついて襲ってきたら、ハザマは為す術もなく殺されていることだろう。
いや、あんなのを使うまでもなく、王国の国力なら洞窟衆を殲滅することも十分に可能なわけであるが。
それをやらないのは、ハザマたち洞窟衆が王国にとってもまだまだ利用価値があるということと、洞窟衆と正面対決ということになればそれなりに出費や出血がかさみ、王国側も無傷で済まないこと、それに、外聞を気にしてのこと……などの要因によるものだろう、と、ハザマは予想している。
今のうちから王国に刃向かえばどうなるかという警告を発し、逆らう気をなくそうとするのは、王国側にしてみれば当然の用心だ……とも思った。
ふと周囲に視線を投じると、オルダルトや小領主関係者たちが目を見開いてハザマの方に注視していた。
先ほどの騒動は、ごく短時間で終わった割には強い印象を与えてしまったらしい。
さて、どういい抜けるかな……と考えかけ、そしてハザマはすぐにそれを中断した。
よくよく考えてみればゼレタリウス王子が勝手に起こした騒動であり、ハザマには説明責任などありはしないのだった。
「……肝が冷えました」
短く、ハザマは感想を漏らす。
いうまでもなく、ハザマの本音だった。
その言葉に反応して、オルダルトや小領関係者たちが脱力した笑い声を漏らす。
ああした得体の知れない者を平然と使役するゼレタリウス王子、つまり、王家の権勢を実際に間近に目の当たりにして肝を潰し、しかし表面的にはそのことを認めたくないため虚勢を張ってあえて笑い声をあげている、といった態の力のない笑いだった。
逆説的であるが、彼らもハザマが考えた程度のことは即座に理解していて、だからこそ、王家にそんな牽制をする必要があると判断させたハザマのことをかえって評価しなおした、という側面もあった。
そもそも、ガイゼリウス卿やゼレタリウス王子が直に対面しに来るということ自体がかなり異例なのであるが……。
「さて、宴たけなわではあるが、そろそろ城に帰らねばなにかと五月蠅い者がいるのでな」
すっかり場が白けていることを察知しているのかいないのか、ゼレタリウス王子はそういって立ちあがった。
「われわれはここで中座することにしよう」
ガイゼリウス卿も立ちあがり、店員を呼んでその場で勘定を済ませた。
といっても、ざっくりと硬貨をひとつかみ、店員に渡しただけだったが。
「多すぎます!」
「なに、迷惑料も込みということで納めておけ」
そんな短い問答をしたあと、ゼレタリウス王子のあとに続いてガイゼリウス卿も店を出ていく。
「……あの、お代の方は十分に頂きましたので、皆さまご存分に召しあがっていってください」
二人が店を出たあと、初老の店員はハザマたちにそんなことをいってきた。
おそらく、この場に居る全員の料金を支払っても余りが出るくらいの金額をガイゼリウス卿から先払いをされたのだろう。
「ま……せっかくだし、せいぜい食っていくか」
ハザマはあえていつのも気軽な調子を保ってそういった。
毒気を抜かれた他の者たちを元気づけようという意図もあった。
やはりというか、その後は盛りあがりに欠けることになった。
それでも先ほどの不穏な空気を少しでも払拭しようとする機運はあったので、勢い、話題はハザマたち洞窟衆への質疑応答となる。
「そのトカゲが、例の……」
「そう。
おれは、バジルと呼んでいます。おれの不思議な能力の源泉ですね」
「そんなものをエサにしても大丈夫なのかね?」
「なんでも食べますよ、こいつは。少なくとも、人が食えるものならこいつも食えます。
それに、トカゲの形をしていても、本質的にはなにか別のものなんじゃないかという気もしますし……」
「なにか別のもの、とは?」
「さあ? こいつの正体は、一体なんなんでしょうね?
普通の生物ではないということはわかっているんですが、それ以外のこととなるとまったくわかりません。
今のところ害はないし、それどころか何度も助けられているくらいなので、おれとしてはこうしてエサをやり続けているわけですが」
いつものように、ハザマは自分に出された料理を取り分けてバジルに与えている。今では半ば習慣になってしまっているし、今回のようなあまり堅苦しくない場でもその習慣を変えるつもりはなかった。
はなしの流れで、小領主の関係者たちのうち何人かを硬直させて、バジルの能力を体験させてもみた。
「……これは、誰にでもかけられるのかね?」
「ええ、まあ。
近くに居る者になら、といいうことになりますが」
具体的な有効範囲については、流石にハザマもぼかしておく。
「それに、必ずに効くわけでもない……これが効かない者も居るらしい、ということは、さっき見ていただいたばかりですし」
「いろいろと細かい条件があるのか……」
「そうみたいですね」
他人事のように、ハザマは頷く。
「だから、こいつが使えれば絶対的に有利っていうわけでもなくて……」
ひとしきり、そんな歓談をしたあとに、その夜はお開きとなった。
ハザマたち洞窟衆の三人は、居酒屋まで出向いてきた三人の魔法使いの転移魔法で野営地まで送って貰う。
「……ふう」
三人の魔法使いが来たときと同じように唐突に姿を消したあと、ハザマはため息をついた。
王国上層部に属する……というより、事実上、最高意志決定者であるらしいゼレタリウス王子と直接対面し、そのあとのあれやこれや……で、流石のハザマも気疲れをしている。
「今夜は早めに休むか」
とか、ひとりごとを呟いた。
「ちょっとあんた!」
が、会議室として使っている一角に顔を出すと、待ちかまえていたカレニライナに捕まった。
「ずいぶん前から、あんたのことを待っている人たちが居るんだけど!」
「……はいはい」
ハザマは素直に頷く。
洞窟衆首領という仕事も、これで雑用が多いのであった。
「それで今度は、どんな人」
戦争が一段落して以来、ハザマに面会を求める者は多くなった。
それでも、これほど夜が更ける時間まで待っている者というのは希なのではあるが……。
緊急の用件なのか、それとも相手が暇を持て余しているのか。
「こちら」
カレニライナはそういって座っていた女性を示した。
若くて、まあ美人といってもいい容貌だろう。目つきが鋭い気がするし、全般に、周囲に緊張感がみなぎっているのが気にかかるといえば気にかかるのだが……。
服装から判断して、それなりに上流に属する身分のようだった。
「さて、今度はどういうお客さんなのかな」
「なんでも、洞窟衆の世話になりたいとかで……」
ハザマとカレニライナは、小声でそんなことを囁きあう。
「……求職者なのか?
そんなのだったら、わざわざおれが直接面談しなくても……」
「ただの求職者というわけでもないの!」
カレニライナは「ただの」という言葉に力を込めて断言した。
「彼女の名は、ネレンティアス・シャルファフィアナ」
そういってカレニライナはハザマを見あげた。
「こう聞いて、なんかピンと来ない?」
「いいや。全然」
ハザマは素っ気なく答える。
「……そういえばあんた、異邦人だったわね……」
カレニライナは若干ひきつった顔でそういった。
「名前から考えると、どこかのお偉いさん?」
ハザマは、当てずっぽうでそんな憶測を口にしてみる。
この世界では、貴族とか身分が高い者ほど名前が長くなる……ような傾向が、あるような気がする。
「お偉いさんといえば、お偉いさんなんだだけど……」
カレニライナは複雑な表情をした。
「……どこかの国の貴族か?」
ハザマは、訊き返してみた。
「当たらずとも遠からず」
カレニライナはため息混じりにそう答えた。
「遠い西の果てにある、目下拡大中の大帝国の皇女様だそうよ。
とはいえ、本人のいい分によれば皇位継承権は破棄して諸国を武者修行している最中だそうだけど……」
「……西の果ての大帝国?」
ハザマは首をひねった。
「そんなものが、あるのか」
「あるのよ。
ここからは距離があるので、直接的な影響はまだあまりないけど……。
それでももう、大陸の半分くらいは併呑したり属国にしたりしているということだけど……」
「……それ、世界征服にリーチがかかっているってこっちゃないか」
この世界の住人にとっては、「大陸」と「世界」はほぼ同義語。その大陸を制覇するということは、ようするに世界征服ということだった。
アレキサンダー大王とかジンギスカンみたいな傑物が、この世界にも居るらしかった。
「……で、その大帝国の皇女様が、おれなんかになんの用で?」
「さっきもいったでしょ。
しばらく洞窟衆の世話になりたいって」
相変わらず、ハザマとカレニライナは小声で会話をしている。
「……なんだって、そんな大層な人がうちに……」
「それは……」
カレニライナはため息をついた。
「……本人の口から直接聞いた方が、早いと思う」
「ネレンティアス・シャルファフィアナという者だ」
ハザマが対面に座るなり、その女性は名乗ってきた。
「洞窟衆の首領であるハザマ殿には、是非とも挨拶をしておきたいと思い、今まで待たせて貰った」
「これはどうも、ご丁寧に」
とりあえず、ハザマは無難な返しをしておく。
カレニライナによると遠い国のお偉いさんだというから、礼儀正しくしておいた方がいいだろう。
「それで今回は、どんなご用件で」
「この洞窟衆で世話になりたいと希望している」
ネレンティアスは真っ直ぐにハザマの顔を見て答えた。
「その許可をいただきに来た」
「仕事の斡旋でしたら、人事担当の者が居るはずです」
ハザマはゆっくりと首を振る。
「わざわざおれに対面する必要もありません」
「いや、雇用条件面など、そちらのはなしについてはもう済んでいるのだ」
ネレンティアスはそういった。
「それとは別に、ハザマ殿には是非一度、直接お目にかかりたいと思っていた。
できれば時間を貰って深いはなしをしてみたいと思うのだが……」
デートのお誘い……というわけでもないんだろうなあ……。
と、ハザマはそう思う。
なにせ、ネレンティアとは、これが初対面である。
「なにゆえ、おれなんかと?」
ハザマははっきりと疑問を問いただしてみることにした。
「あのヴァンクレスが一目置く人物だというからな」
ネレンティアスは頷きながら、そんなことをいう。
「一度ちゃんとはなしをしてみたくなったのだ」




