ケイシスタル姫の心証
この時期、洞窟衆による森東地域関連の事業すべてが好調、というわけではなかった。
急激に人が増えたおかげで意思の疎通が不十分になりがちであり、それが原因で大小様々なトラブルが頻出している。
いくつか例を挙げると、街道を施行する場所を間違えて工事に着手し、それに抗議をしに来た地元住民と険悪な関係になりかけたり、大量の物資が本来届くべき場所とはまったく違う場所に運ばれ、それを本来の目的地へと送り返すために無駄な時間と人件費が発生したりと、その手のミスが多くなっていた。
ただ、そうしたミスやトラブルも、「当然、いずれは起こるだろう」と事前に織り込み済みではあり、ただ、現実にはその予測よりも実際に発生した件数は大幅に多かった。
急激に組織としての規模が膨れあがった結果、発生した弊害であるといえる。
洞窟衆側は、そうしたトラブルに対する対策を強化するとともに、再発を防ぐことを目的とした部署を新たに設けてこれ以上の発生を抑制する方針を定めた。
そうしたミスも、ミスした仕事を修正するため、本来ならば発生しなかったはずの仕事が生まれ、その仕事を処理するために計画が組まれ、人を雇う必要があるわけで、
「森東地域に人件費を回す」
という観点から見ると完全に無駄な出費とはいえない。
しかし、だからといって再発防止のための施策をしないでいると、事業を回している洞窟衆側は延々と無駄な出費を強いられることになり、それを放置しておくことも出来ない。
そう判断されたのだった。
「経済効果が発生するのと、これからの事業をより順調に回そうとすることとは、全然別だからなあ」
この件に関して、ハザマはそうコメントしている。
「両立出来ない問題ではないし、その両方を追求しても、別に誰も困らん」
連絡ミスの予防や意思の疎通を徹底させることにデメリットがあるわけもなく、通常の業務をより円滑に行うための対策は、しないでいるよりはしておく方がいい。
組織としての規模が大きくなれば、対策にどれほど注力するかで、予算や人手が無駄に発生することを防げる。
ハザマにいわせればこれはリスクマネジメントの問題でしかなく、専門の部署を作って研究と対策をさせるのに躊躇う理由もなかった。
むしろ、豊富な失敗例が頻出しているうちに原因を洗い出し、研究し、個別に細かく対策を立てさせる。
そうした流れを作ってしまった方が、長期的には得になる。
その手のクレームが一番集中しやすい地位に居るハザマは、本気でそんな風に思うのだった。
事故の発生防止と、実際に起こった事故の効率的処理方法。
多種多様なトラブルが発生している場所で、この二つを徹底的に研究させることは、重要な意義がある、と。
さらにハザマは、こうした機構の働きを洞窟衆や冒険者ギルドだけに留めておかず、森東地域の外部組織である街道整備公団にも声をかけ、調査への協力や勧告などに従うよう、働きかけている。
この街道整備公団という森東地域有力者の集まりも、完成した街道からあがってくる交通料により、相応の富を蓄えはじめていた。
そうした利権を手にする以上、リスクと問題意識は共有し、その対策にも協力して貰わなければならない。
というのが、ハザマ側のいい分になる。
トラブルの後始末ばかりをこちらに押しつけて、利権だけはちゃっかり取る。
そんな都合のいい立場を、そうした連中のために確保ししなければならない理由は、洞窟衆の側にはなかった。
また、そうした対策を地元住人と共同で行うことによって責任感を持たせる、という効果も期待している。
ハザマの本音をいえば、森東地域のことは地元住人たちが中心になって解決するべきであり、現状のようにいつまでも洞窟衆が主導しているままだと困ると、そう考えていた。
一連の森東地域開発事業について、最大の出資者は間違いなく洞窟衆だ。
しかしそうした事業の運用費用も、徐々に街道整備公団の出資比率が多くなってきている。
そして将来的には、街道整備公団などの地元勢力が、諸々の事業を完全に仕切るようになっていくはずであり、その過程のどこかで適切な組織の運営方法を学んで貰わないと困るのであった。
洞窟衆やハザマが、ではなく、現地の人間たちが、だ。
そのことを考えると、現在、森東地域で頻発している大小様々なトラブルは、現地の人間を鍛え、ノウハウを学ばせるためのいい教材になる。
もちろん、洞窟衆なり冒険者ギルドなりといった身内の人間たちにとってもいい教材になるわけだが、そうした失敗例に学べない組織はどの道長くは存続出来ないと、ハザマはそう考えていて、だとすればこの機会をうまく利用する方がいいだろう。
と、ハザマはそういう風に考えていた。
領主兼洞窟衆首領として、日々自分のところまであがってくるクレームの多さにげんなりしているハザマだからこそ、
「問題の発生は原因を特定し、早い段階でその芽を摘む」
ことの重要性も認識している。
ただ、こうした発想はこの世界ではあまり前例がない。
結果、こうした体制が整い本格的に稼働するようになってから、一部の識者を驚かせることになる。
だがそれは、もう少し未来のことになる。
治安維持軍のケイシスタル・ワデルスラス姫は森東地域の地元有力者たちとの会談を何度も行い、徐々に現地での足元を固めていった。
治安維持軍の目的から行っても、そうした地元勢力と競合したり摩擦を起こしたりすることは好ましくないわけで、現地住民の意識を逆撫でしないように気をつけつつ、同時に治安維持軍の出資者たちの面目を保てるだけの成果をあげる必要があった。
このうちの後者、つまり治安維持軍の出資者たちが納得するだけの成果をあげること、に関して、ケイシスタル姫はそこまで熱心にならなくてもいいと考えている。
治安維持軍の出資者とはすなわち王国周辺の平地諸国首脳部であり、膨大な人数になる所属将兵たちを稼働させ、給金を支払いし続けているだけでも一定の役割を果たしているからだ。
つまり治安維持軍の創設と維持には一種の失業者対策としての側面もあり、それだけの人数が誰からも後ろ指を刺さることのない目的のために仕事をしている、という事実だけでも十分に役に立っているともいえる。
「無理に敵を増やしても、いずれ行き詰まるだけだしのう」
というのが、ケイシスタル姫の本音であり、森林貫通街道造営工事のように、治安維持軍には純粋な軍事行動ではない、生産的な仕事をさせておくくらいの方が平和である。
とも考えている。
一応、治安維持軍の目的、いや、森東地域まで出兵に踏み出した理由としては、グフナラマス公爵領を脅かしたこちら側の手勢へ対抗し、これ以上の侵略行為を断念させる、という名目があるわけだが、そちらに関してはもっと詳細な情報を収集し、相手の正体や目的などについて明らかにした後でなければ、どうにも手の施しようがない。
予断や憶測だけで暴走しても地元住民との関係が悪化するだけであり、ケイシスタル姫としてもこの森東地域で治安維持軍が孤立し、反感を持たれることだけは避けたかった。
地元住民と良好な関係を築いた後の方が、その手の情報収集作業などもなにかと円滑にいくはずであり、そのためケイシスタル姫は段階的に、この土地で治安維持軍の足元を固めるところから仕事に着手している。
幸いなことに、この森東地域は平地諸国の民が漠然とイメージするより、ずっと広大な領域だった。
治安維持軍に所属する膨大な将兵すべてを投入してもなお足りないほどの仕事があり、地元勢と競合することはほとんどなかった。
治安維持軍だけではなく、冒険者ギルド経由で森東地域にやって来た労働者ともども、数百万単位の人間がこの森東地域に到来し、多少の混乱はあるものの、それを上回る活況を呈している。
一方で、従来の、安定した生活基盤が壊され、新しい生き方を探すしかなくなった地元住民も大勢存在したわけだが、そうした混乱も含めて森東地域はかなり賑やかな場所になっていた。
混沌含みの活況、ともいうべきか。
不安で、未来を想像しにくい、なにかと不安定な世相ではあったが、人と物が一気に増えて、金回りは確実によくなっている。
もとから地元に居た住人たちも、最近になってこの土地に流れて来た連中も、先が見通しにくい中で懸命に働き、自分の取り分を増やそうとしている。
未来は不透明でも、仕事と金儲けの種に不自由することはない。
そして、金回りさえよければ、たいていの不安はねじ伏せて意識の外に追い出すことが可能だった。
ケイシスタル姫が到着した頃の森東地域は、そんな、浮ついた好景気の中にあり、誰もが目先の利益だけを追い求めて浮き足立っているように見えた。
森林貫通街道の仕事と並行して、いくつかの街道造営事業に関わる。
当面の治安維持軍の方針は、どうやらそんなところに落ち着きそうだった。
ただ、この状況も、いつまで続くものか。
と、ケイシスタル姫はふと疑問に思う。
現在、森東地域での活況を支えているのは、継続的に行われている洞窟衆からの投資が主な原因となっている。
洞窟衆からの投資がなければ、ここまでの活況は出現しない。
洞窟衆から投入される資金が今後減るとも思えないのだが、各地の街道が十分に延びて、影響圏が拡大していくと、今度は従来と同じ額の投資だけではこの活況を維持できなくなるのではないか。
そうなる前に、森東地域の住人たちが経済力をつけ、自前で金を回せるようになれば、問題はないわけだが。




