使節団の休憩風景
ヒナアラウス・グラゴラウス公子の一行がルアを伴って使節団の天幕に帰ってきたとき、ちょうどバグラニウス・グラウデウス公子も会談の場から帰ってきていた。
「そちらの首尾はどうですか?」
ヒナアウルス公子がバグラニウス公子に問いかける。
「まだ、互いが欲するところを表明しただけの段階で、首尾もなにもあったものではないですが……。
それでも、感触としては悪くはなかったですよ」
バグラニウス公子は静かな口調で答える。
朝の会見が終了し、本格的な昼餐会がはじまるまでの合間であるこの時間は、バグラニウス公子にとってもつかぬ間の休憩ということになる。
「こちらの要求が予想外だったらしく、かなり驚いていらして、これから中央委員に正否を問い合わせるそうですが……。
中央委員がこちらの要求を断固はねのけたら、彼らはどうでるのでしょうね?
まさか、玉砕覚悟で全軍突撃とかはしないと思いますが……」
「彼らには、部族単位での自決主義を掲げていますから、最悪の場合でもそれはないでしょう」
ヒナアラウス公子はそういって肩をすくめる。
ヒナアラウス公子が知っている程度の知識は当然、バグラニウス公子だって知っているはずであり、つまりこれはバグラニウス公子流の冗談なのだ。
「そういう流れになったら、敵軍に到底勝ち目がないことを呼びかけて、その上で解散するなりこちらに帰順するなりを選ばせましょう。
全軍がこちらのいうことを信じるとも思えませんが、何割かは敵の数を減らせるはずです」
「そのあたりが、現実的な対応なんでしょうね」
バグラニウス公子も、ヒナアラウス公子の言葉に頷く。
「ときに、そちらの女性が例の捕虜になるわけですか?」
「ええ」
ヒナアラウス公子は頷く。
「洞窟衆が押さえていた、ルシアナの関係者だそうです。そうした捕虜は他にも何人かいたそうですが、ルシアナのことをよく知っている捕虜といえば、この人になるそうです」
「ルシアナのことをよく知っているもなにも……」
バグラニウス公子は苦笑いを浮かべた。
「……その方は、ルシアナ本人……。
いや、分身とか半身、とお呼びした方がより的確なのでしょうかね。
とにかく、ついこの間までルシアナ自身であったお方ですよ」
「……え?」
ヒナアラウス公子は、全身を硬直させた。
「おや?
君は、ブシャラヒム・アルマヌニア卿の報告書を読んでいないのですか?」
「……いえ」
ヒナアラウス公子は、ゆっくりと首を振った。
「何分、この使節団の派遣自体が急遽決定したことですし、他にも読むべき文書も多く……」
「ブシャラヒム卿の報告書に、ルシアナの正体が推察として書かれていました。
われわれは、歴代のルシアナと名乗る者たちを、特定の身分を襲名によって引き継いでいるものと解釈していました。
ですが事実はもっと単純で、彼ら全員が、まぎれもなくルシアナその人だったのです。
ルシアナその人……というよりは、ルシアナと呼ばれていた存在を構成する部品であった、というべきなのでしょうか。
とにかく、ルシアナとは、大蜘蛛と人間による共生によってはじめて存在することが可能であった、かなり特殊な知性であったようです。
ブシャラヒム卿の報告書の中では、そのような仮説が提示されています。この仮説も、ブシャラヒム卿らしくない考察を多分に含んでいますので、誰から入れ知恵をされたのか、それとも聞いた内容をそのまま書き写している可能性が多いわけですが……」
「ちょ……とっと待ってください!
バグラニウス公子!」
ヒナアラウス公子が、慌ててバグラニウス公子の言葉を遮る。
「それでは……こちらの女性が、その大蜘蛛とやらと組んでルシアナという存在を演じていたと……そのようにおっしゃるのですかっ!」
「演じていた、というよりも、ルシアナそのものであったんでしょうね。
大蜘蛛と共生していたときは。
歴代のルシアナたちがそうであったように」
バグラニウス公子は、静かに告げる。
「そこに本人がいるのですから、実際のところは本人にただしてみるといい」
ヒナアラウス公子が背後にいたルアを振り返ると、ルアは優雅な挙動で一礼し、
「そこの方がおっしゃっている通り、かつて、ルシアナであった女です」
と挨拶をした。
「今ではルアと名づけられ、名乗っておりますが」
「あら、バグラニウス公子。
休憩ですか?」
ヒナアラウス公子が目を白黒させていると、マヌダルク・ニョルトト姫が天幕に戻ってきた。
「ええ。
公使たちの反応はいかがですか? マヌダルク姫」
「半信半疑、といったところでしょうか。
連合の弱体化や王国の勝利に対して疑問に思いつつも、願望混じりでこちらのいい分を信じようとしているように見受けられます」
「今の時点では、正常な反応だと思います」
バグラニウス公子は、軽く頷いた。
「ルシアナ崩御の報が届いてからいくらも経っていませんしね。
幸いなことにわれわれには、ブシャラヒム卿をはじめとして信用のできる報告者が何名か居ました。が、彼らは伝聞という形でこの報告を得たわけですから、無条件にそれ信じろという方が無理でしょう。
そうした不確かな情報を鵜呑みにするような方は、まつりごとにはむいていません」
「あとは、連合の出方次第というわけですね」
マヌダルク姫は、バグラニウス公子の顔を見あげて、確認してくる。
「そちらの様子はどうでしょうか?」
「こちらの要求を過大なものだとはいっていましたが、それでも呑むしかない状況だということは理解しているようです。
アリョーシャ殿の一存では決めかねるので、中央委員会に問い合わせをしてそれの返答待ちという段階ですね。
おそらく、条件の緩和を求めてくるだろうとは予想しています」
「賠償金額の引き下げには応じても、領地の分割案については妥協なさらない。
そんな、おつもりなんでしょう?」
マヌダルク姫は悪戯っ子のような表情を浮かべる。
「むしろ、トンネルまでの緑の街道をすべてを王国が押さえることこそが、今回の交渉の本命。
賠償金などは、相手に対して譲歩をした、というポーズを作るためにあえて過大な金額に設定してあるのだと思いますが……」
「さてね」
バグラニウス公子はそういって軽く肩をすくめてみせた。
「わたしは、優秀な官僚たちがあげてきた草案を読みあげるだけのお飾りですから」
「バグラニウス公子がそうおっしゃるのなら、そういうことにしておきましょうか。
それで、そちらの方は……」
マヌダルク姫は、今度はヒナアラウス公子の背後にいたルアに視線をむける。
「例の、ルシアナのよりしろであった方、でよろしいのかしら?」
「今では、ルアと名乗っております」
ルアは先ほどと同じように優雅に腰を屈めてマヌダルク姫に挨拶をした。
「見ての通り、なんの取り柄もない人間の女になり果てた身ですが」
「ブシャラヒム卿の報告書は読みました」
マヌダルク姫は、興味深い観察対象に視線を据えてそう尋ねた。
「大蜘蛛の半身、分身……なんとお呼びすればいいのかわかりませんが、とにかくそういうものであったとは、どんな心持ちになるものなのでしょうか?」
あくまで、純粋な好奇心から発した問いであるらしい。
その証拠に、マヌダルク姫の表情には蔑みの陰がない。
「一体であったときは、それが当たり前の状態だと感じておりました」
ルアもまた、マヌダルク姫の顔をまっすぐに見返す。
「大蜘蛛のルシアナが没した当初は、体や頭の大部分を一気に失ったような気分になり、かなり心細くも感じたものですが……今となっては、自分自身の体だけでこの場にあることに、慣れつつあります。
いえ、慣れていかねばならないのだと、そう思います」
「ルシアナの一部であったときの記憶は、どこまであるものなのですか?」
マヌダルク姫は、問いを重ねる。
「それと、一体になっていたときは、どこからでが自分の考えで、どこからがルシアナの考えであるのか、判別がつくものなのですか?」
「自分でも判然とはしない部分も多く、確としたことはいえませんが……ルシアナが持っていたはずの膨大な記憶のほとんどには、もうかなり霞がかかっております。綺麗に消え去った記憶も多いのでしょう。
今となっては、この場にこの身で体験したことのみ、はっきりとおぼえているようです」
ルアは、生真面目な表情で答える。
「それと……どこからどこまで、という問いについては……。
姫様は、なにかものを思うとき、ご自分の体のどこの部位で思っているのか、普段から明瞭に意識をなさっているのでしょうか?」
「そういえば、そんなことは考えたことさえないわね」
マヌダルク姫は、納得した表情になって頷く。
「あなたの説明は、実に頭に入りやすい。
わたくしは、頭のよい方を好みます。それが若い女性ならば、特にね。
貴女、このままわたくしに仕えない?」
「……この身は洞窟衆の虜囚にて、わたしの一存ではお答えかねます」
ルアはそういって、また腰を屈めて一礼をする。
「そのようなわがままをいうものではありませんよ、マヌダルク姫」
バグラニウス公子が、助け船を出してきた。
「それに、洞窟衆はたまたま森林州公の領地にいたから出陣を要請されていただけで、王国の正式な臣下というわけでもありません。
そのような無理な召しあげは、トラブルのもとです」
「……まあ!」
マヌダルク姫は目を見開き、本気で驚いた顔をしていた。
「そうでしたの!
ブシャラヒム卿とともにたった十名でルシアナ討伐を果たしたというから、わたくし、てっきり、うちの司令部が破れかぶれで無茶な指令を出したものだとばかり……。
でも……そうすると今度は、その洞窟衆の立場というものが、かなり微妙なことになるのではないですか?」
「微妙……というか、参戦した他と王国臣下との兼ね合いが、かなり難しいことになってきますね」
バグラニウス公子は肩をすくめる。
「彼ら、洞窟衆がこのいくさであげた戦功は、あまりにも大きすぎる。
ルシアナ討伐だけでも周辺諸国から公式に謝意を表されるだけの偉業であるのに、それ以外にもいろいろとやっていますからね。
でも、正式な臣下でない彼らが真っ先に評価され、戦功を認められるとなると、今度はそれが気にくわない人たちも大勢出てくることでしょう」
「まるで他人事のようないい草ですね、バグラニウス公子」
マヌダルク姫は指摘した。
「事実、他人事ですからね」
バグラニウス公子は、柔らかな笑みを崩さずに淡々と答えた。
「わたしの担当は外交です。
このいくさに関することはこの地の総司令部が、洞窟衆そのものの処遇については王宮が考えることです」
そんな会話をしている間に、当の「洞窟衆のハザマ」がこの天幕に到着したことを告げられた。
「……ちょうど話題になっていた方ですね。
ずいぶんとタイミングがいいこと。
バグラニウス公子、計りましたか?」
「まさか」
マヌダルク姫にそういわれ、バグラニウス公子は軽く首を振る。
「敵中央委員のアリョーシャ殿が、ルシアナを討ち果たした勇士を直に見たいと、そう所望されまして。
それで使いをやって、ご足労いただいたところだったのですよ。
……ハザマくんには、そのままこちらに入ってくるよう、手配してください」
最後のは、ハザマの来訪を告げに来た下働きの者への指示であった。
「かなりの人数を伴っておりますが、その方もご一緒にこちらへ……でよろしいのですか?」
「かなりの人数? 護衛ですか?」
バグラニウス公子は、不審な表情になって首を傾げた。
「ルシアナ討伐の勇士とは思えませんね」
「それが、その……ハザマ様以外は、皆、年端もいかない女子どもばかりでして……。
一応二名ほど、武装した少女もいましたが……」
「年端もいかない女子どもばかり……ですか?」
バグラニウス公子の顔に、笑みが広がる。
「それは……興味深いことです。
どういう事情でそういうことになっているのか、是非お聞きしたいものですね。
いいでしょう。
ハザマくんが伴ってきた皆さまは、そのまま全員こちらまでお連れしてください」
バグラニウス公子は、ハザマや洞窟衆については各種の報告書に書かれていることしか知らなかった。
最初は、具体的な証拠は欠けるものの、計画的に軍の輸送隊を丸ごと強奪したらしい疑いがかけられた集団として。
そののちに、渡川作戦やルシアナ討伐などの功労者として。
これらの報告書にある洞窟衆の姿は毀誉褒貶の差が激しく、どうにも実体が想像しづらかった。
その実物に対面できるというのなら、これは洞窟衆なりハザマなりの実体を掴むための、いい機会なのではないだろうか?




