暗闇への落下
ハザマは逃げた。逃げるしかなかった。
どんなに身体能力が底上げされていても、降りかかる矢の雨を平然と受け止めた上で無事でいられる自信がない。
いや。
以前、ルゥ・フェイの頭蓋骨と喧嘩させた拳があっさりと骨折したことからもわかるように、体の強度自体は以前のままなのだ。
矢の弾幕をまともに受けたら、試すまでもなく剣山のような姿になって即死だろう。
そうならないために、ハザマはゼスチャラの通信を聞きながら、必死になって逃げ回った。
矢とは別に、トウテツという脅威も存在するのであるが、こちらはというとハザマの動きについてこれず、右往左往していた。それでもしつこくハザマを追ってくるので矢の猛攻にさらされるわけだが、憎たらしいことにトウテツの体表は見た目の通りかなり硬いらしく、すべての矢が弾かれていた。
トウテツについては、下手に動き回って他に被害を出さないようにハザマがわざと注意を引きつけていた、という側面もあるのであるが。
いずれにせよ、
「昔の宮崎アニメなみに動いているなあ、おれ」
というのが今のハザマは感想だった。
それも、世間的に巨匠呼ばわりされる前の、コナンとか初期ルパンとか犬ホームズとかでアニメーターとしてはっちゃけていた時期の宮崎だ。
実際にやってみて思ったのは、こういうのは観客として楽しむのがいいんであって、自分自身でやるもんじゃないな、とも思った。
『ええっと……今どこだ?
とにかく、もう一丁くるぞ!』
「役にたたねーフォローどーもぉっ!」
あまりにもハザマが激しく動くもので、ゼスチャラはしばしばハザマの現在地を見失った。
それでも、矢が来るタイミングを事前に報せてくれるのは、ありがたい。
矢が飛来するタイミングで避ければいいからだ。
「こんどは……道なりかよ!」
矢の出現を自分の目で確認し、ハザマは叫ぶ。
叫びつつ、ハザマは緑の街道から飛び退いて野営地の中に身を踊らせた。
幸い、すでに退避したあとなのか、周囲に人影は見えなかい。
ハザマが跳躍した直後に多数の矢が飛来し、ハザマのあとを追いかけてきたトウテツに当たって乾いた音をたてた。
もちろんトウテツにダメージはなく、地響きを立ててハザマを追って野営地に入ってくる。
当然、ハザマは逃げる。
周囲の天幕を踏みにじりながらハザマのあとを追うトウテツたち。
「……だー、もう!
キリがねぇ!」
ハザマは、叫んだ。
「ゼスチャラ!
お前の魔法でなんとかできないのかっ!」
『さっきからやろうとはしているんだけどな。
ただ、その、矢の方にも気をつけていけなくて、なかなか精神が集中できずに……なあ。
わかるだろう?
魔法ってのは繊細なもんだから……』
「ごたくはあとにしろっ!
あー、もう!
この役立たずがぁ!」
矢とトウテツ、どちらか一方だったらハザマとてこれほど余裕がないことにはならないのだが……。
とか、騒いでいる最中に。
どん、と、腹の底に響く重低音がして、ハザマに迫っていたトウテツの一団が吹き飛んだ。
……なんだ!
と思いかけ、すぐに、
「攻撃魔法に決まっているじゃないか」
と、思い直す。
「わははははははっ!」
遠くから笑い声が響いてきて、それはすぐ間近に迫ってきた。
馬蹄の音とともに。
「待たせたな、大将!」
「……ヴァンクレス!」
ハザマは、叫ぶ。
「久しいな、大将!」
応答しながらも、ヴァンクレスは駒を進めるのを止めず、大槌を振るってトウテツに打ち下ろし続ける。
なにかの付与魔法がかけてあるのか、大槌の頭は光を放っているように見えた。
それが、夜目にも白く弧の形に軌跡を描きながら、トウテツの体を粉砕していく。
その人馬を脅威と見なしたのか、トウテツたちがヴァンクレスの馬の方に集まりはじめたが、その真ん中で、また爆発が起こった。
「ヴァンクレス。
お前、魔法を使えるようになったのか?」
ハザマは、遠くから声をかける。
「まさか!」
ヴァンクレスは、快活な声で答えた。
「ちょうどいい魔法使いを拾っただけだっ!」
「……拾った……」
ハザマはその場で、こめかみに手をあてる。
「そこいらに落ちているようなもんなのか?
魔法使いってやつは……」
「詳しいことは、あとだ!
こんなところで油を売っていると、ファンタルの姐さんにどやしつけられるぞ!」
ここはおれに任せて、先を急げ!
手を休めずに、ヴァンクレスは叫ぶ。
「……それもそうか。
そんじゃ、あとは任せた!」
軽い調子でそういい、ハザマは身を翻し、そのまま野営地の闇に紛れてしまった。
あっという間に闇に紛れたハザマの背を、スセリセスは鞍の上で見送った。
暗い上、実際にハザマがそばにいたのはごく僅かな時間でしかなかったため、顔かたちの細部までは確認できなかったが、中肉中背の、ごく普通の男性だったように思える。
しかし……その「ごく普通の男性」に見える者が実際にやったことを見てみると、絶句するのであった。
そこいらにゴロゴロと転がっている、体が金属でできた獣の死骸。それらはだいたい、共食いによって盛大に食い散らかされたあとだったが、僅かに形が残っている死体を見ると、素手で首をねじ切られていたりする。
いったい、どれだけ怪力なんだよ!
とか思うわけだが、いいや、それ以前に、これだけ多くの金属獣を相手にほぼ単身で死体を量産していること自体がすでに尋常ではない。
ヴァンクレスはというと、スセリセスの胸中など知った風でもなく、ご機嫌な様子で大槌を振るい、残った獣を一体一体、解体しているところだった。
暗い中、そこいらに獣死体が放置され足場がかなり悪いのだが、ヴァンクレスはそんな悪条件をものともせず楽々と前に進み続けている。
スセリセスも、攻撃呪文を詠唱しては金属の獣に放っていた。今回は、高熱の呪文だ。高熱を獣の体内に発生させると、流石の金属獣も動かなくなって口や鼻から煙を吐くようになる。
金属でできていようが肉でできていようが、内部の機構をある程度破損すれば機能を停止するすることには変わりがない。体が金属でできている分、スセリセスが見知った獣よりは頑丈にできているようだが、攻撃魔法の前にはその頑丈さもあまり優位には働かなかった。
ゼスチャラは闇の中、激しく動き回ってトウテツを始末して回る人馬をみていた。
いや、正確にいうのなら、ゼスチャラ自身も安全な場所に身を潜めた上で、トウテツ退治に参加してはいたのだが、さきほどまでいたハザマや今、目前にいる人馬ほど効率よく獣を狩ることができていない。
実際に目の当たりにしてみると、洗練されておらず力任せなばかり、それでいて実際にはどうにかなってしまうハザマの戦いようにもかなり唖然とさせられたものだったが、この人馬もなかなかどうして、相当なものだ。
ハザマが「ヴァンクレス」と呼んでいたのは、大槌を振り回している大男の騎手のことだろう。
縦横に大槌を振り回して次々とトウテツを片づけていくこの男の振る舞いだけでも相当なものだが、この大男に手を貸している者が別にいることに、ゼスチャラはすぐに気づいた。
なんといっても、大槌に複数の付与魔法を定期的にかけている者がいるわけだし、それに、ときおり、かなり大きな、ということは、この場合、かなり大きく魔力を消費する、という意味になるわけだが、攻撃魔法を放ってトウテツを体内から壊している術者がいる。これだけ大がかりな術を何度も連発できるというのは、かなり魔力量に余裕があり、施術においても優秀な魔法使いであるはずだった。
そしてその術者は、このすぐ近くにいるはずでもあった。
そう思ってよくよく目を凝らしてみると……いた。
確かに、大男の背に、細身の子どもらしい人影がしがみついている。
……あんなガキが……。
と、ゼスチャラは別の意味で唖然とする。
ゼスチャラ自身とは比較もできない魔力量。
これだけの修羅場にいながらもまったく動じた様子が見られず、大男の大槌への付与魔法が切れないように気を配りながら、自分でもかなり大きな攻撃魔法を連発している。
本職の魔法兵でも、これだけ手慣れている者はさほど多くはないだろう。
それを、あんな小さな子どもが行っているというのか?
ゼスチャラは暗闇の中で、「後世恐るべし」という文句を噛みしめた。
軽佻のハダットは、三人の仲間を抱えたまま森の中に降下中だった。
軍師のバツキヤは、バクビェルとオデオツの二人の体重を感じながら、なんとかハダットの腕にしがみついている。
バツキヤは、まだ間近に迫った死の恐怖に震えていた。
なんといっても、トグオガの首が断たれた場面を間近に目撃してしまったし、それ以外にオデオツやハダットがクロスボウで射かけられたところもちらりと見ている。
あのとき、ハダットは「呪詛矢」とか、いっていなかったか?
だとすれば、それで狙われていたオデオツやハダットは、まず助からない。
おそらく、真っ先に自分自身の体を盾にしてバツキヤを助けようとした、バクビェルも。
バツキヤの心配を裏付けするように、背中に密着しているバクビェルとオデオツの体から、徐々に温もりが失われていくような気がした。
一歩間違えれば、いや、バクビェルが庇ってくれなかったら、自分自身の命も危うかったということに思い当たり、バツキヤは歯の根があわないほど震えはじめた。
これまでバツキヤは、机上の作戦では人の命を数量として考えることを習慣づけていた。また、前線に足を運んだことさえ何度かあったが、これほど自分の命について、その儚さについて実感した経験はない。
これが、本当の戦場か。
と、バツキヤは思う。
これは、命を賭けるということか。
恐怖で全身を振るわせながら、バツキヤは、自分がこれまでいかに頭でっかちであったのか、と、実感した。
果たしてこんな自分に、数万とか数十万の将兵を動かすだけの資格があったのか、どうか。
とまれ、この戦場におけるルシアナの子らは、これで事実上壊滅した。
マニュルやマイマスは、運がよければ逃げ延びているかも知れない。
だが、彼女らだけでこれから暴れたとしても、王国軍に対して有効な打撃を与えることはできないだろう。
特にマニュルは、手持ちの獣のほとんどを王国軍の野営地に解き放ち、手持ちの戦力がほとんどなくなった状態になっている。
だから……ルシアナの子らにとってのこのいくさは、これで終わりなのだ。
もちろん、惨敗だった。
……そんなことをバツキヤが考えているうちに、軽い衝撃がバツキヤたちを襲った。
ハダットの能力でゆっくりと落下してたのだが、一団となって固まっていた彼らが、木の枝に引っかかったのである。
そのまま彼らは木の枝をへし折りながら、暗い地面の上へと落下していった。
その際、頭にでも衝撃を受けたのか、バツキヤは気を失った。
「……敵兵らしい人員を確保」
バツキヤが再び意識を取り戻したのは、そんな声が聞こえてきたからだった。
「ええ、そうです。
空からゆっくりと、落ちてきました。
生存者は、年端もいかない女の子が一人。
あとの三人は……全身が腐食して死亡しています。
……変な病気じゃないでしょうね? これ。
ええ。はい。
それでは、死体は念のために焼いて、女の子は捕縛して砦に連れ帰ります」
独り言をいっているのか? ……とも思っていたが、傭兵らしいいでたちのその男は、きわめて真剣な面もちをしていた。
その他、独り言の男の周囲にいた男女も、男の独り言を特に奇異なものとは受け取っていないようだった。
「……気がついたか?」
自分の方に屈み込んでいた女性が、そう声をかけてくる。
「こちらは、王国軍に協力している洞窟衆の者だ。
抵抗するのなら交戦するのもやぶさかではないのだが……もう、そういうのは止めにして貰いたいものだな。
大勢はすでに決しているし、無駄に命を散らすだけで意味がない。
そうでなくてもこのいくさでは……敵味方、両方で死にすぎている。
おとなしく捕虜になってもらえるとありがたい。
待遇はそんなにわるくはないし、傷の手当てもする」
静かな、諭すような声だった。
「……バクビェルは?」
バツキヤの喉から、まるで自分のものではないかのような、掠れた声が出てきた。
「オデオツは? ハダットは?」
「……残念ながら」
女性は、静かに顔を振る。
「君以外は、みんな、死んでいた。
それに、死体も……できれば、見ない方がいいくらいだな。
いったいどうすれば、あんな有様になるんだか……」
しばらく絶句してから……バツキヤは、幼子のように声をあげて泣き出したという。




