生還への道
空偵用のグライダーは、あくまで偵察用途として開発されている。
そのために特化している、というより、ほとんど空を飛ぶことしか出来ない、といった方が正確なほどだ。
それはそれで重要な機能ではあったが、空中での戦闘ではまったく役立たずだった。
そもそも重量制限が厳しく、武器らしい物品を持ち込む余裕すらない。
だから、こうして空中で誰か、好戦的な相手に遭遇した時の対処法は、実質的にたったひとつしかなかった。
「逃げろ!」
誰もが、そんな意味のことを叫んでいた。
「別の方向に逃げれば、誰かは生還出来る!」
戦う方法がないのなら、一目散に逃げるしかない。
その後、逃げた中の誰がうまく難を逃れるのかは、正しく運の問題でしかない。
運と、それに襲撃者の思惑によって、生死が分かれる。
「あああああ!」
その空偵隊員は、まだ若い女性だった。
「追ってきている!
追ってきている!
しかも早い!」
強襲用の竜とは、あそこまで速度が出るものか。
風任せで漂うグライダーなどとは、まるで違う。
根本的に、違う。
力強い羽ばたきと、黒光りする体表。
それが、どんどん大きくなって来ている。
あ、駄目だな、これは。
そう判断したその隊員は、そこでグライダーを放棄することを決断した。
ひょっとすると、その竜の目的はグライダーを蹴散らすことで、乗っている人間には興味を示さないかも知れない。
賭けではあったが、この時点でその隊員には、それ以外に、敵に対して敵対する意思がないことを伝える術を持たなかった。
その隊員は冷静にグライダーの操作竿を手放し、そのまま落下していく。
そんなに高度はなく、地表の様子も肉眼で確認可能な位置だった。
見る間に近づいて来る地表の様子を目の当たりにし、その隊員は腰のうしろの紐を強く引く。
次の瞬間、がくんと落下速度が落ちて、体が上に引っ張られるような感覚があった。
こんな、非常用の装備を使うことになるなんて。
頭上に開いた布の傘を見ながら、その隊員は思う。
素早く周囲を見渡してみたが、強襲用の竜が、追ってくる様子はない。
仮にあの竜が、人間を殺すことに意味を見いだしていたとしたら、今頃自分がそのまま、犠牲になっていなくては、おかしいのだった。
パラシュートを使用しようがしまいが、あれだけの速度で距離を詰めてきたあの竜が、そのまま追いかけて来れない、ということはちょっと考えられない。
今もこうして無事だということは、自分はどうやら難を逃れることに成功した、らしい。
でも、この後が問題だな。
パラシュートを使っていても、落下はし続けている。
その隊員の体は、刻一刻と地表に近づいていた。
ここから洞窟衆が進出している、一番近い場所までどれくらいあるんだろうか?
空を飛ぶならともかく、地面の上を地道に移動するとなると、かなり遠い。
何日か、場合によっては何十日か、ただ移動するためだけに費やすことになる。
その間、地表に居る人間たちとの交渉なども自力でこなす必要があった。
出先で墜落すれば、そういうことになるとは説明されていたけどさあ。
と、その隊員は憂鬱な気分になる。
無事に、仲間のところまでたどり着けるかなあ。
実務に就く前に、この手の生存訓練も受けてはいたのだが、その知識にどこまでの実用性があるのか、かなり疑問だった。
幸いなことに、非常用の金銭はかなり多めに持たされている。
これから遭遇するはずの、地上の人々と友好的な関係を築くことに成功すれば、そんなに困ったことにはならないだろう。
ただ、相手の方が、こちらが一人だと甘く見て、追い剥ぎに変わらないとすれば、だが。
これほど遠くに来ていると、トカゲの旗印の威光は、そこまで強くはないかも知れない。
いや、きっとそうだろう。
空偵隊の仕事とは、つまりは洞窟衆が進出していない地域の情勢を探ることだった。
これからこの隊員は、大金を持ち、ほとんど着の身着のままで単独行動をする、かなり狙い目な旅人になるわけだった。
つけいる隙を見せないように心がけながら何日も旅をして、どうにか仲間が居る場所にまでたどり着くしかない。
竜からの襲撃からは辛くも逃れられたのはいいにしても、これからの展望も、なかなか厳しいものといえた。
一刻も早く、戻らないとな。
と、その隊員は思う。
あの竜のことを、早く報せないと。
そうしないと、被害が拡大する一方なのだ。
自分たちが帰還しないことはすぐに気づくはずだったが、空の旅はまだまだ安定したものではない。
未帰還の原因が事故によるものか、それとも敵の妨害や襲撃によるものか。
それを判断する術が、本部にはないはずだった。
そして、現状では、空偵隊が未帰還になる可能性として、前者の事故によるものの方が、圧倒的に大きい。
あの竜が、あるいは、竜を操る勢力が、今後も継続的に空偵隊を襲い続ければ、流石に本隊の方も人為的な妨害が起こったことを悟るだろうが。
そうなるにしても、本隊が未帰還の原因を知るのは、数日単位の時間を要するだろうな。
と、その隊員は予想する。
「あの竜の目的は、なんなんだろうなあ?」
パラシュートにぶら下がりながら、その隊員は首を捻る。
「空偵隊の妨害をして、なにか得るところがあるんだろうか?」
空偵隊の仕事は、実に地味なものだった。
地形図などを作るための情報を収集するのが一番大きな仕事で、あまり勇ましい内容ではない。
これからトカゲ勢に、完全に敵対する勢力とかが現れれば、その軍勢を上空から偵察して、規模やその他の情報を収集することもある、とは教えられていたが。
ただ、そうした敵対勢力は、今のところ存在していない。
いや、この地上のどこかに存在しているのかも知れないが、洞窟衆側はそうした勢力を認知していない。
敵を作るな、味方を増やせ。
というのが、洞窟衆の一貫した方針であり、この広大な森東地域についても、今の時点では大きく失敗していない。
洞窟衆の上層部は、どうやら貧困を、各種衝突の一番の原因と見なしているらしかった。
仕事を作り賃金をばら撒き、飢える人間を少しでも減らせば、そんなに極端な武力衝突は起きにくくなると、そう考えているらしい。
この隊員自身、洞窟衆のそうした方針によって、かなり割高な報酬が出る仕事を得た口でもあった。
ほんの数ヶ月前の自分に、
「毎日のように空を飛んで生活している」
などと説明しても、まるっきり信じて貰えなかっただろう。
それぐらい、この隊員の境遇は、空偵隊に入る前と後では、大きく様変わりしている。
空偵隊とか、その上にある洞窟衆に、そこまで忠誠心を感じているわけでもないのだが。
「これからも、高給取りのままでいたいからな」
その隊員は、多少の苦労はしてでも、洞窟衆の支店がある場所にまでたどり着く必要を感じていた。
「どうも空偵隊の連中が、特定の地域で連続して妨害、いや、襲撃を受けているようだな」
バジルニアの領主官邸の執務室内でハザマがそう断じたのは、最初の行方不明者が出てから三日後のことだった。
「一回や二回なら、事故という線も捨てきれなかったが、連続して、それも、最初の未帰還隊が出た直後に調査に向かったやつらまでが丸ごと帰ってこないとなると。
何者かが意図的に空偵隊を狙って襲っていると、そう考えた方が自然だ」
「その推測自体は、自然な筋道だとは思いますけど」
わざわざ執務室にまで呼ばれ、同席していたマヌダルク・ニョルトト姫はそう応じる。
「そうした動きに対して、どういう手を打ちますか?
地上経由で調査しようにも、かなり離れた場所とのことで、困難を極めると思いますが」
「とりあえず、空からこれ以上同地域を捜索させるのは、止めさせましょう」
ハザマは、いった。
「これまで失敗し続けているわけだから、これ以上やっても無駄。
余計に被害を大きくするだけです。
地上経由で、というのも、距離があり過ぎるので難しいでしょうね。
というわけで、山地方面にこの情報を伝えて、ちょっと揺さぶりをかけて貰えませんか?」
「山地方面、ですか」
マヌダルク姫は、ハザマに確認した。
「部族連合と取引があるいくつかの部族にならば、そうすることも可能ですが。
彼らがなにか知っていて、それを隠しているとお思いですか?」
「それは、実際に確認してみないことにはなんともいえません」
ハザマはいった。
「これまで、あちらの航空戦力に対して、問い合わせをしたことはないはずですし」
「航空戦力、ですか」
マヌダルク姫は、耳おぼえのない単語をオウム返しにする。
「山地には、竜を使う部族もいるそうですしね」
「山地沿いの閉鎖に関しては、トエスのやつに頑張って貰っているところですが」
ハザマはいった。
「流石に空の上までは、交通を遮断することは出来ないでしょうからね。
今のわれわれに出来るのは、誰がなんの目的でこちらの妨害を企てているのか。
まずはそいつをはっきりさせることです。
そうしないと、まともな対策も立てようがない」




