愚者たちの饗宴
ボバタタス橋にほど近い場所にある厩舎に、一人の老人が訪れていた。
すにで夜も更けていたので人はいないと思っていたが、赤毛の大男とまだ年若い細身の少年が寝藁を集めていた。
「精が出るな」
老人は、その二人に声をかける。
「なんだ。
見慣れない爺さんだな」
赤毛の男は、訝しげな表情を浮かべながら手を止めて老人にむき直った。
「見慣れない……か」
老人は、苦笑いを浮かべる。
「そうさな。
ここのところ忙しかったから、馬に触れる時間もろくに取れなかったが……もうしばらくすれば、また……」
誰にともなくそういって、その老人は、馬たちに視線をやる。
のちに「ザメラシュの吶喊」と呼ばれることになる奇襲に対する後世の評価は、はなはだ低いものとなる。
仮にこの奇襲がある程度成功し、王国内部での略奪がかなったと仮定しても、そのときの戦利品を部族連合の領内に運び込む手段はない。
遅いか早いかの違いこそあれ、「ザメラシュの軍」は、いずれは王国軍に包囲、殲滅される未来しかみえなかった。
つまり彼らは、「どこまで成功しても、いずれは犬死にするために出撃した」、ということになる。
「戦略的にも戦術的にも政治的にも無意味」とか、「王国はおろか、部族連合内部や他国においても、この一件以降、首謀者であるザメラシュの名望は地に墜ちた」とか記述されることになるのも、理由がないことではなかった。
しかし当事者たちは、果たしてそこまで冷静に自分の行動を評価し、意識していただろうか?
まず、首謀者として名が挙げられるザメラシュ・ホマレシュについて。
彼がこの奇襲を思い立ち、実行した動機についてはいくつかの推測がなされている。
いわく、ザメラシュはこの前後で実母である中央委員のアリョーシャから廃嫡をいいわたされており、自暴自棄になった末の行動である。
いわく、同じ部族民たちから「無能者」と白眼視されていたため部族社会内に身の置き所がなく、もともと国外へ出るつもりだった。
いわく、ある程度奇襲を成功させたあと、その実績をもって傭兵として身を立てる予定だった。
いわく、すでに奇襲を敢行する以前からザメラシュは心神喪失状態にあり、まともな判断能力を失っていた。
などなど。
これらの推測はつまるところどれも、「ザメラシュはどうしてあんな愚挙を行ったのか?」という疑問に答えようとして、苦しいいいわけになったしまった観がある。
「あの若者はな」
のちに、黒旗傭兵団団長のダドアズ・ドズアは部下に語ったという。
「おのれの思い描く自己像が大きくなりすぎて、それに呑み込まれておるのよ。
若いうちにはありがちなことであるとはいえ……」
その語尾については言葉を濁し、明言することはなかった。
ザメラシュ・ホマレシュが「自分の愚挙に無自覚な愚者」であったっとするのならば、このダドアズ・ドズアは「自分が愚挙を行っていることを自覚していた愚者」であるといえた。
長く傭兵という稼業に身を投じているダドアズは、問われれば、
「いくさというものは、多少の差こそあれ、愚行であるには違いないのだ」
と答えたことだろう。
名のある傭兵団の長に「なぜ戦うのか?」などという問いをあえてする者はいなかったが。
結局、その「ザメラシュの軍」は、その黒旗傭兵団三十騎を先頭とし総勢で二千余名ほどとなった。密かにまわされたザメラシュの呼びかけに応じたのは、最終的には部族連合の総数の僅かに百分の一以下の人数でしかなかった、という。
おおっぴらに呼びかけが行われたわけではないとはいえ、一度は全軍に号令をかけた総司令官も務めたザメラシュの声に応えた人数としては、いかにも少ない。これはすでに昼餐会がはじまっていたこと、その昼餐会が進行している間は不戦となることがすでに伝統として定着していたことが大きかっただろう。
その伝統を否定すれば、今回に限らず未来永劫に王国とのいくさの「やめどき」の判断が難しくなることを、経験が豊かな兵ほど強く認識していた。
そののため、ザメラシュの呼びかけに応じたのはほとんど分別のつかない若者たちで占められ、これに僅かに「どんな状況であれ、敵とは戦え! とにかく戦え!」という信条を持つ、いわゆる鷹派の者たちが混じる。自分の意志で状況判断を放棄する者は、どこにも一定数存在するのだった。
いずれにせよ、状況とか現在の空気が読めない愚者であることには変わらなかった。
その種類の愚者は、出撃に際してちょいとした諍いを起こした。
「ここはひとつ、今回の出兵の発案者であるザメラシュ殿が陣頭指揮を執るべきですな」
ダドアズ・ドズアが、そういいだしたのだ。
「そうすれば部族民たちの士気も、否が応でも盛り上がるというもの」
「……それは……」
ザメラシュは、しばらく絶句したという。
「……その……おれには未来が……」
「起死回生を狙うこのようなとき、陣頭にたたないでどうして兵たちに示しがつきましょうか」
ダドアズは非情にも追い打ちをかけた。
「みずから率先して規範を示すのが人の上にたつものとしての器量を示すことにもなりましょう」
有無をいわせない口調だった。
他者に命を懸けること強要するのならば、せめて、そう命じる者は最前線にたつべきではないのか。
というのが、ダドアズ・ドズアの持論であり、今回もその持論を少々強引に雇い主を使って体現させただけに過ぎなかった。
ダドアズがザメラシュに随行していた者たちに合図をすると、それらの者たちはすぐにザメラシュの具足を持参し、身につけさせにかかる。
「……お、おい!
お前ら……」
狼狽した様子のザメラシュに、彼ら随行の者たちは強い目線を送りながら、こういった。
「若。
これ以上、生き恥を晒すよりは……」
「ええ。
ここで戦死すれば、少なくとも憂国の士という名は残ります」
「ご心配召されるな。
われらも最後までお供いたします」
部族民の社会も理想郷ではない。「無能な族長」という存在は別に珍しくはなかった。ただし、そうした者たちは分をわきまえて有能な部下の判断に従うことを知っていた。
このザメラシュは、自分の才覚をわきまえずになにかと口を出し、ここぞという肝心なときに判断を間違う傾向がある、「無能な働き者」タイプの長だった。
少なくとも、それが身近な者たちの評価であった。
すでに出陣の準備を整えていた他の兵たちの手前、おおっぴらに抵抗するわけにもいかず、ザメラシュはなす術もなく鞍の上へと押しあげられることとなった。
「……さあ、ザメラシュ殿!」
ダドアズ・ドズアは少し離れた場所から、そう声をかけた。
「あとは出陣の号令を!」
黒旗傭兵団団長みずから出陣しなければならないほどの報酬は貰っていなかった。
それ以前に、今回の出兵は、
「ただひたすら、国境を越えて緑の街道をまっしぐらに進んでいく」
というだけの単純な作戦である。
自分の命を惜しまなければ、誰にでもできる簡単に実行可能な作戦だった。
一定の兵力が国境を越えてみせれば、他の二の足を踏んでいる部族民たちも呼応してあとに続くはずである……というのが、ザメラシュの見立てであったが……この見立てに賛同する者は、この時点では発案者以外には皆無だった。
「……と……」
ザメラシュ・ホマレシュは、泣き笑いの表情になりながらも、なんとか全軍に聞こえるような大声を出すことに成功した。
「……突撃!」
こうして、「ザメラシュの吶喊」は実行に移された。
そのときの声は、すでに夜半を過ぎて静まりかえった戦地に響く。
「……何事ですか?」
中央委員のアリョーシャは、他の族長たちと撤退作戦の詳細を打ち合わせをしている最中にその物音を聞いた。
「まだ確認中ですが……どうやら、ザメラシュ殿が有志を募って敵襲を敢行した模様です!」
そう聞いたアリョーシャは、しばし絶句したあと、
「……そこまで愚かな子だとは思いませんでした……」
と漏らしたという。
「……何事ですか?」
その物音が届いたとき、バグラニウス・グラウデウス公子は自分の天幕内で書類に目を通していた。
「まだ確認中ですが……どうやら、ボバタタス橋から聞こえてくるようです!
おそらく、敵襲かと思われます」
「警護を固めてください」
このときのバグラニウス公子は、迎撃の命令は発しなかった。それは司令部が下すべき命令であったからだ。
「……それにしても、今頃……ですか」
そういって、バグラニウス公子は静かにため息をついたという。
「敵の中にも、空気や状況が読めないご仁はいるようですね……」
ボバタタス橋中央付近に設置された昼餐会用の長卓は、あっさりと突破された。
まさか停戦交渉の最中に侵攻作戦を発動するとは誰も想定しておらず、多少の警護の者が配置されていたとしても、あくまで儀礼的な意味合いでしかなかった。装備も、見栄えはするもの実用性には欠ける華奢なものしか持っていなかった。
二千の騎兵からなるザメラシュの私兵たちの姿を確認すると、警備兵はすぐに橋の両脇に移動し、その進路から退いた。これは別に彼らが勇気に欠けていたからではなく、「万が一、大量の敵兵の襲来にあったとき」はそうするよう、という規定された行動規範に従っただけである。
このときの橋の上は、警護の兵以外には無人の状態であり、命を懸けてまで守るべき価値があるものなどなにもなかった。
こうしてザメラシュの兵は、なんの障害もなく王国領へと侵攻を果たした。
ボバタタス橋付近の厩舎内にいたヴァンクレスたちにも、その物音は耳に入った。
意外なことに、真っ先に反応したのは、たまたま厩舎を訪れていた老人だった。
壁に掛けてあった鞍を取り、ざっと見渡して一番体格のいい黒馬に乗せようとしたところで、
「……ちょっと待った!」
と、ヴァンクレスに制止された。
「そいつは、おれ以外が乗ろうとすると暴れ出すんだ!
悪いことはいわねえ。乗るんなら、他の馬にするんだな!」
「……そうか。なかなかいい馬だ」
老人はすぐに隣の馬に鞍を乗せ、轡もかけて、仕切にしていた棒を外す。
「出るのか? 爺さん」
ヴァンクレスが声をかける。
「変事である」
老人の答えは短かった。
「出ないで居られるか」
そしてその老人は、身軽な動作でその馬に乗った。
「敵襲か!」
ヴァンクレスも、相好を崩して吼えた。
「だったら、おれもいく!」
そしていそいそと、出撃の準備をはじめた。
「先に出るぞ」
馬に乗ったまま出口付近に立てかけてあった騎兵槍を取り、老人……ディグスデオドル・ベレンティア公爵は夜の闇の中に馬を進めた。
ベレンティア公が乗った軍馬は、橋を渡っている最中であったザメラシュの私兵の横腹に食らいつく形となった。
ベレンティア公は縦横に槍を振るい、瞬く間に部族民の騎兵を数名、血祭りにあげた。
老いたといってもベレンティア公は四十年以上、国境を守り続けてきた古強者であり、現在対峙している敵兵たちとは踏んできた場数からして違っていた。なにしろベレンティア公は、今、ベレンティア公の目前にいる兵たちが影も形もない頃から、継続して戦い続けているのだ。
まだまだ、思っていたよりも体が動くな……と、ベレンティア公は自分の動きを客観的に評価する。
こうして前線に出るのは、久方ぶりのことになる。戦場での勘働きは、まだまだ錆びついていないようだ。
ベレンティア公は黙々と槍を振るい続け、槍が届く範囲の敵兵を屠り続けた。
敵兵の軍に穴があき、ほとんど分断されようとしている。
ベレンティア公の槍捌きは鋭く、経験が浅い敵兵では対抗できなかった。
しかし、部族民たちも馬鹿ではなく、時間が経つにつれ、徐々に包囲されていった。そののちに、矢を射かけられるようになる。
もともと、山岳の馬は平原の馬よりも体格が劣り、馬術の方も、槍を使うよりも弓による攻撃を得意としていた。
「こんなところで足止めされている場合ではない!」
敵兵のひとりが、そんなことを叫んだ。
「たかだかそんなじじいひとり、とっとと片づけろ!」
その敵兵の頭部が、次の瞬間には吹き飛んでいた。
文字通り、吹き飛んだのだ。
付与魔法のかかった大槌に一閃されて。
「なに考えてんだ、爺さん!」
大槌を振るい、周囲の敵を薙ぎ払いながら、ヴァンクレスが叫んだ。
「こんな大軍相手にひとりで出ていったら、囲んでくれっていってるようなもんじゃねーか!」
総司令官の身でありながら前線に出ようとするベレンティア公、それに、子細もわからずに出撃したヴァンクレスなども、一種の愚者であるといえよう。




