軽佻のハダット
その後、オデオツは放り投げたブシャラヒムに一瞥もくれることなく、周囲の重装歩兵を片っ端から投げ飛ばしはじめる。
それは、非現実的な光景だった。
たとえばブシャラヒムの場合、自重と甲冑の重量をあわせれば、二百キロ近くにはなる。その他の重装歩兵たちも、そこまで極端ではないものの、それでも装備と体重をあわせれば百キロ優に越える。
決して「軽い」わけでもない。
それを、片手で次々と、軽々と放り投げ飛ばしていくのだ。どうみても、人間技とは思えなかった。
「なにやってんの、皆様方」
突如発生したあまりの珍事に、それまで呆然と成り行きを見守っていた山岳民兵士たちへ軽佻のハダットが声をかけた。
「せっかく、敵の守りに穴が開いたんだ。
この機会をうまく利用しなけりゃ」
その声を聞いて、最前列の山岳民たちははっとした様子で顔を見合わせ、ついで、雄叫びをあげ、雪崩となってオデオツが開けた穴へと殺到する。
「それじゃあ、おれも……」
その先頭には、ハダットがいた。
その足取りは、あまりにも軽い。
「……この邪魔者を、片づけちゃいましょうか、ねっ!」
王国兵が制止する間もなくハダットはバリスタまで到着し、そのまま……つま先を引っかけて、巨大なバリスタを蹴りあげた。
再度確認しておくと、バリスタとは巨大な攻城兵器である。
一応、移動用に木製の車輪は設えてあるものの、大の男が数人がかりで押してようやく動かせる。
そんな巨大な物体を、特に力を入れた様子もなく、軽々とつま先だけで、空高く、ひょいと蹴りあげたのだ。
豪腕のオデオツが重装歩兵たちを楽々と扱う以上に、非現実的な光景といえた。
結局、ハダットが蹴りあげたバリスタは、放物線を描いてどこまでも飛んでいき……先頭の投石機に激突して、その衝撃で分解した。
「……んー。
投石機の方がデカいからなあ」
ハダットは、わざとらしく掌でひさしを作り、投石機の方を眺めている。
「そんじゃあ、駄目で元々……もう一丁、いってみましょうかぁっ!」
今度は、隣にあったバリスタの下に手を入れて、両腕を使って頭上に持ちあげてみせた。
バリスタは、巨大だ。
その下で持ちあげているハダット自身の、十倍以上の重量がある。
それを、なんの苦もなく、両腕で持ちあげていた。
「そうら、よっ! ……と」
ハダットは膝を折り、全身のバネを使って、頭上に掲げたバリスタを投石機の方に放り投げる。
先ほど、蹴り飛ばしたときよりも高い軌跡を描いて、バリスタはまたもや投石機に激突した。
当たりどころが悪かったのか、投石機の長大な腕木が半ばからへし折れる。
「まずは、これで一台が使用不能」
誰にともなく、ハダットが声に出してそう告げた。
その声に、特に疲労の色は滲んでいない。平静そのものだった。
むろん、王国軍側もそれまで座視していたわけではなく……あまりにもシュールな光景の数々に、しばらくポカンと口を開いて見つめる時間があったにせよ……すぐにわれに返って、迎撃をはじめた。
なにより、次々とむかってくる山岳民兵士たちを無視するわけにはいかないのだ。
それぞれの得物を手にして直接山岳民兵士たちと死闘をはじめる者もいたし、少し離れた場所から矢を射はじめた者もいた。
「射よ!
あの男を集中的に狙え!」
そう指示をだしたのは、ドルバル・バスコスの声だったか。
若干のタイムラグこそあったものの、すぐにハダットの体に何十本もの矢が集中しはじめる。
ハダットは焦る風もなく、顔の前に腕をかざしただけでそれらを受け止めた。
しかし、射手たちは、すぐに絶句することになる。
次々にハダットの体に殺到した矢は……しかし、一本の例外もなくハダットの体に刺さることがなく、滑るような感じで脇に逸れ、あるいは落下をしはじめた。
「ざーんねん!」
ハダットが、叫んだ。
「おれには飛び道具が利かないことになっているんだよねえー」
次の瞬間、ハダットはまるで体重がないかのように跳躍する。
王国軍の兵士たちをまるでいない者であるかのように無視し、たった一度の跳躍で、投石機の至近まで移動していた。
「こいつなら……どうかなぁっ!」
ハダットはバリスタを投げたときと同じような無造作な挙動で、今度はバリスタよりも巨大な投石機を両腕で高々と持ち上げ、別の投石機へと投げつける。
投げつけられた投石機の方は完全に分解し、投げつけられた方の投石機はその場で深刻な損傷をいくつも受けることになった。
「これで、二台が使用不能っ!」
歌うような口調で、ハダットが事実を告げる。
「こ……」
「このうっ!」
抜き身の剣を振りかざした王国軍兵士たちが、ハダットへと殺到した。
跳躍して移動したおかげで、今のハダットの周囲には、ほぼ王国軍兵士しかいない。
しかし、ハダットに襲いかかろうとした兵士たちは、黒い塊によってあさっての方向にはねとばされた。
黒い塊の正体は、ずんぶりした体つきに似合わない敏捷な動作で突進してきた、オデオツであった。
「雑魚は、おれが相手をする」
オデオツは、静かな声でハダットに告げた。
「お前は、さっさと投石機を潰せ」
「りょーかーい!」
ハダットはおどけた調子でオデオツにそう返答し、また一跳躍で次の投石機がある場所まで移動した。
『……また、厄介そうなやつらが……』
『そうでもないぞ』
心話通信でハザマのぼやきに応じたのは、ファンタルであった。
『こっちは、今、対応策を与えてみた。
うまく行くかどうかは実際にやってみないとなんともいえんが、仮に失敗をしたとしても、まだまだ別の対処法はいくらでも考えつく』
『それでは、こちらの方を先にして貰った方がいいかな』
今度は、エルシムが声をかけてくる。
『止めるやつがいないので、やつらは今、絶好調でバボタタス橋へと邁進中だ。
早めにどうにかしないと、被害は大きくなる一方だ』
山道方面と、バボタタス橋方面。
ハザマは、隔たった二つの地点に、奇妙な、そして強力な敵が出現した、という報告をたった今前後して受けたばかりであった。
実戦経験が豊富なファンタルは自力で対処をするつもりであるらしいが、人伝ての報告をハザマに忠告してきたエルシムの方は、流石にそうもいくまい。
第一、橋近くにいた野営地内の洞窟衆から、前後していくつも似たような報告を受け、それらの声を統合してハザマに伝えてきているわけで……エルシムにしても、実際の現場でなにが起こっているのか、詳細は不明だったりするのだ。
『では、橋のむこうに出現したとかいう敵の方を優先して対処します。
ファンタルさんの方は、しばらくそちらだけで対処してみてください。
いろいろ試してみて駄目だったら、また改めて考えましょう』
『それがいいな』
ファンタルはすぐに答えてきた。
『その奇妙なやつらもだが、こっちは山岳民の軍勢にも対処しなければならない。
しばらくは、手が放せなくなりそうだ。
これ以降、こちらからなにも報告がなかったら、問題は起こっていないものと判断してくれ』
『はいはい。
こっちはこっちで考えて、対処してみます』
ハザマはそういって、心話通信による二人との簡略会議を終えた。
『それでは……おれも動き出しますので、しばらく応答できなくなると思います』
茶のはいったカップを手にしてしばらく難しい顔をしていたハザマが、やおら顔をあげて立ちあがった。
「また……異変ですか?」
クリフが、声をかけてくる。
「ああ。
敵さんの方も、なんというか勤勉だねえ」
ハザマは、わざと軽い口調を演じているように見えた。
「今度の相手は……やはり、遠距離攻撃にむいている水妖使いにやらせるのが一番手っ取り早いのか。
だけど……あの人面鳥とは違って、今度は人間が相手らしいからなあ」
呟いて、ハザマが後頭部を掻いた。
それも……敵側の詳しい内情はわからないのだが、かなり高い確率で、例の「ルシアナの子ら」とかいう異能集団の一員であるはずであり……言葉を変えれば、ドゥ、トロワ、キャトルら、三人の水妖使いの同類たちが相手なのだ。
ハザマとしては、「その同類を、直接手にかけよ」と指示しなければならないわけであり……それはそれで、気が重い。
「うん。
いいよー」
「いくいくー」
「そいつらを遠くからぶっ殺せばいいんだよねー」
ざっくりと事情をはなして見たところ、水妖使いたち三人からは思いがけず軽い答えが返ってきた。
水妖使いたち三人は、トエスや他の洞窟衆関係者たちともに、天幕の外でハーピーの解体作業を手伝っていたところだったのだが……。
「あのなあ、お前ら。
本当に、この事態を理解してんのか?」
ハザマは、自分の指でこめかみを軽く揉む。
「やつらは、おそらくお前らと同じ境遇の、先輩。
仲間というか、同類というか……」
「でも、放っておくとー」
「まだまだいっぱい殺されちゃうんだよねー」
「今のうちに、止めておいた方がー」
「……ハザマさん、ハザマさん」
困惑顔のハザマに、トエスが声をかけてくる。
「この子たち、そんな複雑なこととか深刻なことは、まだまだ理解できません。
悪いやつが出てきたからやっつけるー、くらいのことしか、わかってないと思います」
そうなのか……と、ハザマは心中でうめいた。
「まあ……手伝ってくれるんなら、誰でもいい。
一人、おれについてきて、橋のところまで来てくれ」
「……いくいくー!」
最年長のドゥが立ちあがると、その場でぶるんと全身を振るわせた。
気のせいか、その輪郭がぼやけて見えた。
「急いだ方がいいよねー。
遅れると、死んじゃう人が増えるからー」
そういいながら……ドゥの体が急速に膨れはじめた。
「……お。お」
ハザマが目を丸くして、その変身シーンを見守った。
ドゥが体に巻きつけていただけの布は、すぐに地面に落ちた。
その頃にはドゥの全身は褐色の毛皮に覆われていたため、色っぽい風景は拝むことができなかったが。
メキメキと音をたてて骨が変形し、すぐにドゥは四つん這いの姿勢になった。
体の大きさは、元の華奢な少女であったときの三倍から四倍以上の体積に膨れあがっている。
頭蓋がより扁平に……ヒトのものというより、猫科の動物に近いものに変わっている。
いつの間にか口から、二本の長大な牙が延びていた。
その褐色のサーベルタイガーが、ハザマの顔を見あげて、ぐるるるる、と、喉を鳴らした。
『ハザマー。
背中に乗ってー。
あ。
この格好だと、しゃべれないんだった』
『ちゃんと聞こえてるから安心しろ』
ハザマは、心話でそのサーベルタイガー、ドゥに伝える。
『おれは、誰とでもはなせるアイテムを持っているんだ』
心中でそういいながら、ハザマはドゥの背中にまたがった。
ついさっきまで女の子であったモノの背中に乗る、というのは、なんか倒錯をしているようで、正直、気は進まなかったのだが……。
『そんなこと気にしている場合じゃないでしょー』
ハザマのバツが悪い気分を読みとったドゥが、笑いながら伝えてくれた。
『それに、この姿だと、人間一人くらい、全然重く感じないんだよー』
『そうか、そうか』
ハザマは、ドゥの背中に跨がった。
『それでは、遠慮なく』
「おれたちは、これからちょっくら敵の怪人を退治しにいってくる」
目を丸くしているクリフとトエスにむかって、ハザマはそう告げた。
「よし。
ドゥ、行ってくれ」
ぶおん、と風を切ってハザマを背に乗せたドゥが駆ける。
「……ちょっ!
ちょっと待ってください!
ハザマさーん!」
背中からトエスの声が聞こえてきたようだが、ハザマは気にとめなかった。
その物体が自分にむかって来たとき、ハダットは反射的に腕で払おうとした。
「……ん?」
そして、その感触に疑問を抱く。
その物体に腕が当たったとき、ぐしゃりとひしゃげる感触があったのだ。
それどころか、その物体の中身が、周囲に飛び散っている。
液体。
それも、水よりももっとねっとりとして、粘性の高い。
「……油?」
口に出して、はっとして顔をあげる。
「やべぇっ!」
駆けだしたときには、いくつもの革袋がハダットの体にぶつかったあとだった。
それ自体で、ハダットの体が傷つくことはないのだが……。
「やばいやばいやばいやばい!」
いいながら、ハダットは全力で疾走する。
ハダットの退路を予想して、いく先々で待ちかまえている、火矢をつがえた弓兵たちの姿が見える。
少々特殊な能力を持つとはいえ、ハダットたちルシアナの子らも生身の人間である。
油まみれになったうえ、火をつけられたとしたら、無事でいるわけがない。
「オデオツの旦那ー!」
ハダットが叫んだときには、火矢の一本が掠めたのか、ハダットの体は炎に包まれていた。
「退却だー!
投石機は、全部潰したー!」
当初の目的は完遂しているのだ。
あとは、有象無象の他の山岳民兵士たちに任せることにしよう。
なにより……。
「火矢に気をつけろー!
敵の中に知恵者がいるー!」
自分たちの異能を目の当たりにしても、焦らず、冷静に最適な対応策を考えだし、即座に実行する者が敵軍の中にいる。
この事実こそが、今のハダットたちには重要だった。
「ん!」
という重々しいオデオツの声が、どこからか聞こえてくる。どうやら、ハダットの忠告は彼の耳に届いたようだ。
ハダットは火がついた服を素早く脱いで、地面に転がってなんとか火を止めようと試みはじめた。




