バツキヤの哄笑
ルエナ公国、バットキルア、ハイナンザス、ドリシア、ガッドラッド、ドンナルハラその他の小国がいくつか。
それだけの国の公使が、魔法使いや護衛を伴いながら野営地の片隅に集っていた。
王国と直接国境を接しているのは、そのうちの三カ国、ルエナ公国、バットキルア、ハイナンザスだけだった。どれも王国と比較すれば領土も狭く、王国の公爵領地程度でしかない。軍事力も経済力も王国とは比較するまでもない小国といえたが、それでもこれまで独立を保っているわけだから、為政者たちはみな、それなりに狡猾であった。
敵に回せばそれなりに苦戦する相手ばかりだったが、今は味方として王国側に招かれている。
なにより、これらの諸国には、過去何度も山岳民連合に国境を侵され、苦渋を舐めてきたという過去が共通していた。
今回の通商条約は、事実上、王国を盟主とした対山岳民連合の結成であるといっても過言ではなかった。
「今回の紛争は、いつになく派手になってしまったようですな」
「どちらも引っ込みがつかなかったんでしょう」
「それにしても、王国の軍勢たるや……」
「この権勢は、素直にうらやましいものですな」
「いやはや、まったく」
「これもベレンティア公の人徳がなせるわざ……」
各国の高官たちが、王国の宮廷料理人が用意した贅を凝らした料理に舌鼓をうちながら歓談している。一見、世間話に興じているようにみえたが、その実、歓談の相手の本音を探り、牽制しあう、歴とした外交活動の一環であった。
「ご挨拶が遅れました。
当国王家名代を務めさせていただく、ニョルトト家のマヌダルクという者です」
盛装したマヌダルク姫が背筋を伸ばし、凛とした声でそう宣言をした。
各国の公使たちの視線が、マヌダルク姫に集中する。
若い。
若すぎるくらいの年齢ではあっったが、そこにいるマヌダルク姫は、すでに領地を一身に背負っていることを自覚している者特有の気迫を備えていた。
「このたびは王国の招きに応じてくださいましたことに、まずはお礼を申しあげます。
このような会合の場を設けたのは、他でもありません。
書面にて通知させていただいたとおり、通商条約の締結と王国領土内に皆さま方のお国方が安心して居留できる場所を提供したく、提案させていただいた次第でございます」
「確かに、大国である貴王国の内部に居留地が設けられれば、われらとしても望ましいことになるわけだが……」
バットキルアのデダノン伯爵が、マヌダルク姫に応じる。
「……果たして、思惑通りにいきますものでしょうか」
「必ずや、勝ち取ってお見せします」
マヌダルク姫は毅然として言い放つ。
「山岳民連合は、近い将来、山間の小国になるでしょう。
いえ、我々がそうするのです」
「とりあえず、停戦にあたっての両者の意見はこれにて出そろったことと思いますが」
バグラニウス公子はアリョーシャにむかってそういった。
アリョーシャは完全に表情を消しており、なにを考えているのか読みにくい状態だった。
「……このような条件をわれらが呑むと、お思いですか?」
しばらく黙り込んでいたアリョーシャが、ようやく口を開いた。
「この条件を呑まなければ、いくさを続行するまでです。
われわれは、貴国の停戦要請に応えて相応の条件を出しました。
ですが、これも決して強制するつもりはありません」
バグラニウス公子は、平静な声で続ける。
「ただ……これまで、八大貴族のうち三家だけを相手にしている状態で、今の調子です。
これ以上、このいくさが長期化することがあれば、他の王国大貴族たちも本格的に参戦してくると思われますが、山岳民連合におかれましてはその覚悟はおありでしょうか?」
これは、かなり意地の悪い言い方だった。
ルシアナ亡きあと、山岳民側の輸送能力は壊滅的な打撃を受けている。
他の大貴族たちの進退はどうあれ、どのみち、これ以上の長期戦に耐えられるとも思えなかった。
これでバグラニウス公子は、なんとしても短期終結を急ぎたい山岳民側に対して、王国側はまだまだ余力があるという事実を突きつけた形になる。
「いえ、このいくさは、なんとしても急ぎ終わらせねばなりません」
アリョーシャは、特に口惜しそうな様子もなく、淡々とそう告げる。
「ただ、ここまで膨大な賠償金とここまで大胆な領土分割を求められることは想定していませんでした。
わたくし一人の独断では判断がつきかねるので、他の中央委員にも相談の上でお返事をさせていただきたく思います」
「それは結構ですが……あまり長くは待てませんよ。
わたくしどもも暇を持てあましている身ではありませんし、その他の客人たちの相手もしなければなりません」
「他の客人たち……ですか?」
アリョーシャは、軽く眉根を寄せた。
「この戦地に?」
「ええ。
こたびの通商条約終結を記念して、参加国の方々をこの地にご招待させていただきました。
今頃、ニョルトト家のマヌダルク姫がお相手をしているはずです」
「もう……そこまで、進んでいるのですか?」
「機を見るに敏。
外交とは、つまるところこの一行に集約されます。
地道に収拾した情報に基づき、即断すべきときは誰よりも速く判断し、動かねば意味がありません」
バグラニウス公子は、穏やかな口調でそう告げた。
「その点、うちの閣僚たちは優秀ですよ」
言外に、
「国境を接する国々との間には摩擦関係しか生んでこなかった山岳民連合とは違うのだ」
と、いっているようなものだった。
「ご提案の件については、伝令師を使って、至急、中央委員に伝え、折り返し、決定をそちらにお伝えましす」
バグラニウス公子の皮肉には気づかぬ風で、アリョーシャは話題を変える。
「その前に……ひとつ、お願いをしてもよろしいでしょうか?」
「お願い、ですか?」
バグラニウス公子は、薄い笑みを浮かべた。
「応じることができるお願いであるかどうか、実際に聞いてみなければなんともいえませんが……。
どうか、お手柔らかにお願いします」
「いえ、さほど大層なことでもないのですが……大ルシアナを倒した勇士が、今、この王国軍陣中にいると聞いております。
たしか、洞窟衆のハザマという名でしたか。
わが連合にも甚大な影響を与えた方です。
一度直にお目にかかる機会を与えてくださいませ」
叩き起こされたバツキヤは洞窟衆の者たちに囲まれ、引っ立てられるようにして川を渡り、王国軍の野営地を縦断して洞窟衆の天幕へと移動した。もちろん、徒歩で、である。
その際、バツキヤはバクビェルの千里眼越しにではなく、はじめて自分の肉眼で王国軍の野営地を見ることになった。
王国軍兵士たちは、誰もが薄汚れた格好をしており、血のにじんだ包帯を体のどこかに巻いている者が多かった。
しかし、外見の薄汚さとは対照的に、誰もが活気に溢れている。
陽気に声を掛け合いながら、仲間の死体を片づけたり、獣の死体から毛皮を剥いだり内蔵を取ったり、あるいは切り分けた獣肉を火で炙って飲食をしていたりした。
皆、奇妙に明るい。
いや、昨夜の、それにこれまでの戦場での惨状を考えると、あえて明るく振る舞っていなければ、正気を保てないのかも知れなかった。
バツキヤは、昨夜、発見された王国軍兵士にいわれた言葉を頭の中で反芻する。
確かに……山岳民連合も、王国も、もう十分な死者を出し過ぎているのだ。
やがて洞窟衆の天幕の中に案内されたバツキヤは、そこで一人の男と対峙することになる。
「あんたが……君が、新しい捕虜かあ」
その男は、バツキヤの顔を見るなり、軽く顔をしかめた。
「なんか、こう……年端もいかないのが相手だと、どうにもやりにくいもんだなあ。
君には、ルシアナの子らと呼ばれる集団の一員じゃないかいかという疑惑……いいや、ほとんど確信に近いものを、こちらは持っている。いくらなんでも状況証拠が揃いすぎだ。
一方で、君が戦闘能力に特化したタイプでないだろうということも、推測がついている。
あまり手荒な真似をしたくないんで、どうか素直に答えてもらいたいんだが……君はどういう能力を持っていて、あの山岳民軍の中でどういう役割を果たしてきたんだ?
そういったことを、どうか正直に説明して貰いたい」
「今の自分は捕虜ですから、指示されたことに逆らうつもりはありません」
バツキヤは即答した。
もともとバツキヤは、山岳民連合に対する帰属意識を欠いている。
自分が知っている情報をすべて漏らしたとしても、なんの罪悪感も持たない自信があった。
ただ、その前に……。
「その前に、ひとつ、確認させてください。
あなたはトカゲ男……大ルシアナを倒した、あの洞窟衆のハザマなのですか?」
「トカゲ男……」
そうきいたハザマは、苦笑いを浮かべる。
「そんな風に呼ばれているのか、おれは。
ああ、確かに。
おれがその、洞窟衆のハザマだ。
間違いはない」
バクビェルの千里眼で見たときは、だいたいレザーアーマーや兜で身を包んだ姿だった。
今こうして、粗末な平服を着て、たぶん、兜を脱いだまま手入れをしていなからだろう、幾房かの髪の毛が明後日の方向に跳ねている黒髪黒目の男は、想像の中の「トカゲ男」とはだいぶん、雰囲気が違う。
もっと厳つい、怖そうな人間を想像していたのだが……実物はなんかどこにでもいそうな顔つきの、ちょっと気が抜けたような顔をした若者だった。
こんな男が。こんな男に。こんな男のために。
バツキヤは、胸中で荒れ狂う複雑な感情を処理しきれず、顔を伏せてしばらく肩を振るわせていた。
「……もうひとつ、お聞かせください」
バツキヤは、震える声を必死に制御して、言葉を絞り出す。
「あなたは……なぜ、ルシアナを討伐しようなどと思い立ったのですか?」
「んー……強いていえば……」
ハザマは、自分の顎に手を当てて、なにやら考え込む顔つきになる。
「気にくわなかったからだな」
「……気にくわなかった?」
「だってそうだろう。
ルシアナってやつは、人体実験を繰り返していたんだぜ。
おれはたまたま、水妖使いを通じてそれを知ったんだがな。
こちらではどうだか知らないが、おれの生まれ育った所では人権ってもんが大層価値がある、大事なもんだってことになっている。
おれ自身も、そう教えられて育ってきた。
だから、そんな他人の生をおもちゃにするやつは許してはおけないって思って、気がついたら討伐の準備をしていた」
ハザマの説明が、わんわんとバツキヤの脳裏に谺する。
「……気にくわなかった……から?」
バツキヤは、機械的に問い返していた。
「おお、そうだ。
結局は、その一言に尽きる」
なんということだ……と、バツキヤは思った。
ただそれだけの動機であの大ルシアナに対抗しようと思いたつ者が、実際にいるなんて……。
当然のことながら、バツキヤの想像の埒外にある回答だった。
「なんか、こう……政治的な思惑とか、背景とか……ないんですか?
そういうのが?」
「ないな」
ハザマは、キッパリといい放つ。
「この戦争にだって、参加したくはなかったくらいだし。
今後の洞窟衆のことを考えると、この国の上の人たちに恩売っておいてもいいかなー、と思ったからここにいるわけだけど……」
なんという……はた迷惑な!
バツキヤはそう思い、ついで、不意に笑いの発作に捕らわれて、その場で爆笑した。
なんと、滑稽な。なんと、空廻りな。
この男は……決して、邪悪な存在などではない。
邪悪というのなら、ルシアナの過去の所行や、それに平然と兵士たちを死地に追い込む山岳連合や王国の上層部の方がよっぱど邪悪な存在だろう。
少なくとも、われわれルシアナの子らが、血眼になってつけ狙うような存在ではない。いや、そんな価値もない。
この男は……いわば、天災みたいな存在だ。理不尽ではあるが……ただそれだけだ。悪意は、ない。
強力な力を持ちながら、自分の機嫌や感情のままにそれを振るう。
そんな気まぐれな存在に本気で刃向かったとしても……得るところは、なにもない。
その結果、多くの仲間たちが……自滅した。
われわれは……こんな男など放置して、最初から与えられた使命にだけ勤しんでいればよかったのだ。
そうしたら、散っていった仲間たちにも、また別の結末が用意されていたことだろう。
笑いながら、バツキヤは……胸中のわだかまりが急速に霧散していくのを感じた。




