樹上のワニ
交代で睡眠を取り、再び夜になる。
ハザマが「木登りワニ」と命名した例の敵が夜に襲ってくる以上、しばらくは昼夜逆転の生活をする方がよい、ということになった。
近くにある二つの村には、ハヌンとトエルがそれぞれ、昼間のうちにワニの死骸と手紙を持って向かっていた。
警戒を要する、ということで、残ったハザマたちは犬頭人に担がれることなく、自分の足で移動している。進行速度はハザマらの足にあわせる分、緩やかなものになるわけだが、現在の第一目標が木登りワニの殲滅である以上、移動速度を気にかける者はいなかった。
どのみち、木登りワニに見つかれば、一晩中の戦闘となるのだ。
そうして北へ北へと歩いていくのだが、今度はなかなか例の木登りワニとは遭遇できなかった。
「お前ら、それらしい臭いとかしないか?」
と、ハザマが犬頭人たちに水を向けてみても、芳しい反応がない。
めぼしい手がかりが見つけられないまま時が過ぎ、
「しゃあない。
一度、休憩するか」
と、火を囲む準備をしたところで、一羽のフクロウがハザマの胸元に飛んできた。
「うわぁっ!」
そんなことを予期できるはずもなく、ハザマは大声を出して体をのけ反らせる。
「あ。
その子の足に、なにかついていますよ」
リンザが、そう指摘した。
「お、おう」
ハザマが左腕を掲げると、そのフクロウはハザマの腕にとまった。
「……前にいってた、使い魔ってやつかな?」
ハザマが右手を伸ばすと、フクロウは足をあげてそこに結ばれた紙を取りやすいようにする。
「……読んで……」
読み書きができないハザマは、折り畳まれた紙片をタマルに渡す。
そして、保存していたワニ肉を取り出して、フクロウに与えだした。
「……ええっと……。
ワニの正体については、委細承知。
荷物を持って帰還した犬頭人たちと交代に、拠点防衛に当てていた犬頭人たちを送る……だそうです」
「了解、っと……。
じゃあ、返信書いて」
タマルは素早く紙とペンを取り出す。
「どうぞ」
「負傷した犬頭人はそちらに帰した。手当を頼む。
現在、こちらにいる犬頭人は四十匹弱。
ファンタルたちはいまだ合流せず。
……以上」
「……それだけでいいんですか?」
「その他に、なにを書けと?」
「今後、どちらへ向かう……とか?」
「それが、決まらないんだよなぁ……。
肝心の、ワニどもがどこにいったんだか……」
「……その子に探させる、ということはできないんでしょうか?」
タマルが、ハザマの左腕にとまって餌を食べているフクロウを指さす。
「え?
……そういうこと、できるの? こいつ……」
「だって、その子……エルシムさんの使い魔なんでしょ?
偵察くらいは、できると思いますが……」
「……はぁー……」
ハザマは、大仰に感心してみせた。
「使い魔って、そういうことができるのかぁー……」
そうとなれば、やらないですませられるわけがない。
しばし、餌を与えた後、
「その肉と同じ臭いがしているやつらを探してきてくれ」
と言い含めて、フクロウを放つ。
それが正しい使い魔の運用法方なのかどうか、ハザマには判断がつかなかったが、タマルもリンザもなにもいわなかったところをみると、大きく外しているわけでもないらしい。
フクロウは、小一時間ほどして戻ってきた。
再び肉を与えて懐柔した後、先導をお願いする。
フクロウに導かれて、松明を掲げたハザマたちの一団が続く。
明るくして不意打ちを防ぐのがワニ対策として有用なのは、昨夜の件で証明済みだった。
フクロウに導かれて移動した先では、すでにワニとの交戦が開始されていた。
「ありゃ?
ファンタルたちか……」
「おお! ハザマか!」
矢を放ったファンタルが、こちらを見て腕を振ってきた。
「なに、お前ら。
ずいぶんと早いじゃないか!」
「なに、例の文を貰ったら、辛抱ができなくなってな。
同行者を説得して落として、犬頭人たちに運んで貰った」
ファンタルが率いてきた女たちは、むっつりとした顔で次々と上に矢を放っていた。そして、矢を受けて落ちてきたワニに犬頭人たちが殺到する。
女たちの心中はともかく、なかなか息の合ったコンビネーションだった。
「ちょうどいいから、加勢するわ」
ハザマたちが合流すると、ワニを狩る効率は格段に向上した。
ハザマたちが連れてきた犬頭人たちは昨夜の戦闘で対ワニ戦の経験を積んでいたし、ハザマは劣勢な場所にバジルの体を放り投げるという荒技を使って被害の減少に努めた。
なにしろ、バジルが近寄るだけで周囲のワニたちがぼとぼと落ちてくるのだ。
これを利用しない手はない。
途中で二つの勢力が合流したこともあり、昨夜とは違って、こちらがワニの集団を包囲、殲滅するような流れとなった。
その結果、夜明けをまたずにして、驚くほど大量のワニの殲滅に成功する。
あまりにも数が多いので数える気にもならないのだが、そこいらに転がっているワニは、ざっと見でも百匹は優に越えていた。
バジルも犬頭人たちも、恍惚としてそれらの死骸に取りついてガツガツと食べはじめていた。
「……おれたちも、休憩するか」
「それがいいな」
ハザマとファンタルはうなずきあい、火を起こす準備をはじめる。
ファンタルはハザマが取り出した百円ライターを、物珍しそうに見つめていた。
「それも、故国の道具か?」
「ああ。
もうすぐ、燃料切れで使えなくなるけどな」
不思議と、ハザマにはむこうから持ち込んだ道具を惜しむ気持ちがほとんどなかった。
まず最初に五十日近く無人の森の中でサバイバル生活をした影響が大きいのか、物に対する執着がかなり薄れているのだ。
「すぐに火がつけられるのか。
便利なもんだな」
「そうかあ?
こっちでも、似たような機能の道具は作れそうな気がするけど……。
例えば……火縄って、こっちではあるのかな?
燃えにくい紐に、防水とかの塗装を施したやつとか……」
「似たようなものは、あるぞ。
……そうか。
火縄を巻いて、携帯できるような容器に詰めておけば……その火が消えるまでは、火種にできるわけか……誰でも思いつくようで、なかなか思いつかない工夫だな……」
ぶつくさいっているファンタルを尻目に、ハザマは、例によってタマルにいってエルシムに向けた手紙を書かせた。
「ファンタルの一行と合流に成功。
今後、行動を共にする」
と。
その手紙を足に結びつけて、フクロウを放つ。
その夜の行動は、それで終わった。
「……なんか、おぬしが連れてきた犬頭人の方が、大きくなっていないか?」
翌朝、交代で休んだ後、ファンタルがハザマに指摘する。
「そうかぁ?
気がつかなかったが……」
だが……いわれてみて、改めてみてみると、犬頭人たちの体格に明瞭な差があるのだった。
「ワニの肉を喰って、たっぷり運動したおかげなんじゃないか?」
「それにしたって、一日やそこいらでこんなに差がでるわけがなかろう。
体の大きさだけでなく……心持ち、背筋ものびているような……」
確かに、一晩二晩でそうとわかるほど成長するというのも、おかしなはなしではある。
「……なんなんだろうなあ……」
犬頭人の生態に詳しくないハザマとしては、そういって頭をかくより他ない。
「それで……今後、どうしよう?
基本的には、ワニ狩りを続けて脅威を減らしておきたいんだけど……」
「賛成だな。
だが、その前に……」
ファンタルは周囲を見渡して、いった。
「この有り余るワニの肉を、周囲の人里にお裾分けしないか?
どのみちわれらだけでは食べきれぬし……」
「……そうだな……。
適当に使者を立てて、負傷した犬頭人を中心に運送班を編成しよう」
木登りワニの肉は、これでなかなかうまい。
この味が周知のものとなって、周辺の村人が自発的にワニ狩りをおこなうようになれば、ハザマたちの手間もそれだけ省けるのだった。
「それは、それとして……ワニたちの居場所とか、探す方法知らない?」
ハザマが、ファンタルに訊ねる。
昨夜は使い魔のフクロウが役だったわけが……今、そのフクロウは不在だった。
「あれらの気配を感知するのは、難しいことではない」
ファンタルはあっけなくそう答えた。
「巫女殿ほど、その手の技に長けているわけではないが……少々瞑想する時間を貰えれば、近場の気配なら感知できる」
森のことはエルフに訊け。
なんだかんだいって、頼りになるのであった。
ワニの死骸を十匹づつ運ぶ搬送隊、二隊を見送ってしばらくした後、一匹の犬頭人が手紙を携えて合流してきた。
「……なんだあ?」
ハザマは、その手紙をタマルの方に押しやる。
「……大変です!」
その手紙に目を走らせるなり、タマルは叫んだ。
「これ、使いに出していたトエスさんからなんですが……」
その手紙には、三番目に交渉を開始するはずだった村が、大量のワニに囲まれて交戦中……と、書かれていた。
「やつら、夜行性じゃあなかったのかっ!」
ハザマも驚いて、即座に出発の準備をはじめさせる。
「準備が整った者から先に移動しろ!」
ここからその村までどれほどの距離があるのか判然としなかったが、なにしろ一刻を争う問題だ。
今までの例から考えても、村の人口はせいぜい五百前後。
開けた場所にある、密閉した建物の中にいる人間が多数の木登りワニに襲われでもしたら、逃げ場も抗戦する隙もない。
ハザマたちの一団が村に到着したとき、村はほとんど木登りワニに占拠されているような有様だった。
畑も、道も、広場もワニで埋め尽くされている。
それではあきたらず、建物の壁面や屋根に取りついているワニも、少なくはなかった。
火の手が上がっている建物、何軒、かあった。
「……いったい、何百匹いやがるんだか……」
ハザマは、呻いた。
「数えるのはあとでもよかろう」
ファンタルが、すぐに矢を射かける。
ファンタルが率いてきた女たちも、すぐにファンタルに従った。
「あの村にまだ生存者がいるのなら……お主なら、助けられる!」
そう。
周囲の生物を動きを止めることができる、バジルなら……この状況の中でも、活路を切り開くことができるのだ。
「……よっしゃぁっ!」
ハザマが、吠えた。
「犬頭ども!
殺戮の時間だっ!」
ハザマを先頭とした犬頭人の集団が、文字通り血路を切り開いた。
動きを止めたワニどもの急所を一突きしては、次のワニに向かう。
ハザマがそう命じたからではあったが、この時の一群は効率的な殺戮集団に他なら無かった。
ハザマは、近場から順番にワニにまみれた建物を開放していき、生存者の有無を確認していく。
生存者がいた場合は人を呼んで手当をさせて次に進んだ。
今、ハザマが成すべき事はこの、あまりにも大量なワニを処分する一刻も早くことであり、ハザマ自身もその使命を忠実に果たした。
エルシムの使い魔であるフクロウがハザマの元に訪れる頃には、この村の中に生きて動いている木登りワニは一匹たりとも存在しなかった。




