街道整備公団の軍隊
産地の森の中でトエスの部隊が本格的に始動していた前後、森東地域でもいくつかの変化が起こっていた。
「駄馬だろうが荷馬だろうが、まずは馬に乗ることに慣れろ!」
どうにか造営が完成したばかりの街道を騎馬の一群が駆けていく。
「慣れるまで何日でも遠乗りを続けるぞ!」
その先頭を行くのは、ヴァンクレスとその愛馬であった。
後に続く者たちは、どう見ても不慣れな様子で手綱を握っている。
そのほとんどが、現地で採用された人員だった。
そして、ここ森東地域では、よほど裕福な者でなければ馬を所有することが出来ない。
大量の食料と水を消費し続ける馬は、家畜として見ても維持費が高い。
その馬が、今ではガダナクル連邦から継続的に送られて来ていた。
ハザマがそういう手配をしたから、なのだが、なぜそんな手配をしたかといえば、将来的には、街道上のみを専用に守護する勢力を育てようという思惑があったからだ。
そうした組織を作り、維持するためには、機動力を持った戦力が一定数、必要となる。
そのための調練を、ヴァンクレスら騎兵部隊が引き受けていた。
とはいえ、ヴァンクレスらの方法は、順序立てて教えるというより、
「習うより慣れろ」
式の実践に即したものであり、教えられる側はかなりの苦労を強いられている。
「ここからしばらく早足で行くぞ!」
ヴァンクレスは後続の者にそう告げると、少し速度をあげた。
後に続く者たちは、馬に鞭を当てるなどしてどうにかそれに追いつこうとする。
力加減を間違えて強打し、暴れはじめた馬から落ちる者も居た。
「落馬するのもいいが、気をつけろよ!」
しかし、そうした後続の混乱をヴァンクレスは気にかける様子がない。
「それだけでも死ぬときがあるからな!」
教練過程のこの騎馬部隊は、よたよたと頼りない足取りで街道を駆けていく。
こうして新たに編成された騎馬部隊の所属は、洞窟衆でも冒険者ギルドでもなかった。
「現地の問題は現地の人間に」
というハザマの方針により、街道整備公団なるものが組織されて、その運営は街道整備に出資している勢力に任されている。
群小というか寄せ集めというか、その中で特定の勢力が大きな力を握っているということはなく、この時点で百以上の氏族が参加しており、その数はなお増え続けている最中であった。
それだけの有象無象がいきなり集まっても、すぐにまともに意見を統一できるわけもなく、実情を見ればその内部は混沌としている。
ただ、街道が完成した地域で流通が円滑になると、それだけで経済効果があるということが知れ渡っていたので、周辺の勢力は競うようにして整備公団に参加し、新たな街道を誘致しようとしていた。
街道が開通することによるメリットが大きい。
その事実はかなり遠い地域にまで伝わっていたので、整備公団への加入を希望する勢力には事欠かない。
そんな状況だった。
その上、その整備公団は独自の武力を保持しようとしている。
まずは騎兵から教練が開始されていたが、時間が経てば他の兵種についても整備されはじめるものと予測された。
装備品や教練については洞窟衆側が全面的に協力していたが、実際の運用に関しては整備公団に任せる、という洞窟衆側の意向もこの時点で周知のものとなっている。
兵站についていえば、食料にせよ他の物資にせよ、洞窟衆は進出した各所に倉庫を整備し、その中にかなり膨大な余剰物資を蓄えていた。
有事の際にはそうした物資が融通されるはずだったから、よほど特殊な事態にでもならなければまず困ることはないはずだった。
森東地域内のどの勢力にも属さない、その逆に、多くの勢力が入れをしている独立武力集団を創設しようとしている。
その意味について深く考えている者も少なくはなかったが、この時点で一部の有識者以外にはその問題をことさらに話題にすることはなかった。
その武装集団が実際に出動するための条件など、具体的な運用方法についての議論もまだほとんど出来てないまま人を集め、訓練を開始した形であり、今後周辺地域に対してどのような影響を与えるのか、誰にも明言することが出来なかったからだ。
このまま洞窟衆が指導を続け、人を集め続ければ、周辺の地域では前例がないほど強大な武装集団が出現する。
そのことだけは確かであり、そしてその流れを止めることが出来る勢力は周辺には存在しなかった。
各勢力の指導者たちは、時間が経つにつれてその意味と重さ、大きさを認識していく。
そもそも、この周辺では常備軍を持つ勢力さえほとんどいないのだ。
街道整備公団が持つ武力、軍隊にどのような掣肘を設定するべきなのか。
慎重に検討をしていかないと、今後、この周辺の勢力図が大きく塗り変わることも十分にあり得る。
この前後、整備公団に参加している各勢力は活発に連絡を取り、議論をしはじめていた。
人も増え、経済的軍事的にも重要性が増した。
そんな地域を、その周辺の勢力が警戒しないわけがない。
「最近頻繁に見かけるあのトカゲの紋章、あれはなんなのだ」
洞窟衆が進出した地域から若干離れた場所の有力者たちは、口々にそんなことをいいながら慌てて情報を集め出した。
最近、不自然なほどに活気が出ている地域には、必ずといっていいほど類似の旗印を掲げている。
洞窟衆もハザマ領も、そして冒険者ギルドも、共通してトカゲが図案化された旗印を掲げていたからだ。
その他にも各組織で別個の旗印を使うことをあったのだが、一番目につくのは似たようなデザインのトカゲの紋章、ということになる。
洞窟衆が進出した地域では、どこへいってもこの類似の紋章が視界の中に入る、という現象が起きていた。
もちろん、そうした事情は少し探ればすぐに了解が出来る。
洞窟衆は自分たちの活動についてかなりオープンに開示していたし、進出した地域の人間たちもかなり深くまで事情を知っていたからだ。
通りかかった誰かを捕まえて事情を訊ねれば、そうした子細はすぐに知ることが出来た。
しかし今度は、また別の問題も出て来るのだが。
「そのトカゲ野郎たちは、そんなに手広く、しかも迅速に」
これだけの規模の干渉を行えるだけの、勢いがあるのか。
ちょっとでも想像力がある者ならば、その影響力の甚大さに背筋が寒くなるはずだった。
トカゲ野郎たちは、下手な大国よりもよほど豊かな財政と実行力を持っていることになる。
その旗印が翻っている範囲の広さと、そして影響された後の様子を確認すれば、そのことは一目瞭然。
特に有力者たち、つまり、なんらかの統治活動に携わっている者たちは、その手の想像力が豊かだった。
それだけの権勢を持つ集団が本格的に干渉を開始した、という事実に戦慄する者が多かった。
山地からの侵入者たちもそれなりの変化をもたらしていたが、そうした変化は直接的な侵略を受けた土地周辺に留まっていた。
少しでも距離が開くと、そこまで影響がない。
ことに、そうした侵略を受けてそれまで住んでいた土地を追われた人々がぞろぞろとトカゲの旗印を目指すようになると、周辺地域への影響はほとんどなくなったといっていい。
それに比べて、洞窟衆が進出をして来た影響が広まる勢いはどこまでも減衰せず、それどころか以前にも増して加速をつけて周囲に伝播しつつある。
皮肉なことに、洞窟衆が進出した地域から離れた場所の有力者たちの目には、山地からの侵略者などよりも洞窟衆の関係者の方が、よほど深刻に対処するべき対象だと映った。
かといって、いまだに勢いが衰えないトカゲ野郎どもに正面から対抗することが可能な勢力も、現実には存在しない。
遅いか速いかの違いはあっても、トカゲ野郎どもが周辺の地域を取り込んでいくことは避けられないようだった。
だとすれば、それをどのように利用し、少しでも有利な立場を築くか。
そうした、まだ洞窟衆が到着していない地域の有力者たちは、そんな算段をしはじめていた。
彼らにしてみれば、山地から来た連中よりもトカゲ野郎どもの方が、よほど警戒するべき存在に思えたからである。
前者は、単純な侵略者であり、なにを求めてやって来たのかすぐに理解できたが、後者についてはなにを考えているのか想像出来ない部分が大きかった。
わかりやすいものよりも、わかりにくいものの方をより恐れる、というのは、一般的にもよくある心理的な傾向でもある。




