アズラウストの気紛れ
大槌の攻撃を受けた場所に、局所的に高熱と突風を発生させる……というのが、スセリセスがかけた付与魔法の内容であるらしかった。
詳しい理屈はヴァンクレスには理解できなかったし、する必要も特に感じていなかった。
「自分の攻撃の威力が倍増した」
という事実さえ確認できさえすれば、ヴァンクレスとしてはそれ以外の詳細はどうでもよいのだった。
「こいつは……楽でいいなあ!」
笑い声をあげながら、ヴァンクレスは次々に蟹を粉砕していく。
スセリセスは、大槌にかけた付与魔法の効果が切れる時間に気を配りつつ、地面に電撃の魔法を這わせていた。
馬が平然と踏みつぶすだけなので、ヴァンクレスは気に止めてもいないが、そちらにはびっしりと隙間なくいたちが大量発生していた。
電撃が直撃すれば、しばらくは痺れて身動きできないはずだから、あとはこの場にいる人たちでなんとかして貰おう、と、スセリセスは判断している。
『その程度のことは、そこに居合わせた者にやって貰おう』
ファンタルと名乗った洞窟衆の人も、そのスセリセスの判断を支持してくれた。
『おぬしらには、まだまだやってもらいたいことがあるからな』
「……デカいなあ」
アズラウスト・ブラズニア公子はすぐ横を走っている大猪を見て、呟く。
なにしろその大猪の背は、アズラウストの頭よりも高い位置にある。
一言でいって、巨体であった。体重など、想像したくもなかった。
当然のことながら、付与魔法で一時的に身体を強化していなかったら、とてもではないがアズラウストもこうして併走はできなかっただろう。
この大猪は気まぐれな軌道を描いてさんざん野営地の天幕を踏みつぶしたあと、緑の街道を爆走しはじめたのであった。
アズラウストは、この大猪が緑の街道に出てきたあたりから、追走をはじめている。
とはいえ、実際には持っているハルバートに付与魔法をかけるための、ごく短い時間だけなのだが。
「……よし」
短く、呟く。
アズラウストのハルバートは、今や、付与魔法によって必殺の兵器と化している。
そのハルバートを振りかぶり、大猪の前肢に叩きつけようとしたそのとき……。
唐突に、大猪が、止まった。
「……とっ。
とっ。
とっ」
付与魔法で強化した脚力で走っていたアズラウストは、急制動をすることもできずに数十メートルばかりたたらを踏んでから、ようやく立ち止まった。
そして怪訝な顔をしながら背後を振り返り、大猪を見据えた。
「……これは……」
アズラウストはしばらく考え込み、それから不意に顔をあげる。
「そうか!
これが、洞窟衆の頭領の!」
「とっ。とっ。と」
「この! この!」
「えいっ!
野郎!
おらぁっ!」
罠にかける。
毒物を使う。
相手の攻撃が届かない場所から遠距離攻撃を行う。
ごく普通の人間が野生動物と対峙して勝利できる方法はさほど多くない。
反応速度にせよ筋力にせよ、ヒトとその他の野生動物とでは、前提となる身体能力が土台から違いすぎるのだ。
「駄目だ!
はしっこくって、全然当たらねえっ!」
「数が多すぎるっ!」
彼らはベレンティアの兵として自発的に集まってきた民兵である。
そして、今、彼らが相対しているのは無数の小動物である。
全長は三十センチ前後。ただし、その数は無数に近く、素早く、おまけに肉食で自分の体よりも大きな生物にさえ躊躇せずに襲いかかる獰猛さも兼ね備えている。
もともと山賊民として狩猟自体には慣れていた彼らも、そのように小さく素早い獲物を狩った経験はない。そうした小動物は通常、狩りではなく罠を仕掛けて仕留める。
的が素早く、同時に小さいとあれば、少なくとも射的の的としては不適である。刀剣による攻撃も、まず当たらないであろう。なんらかの攻撃が当たったとしたら、それはまぐれに近い。
「痛ぇっ!」
「かじるぞっ!
こいつら!」
「喰われる!
このままではいつか喰われちまうよっ!」
狩ることを断念した彼らは、火のついた薪で自分たちの周囲を囲い、薪を振りかざして防御に専念する。
それでも、わずかな隙間を潜り抜けて果敢に攻撃してくるいたちは少なくはなかった。
いや、段々と、その数は増していく。
火の防衛線の外には、ぎっしりとやつらが密集している。
彼らの脳裏が「絶望」の文字で占められた頃……。
唐突に、火の囲いの外にいるやつらの体が、捻れた。
「……なんだ?」
彼らは、口々に疑問の声をあげた。
「こいつは一体……なんなんだ?」
疑問しか、湧かなかった。
捻れて分断された胴体の断面から血の塊が、まるでそれ自体が生物であるかのように躍り出る。
その塊はそのまま、周囲のいたちにぶつかり、押しつぶし、一回り大きくなった。
目にも止まらない速さで周囲のいたちを呑み込み、捻り、押しつぶし、あっという間に肉塊に変えながら一掃していった。
血だ。
いたちの血が……いや、今ではかなり透明度を増して、普通の水のように見える。
まるで、いたちの体から水分だけが意志を持って動き出したかのように、見えた。
いうまでもなく、水妖使いの仕業であった。
野営地の守りとして幾分かの人数を残し、残りの人員はすべて、他の地域へ獣狩りに出ることにした。
洞窟衆は、ハザマというかバジルの影響により位階を引き上げられた者が多い。外見や年齢はともあれ、そうした者たちは下手な王国軍兵士より強力な身体能力を入手しているわけであり、現在のような非常時にそれを活用しない手はなかった。
そんなわけで、リンザ、トエス、ハヌンらの古株たちとドゥ、トロワ、キャトルの新入りたちもそれぞれ別の場所で活躍していた。前者古株の三名は、短いながらもファンタルから基礎的な戦闘訓練を受け、武器の扱い方も一通り教えられていたし、後者の三名に至っては、サーベルタイガーに変身していれば近距離でも遠距離でもまず敵がいない。
少なくとも現在、野営地に出没している獣程度に遅れを取ることはなかった。
具体的な分担をいえば、多数の小動物が出没しているベレンティア公軍の野営地へは水妖使いの三名がむかい、他の三名は比較的近場のアルマヌニア公軍の野営地へと散っていた。
「……なんだってわたしが、こんな……」
ぶつくさいいながらも、ハヌンは強弓を軽々と引いた。
「ええっと……あれが標的で、でもあんなに動いているから……移動先を先読みして……。
っち。
味方の兵士が邪魔だなあ……」
一応、弓の扱いを習っているとはいえ、完全に実践が足らずにまるで自信が持てない状態だった。
さほど距離が空いているわけではないが、視界を遮る人影をやけに鬱陶しく感じてしまっていた。
その上、ハヌンは連日のデスクワークでフラストレーションをため込んでいた。
「……どいてくれないかなあ。
どいて……どいて……いい加減、どけよお前らぁっ!」
ハヌンの剣幕に恐れをなした兵士たちが、慌ててハヌンの目前から飛び退いた。
標的との間に遮蔽物がなくなった途端、ハヌンは弦を持っていた指を離し、矢が命中したかどうかを確認する前に次の矢をつがえ、間髪入れずに放つ。
立て続けに胸部と喉に矢が突き刺さったヤマワロは、その場で絶命した。
「……管制、聞こえる?
次の的は?
どこへいけばいいの?」
目を丸くして振り返った兵士たちのことを気にした様子もなく、ハヌンは通信タグを使って管制所とのやり取りをはじめていた。
大猪を葬ったあと、アズラウストはベレンティア公軍の野営地へとむかう。
他の場所に比べ、そちらの方角がやけに静まりかえっていたからだ。
基本、アズラウストは好奇心が旺盛であり、なにか気になることがあれば先にそちらを確認してしまわないと気が済まないという性分をしている。それは、現在のような戦場においても変わらないようだった。
「……これは……」
アズラウストは、そういったまま絶句した。
虫だ。
地面いっぱいに敷き詰められた昆虫。
それだけでも異様な光景であるというのに、さらに不自然なのは、その昆虫、カマキリの群れがピクリとも動かないことであった。
死んでいるのか……とも思ったのだが、それにしては、一体一体が異なる姿勢を取っており、まるで……今にも動き出しそうな、奇妙な生々しさを保っている。
「なんだ、これは……」
と、アズラウストは思いかけ、そしてすぐに、
「例の、洞窟衆の首領の能力に決まっているではないか」
と結論づける。
そう。
他に、こんな真似ができるやつがいるわけがない。
確か、ハザマ……という名だったろうか?
そいつの奇妙な能力については、報告書を通じてアズラウストも知ってはいた。
そのての報告はたいてい過大に書かれるのが常だったが、今回に限り、どうも過小に評価されていたらしい。
先ほど、アズラウストがそのハザマとやらの存在に気づく前に大猪の動きを止めたことからもわかるように、それに、今、目前にある光景を見れば瞭然としているように、どう考えてもそのハザマの能力は、報告書の内容を遙かに上回っていた。
自然と、アズラウストの頬が緩む。
これは……思ったよりも、楽しくなりそうだ……と、アズラウストは、そう思った。
そしてアズラウストは身動きひとつしないカマキリで舗装された地へむかって、歩きはじめた。
この分だと……そちらへいけば、もっと面白いものが見つかるに違いない。
その頃、新領地の砦内では、管制に携わっている者たちがかなり忙しいことになっていた。
「水妖使いの三名、現在、いたちを一掃しつつベレンティア公軍の野営地を移動中!」
「完全に一掃するのにどれくらいかかるか?」
「野営地も広いですからね。
まだまだ時間がかかるかと……」
「身動き取れるようになったベレンティア公軍は、東側に移動するように誘導してくれ。
そっちでは、比較的大きな獲物がまだまだ残っている」
「はい。
そのように誘導するよう、指示をだします」
「……いくらなんでも、敵の数が多すぎるな」
ファンタルは、ため息をついた。
「ハザマは、今、どうしているか?」
「いぜん、カマキリを止めながら移動中です」
「そちらはまだまだかかりそうか?」
「なにぶん、カマキリが展開している地域が広すぎて……。
現在の処理率は、まだまだ四割前後です」
「……まだ、そんなものか……。
そちらの、処理が終わった地域のベレンティア公軍のやつらはなにをしている?」
「動かないカマキリを集めて焼いている者と、他の場所へ移動している者に二分されています。
そちらの地区の歩哨は大半、クラゲの被害にあって身動きを封じられていますので、こちらの指示を伝える方法がありません」
「……せっかくの通信タグが、かなり無駄になってしまったな」
ファンタルは、軽く下唇を噛んだ。
「この程度の不測の事態は覚悟していたつもりではあったが……」
ハザマは心話による通信システムについて、ギリギリまで洞窟衆のみの秘密にしておくことを強く希望していた。
それを受け入れず、王国軍全軍が統制できる体制を整えるよう、もう少し強く進言するべきだったろうか?
いや、仮にそう進言したとしても、時間もなかったから全軍に行き渡るだけの通信タグを揃えることは不可能であったろうが。
なにしろ、今、使用している分を揃えるだけでも時間的に厳しかったくらいだ。
「……あの、ファンタルさん」
そんなファンタルの考え事を、管制の一人が遮った。
「なにか?」
「ええっと……洞窟衆の司令官とはなしたいっていう人が……」
「……誰か?」
「アズラウスト・ブラズニア……と、名乗っています」
「あっはははは」
戦地にあり、血塗れのハルバートを手にしながらも、アズラウストは快活さを失っていない。
「あんた、本当にファンタルさん?
伝説の、はぐれエルフの?」
『この場でそれを証明する方法はないし、その必要もない。
そちらこそ、本物のアズラウスト公子か?』
「この場でそれを証明する方法もありまえんけどねー……。
一応、本物ですよぉーっと」
アズラウストは通信タグを手にしながら、言葉を続ける。
「取り込み中なんで、手早く要件をいっちゃうけど、洞窟衆、面白いオモチャを作ったもんだねー。
この通信タグの術式、うちでも真似をさせて貰っていいかな?」
『好きにしろ。
事実上、こちらにそれを止める方法はない。
その権限もない』
「またまた。
そういう硬いことは、またあとで改めて……ってことで」
ここで、アズラウスト公子は真面目な口調に変わる。
「今は、非常時ですから。
この術式を模倣させて貰う代わりに、うちらブラズニア勢はそちらの指示に従う、ということでどうか?」
『……本気か?』
ファンタルの声が、訝しげな響きを含んだ。
『貴族らしからぬ申し出だな』
「よくいわれます」
アズラウスト公子は澄ました顔で答える。
「それで、返答は?」
『さっきもいったぞ。
好きにしろ』
「了解。
それでは、好きにさせて貰います」
アズラウスト公子はその場で「気をつけ」の姿勢をしてから、傍らにいた魔法兵に通信タグを渡し、
「その術式を記憶して模倣せよ。
他の魔法兵も同様に」
と短く命じた。
「では……以後、ブラズニア勢は洞窟衆の管制に従います」




