ブビビラ村の変容
「別にアソコまで行かなくても、ここまで来れば通信が通じると思いますが」
「そういや、そうか」
配下の者に指摘をされて、アジャスはあっさり頷いた。
「ずっと森の中で孤立していたから、通信ってものがあることを忘れてたわ。
なんでもいいから連中に連絡を取って、おれたちが到着したことを知らせてやれ!」
などのやり取りがあり、その直後には洞窟衆活動圏全域に、
「ガグラダ族のアジャス、森東地域に到着」
の報告が知れ渡っている。
通信網というのは、良いニュースも悪いニュースも、伝わるのに時間がかからない。
知らせるべき、重要度の高い情報ほど率先して、優先的に素早く広まるという性質があった。
今回のニュースは、洞窟衆にとってそれほど重要な内容だったのである。
このことを予想して、洞窟衆はブビビラ村周辺に拠点を設置し、資材などを搬入していた。
これまで、この森東地域の側から着工することがなかったのは、街道のおおよその到着地点は予測できても、
「具体的に、森のどこをその街道が抜けてくるのか?」
という詳細がわからなかったせいでもある。
森のあちら側とこちら側の情報を摺り合わせ可能な基準値がなかったので、アジャスの一党がやったように、森の中に直に縄でも張って、それをまっすぐ延長していくのが一番確実であった。
一見原始的であるように見えて、一度そうしてルートが確定すれば、それ以降はなにかと、いや、なんでもやりやすくなる。
一言でいえば、それ以降は一気に工程が進展するはずだった。
ブビビラ村の拠点では、むしろこうなることを今か今かと待ち構えていたわけであり、この報せを受けると同時に、準備をしていた者たちが一斉に動き出した。
森のこちら側からそのロープの周辺の木々を切り倒しはじめるのはもちろん、その次の工程である街道整備の土木工事についても、人手の確保など具体的な動きを開始する。
それ以外にも、そのロープに沿って通信中継タグを設置する、という地味な仕事もあった。
この中継タグの設置は、街道整備工事に先行して行われることになるわけで、当然、長期間、未開拓の森の中を進むことが前提となっている。
しかし、工事をする以前に通信圏に入っているかどうかは意外に重要で、今回のように施工する地域が長大な場所を跨ぐ場合、連絡が取れないと施工速度にも雲泥の差が出て来るものと、そう予測されていた。
資材や食料、人員の過不足を小まめに調整して無駄をなくし、同時に負荷がかかっている場所に応援を回すなど、連絡さえ取れれば、それだけ工事全体の作業も効率化されるからだった。
この中継タグ設置の作業は、普通の人間ではなにかと危ないので、結局は森歩きであるアジャスらガグラダ族と犬頭人たちの組み合わせで実行することになる。
アジャスら、遙々遠い森の向こう側からやって来た連中は、一晩宿泊しただけでそのまま往路にとって返すことになった。
一方、この工事において重要な役割を果たすことになったブビビラ村の周辺は、にわかに騒がしくなる。
膨大な資材や食料が、大勢の人間とともに森の中に入って行き、そのまま蕩尽される。
そうした資材や食料の他に、森から切り出された木材などがブビビラ村の周辺に置かれ、場合によってはその場で薪などに加工されることになった。
つまり、この工事全般の中継基地として機能するようになったわけである。
以前から洞窟衆関係者が地元住民に向かい、繰り返しそうなると伝えてきた通りになった形であった。
が、ブビビラ村の住人が想像していた以上に、この周辺の通過する物資や人間の数は多く、そうした地元住民たちは急激な変化に戸惑うばかりだった。
そうした物資や人間が、通過するたびに地元にかなりの金品を落としていった。
つまり、この騒ぎが大きくなればなるほど、ブビビラ村の住民は、少なくとも経済的には大いに潤ったわけであるが、このことも素直に喜べない側面がある。
なにもしなくても、土地を提供するだけで勝手に膨大な利用料が入ってくるようになったおかげで、浮き足だって本業の方が手に着かなくなった村人たちが続出し、少なくとも何世代も続いてきた伝統的な村社会の形態はあっという間に機能しなくなってしまった。
地味な農作業を苦労してやるよりは、その農地を洞窟衆関係者に貸しておいた方がよっぽど楽で実入りがいい。
そうなれば、過酷な労働をするよりは寝て暮らす方を選択するのも、自然な成り行きといえる。
村人たちの中には、急遽宿屋の体裁を整えて、ブビビラ村を通過する旅人に便宜を図って見返りを得るようになった者も少なくはなかった。
当面、少なくともこの街道整備とやらが続く限り、このブビビラ村を往来する人間が減ることはなく、これまた宿屋が空き仕事に困ることがなかったからである。
資材などを仮置きするほど広大な土地を持っていない者は、そうした宿屋を建てるなり、そこで働くなりして、以前よりは楽により多くの収入を得るようになっていた。
宿屋だけに限らず、往来する人間の数が以前とは比較にならないほど増えたため、そうした人出を当て込んでなんらかの商売をしようとブビビラ村に集まって来る者も少なくはなかった。
これについてはブビビラ村だけの問題ではなく、ブビビラ村と前後して洞窟衆の支配下に入った五つの港町やその他、洞窟衆の流通網の途中にあった既存の共同体では、多かれ少なかれ、同様の変化が起こっている。
伝統的な社会形態が損なわれつつある、という見方も出来るし、洞窟衆が来たおかげで周辺地域の産業構造が変化して、全般に、少なくとも経済的には豊かになった、という見方も出来た。
否定的に見るにせよ、肯定的に見るにせよ、その原因となった洞窟衆が金銭や食料、それに膨大な仕事を持ってやって来たことは否定できない。
これはつまり、それまでその地域にいた人間だけでは到底手が足らなくなり、大勢のよそ者がやって来てそれまでの地縁とは関係なく、独自に商売をはじめるようになった、ということでもあった。
「それまで、比較的単純で変化が少なかった地域社会が、経済的な豊かさと引き換えにして複雑化し、大きな変容を迫られた」
というのが、実情だった。
こうした地域は、洞窟衆がもたらす不可避で不可逆的な、大きな変化に丸ごと呑み込まれつつあった。
このブビビラ村には、北の山地と南の港町から、恒常的に大量の物資が届けられ、そうした物資はそのまま森の中へと消えていく。
これだけ大量の物資が日常的に搬送される体制、具体的にいえば街道やその周辺の施設などが徐々に整備されて行くにつれて、ブビビラ村を通過する物資の量は増え続けていた。
いや、増え続ける一方だった。
これは、下手ないくさよりも、よほど大きな金が動いているんじゃないのか?
ごく初期の段階でブビビラ村ならびに、そうした搬送路の途中にある土地の住人たちはそんなことを悟り、それだけ大きな工事を続行できる洞窟衆の権勢について感嘆した。
呆れ半分の、感嘆ではあったが。
それだけ莫大な資金を投入して洞窟衆がなにをしたのかというと、今のところ、例の森を貫通するとかいうものを含め、大小の様々な街道や港、船着場などを整備して、輸送効率をあげただけなのだ。
無論、こうした洞窟衆の仕事は、地元勢にとっても歓迎するべき内容であり、普通ならば、喜ぶべきなのかもしれないが。
しかし、その出資者である洞窟衆にしてみれば、これまでその投資に見合った見返りが、少なくともすぐにあるとも思えなかった。
なにか遠大な計画を持っていて、いずれはどこからか投資分を回収するつもりなのかも知れないが、いや、きっと、そうであるのに違いないのだが、地元の人間からしてみると、洞窟衆は今のところ、膨大な資金を投入してこちらの便宜を図っているようにしか見えない。
それが不思議でもあり、不気味でもあり。
ブビビラ村をはじめとする森東地域の関係者にとって、依然として洞窟衆とは、なにを考えているのかよくわからない連中でしかなかった。
そうした地道な作業が各地で進んでいる間にも、情勢は細かく変化していく。
まず、多忙なハザマの元に、グフナラマス公爵からの使者がやって来て、一種の協定を持ちかけた。
「グフナラマス公爵家の領地を侵そうとした下手人を捜し出してくれ、か」
その文書にざっと目を通してから、ハザマは呟く。
「協力するのは、別に構わないです。
けれども、こっちも今は忙しいから、わざわざ人手を割いて本格的に捜索活動に乗り出すのは、ちょっと無理かなあ」
他の活動の途中で、そちらの件に関わりがありそうな情報なり人間なりをたまたま見かけたら、グフナラマス公爵側に伝えてその際には協力もしよう、というわけである。
ハザマからすれば、この件に関して、そこまで深入りする意味を見いだせなかった。
森の向こう側に対して、いらぬ干渉を試みる不逞の輩は、こちらが探し出すまでもなく、いずれはなんらかの動きを見せるだろう。
今の段階で、乏しい手がかりだけを頼りに捜索活動を展開するより相手が尻尾を出してから大々的に取り締まりを行う方が、ハザマにしてみると、合理的なように思えたのだ。
「つまり、なにか関係がありそうなものを見つけたら、こちらに報せていただけるということで」
グフナラマス公爵の使者は、そういって大きく頷いた。
「今の時点では、それで十分かと。
男爵様におかれましても、いずれそうした輩が本格的に動き出すようになれば、もう少し積極的な働きかけをなさる動機をお持ちになるわけでして」
ハザマの側が今の時点では積極的に動かなくても、今の時点では、必要な情報を共有する合意さえ取っておけば、それで十分、ということらしい。
グフナラマス公爵にしてみれば、
「そうした連中を、洞窟衆も敵勢力として認定する」
という言質が欲しいのかも知れないな、と、ハザマは思った。
無論、そうした非生産的な活動をしている勢力をハザマが認め、助成するはずもないのだが。




