変化のあれこれ
ガンガジル王国は、国土が広い割には貧しい国といえた。
そのガンガジル王国の世継ぎとして育てられたバイデアル王子は、帝王学なども相応に仕込まれており、ある意味では常識人であるともいえる。
ただ、そのガンガジル王国流の教養は、今となっては古色蒼然としたものでしかなかった。
世の中の枠組みというものが揺るがないことを前提にして、その上で統治者として見識を叩き込まれて来たのが、ガンガジル王子であるといえる。
ハザマ洞窟衆が登場し、活躍し、そうした枠組みを揺るがしているこの時勢にあって、どこか古めかしく、硬直した価値観を捨てきれない傾向がある。
アズラウストが説く一連の言説についても、理屈としては頷けるのだが、心の底でどうにも引っかかりを感じて、素直に首肯出来ない。
というのが、この時点でのバイデアル王子の率直な感想になる。
いや、バイデアル王子のみに限ったことではなく、人間というのはそれまで育ってきた環境により、多くの価値観を形成しており、その軛から逃れ、自由になることはなかなか出来るものではない。
森東地域に来て、冒険者ギルドなど洞窟衆と縁のある者たちと身近に接するようになって、多少はそうした硬直も緩んではいるのだが、まだまだ柔軟になりきれていなかった。
長い年月を費やして培ってきた価値観というのはそれだけ堅固であり、容易に変われるものでもない。
個人の価値観が変化するためには、相応の時間を必要とした。
それと比較すると、不特定多数の価値観が変容するのは早かった。
というより、ここ森東地域では冒険者ギルドが連れて来た外来者の比率が多くなっており、すでに洞窟衆風の価値観に染まった者が数十万単位で急増していたため、元から地元に在住している人々も自然とそちら風の考え方をするようになって来ている。
もともと森東地域は、強固な権威や強大な忠誠の対象が存在せず、そのため、価値観の変容を妨げる要因も、結果としてみると少ない。
「当面、洞窟衆のやることに乗っておけば、大きく間違えることはなさそうだ」
という雰囲気が支配的になれば、ほとんどの者が深く考えることなくそっちの方に乗っかるのだった。
柔軟、とうよりは、場当たり的。
目先に利益につられやすく、より利益を受けられやすい選択をしがちな、ある意味では目先の利益につられやすい、合理的な判断をする者が大半を占めた。
それはそれで、健全だともいえたのだが。
ともかく、洞窟衆がすでに進出した地域では、街道などをメインに倉庫増設や、地域によっては治水工事などを含んだ開発ラッシュが進んでいる。
そうした開発計画を地元勢力に提案するのはだいたい洞窟衆側だったが、地元勢力も日が経つにつれて、そうした計画に積極的に支援をするようになっていた。
「そうした計画を推進することにより、景気がよくなる」
という事実が、証明されはじめていたからだ。
そうした出資は、だいたいは地元勢力が洞窟衆への借金を背負うことを意味するわけだが、即効性の効果があることが知られるようになると、地元勢力は積極的に多額の借金を背負うようになった。
リスクもあるが、それ以上のメリットがあると、そう判断されるようになったためだ。
それどころか、特に街道整備事業などは、地元の勢力が積極的に周囲に呼びかけ、施行する距離を伸ばそうとしている。
そうした街道は、接続する場所が多ければ多いほど、あるいは、完成した距離が長ければ長いほど利便性が増し、継続的な経済効果も得られやすいという経験則が周知されはじめたからだった。
この時点で、完全に完成した街道はまだまだ少なく、そのほとんどが整備途中のものだったが、それでも物や人の交通量が飛躍的に増えると、かなりの効果があると証明されていた。
森東地域は、これまで積極的にそうした公共事業を推進してきた有力者は存在せず、それだけ、そうした波及効果についても免疫がなかったともいえる。
また、西の森を突っ切って到着した治安維持軍の大軍が動きはじめ、大勢の人の目に触れるようになって来たことも、そうした投機ブームを加速される原因となっていた。
あれほどの大軍勢を支え、平然とその活動を維持出来る。
それだけでも、多少なりとも軍勢を維持することの難しさを知る者は驚いた。
治安維持軍は、軍事的な脅威であるよりもまず、豊かさの象徴として地元住民の目には映ったのだ。
あれだけの規模の軍勢を運用するのには、相当の資金が必要なはずで、そうした資金源を確保出来るだけでも凄い。
森のあちら側とは、そこまで豊かな国々が存在するのか。
出来るのか。
森東地域の住人たちは、それまで、他の地域の様子などに関心を示すことはなかった。
というより、これまでは、地元以外の情報を知る機会がほとんどなく、比較をする機会さえなかった。
大半の、一般的な森東地域の住人たちにしてみれば、これまで自分たちが貧しいと実感する契機さえなかったといえる。
洞窟衆がもたらした便利な道具の数々に加え、わが物顔で隊列を組んで移動する治安維持軍の威容は、外の地域の存在を地元住民たちに強く意識させた。
そうした地域格差への自覚することは、現状への不満、自分たちが置かれている状況への認識を強くすることでもある。
どうして、そこまでの差が出たのか。
森東地域の有力者と、それに、特に何の権限も持たないが、危機感を強く抱いた少数の人間たちとは、それぞれにその原因を探りはじめる。
すぐに結論が出るような問題でもなかったが、
「このままでは駄目だ」
という危機感を持つ者は、徐々に増えはじめていた。
洞窟衆なり治安維持軍なりは、この周辺を平定する動きを見せていない。
今のところは、だが。
しかし、一度そちらの方向に動きはじめたら、地元勢力だけではその動きを止めることは出来ないだろう。
森の西から来た連中と地元住民とでは、それだけ大きな格差が存在する。
そうした認識は、徐々に周知されて浸透していった。
そうした認識を抱いた者たちは、それぞれ独自の判断で動きはじめていた。
やつらとの一番大きな違いは、財力だ。
そう考えた者は、少しでも西側の豊かさに対抗しようとして、商売に励んだ。
洞窟衆なり冒険者ギルドなりに吸い取られるままになるよりは、少しでもやつらから金を奪い返してやる。
そう決意し、洞窟衆が興味を持つ商材をどうにか見つけ、調達し、売り込もうとする一派がぼちぼち出現しはじめた。
とはいえ、現状で一番調達が可能であり、なおかつ、洞窟衆が欲しがりそうな商材は、人。
つまりまとまった労働力であり、それも、単純肉体労働に従事する人間よりは、多少なりとも知識なり判断力なりを備えた知的な労働者の方が、採用されやすい。
そうした事実が周知されるようになると、地元住民たちの中から教育熱心な口入れ屋、といった態の者が、徐々に現れ始めている。
そうした組織だった動きではなく、冒険者ギルドで仕事を斡旋されながら、個人としてなにがしかの知識を得ようとする者も少なくはなかった。
読み書きと計算、といった基本的な知識からはじめて、魔法やその他、雑多な専門知識も、金と時間の都合さえつけられれば、誰にでも学ぶことが可能な環境が、整いつつあったのだ。
洞窟衆の側が、そうした知的な意味での貪欲さを支援する方針を一貫していたため、また、書籍などの教材もふんだんに流通させていたため、そうした需要は徐々に満たされていた。
経済的に余裕が出て来ると、今度は人材の質を向上させる方向に動き出す。
一定数以上の人間が集まると、そうした動きが出はじめるという法則は洞窟衆側も把握していたため、普通に、いつもの通りにその需要を満たすための準備を整えていたわけである。
森東地域で起きていた変化は、そうした比較的穏当なものばかりでもなかった。
治安維持軍の当面の目的が、森の西側に侵攻を試みた一派の捕縛と、同じような事態が起こることを防止することだという情報は、そうした事項に関心を持つ者たちの間にはあっという間に広まっていた。
湾岸経由でこちらに来たグフナラマス公爵家の一派と同じことを目指しているようだが、治安維持軍の目的はどうやら「再犯防止」の方に比重が置かれているらしい。
グフナラマス公爵家の方は、より手っ取り早く、自分の領地に攻め込んで来た犯人を特定し捕まえる。
少なくとも、対外的には、そのように説明していた。
いずれにせよ、森東地域のどこかに、あの広大な森を渡ってまで攻撃を仕掛けようとした何者かが潜んでいることは確かであり、森の西側から見た連中は、そうした不届き者については厳しく取り締まるつもりではあるようだ。
ただ、広大な森東地域の中に潜んでいる、おそらくはごく少数の不穏分子をあぶり出すのは、どう考えてもかなりの難事で、成功する目はほとんどないようにも思えた。




