輿の上の貴人
整然と並んで行軍する黒衣の集団。
全軍を見渡せないので具体的な総数を推し量ることはできないが、トグオガの視界に入る範囲から判断しても、万をくだらない人数であるという容易に察しがつく。
その軍団の先頭には、黒一色の旗とともに、ホマレシュ族の旗印も掲げられていた。
現在、その旗印を掲げることができる者は、トグオガ自身が中央から運んできたばかりの輿に乗った貴人ともう一人しか存在しない。
ホマレシュ族のザメラシュ。
輿の貴人の息子であり、このたびのいくさで部族民連合側の総司令を努める人物でもあった。
「トグオガ殿」
貴人が、戦闘伝令師に声をかけた。
「ちょいとあそこにいって、ボケ息子を連れて来てはくれぬか」
「ああ……はいはい」
別にトグオガは、この貴人の下働きではない。
「それではちょっくら、いってきますわ」
ここで命令を聞かねばならない筋合いもなかったのだが……この場での母子の対面がどのようなものになるのか、という好奇心が勝ったため、素直に貴人の命令に従った。
どのみち、本来ならここで合流するはずであった仲間たちの方は、姿を消している。
むこうがこちらを見つけてくれるまでは、トグオガの手も空いているのだった。
黒衣の集団の前にたって身分と名を明かし、
「あそこの輿に乗ったご婦人が、ホマレシュ族のザメラシュ様にお目にかかりたいと仰っております」
と、告げる。
少し待たされてから、黒い集団の中から、煤けた服装の山岳民の一団が現れた。
「な、なぜ、母上がこんなところに……」
その中の一人、どこか線の細い青年が、心持ち、青い顔をしている。
「中央の命により、それがしがここまで運んできました」
トグオガは、涼しい顔をしてそう伝えた。
「中央は、この戦線を早期に収めたいと思っているようです」
「おれだけでは、力量不足だというのか!」
青年……ザメラシュ・ホマレシュが叫ぶ。
「状況が変わったのですよ、若様」
……傭兵の中に隠れて今まで逃げていた若造が、なにを……。
と、トグオガは思ったが、口に出してはそういった。
「中央は、大魔女ルシアナ亡きあとの体制を手早く整えなければなりません。
そのためには、この国境ばかりに兵力を投入し続けるわけにいかない」
とにかく公的には、そういう理由になっている。
ザメラシュはがっくりと肩を落としたあと、
「案内せい」
と、トグオガに命じた。
「息災のようでなによりです、ザメラシュ」
貴人は、輿の上から降りないままにそう声をかけてきた。
ザメラシュの方は、地に膝をつき、顔を伏せたまま、
「おかげさまを持ちまして」
と、そう応じた。
ザメラシュ・ホマレシュを呼び捨てにできる者は、かなり数が限られている。
輿の上の貴人は、明らかにその少ない数人のうちに含まれていた。
ホマレシュ族の現族長であり、ザメラシュの、実の母親なのだ。
「それで、ザメラシュ。
出陣にあたり、そこもとにつけた懐刀の姿が見えないようだが」
「ぐ……軍師は、目下、別行動をしております」
「ほぉ」
貴人は、目を細めた。
「部下に危ない橋を渡らせたまま、そこもとはこそこそと逃げ回っていた、と?」
「その軍師に、そのようにせよ、と、指示されたのです。
敵の新兵器により、一時はかなりの窮地に……」
「それは、この場を見ればわかります。
新兵器とはいっても、既存の兵器を転用しただけのこと。
あなたが冷静に対処をできていれば、味方の損耗ももう少し防げたことでしょう。
聞けば、この場で戦死した者よりも、部族ごと逃げ出した者の方がよほど多いとか。
それは、ザメラシュ。
あなたに人望がなかったことが、一番の原因です。
あなたが軍師に逃げるようにいわれたというのであれば、それはあなたがあの子に信用されなかったということです」
「は……母上」
「いいわけは聞きたくありません。
修羅場を潜れば少しは頼もしくなるかと思いましたが……そうした経験をさせるのも、あなたにはまだ、時期が早かったようですね。
これ以上の詳しいはなしはあとにしましょう。
ザメラシュ。
王国軍に伝令を送りなさい」
「そ……それは!」
「昼餐会を開催します。
むしろ、決断をするのが遅すぎたくらいです。
次に、そちらのお方。
黒ずくめの大将か?」
「いかにも、ホマレシュ族のアリューヌ様」
それまでザメラシュの背後に控え、発言を控えていた男がはじめて口を開いた。
「軍師のバツキヤ様を通じてこちらのザメラシュ様からご依頼をいただきましたしがない傭兵団の頭、ダドアズ・ズドアと申します。
以後、お見知りおきを」
「ほほ。
音に聞こえた黒旗傭兵団を、しがないと申すか」
ホマレシュ族のアリューヌは、ここへ来てはじめて笑顔をみせた。
「それでは、貴公の軍勢に辛酸を舐めさせられた山岳民連合の他の部族たちも浮かばれまい。
ここは、戦地。
世辞も謙遜も、ここでは無用にしていただこう」
「それでは、アリューヌ様。
単刀直入に申しまして、われらは軍師のバツキヤ様から、こちらの若様の身柄をしばらく守れとの命令しか受けておりません。
これ以降は、どのように動きましょうか?」
「あー……ちょいと、よろしいですかな」
このとき、戦闘伝令師のトグオガが片手をあげる。
「ちょうど今、そのバツキヤから、より正確にいうのなら、バツキヤと行動をともにしている千里眼のバクビェルと連絡がつきました。
バツキヤを含む一団が、これからこちらに合流してくるそうです。
ですが、その前に。
この場所の安全は、今後脅かされる可能性があるそうで、バツキヤからある場所に移動することを提案されております」
「バツキヤが引き込んだ黒旗傭兵団はともかく、アリューヌ様までがいらっしゃるとはな」
千里眼のバクビェルは眉間に皺を寄せた。
「これは、いよいよ大事になってきたぞ」
「今さらですね」
手書きの地図を睨みながら、バツキヤはいった。
「中央も、自分たちの尻に火がついたことに気づいたんでしょう。
火消しに必死になるのも予想の範囲内です」
「火消し、って……ここだけを一時的に鎮火してしょうがないだろう。
火種を抱えた国境は、別にここだけではない」
「だから余計に、一カ所で時間を取られるわけにはいかないのですよ。
今頃、周辺諸国の首脳部にはルシアナ崩御の報が届いているはずです。
広大な山岳を包みこむ包囲網を完成させる相談がもう済んでいても、不思議には思いませんね。
ここで対応を間違えれば、山岳民連合もあっさりと解体されてしまうのかも知れません」
「それで、アリューヌ様までを担ぎ出して、慌てて停戦に持ち込もうとしているわけか」
「これからのことを考えると、これ以上、ここで無駄に兵力を損耗させるわけにはいかないのでしょう。
不幸中の幸いといいましょうか、この戦場に来る予定だったが到着しなかった部族、途中で逃げ出した部族は少なくはない。
こたびのいくさでの被害は決して少なくはありませんでしたが、それでも部族民全体で見たら最悪の事態は免れているわけです。
中央から見れば、このまま、これ以上傷口が広がらないうちにことを収めたい。
それが、本音でしょうね」
「だが、王国軍の方が……それに、応じてくれるかどうか?
やつらだって無傷というわけではないが、戦意を喪失するまでには遠すぎる」
「そこまでいくと、もはや外交の領分です」
バツキヤは、呟く。
「もはやわれらが判断すべきことではない。
アリューヌ様に、頑張っていただきましょう」
後方の者たちがそれぞれの思惑を持って動いている間にも、前線ではいぜんとして多くの将兵が命を賭けて戦っていた。
たとえば、山道では部族民連合が多くの犠牲を払いつつ、撤退戦を繰り広げている最中であった。
戦いながら退かなければならない撤退戦は、基本的に味方の損害が多い。加えて、山道の両側に位置する森から不定期に迫撃がかかってくる。
山道に侵攻した部族民連合軍は、当初予想した以上の損害を出しながら軍を退けていた。
あるいは、バボタタス橋では一時、破滅のベツメスが穿った空白地帯を巡り、両軍が正面から激突していた。
その空白地帯は、ベツメスの出現によって不意に生じた形であったため、当然のことながらなんの遮蔽物もなかった。これは両軍にとっても想定外のことであり、しかし、確かに、どちらのものとも判然としない、空白地帯が両軍の占拠する空間の間に生じたのである。これを巡って争いが発生しないわけがなかった。
結果、戦略も戦術もない、力任せの殴り合いが発生することになる。
これ以前に、ベツメスの能力によって王国軍側はすでに多大な犠牲を生じていたのだが、王国軍はその味方の屍を乗り越えて、迫る。部族民連合の方は、それをさせまいとして、抗戦する。
突発的に生じた激突であったこともあり、双方、混乱しながらも、とにかく目前の敵をどうにかしようとする泥仕合となった。
軍師のバツキヤも千里眼のバクビェルの能力によってこれらの事態を把握してはいたのだが、どちらも事態の進展や動きがあまりにも激しく、かえって有効な指示をできないでいた。遠く離れた場所から指示をしても、その声が届いたときにはすでに状況が変わっている。山道と橋を巡る戦いは、どちらもそれくらい、動きが早い戦場だった。
千里眼のバクビェルは、「自分のヴィジョンを他者にも見せる」と能力を持っており、それに心話の魔法をうまく混ぜる工夫をすることで、簡易な通信機能をじつげんさせてはいたのだが、その機能を使用するためには、あらかじめバクビェルが利用者と繋がりやすくするための施術を行わなければならなかった。
つまり、「いつでも、誰にでも声を届けられる」というほどの利便性はなかったので、山岳民側の命令伝達には、常に時差が生じるようになっている。
このときのバツキヤは、バクビェルの能力によって味方の苦戦ぶりを即時的に知りつつも、それに対して有効な手だてを伝えることができない、という隔靴掻痒な状態にあった。
「なんのための軍師か」
と歯噛みすることになるのだが、こればかりはバツキヤの能力を越えたところで生じている現象であり、どうすることもできなかった。
「もう一回、どちらかにおれたちが出向いて、暴れてこようか?」
そういって来たのは、本来なら重傷と診断されるはずの火傷を負っていた軽佻のハダットであった。
「ベツメスが抜け落ちても、まだまだ戦えるぜ」
「今の戦闘は、両軍にとっても想定外の突発時です。
今戦っても、大勢にはあまり影響しません」
バツキヤは、そう答えた。
「むしろ、速やかに両軍に干矛を収めさせたいのですが……それができますか?」
「そりゃあ……無理だな」
顔中に包帯を巻いていたハダットの声が、笑いを含んでいた。
「おれたちが出れば、争いは拡大する一方だ」
「ならば、今は自重していてください。
いずれ……おそらく、次に出陣するときは、皆さんにとってもかなり厳しい状態になるはずです」
バツキヤは、次に彼ら、ルシアナの子らが出撃する際には、この場にはいない戦闘伝令師のトグオガも含んだ総力戦になるだろうと予想していた。
バツキヤが水妖使いが同時に牙の一族でもあったことを把握したように、相手の側もルシアナの子らの異能者について、それなりに把握しているはずである。
しかし、不在であったトグオガについては、まだ知られていない。
あのトカゲ男を倒す隙が生じるとすれば、まずそこであろう……と、バツキヤは考えている。
「……おい!」
バクビェルが叫んだのは、そうした乱戦がしばらく続いたあとのことだった。
「白装束が……敵軍への伝令が出ているぞ!」
交戦中ではあっても、敵軍と連絡を取る必要に迫られることは、ままある。
そうでなくては、停戦や講和の交渉が不可能だからだ。
近くに大きな神殿などがあれば、そこに仲介を頼むことが多いのだが、この地のように、仲介 に役立ちそうな者が近場にいない場合には、全身を白い装束で身を包んだ使者を送るのは古くからの習わしとなっていた。
「若様とやらが、戦場に帰ってきたのか?」
敵軍へそうした使者を送ることができるのは、全軍の指揮官だけとされていた。
豪腕のオデオツが口を開いた。
このオデオツは、名目上、バツキヤが仕えていることになっているザメラシュ・ホマレシュとは面識がなく、間接的な噂だけを耳にしていた。よって、オデオツの中でザメラシュの心証は、はなはだ悪い。
「待ってろ。
今、探してみる」
バクビェルは、そういう。
バクビェルの千里眼も、万能であるわけがない。
見たい場所へ意識を集中しなければ、その情景を見ることはできなかった。
ここ最近では、二つの戦場ばかりに意識を集中していて、ザメラシュ・ホマレシュの消息のことなどは、まるで眼中になかった。
「……いつの間にか、アリューヌ様とザメラシュのやつが顔をあわせているな」
普段から中央に出入りしているバクビェルは、連合の有力部族族長であるアリューヌとも面識があった。




