巨大な機構
形の上でこそ選択肢を与えていたが、その実、バネマの住人が洞窟衆の示す方針に逆らうことはほぼ不可能であった。
こうして軍事的に制圧した上で対話を呼びかけているということの他に、洞窟衆はバネマ周辺の港町との協力体制もすでに整え、明日にも各港町の改装工事を本格的にはじめるだけとなっている。
仮に、バネマの住民が洞窟衆の示す方針を退け、結果としてバネマを洞窟衆が利用不可能になったとしても、実のところ洞窟衆に大きな不利益はない。
そうした場合、逆にバネマの住人の方が、周辺地域の盛況から取り残され、衰退を招くだけになる。
バネマの住人が洞窟衆の存在を内心快く思わなかったとしても、しばらくは洞窟衆の指示に従い、従順に振る舞う方がそうしない場合よりもずっと益するところが多くなる。
その、はずなのであった。
バネマの住人が洞窟衆との関係を良好に保たなかった場合、周辺の港町との格差は広がる一方になる。
場合によっては、人も金も景気のいい周辺地域へ流出していき、このバネマだけが寂れていくという未来さえ、予想出来た。
トエスは、冒険者ギルドの職員からそういった内容を教えて貰っていた。
トエスは別に、そうした込み入った内容などについて深く理解出来るほどの素養を持っているわけではなかった。
しかし、これまでハザマ領の開発などを身近に見てきた経験からいっても、そうした、冒険者ギルドの者から説明された内容はそんなにトエスの実感からもそんなに乖離しているとも思えない。
物流量を増やすためには、大規模な地域開発をする必要があり、そうした開発は大量の人件費を投入しなければ実現できない。
また、そうした開発事業が軌道に乗り実際に物流量が増えはじめると、今度は恒常的に物資を運ぶための人件費が発生する。
つまり、簡単にいえば巨額の投資を常に必要とするわけで、いいかえればこうした開発事業は、開発の対象となった地域に巨大な資本が流れ込むことを意味するのだ。
バネマに限らず、最終的には森東地域全体を対象として、洞窟衆はこうした開発をすることを目的としているわけで、今回のような軍事的な侵略という手段に訴えるのも、そうした投資や開発事業について、地元の同意を得る過程を短縮するための手段でしかない、ともいえる。
どちらかというと、特に短期的な視点からいえば洞窟衆側の持ち出し分の方が多く、開発対象となった地域にはメリットしかない。
強いていえば、それを受容できるのかどうか、そうした開発が洞窟衆側の主導によって行われることに納得できるのかどうか、という点については問題があるといえる。
が、洞窟衆側も長期的な損得勘定を考慮した上で誠意を持ってことに当たっているのは、紛れもない事実なのであった。
洞窟衆が進出した地域は、経済的には豊かになる。
これはまず間違いがない事実であって、ただそれを歓迎する人ばかりでもないのだろうな、とは、トエスも思う。
ほとんどの人間は、経済的な利益が大きくなることを歓迎するはずだったが、同時に、自分たちの意思とは関係がないところでそうした事業を強制的に進行されることを、必ずしも歓迎しない、快く思わない人間も出てくるだろう。
これもまた、容易に予想が出来た。
変化、それも後戻りが出来ないような変化を他者から強制されることに、強い反発心を抱くことは、それなりに自然な感情であると、トエスも思う。
ほとんどの人間は、自分の周囲が豊かになっていく実感さえあれば、そうした感情を無視することを選ぶはずだったが、だからといって洞窟衆側の意図を説明をする労力を省いていいということにはならない。
どこまで効果があるのかは不明ではあったのだが、この手の広報活動は結果として徒労に終わることも覚悟した上で、やれるだけのことをやっておかなければならない。
そういう性質のもの、なのであった。
ましてや今は、占領した後の慰撫工作の一環として、やっている形になるわけで。
「本来であれば、もっと議論を尽くしてバネマの方々に理解をしていただくべきだったのかも知れませんが、われわれ洞窟衆が行った交渉と打診について、バネマの方々は好意的とはいえない対応をなされました」
トエスは、そう続けた。
「それでまあ、仕方がなく、こうした事態を強行した次第で。
ただ、このバネマの人や物を損なうことは、われわれの本意ではありません。
こちらからバネマに対して、必要以上の被害を与えることはありませんので、その点はご安心ください」
続けて、トエスは捕縛したバネマの要人を引き出して、洞窟衆の傘下に入ることを承認する文書を手渡した。
バネマの自治権を認めた上で、しかし洞窟衆の開発計画にはほぼ無条件に協力する。
簡単にいえば、そういった内容が書かれている。
バネマ側にも検討をする時間は与えるつもりだったが、こうして軍事的な手段に訴えて占領している以上、実際にはバネマ側に拒否権はなかった。
ただ、こうした公開の場で、洞窟衆側がバネマに対して検討をする機会を与えた、という事実がありさえすれば、体裁はいい。
実際、バネマ側の返答を待たずに、この時点で起重機の設置などの湾岸部開発事業は開始されている。
バネマの占領は、洞窟衆側から見れば、「森東地域開発事業」という巨大プロジェクトの一環として行っているわけで、一度くだした決定を翻してスケジュールを遅らせると、その影響はかなり甚大なものになる。
とっとと終わらせて物資の流れを加速したい、こんなところで足踏みをしている場合ではない。
というのが洞窟衆側の本音であり、ここで手を止める、という選択はなかった。
このバネマは、いや、バネマも、洞窟衆という巨大な機構が動き出してしまった進路上にたまたま存在していたため、いいように翻弄される未来しかない。
それが、実情なのだろう。
洞窟衆側としては、せめて、悪い結果にならないようにと手を尽くすしかないわけだが。
トエスは壇上から降り、入れ替わりに冒険者ギルドの職員が壇上にあがる。
より詳細な説明は、実際に開発計画の詳細を詰めた人間が説明する方が、間違いがない。
こうした開発がなされることで、バネマを経由する荷物や船の量がどれほど増えることになるのか、とかいった内容が、具体的な数字を伴って詳細に説明された。
聴衆の反応は、少なくともトエスが説明していた時よりもよほどよく、ほとんどの人間が真剣な面持ちでそうした説明に聞き入っている。
この町の主権が誰に移るとかいうことよりも、今後、このバネマがどのように姿を変え、自分たちの生活にどんな影響が出てくるのか。
そうした、実際的なことがらの方が、一般市民にはよほど重要なのだろうな。
などと、トエスは思う。
いずれにせよ、すでに動き出してしまっている以上、バネマの人たちは洞窟衆の動きに丸ごと巻き込まれていくしかない。
それ自体はもう決まっているわけで、だったら今後のことをよりよくするため、力を尽くすしかない。
というのが、おそらくは、この町の人たちの本音だろう。
後はもう、この計画について具体案を固めてきた人たちが直接このバネマの人たちと交渉をしながら、具体的な進捗を進めていく段階で、つまりはトエスたち実戦部隊のここでの仕事は、ほぼ完了をしたといえる。
トエスはそのまま冒険者ギルドの職員と引き継ぎを済ませ、自分に与えられた宿舎へと戻りそこで休んだ。
洞窟衆の宿舎とは、つまりはバネマの町外れに急遽設置された天幕になる。
いずれは開発事業に関わる人員のためにちゃんとした建物が用意されるはずだったが、トエスたちすぐにここを去る実戦部隊の人間は、この急造の天幕しか利用する機会はなさそうだった。
その天幕の中で一泊した後、トエスたちはそのまますぐにバネマを発つ。
河川を利用した往路とは違い、帰りは陸路を経由することになっていた。
水路と比較すると移動の時間は余計にかかるのだが、どのみち、バネマとゴドワ、あるいはブビビラ村を繋ぐ経路は今のうちから整えておく必要があり、いくつかのルートを開拓し、流通網を整備しながら帰る形となる。
実際には、
「これ以降、大量の物資がここを通る」
ということを各地の有力者に相談し、了解を得ながら移動するわけだった。
実戦部隊の人間が片手間に行うような簡単な仕事ではなく、派遣されてきた交渉要員を伴い、そうした人員を護衛して行くのが、トエスやヴァンクレスらの仕事。
ということになる。
こうした交渉行脚はバネマを発ったトエスたちだけではなく、実働部隊が何班も編成され、ブビビラ村やゴドワから各地に散って、平行して交渉を進めていた。
ここまで来たら先を急ぐしかないし、それに、街道などが整備されていけば、それだけ流通の効率もよくなる。
洞窟衆という巨大な機構は、ようやく森東地域で本領を発揮しはじめていた。
少なくとも、そうするための条件が整いつつあった。




