地元住人の不安
治安維持軍が森東地域に足場を築きはじめたこの頃は、森東地域の中でも様々な格差が顕在化してきた時期に相当する。
まず、「洞窟衆が進出した地域」と「それ以外の地域」とでは、状況がまったく違っていたし、前者の「洞窟衆が進出した地域」内部でも、「洞窟衆の性質をうまく利用している者」と「それ以外の者」とでは、明暗が分かれていた。
「洞窟衆が進出した地域」について説明をすれば、各種の物資があふれ、大勢の人が行き交い、金回りがよくなった。
「それ以外の地域」は、従来のままで変化がほとんどなく、「洞窟衆が進出した地域」と比較すると、捨て置かれ、取り残された印象がある。
この両者は地理的には連続しているわけで、取り残されようとしている側が焦るのは当然といえた。
実際、街道整備公団に訴えて一日でも早く自分が支配する地域に街道を通そうと交渉する有力者も少なくはない。
街道が通るようになれば、ほぼ例外なくその近辺にも洞窟衆なり冒険者ギルドなりの支店が出来て、一気に状況が改善される。
そうした実例が、周知されるようになっていた。
「あのトカゲ野郎どもには、積極的に関わっていく方がいいぞ」
ともいうべき共通認識が、森東地域の有力者たちに急速に浸透している最中だった。
もっとも、そうした地元有力者たちがいくら希望したとしても、街道並びに周辺施設を付設するために必要なリソース、それは、資金であったり人手であったり資材であったりするわけだが、そうしたもの一切は、なにもないところからいきなり取り出せるわけでもない。
結局、手持ちのリソースでどうにか出来る範囲内の施行が終わった後に、空いたリソースを次の土地に移して新たな施行を開始する。
そうして、順番に作業を進めるしかないのだった。
数十万何位の武装集団、治安維持軍の出現が、森東地域の地元住人に大きな混乱をもたらさず、忌避感も与えたように見えなかった理由は、おおかたこうした人手不足によっている。
そもそも、それまで冒険者ギルドを介して森東地域に渡ってきた大勢の人間、そのほとんどが身元の不確かな連中でしかなかった。
森東地域の人間たちが、この時点でそうした、出自が定かではない不特定多数の人間を受け入れる素地を、知らず知らずのうちに整えていたことになる。
肝心なのは、身近に現れた人間たちの身元や過去ではなく、そいつがどんな仕事をこなし、どんな役に立てるのかといった、もっと実際的な側面だった。
その点、治安維持軍は、組織的に動いて森林貫通街道の施工をこなしてきたという実績がある。
そうであれば、街道整備の施工にあてても相応の働きは出来るはずであり、開発を急ぐ意思が強い地元住民たちとしては、そうした実利があれば多少の不安は無視をした。
この時点で、森東地域は全般にあまり豊かではなく、遠い他国、それも、森の西から遙々やって来たような連中がわざわざ資金と手間をかけてまで侵略する価値はないと、やや自虐的に自己評価をしている有力者も多かった。
流れてくる噂でざっと判断をするだけでも、西側の国々は豊かな農地を持っている、という。
農地で考えれば、森東地域の数倍にもなる生産力を持っている国々が、なんで自分たちよりも貧しい地域を支配下におくために侵略してくるというのか。
この世界では、属国という概念は一般的であったが、植民地という概念はない。
軍を起こして占領した地帯からは一方的に搾取するだけであり、そうした地域のために開発費を投入する侵略者、という前例はほとんど知られていなかった。
貧しい土地からは搾り取れるものも限界があり、わざわざ遠い地域にまで遠征しても割に合わない。
侵略戦争とは、侵略するに足るだけの価値を持つ地域にのみ行われる行為であると、広くそう認識されている。
膨大な戦費を投入して侵略するほどの価値はない。
森東地域の有力者たちは、自分たちの土地についておおむねそのように認識していた。
そしてその認識は、極めて妥当で客観的でもある。
現在進行形で拡大しつつある、森東地域内部での格差よりも、森東地域と森の西側諸国との格差の方が遙かに深刻で甚大だ。
そういう事実が、厳然として存在していた。
そうした前提に立ちながら、森東地域の有力者たち、それに加えて、富も権力も持たないながらもこうした状況を憂慮する者たちは一定数存在する。
こうした状況を憂いてはいたが、しかし、そうした者たちも、この状況にどのように対処するべきなのか、判断がつかなかった。
トカゲ野郎どもにせよ、治安維持軍にせよ、そうした外来勢力は決して侵略者ではない。
利権を求めて森東地域に来たことは確かだし、当人たちもそのことを隠そうともしていなかったが、やつらはあくまで地元住人の意向を尊重し、対話の機会を設けた上で、誰からも文句が出ないように振る舞っている。
少なくとも、今のところは。
そうした、「この状況を憂慮する者」たちは、「長期的には、地元住人の主権が侵される可能性が大きい」と考えていて、それは一面の事実を含んでいたわけだが、それは別に外来者たちがそうしようと仕組んでいるわけではない。
どちらかというと、なにかと便利過ぎるトカゲ野郎どもの存在を頼りにしすぎた森東地域内の地元勢力が、長い目で見ればそうした外来勢力の力ばかりをあてにして、自分たちでなにかを為すための判断力や実行力を自主的に放棄するのではないか。
自分たちは今、緩やかに骨抜きにされている際中ではないのか。
といった内容の危惧だった。
そしてそうした危惧は、実のところ、かなり正鵠を射ている。
ただ、彼らがいうトカゲ野郎ども、いわゆる洞窟衆関連の組織が意図的にそうしようと仕組んでいるわけではなく、あくまで結果としてそうなる可能性は、誰にも否定出来ない、というだけのことだったが。
洞窟衆側にしてみれば、森東地域地元住民たちがこの先どうなろうと、実のところあまり関心を持っていない。
洞窟衆側は、森東地域の住人のことを、一貫して取引相手としか扱っていなかった。
なんらかの事物を、相応の対価と交換する。
洞窟衆側が提案し実行していることは、つまりはそれだけのごく単純な行為に過ぎない。
その結果、森東地域の住人たちから自主性や独立心が失われたとしても、それは洞窟衆側が一切関知しない。
トカゲ野郎どもは、そもそも取引相手の盛衰など、根本的に関心を持っていなかった。
仮にこの先、森東地域の住人たちが堕落することがあったとしても、それは「彼ら自身」の問題でしかなく、トカゲ野郎どもの知ったことではない。
そのことは、普段のトカゲ野郎どもの動向をちょっと注意してみていれば、すぐに察することが出来た。
トカゲ野郎どもは基本的に商人でしかなく、対価に値する物品やサービスを提供することにしか関心がない。
そうした取引が終わった後の顧客の事情などは、トカゲ野郎の関心の外にあった。
だからこそ、トカゲ野郎どもと取引を希望する側が、自分たちで自主的に気を配る必要が出てくるのだが、そのことに気づいている人間はまだまだ少なかった。
「だいたいそのハザマというやつは、一体何者なのだ!」
「突如森の中に姿を現した異邦人」
「特殊な加護持ち」
「ルシアナ討伐の英傑」
「二年にも満たない短い歳月で洞窟衆をあそこまで育てあげたやつ」
「ガンガジル動乱やスデスラス王国の騒乱においても、多大な影響を与えたという」
「トカゲ野郎どもが扱う奇抜な製品も、かなりの部分やつが発案したものであるらしいな」
口々に、複数の人間からそんな言葉が出て来る。
「そいつは全部、たった一人の人間がしでかしたことなのか!」
「噂として耳に挟んだ内容に過ぎないが」
「多少尾鰭がついたと仮定して、はなし半分に割り引いたとしても、十分にたいしたもんだな」
「客観的に見て、十分に立志伝中の人物であるといえるだろう」
「ハザマ領とやらが、あの帝国の後押しを受けて完全に独立するという噂もあるな」
「それこそ、今の時点では真偽不明だが」
「だが、これまでの動きを考えると、十分にあり得る」
「つまりは、そのハザマってやつは、おれたちが束になっても敵わないような、怪物だってわけだ」
集まりの中に居たある男が、ため息混じりにそうぼやいた。
「しかもその怪物は、おれたちのことなんざこれぽっちも気にかけていない」
「気にしていることがあるとすれば、おれたちからどれほど金を搾り取れるかということくらいだな」
「清々しいほどのわかりやすさだ!」
「しかもトカゲ野郎どもは、そのことを微塵も隠そうとはしていない」
「おれたちなんざには、悪意を向けるだけの価値すらないってことだろう」
「実際、やつらとおれたちとでは、まるで違うからなあ」
「ああ、なにもかもがな」
トカゲ野郎ども、洞窟衆の側が、意図的に森東地域の住人をないがしろにし、悪意や害意を向けていたわけではない。
しかし、当の地元住民たちは、そのトカゲ野郎が持っているものを自分たちがまるで持っていないことを様々と見せつけられ、密かに自負心を傷つけられていた。
トカゲ野郎どもの思惑とはまったく関係がないところで、そうした地元住人たちの間に鬱屈が深く沈殿していく。




