ひとつの合意
ハメラダス師は木匙でアイスクリームを口の中に放り込み、
「うまい」
と一言、呟いた。
そして、洞窟衆の試作班から貰ったばかりのチェスセットを眺める。
これでいよいよハメラダス師もチェスの対人戦が可能な物理的条件が揃ったわけであるが、現実にはもう一段階、「適切な対戦相手を見繕う」という手順を踏まなければならなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが……。
「……ぼくというわけですか?」
ハメラダス師と対面に座るアズラウスト・ブラズニア公子はため息混じりにそういった。
アズラウスト公子は、先ほど、ハメラダス師からチェスのルールを一通り教えられたばかりである。チェスというのは、要するに駒の種類を制限されたリリットのような遊技であり、アズラウスト公子がルールを飲み込むのも早かった。
また、実際にハメラダス師の相手をすることにも、特に異論はないのだが……。
「なぜ、ぼくなんでしょうか?」
「すぐにルールを飲み込めそうな連中の中で、お前さんが一番、暇そうだったからな」
ハメラダス師は真面目な顔つきで、そういった。
「……これでも、そんなに暇というわけでもないんですけどね……」
アズラウスト公子は神妙な顔つきになる。
「すぐにでも、領内の火消しに戻る手筈になっていますし……」
「例の洞窟衆の手を借りて、か?」
「例の洞窟衆の手を借りて、です」
どうやら、その噂はハメラダス師の耳にも入っていたようだった。
このハメラダス師は、最近、気安く洞窟衆に出入りしているそうだから、アズラウスト公子もそのこと自体には驚きを感じなていない。
「いくら領内の兵力が手薄になっているとはいえ……」
盤上に駒を並べながら、ハメラダス師はそういった。
「……まともな治世を行っていれば、そんなに同時にあちこちちで小火が発生することなどない。
どこか根本的なところで、お前さんの家がなにかしらやらかしているんじゃないのか?」
「心外ですね」
自陣の駒を並べながら、アズラウスト公子は応じる。
「やるべきことはしっかりとやっていますよ、うちは。
そうはいっても、こちらが想定していない事態に対しては対応が遅れがちにはなるんですが……」
「匪賊の跋扈が想定していない事態、か」
ハメラダス師が小さく乾いた笑い声をたてる。
「あれらは、よほど非道な治世を行っていない限り、出てこないはずのもんだぞ」
「裏で手を引いている者が居るんですよ、いろいろと。
これでもうちは、八代貴族領の中でも豊かさでは一、ニを争う領地ですから」
そういって、アズラウスト公子は肩を竦める。
「心当たりはいくつかあるのですが、彼らもなかなか素直に尻尾を捕まえさせてくれませんのでね。
当面は、対症療法的に、表面化した事態に対応していくしかないんです」
「……それで、通信術式か」
ハメラダス師は、ポーンを動かす。
「いろいろと敵も多そうだが、今表面化しているのは、ドン・トロの跡目争いの余波だろう?
元から絶たないと、すっぱりと根絶はできんぞ」
「ドン・デラでの勢力争いに破れたゴロツキどもが都落ちして、周囲で問題を頻発させているのも確かなことではありますが……」
アズラウスト公子も、ポーンを動かす。
「残念なことにあそこは塩賊が関わっているので、滅多なことでは手を出せません。
洞窟衆にも助力を頼んでみたんですが、すっぱりと断られまして……」
「そりゃあまあ、すっぱりと断る方が常識的な対応ではあるわなあ」
ハメラダス師は、別のポーンを動かす。
「むしろ、こちらの様子をよくわかっていないあの異邦人にそんな重要事を気軽に頼む方がどうにかしておる」
「こちらにしてみれば、藁をもすがる気持ちですよ」
アズラウスト公子も、駒を進める。
「ドン・デラは領都に劣らない大きな都市ですし、そこをいいように使われていて面白いわけがない。
それでも、従来のようにきちんと治安を守ってくれてさえいれば文句はないんですが、最近はその逆の傾向が出て来ていますからね」
「できることなら、排除したいか?」
「そりゃあもう」
頷いてから、アズラウスト公子は慌ててつけ加えた。
「いや、実際には、あとが怖いからやれませんけどね。
まずは、周辺部に飛び火した小火を迅速に消して回ることにします。
ちょうど今、ドン・デラから逃げてきた連中が地元の勢力と結びついていい気になっているところのようでして、それらの勢力を片っ端から粉砕していきます」
「……ふん」
ハメラダス師は、鼻を鳴らした。
「そう、うまくいけばいいのだがな」
「無理にでも、いかせますよ」
アズラウスト公子は素っ気なく答える。
「ここのいくさではあまり活躍する機会に恵まれませんでしたが、ブラズニアの兵もそれなりに精強であることを知らしめて見せます」
「……三十以上の小領主の許可書、ですか……」
数日ぶりに洞窟衆を訪れたオルダルトは、まず最初に、書類の束をハザマに押しつけてきた。
押しつけられた側であるハザマは、少し面食らった顔をしている。
こういうことをされることを、まるで想定していなかったのだ。
「大領主の方々は、独自の情報網を持っております。各自に損得を勘案して、利になると判断すれば自然と許可が降りるでしょう。実際に、ブラズニアに続いて沿海州グフナラマス領にも、近く通信網が敷かれることも内定しているとかいう噂が広まっております」
オルダルトは一息にそう説明してくる。
ブラズニア領と隣接するグフナラマス領は、王国の沿岸部をほぼ独占する大領地であった。
それ以外に、ハザマ商会の本拠地があるドン・デラと港を結ぶ運河が通っていて、ハザマ商会の物流もかなりその運河に依存している。
準備が整い次第、その運河に沿って通信網を伸張していきたくなるのは、利便性を考えても当然のことであった。
「それ以外に、アルマヌニア領を抜けて緑の街道沿いに通信網を延ばし、もう少しで王都に届こうとする勢いになっています。ハザマ商会の方々が、王都に支店を作るべく、下見に来ている様子もこちらでは確認しています。
それだけ大きな動きを、利に聡い国内の勢力が見落とすわけがありません」
このオルダルト・クロオルデルは、しばらく姿を現さない間に、洞窟衆の動きについてかなり詳しくなっているようだった。
ことによると、ハザマ自身よりも詳しいくらいかも知れない。
……仕事熱心なようで、結構なことだ……と、他人事のようにハザマは思った。
「……確かにこれは、こちらにしてみればかなり手が省けます。
その意味では、大変にありがたいのですが……」
オルダルトが押しつけてきた書類の端を指でパラパラとめくりながら、ハザマは気のない声を出した。
「でも、いいんですか?
お役人様から、こんなにサービスして貰っても?」
「それもこれも……」
オルダルトは、ひとことひとことに力を込めて、いいきった。
「……ハザマ様に爵位を受領して貰いたいがための働きです。
まずは、ハザマ様ならびに洞窟衆という集団の、王国内での位置づけを明確にしないことには、今後の関係もあやふやな、足下のおぼつかないものになってしまいます」
「……それが、王国の論法ですか?」
そう聞いて、ハザマは少し思案顔になった。
厳密にいえばハザマが知っている封建制とは異なる部分も多いのだが、とにかくこの王国は、一定以上の実力を持つ勢力を「国王の臣下」という形に収めることで秩序を守ろうとする傾向があるらしい。
逆にいえば、国内でそれなりの大きさに育っているのにも関わらず、まっとうな序列の中に収まっていない集団があったとしたら、なにかというと白眼視される……ということなのだろう。
「仮におれが領地を受領するとしたら、自治権は完全におれに帰属するわけですよね?」
ハザマは、確認をする。
「各領地内での自治権ついては、領地の大小に関わらず、基本的には領主のものとされています。
原則としては、ですが」
オルダルトは真面目な表情で答える。
「ただし、領主が無辜の領民を虐げるなどの行為があった場合には、この限りではありません。
そのような不祥事が明るみになった場合は、領主は罷免され領地も没収されます。
場合によっては、国軍が動いて実力で領主を排除する場合さえ、あります」
この世界の倫理観に照らして領民が虐待されていたりした場合は、領主の上位にある国が動いて掣肘をくだす。
あるいは……領主が無能すぎる場合にも、首をすげ替えられることがあるのかも知れないな、と、ハザマは思った。
ハザマの知識にある中では、江戸時代の徳川家と大名家の関係に近い感じなのだろうな、と、ハザマはひとりで勝手に納得をした。
「……こうしている今も、部下たちが王都の公館を走り回って洞窟衆についての説明を行い、通信網架設の許可を取りつけております。
なにとぞ、これは収めてください」
オルダルトは、そう続けた。
これまでの王都から来た使者とは、気迫からして違った。
オルダルト自身の言葉にあるとおり、数知れない小領主の公館を手分けして訪問し、説明し、逐一口説いて取ってきた。勝ち取ってきた許可なのである。
実のところ、大領地の関係者にコネがないオルダルトたちは、そうして自分の足を使って稼ぐよりほかに方法はなかったともいえるのだが……。
「……ありがたく、お受けしましょう」
そういってハザマは、その書類の束を背後に控えていたリンザに手渡す。
その際、通信で、「中身を確認させるように」と指示することも忘れなかった。
「これらの許可書を、王国側の誠意とみなします。
さて……次の段階にいきましょうか?」
ハザマは、そのようにいった。
はじめてハザマが、王国側の人間の前で、領地や爵位を受けるかも知れない……と示唆した瞬間であった。
「細かいことはあとにして……ハザマ様が領主となられる意志があるのでしたら、急ぎ、爵位受領のための準備を進めなくてはなりません。
近く、王都において、故ベレンティア公とブシャラヒム・アルマヌニア卿の国葬が行われる予定です。
それと時期を同じくして、こたびのいくさにおける戦功者への報償授与式も行われます。
できれば、これに間に合うように準備していただければ、こちらとしてもかなりやりやすいのですが……」
オルダルトはその機会を逃がさず、何度も頭の中で繰り返してきた説明を述べはじめる。
合意を取りつけるまでの複雑な駆け引きのあとに待っているのは、定形化した儀式なのであった。
いや、王国からの報償を拒否しようとするハザマのあり方の方が、特別に例外的であった、というべきなのかも知れないが……。
「……それは、具体的にどれくらい先のことになるんですか?」
ハザマが、訊ねる。
「そうですね。
昼餐会も、もう山場は越えているそうですから、あと数日で終わるでしょう。
王都でも準備ははじまっておりますし……今から十日前後、先のことだと思ってください」
「……そんなにすぐなんですか!」
ハザマではなく、傍らにいたリンザが大きな声をあげた。
「大変……。
なんの準備もしていません!」
「お、おい……」
ハザマがリンザの方を振り返って、狼狽した声をあげた。
「そんなに大げさなもんでもないだろう」
「洞窟衆を代表して王都で授勲式に臨むということなのですよ!」
呆れかえった表情になりながら、リンザはハザマに反駁した。
「ちゃんとした格好をして貰わないと、沽券に関わります!」
「……そういうことに、なるんですか?」
情けない顔をして、ハザマはオルダルトに確認した。
「そういうことに、なりますな」
オルダルトは、真面目な表情で頷き返す。
「あー……もしよろしければ、ですが。
ハザマ様を伴って、一度、王都の仕立屋にでもお送りしましょうか?」
そのあと、オルダルトはそう助け船を出した。
幸い、オルダルトたち洞窟衆対策班は転移魔法が使える魔法使いを三名も囲っている。
このような際に、手助けをしておくのも今後の関係を円滑にするための方便というものだろう。
「……よろしくお願いします!」
ハザマが反応するよりも先に、リンザがそう答えていた。




