試作班の始動
『ちょっと、ハザマくん』
三人の貴族を見送った直後に、ムムリムから心話通信が入った。
『さっきいっていた、健康保険制度について詳しく説明して貰いたいんだけど……』
心話通信網によって、ハザマの主要な言動は洞窟衆の主だった者の耳に、リアルタイムで入る仕組みになっている。
書記役を務めるリンザやクリフが大事な内容であると判断すれば、その場ですぐに中継しはじめるからだった。
「それ、こちらもお聞きしたいですね。
その、保険制度という仕組みについて」
新たな書類の束を持ってきたタマルが、それらをどさっと机の上に置きながらムムリムの発言に同意する。
「そんな面白そうな案、なんで今まで隠していたんですか?」
「……あれ?」
ハザマは首を捻った。
「今まで、説明したことがなかったっけか?」
「していません」
ハザマの脇に控えてペンを走らせていたリンザが、明瞭に受けあった。
「それじゃあ……ええと、でも、だいたいの説明はさっきいった通りだし……」
と前置きして、ハザマは保険制度について説明をしはじめる。
『……その健康保険制度とやら、広く普及させた方がいいんじゃない?』
ハザマの説明を聞いたあと、ムムリムはそう感想を述べた。
『原理的なことを考えれば、掛け金を払う人が多ければ多いほど、一人当たりの負担は減っていく理屈になるわけだし』
「そうですね」
タマルも頷いた。
「長期に渡る航海時に掛け捨てでお金を集めて、船が難破したときに払い戻すとか、その他にもいろいろ応用が利く制度だと思います。
とりあえず最初は、まず健康保険制度について、ちょっと専任の者を数名集めて試算してみましょう」
……こうなってくると、試作班だけではなく金融班とか政策班とか細分化した直属班を別に作っておいた方がいいな……とか呟きながら、タマルは会議室を出ていく。
いつ出てくるかわからない、突拍子もないハザマの思いつきを取りこぼさないように形にしていくのにも、これでなかなか苦労するのであった。
書類に署名をする仕事がなんとか一段落したところで、昼食の時間になった。
こちらの習慣では、庶民はだいたい一日朝晩の二食ということになっている。だがこれも厳密なものではなく、一日中体を動かすような職業は朝晩以外に一度か二度、普通に軽食を摂るらしい。現金収入はあまりなくても食料に事欠くことはない農村などでも、一日三食が習慣になっている場所も多いそうだ。
洞窟衆では、ハザマの習慣に従って通常時で三食出すことにしている。深夜や徹夜作業が必要なときは、それ以外に夜食も支給する。
食料は、現在、洞窟衆やハザマ商会が扱う商材の中でもかなりの存在感を示している。それなのに洞窟衆の者たちが腹を減らしていては外聞が悪い。
そういう理屈で、余分な経費が増えるのを承知で一日三食制度を徹底させておいた。
とはいえ、具体的なメニューとしては、硬いパンになにが入っているのかよくわからない煮込みという質素なものではあったが。
「……ここ数日、肉だけはたっぷりと入っているんだよな」
卓上に置かれた煮込みを睨みながら、ハザマが呟く。
「野営地が襲われた夜、たっぷりと獣肉が取れましたからね」
給仕したクリフはそう答えた。
「風味が強すぎるものは犬頭人に渡し、それでも余った分は薫製や塩漬けにして遠い場所まで売りに出しているそうですが……」
それでもまだまだ持て余し気味なので、この野営地でもしばらくは食肉に不自由しないだろう、ということだった。
「……まずいってわけでもないが、こうも続くと飽きてくるな……」
そんなことをいいながら、ハザマは硬すぎるパンをちぎって煮込みに浸し、柔らかくしてから木製のスプーンですくって口の中に放り込む。
実際、日持ちがするとかいうパンの方はともかく、煮込みの方はそんなに悪い味でもない。
食器についてはいうのなら、スプーンだけではなく、皿も木製だった。金属や陶磁器の食器は、この世界では庶民が気軽に使えるものではないらしい。ドン・デラでクリフの養父に当たる準男爵に招かれた時のことを思い返しても、ナイフやフォークに該当する食器は出されなかった。汁物はスプーンで、それ以外の食物は手掴みで食べるのがこの王国の作法である。食品も、だいたい手で扱うことを前提として調理されている。
フィンガーボールが、実用的な意味で現役の世界なのであった。
ハザマがいた世界でも、ナイフやフォークが登場したのはかなりあとの時代に入ってからだし、それ自体はハザマも不思議には思わなかった。むしろ、煩雑なテーブルマナーをいちいちおぼえる手間が省けて助かったとさえ、思っている。
食事をしながらそんなことを考えていると、
「今、ちょっといいですか?」
とかいいながら、コキリが会議室に入ってきた。
「みての通り、食事中だ」
ハザマは、そう答える。
「じゃあ、いいですね」
コキリはそういって、持参した荷物をテーブルの上に広げはじめた。
「とりあえず、木で将棋とリバーシの駒を作ってみました。
チェスの方は造作が細かい分、もう少し時間がかかります」
食事中だからといって、遠慮をするつもりはないらしい。
リバーシの方は白黒に塗り分けられ、将棋の方はちゃんと漢字らしきものが表面に書かれている。多少、違和感をおぼえる部分もあったが、一応、漢字には見えた。
「リバーシは、こんなもんでいいんじゃないか?
将棋の方は……この文字、他の人は読めないんだろ?
大丈夫なのか、このまま使って」
「将棋やチェスは、どのみちルールを教えるところからはじめないといけませんから」
ハザマの問いに、コキリは答える。
「下手にいじるよりは、そのままの方が趣が出るだろうと。
こちらの言葉に直すことも検討はしましたが……どのみち、文字が読めない人も大勢いるわけですし」
「……そんなもんか」
曖昧な表情でハザマは頷く。
その手の判断については、ハザマ自身の基準はまったくあてにはならないということを熟知していたからだ。
しばらく駒を手の中で弄んで、ハザマはあることに気づく。
「あ」
「どうしました?」
「……将棋の駒、な。
本物は、厚さが微妙に違うんだ。
前に行くほど、薄くなっている。
その方が、指で摘みやすいだろ?」
「そういう大事なことは先にいってください!」
コキリは少し大きな声を出した。
「薄くなるって……前に行くほど傾斜がついている形ですか?」
「そうそう、そんな感じ」
ハザマはいった。
「実物を触るまで、すっかり忘れていたわ」
「それじゃあ、リバーシの方はこれでよし。
将棋の方は作り直し、ですね」
コキリは持参した荷物をまとめてきびすを返す。
「リバーシの方は、このまま量産体制に入ります」
「……そんなに急いで、大丈夫なのか?」
ハザマはコキリの背中に声をかけた。
「今の野営地は、意外に暇を持て余している人が多いので」
首だけで振り返り、コキリは答えた。
「昼餐会が終わるまでは、動くに動けませんし、それ以外にも、負傷して身動きがとれない人が大勢いますし」
そういえば、現在の状況は、正式には「停戦交渉中」なのであって、はっきりと戦争が終わったわけではない。
洞窟衆も、戦力として足止めされている最中だった。
潜在的に「暇潰しの種に飢えている人々」は、大勢いるという。
硬い木材を、枠線になる部分だけを残して、掘る。単純な構造だから、ありあわせの鑿と金槌だけでなんとかできた。
それに刷毛でインクを乗せ、そっと紙を乗せて、手製のばれんでしっかりと木版になすりつける。
擦らないように気をつけながら、そっと紙を剥がす。
剥がした紙は、インクが完全に乾くまで、干しておく。
最初のうちこそ、頻繁に失敗していたが、慣れると一連の作業をかなりの速度でこなすことができるようになっていた。
木を彫ったのはザイスだが、印刷に際してハクカやクデルも手伝っている。全員、手や顔のそこここにインクがついた状態だった。
リバーシの盤面となるその紙は、もう三百枚ほど完成して、インクが乾くのを待つばかりとなっている。
「ハザマっちに確認してみたところ、リバーシはこのままでよし、将棋は、若干、改良の必要ありだって」
ハザマのところに確認にいっていたコキリが、いたるところに紙の盤面が干してある直属試作班の天幕に帰ってきた。
「予想通り、リバーシが先に決まった」
「じゃあ、早速、駒の量産に入るねー」
クデルがそういった。
量産、とはいっても、ザイスに用意させた木型の中に粘土を押し込め、木型をはずしていくだけである。
粘土が完全に乾いたあと、表面を白黒に塗り分けることになっていた。
「円形で、平たい物体」いわゆる、硬貨のような形状を木材で作ろうとすると、意外と手間がかかるということに試作の段階で気づいた彼女たちは、リバーシの駒を日干しの粘土で作ることにした。
水に浸すと形が崩れてしまうが、そもそも盤面だって、紙製なのである。
耐久性を考慮するよりも、「すぐに壊れても惜しくはない」価格設定にし、その分、量産する。そのような方針を、試作班は選択した。
三種のボードゲームのうち、ルールがシンプルなこのリバーシは、どちらかといえば上流階級むけというよりは庶民むけのゲームであると位置づけ、また、これを廉価で販売することによって、それまでボードゲームをする習慣のなかった階級層にゲームをする楽しみを教え、根づかせる。
そうすることによって、将棋やチェスの市場を活性化させておく、という目論見もあった。
コキリは原材料や製造に必要な手間賃を計算し、その上で、
「さて、どれくらいの売価に設定するべきか?」
と考えはじめる。
今の時点では試作班が作っているが、ある程度製造方法が固まったら、今度は開拓村のどこかにあるとかいう、職人だけが集まった場所に製造を引き継がせる予定だった。
一カ所でまとめて製造して、そこから商品を各所に送り、広い場所で販売した方が効率がよい。
とにかく、製造に関わる費用だけではなく、運送に関わる費用まで上乗せし、その上、儲けが出る価格に設定する必要がある。
だが、あまり高額に設定すると、今度は手軽に試して貰えなくなる。
特に庶民層は、「たかが遊び」に大枚を払う習慣がほとんどない。
このリバーシはハザマ直属試作班が開発する、最初の商品になるわけで、コキリとしても当然のことながら失敗などしたくはなかった。
だから、コキリは様々な要件を考慮して、慎重に考える必要があった。
洞窟衆の者たちがそれぞれの思惑で動いている間にも、停戦交渉は進んでいた。
大枠での合意は早期からできていたのだが、例の「ザメラシュの吶喊」などという珍事もあり、細部を詰めるのに思いの外時間がかかってしまった。
これ以上、長期に渡って大軍をこの地に留めておいても得るところはない、という部分では両国のどちらでも見解を一致させている。大人数を無為に養い続けるのは、国家としても避けたいところなのである。
細部を詰めながら、両国は、
「当地にある軍を、段階的に退去させていく」
ことを約束した。
これから厳しく長い冬を迎えなければならない部族民連合にとっては、文字通り死活問題であった。
「……というわけで、目下、対部族民の交易が活発化しているわけです」
と、タマルはハザマに説明を続ける。
「部族民側も、一刻も早くこの場から引き揚げたい部族、この地に留まって居留地の普請作業に関わって金銭を持ち帰りたい部族などに分かれていて、反応は一様ではありません。
われわれが相手にするのは、このうちの前者、比較的、経済的に恵まれている部族ということになります。
幸い、マニュルさんが山牛を多数、確保してくれましたから、しばらくは輸送力に事欠かないようですので、あとはしっかりと対価を頂いて、相手側が望む商品を用意するだけです。そのための交渉も、すでにはじめっています」
タマルによると、洞窟衆との交易を望んできた各部族にはすでに担当者がついており、具体的な商談がはじまっているという。
「……現金がなくても、馬や武具、防具などと交換に、少しでも多くの穀物を求めていく部族が大半ですね。
中には、奴隷として使用してもいいからといいながら、お仲間を洞窟衆に差し出してくる部族もいます。
一方で、洞窟衆側も腕のいい職人には積極的に声をかけて誘致しています」
「奴隷うんぬんはともかくとして……」
ハザマは気怠げにいった。
「……全体的にみれば、いい調子で運んでいるんだろう?
だったら、好きにやってくれ」
いちいち報告する必要はない、という意味だった。




