アゴウルの攻略
某日のまだ夜が明けぬうちに、洞窟衆の実戦部隊はゴドワを発った。
ヴァンクレス率いる騎兵部隊の人馬を中心に、犬頭人千匹あまりを率いるトエスらも含む、かなりの人数が筏に分乗してアゴウルを目指した。
そうした筏はすべて、小舟に乗った水妖使いの三人が水流を操って動かしている。
予定では、夜明けと前後してこの筏の群れはアゴウルに到着することになっていた。
そのアゴウル付近の河川には、すでに鰐頭人たちが待機しており、実戦部隊の到着を待ってアゴウル攻略を開始する手はずになっている。
人馬と異族を合わせても二千にもならない小勢力であった。
が、ヴァンクレスやトエスらは、特に不安を感じてはない。
むしろ、この人数でも大袈裟すぎるのではないかと、そう疑問視する声が身内からあがっていたくらいだ。
アゴウル全域を占拠することを目的に設定せず、洞窟衆の支配下に入ることに反対をしている要人たちの身柄を押さえることが、今回の目的だったからである。
今回の襲撃目標であるアゴウルと、それにバネマも、住人全員が洞窟衆に反発しているわけではない。
ほとんどの住人は、誰が町を支配しようがあまり関心を持たなかったし、町中の有力者の中には、洞窟衆の支配下に入った方がかえって景気がよく、つまりは町全体の利益になると説く者も多かった。
さらにいえば、この二つの港町にも、交渉を持ちかけた段階で、この提案が蹴られれば軍事力に訴えることも辞さないという、洞窟衆側の覚悟は伝えてある。
つまり、宣戦布告はこの時点ですでに終わっていると洞窟衆側は認識しており、だからこそ迅速に動くことにも躊躇をしなかった。
少数の要人を確保することが目的だったから、過剰な人数は必要ではない。
洞窟衆としてはそう判断し、アゴウル、バネマの両港町の住人に対しても、
「抵抗をしない限り、洞窟衆側が過剰な攻撃をすることはない。
無駄に被害を広げたくない者は、洞窟衆のやることをそのまま放置しておいて欲しい」
と、これまでにも再三呼びかけている。
侵攻を企てる側が、これから襲う側の住民に対して直接こうした広報を行うことは極めて異例のことであり、そうした呼びかけをされた側がどう受け止めたのか、この時点では不明であった。
が、洞窟衆の側としては極めて真面目に、被害を最小限に収めたいと思っている。
この実戦部隊の後に、後続の補給部隊……というより、アゴウル、バネマ両港町の湾岸部を改装するための資材と職人を乗せた船などが準備され、ゆっくりと後を追う手配がなされていた。
洞窟衆側としては、この両港町の攻略には、手こずる要素がほとんどないと、そう予想していた形になる。
出発してからいくらもしないうちに、実戦部隊の筏はアゴウルの町中に到着した。
河川に面した部分のほとんどは防備らしい防備もなく、ただ氾濫を防ぐための堤が、水面から遙かに高くそびえている。
「牙猫たち、頼むぞ!」
ヴァンクレスが、愛馬にまたがりつつ、小舟に乗った水妖使いに合図を送った。
「はいなあ」
水妖使いのトロワが気の抜けた返答をし、その直後に水面が急激に上昇し、水面上の筏をそのまま真上に持ちあげる。
どうやら近くの海から海水をすいあげて、筏を持ちあげているようだ。
ヴァンクレスは筏があがりきるのを待たずに、騎乗のまま堤の上に一度乗り、そこから町中へと飛び降りてそのまま駆け出す。
配下の騎兵たちも、すぐにそれに続き、さらにその後に長大な鉄の槍を持った鰐頭人たちの集団が続く。
鰐頭人たちが走るのは速く、少なくとも騎兵たちから大きく引き離されることはなかった。
地響きを立てて明け方に町中を駆けていくこの集団を、アゴウルの住人たちは何事かと驚いた様子で見守るばかりだった。
まだ時間が早いので往来に出ている者はほとんどいない。
そのかわり、近隣の建物から物音を聞きつけた人間が顔を出し、往来を駆けていく異形の軍勢を見て絶句している。
「では、こちらも」
そういってトエスは軽く手を振り、筏の上から堤の上に降りる。
「後は打ち合わせ通り、各班に分かれて目的の建物を押さえて」
大勢居る犬頭人たちをいくつかに分けて連絡役の人間を配置し、その各班に目的地を設定した上でアゴウルの街路図を渡し、目的地までまっしぐらに進んで包囲するよう、指示をしている。
そうした目的地とは、このアゴウルで影響力を持ち、なおかつ洞窟衆の支配をよしとしない有力者の住居だった。
多くの港町がそうであるように、このアゴウルでも数名の有力者が寄り合って談合をして町の治安を守っている。
いわゆる合議制で統治をしている形だが、アゴウルではこの有力者たちの寄合を評議会と呼び、その構成員を評議員と称していた。
そして、そうした評議員のほとんどは、大きな商会の持ち主や顔役になる。
犬頭人たちの役目は、こうした洞窟衆に反対する立場の評議員の住居を包囲し、最終的には身柄を拘束することにある。
事前にアゴウル内に潜伏させておいた者たちが、かなり詳細な街路図などを作成して、トエスら実働部隊にその情報を手渡していた。
このアゴウルにも治安を守るための人員は配されていた。
が、彼らの仕事はあくまで平時の犯罪者を取り締まることであり、こうした外部からの侵略行為に対する備えはほとんどしていない。
わが物顔にアゴウルの街路を隊列を組んで進む洞窟衆側の軍勢に対し、ときおりこうした衛士が声をかけ止めようとしていたが、洞窟衆の軍勢はそうした制止を無視して目的地を目指した。
彼らアゴウルの衛士たちは、武装も貧弱であったし、なにより組織的に動く訓練をあまり受けていない。
無言のまま、あるいは、
「邪魔だて無用!」
とのみいい捨ててそのまま進む洞窟衆側の軍勢に対して、なす術もなく見守るばかりだった。
『こちら、ヴァンクレス。
たった今、評議会議所を占拠した』
『犬頭人第一班、目的地商会の包囲を完了。
これより評議員の確保に移る』
『同じく犬頭人第二班、目的地を包囲し、評議員の身柄を確保した』
『犬頭人第三班、目的地を包囲することに成功。
続いて……』
移動中のトエスの元に、次々と通信が入ってくる。
ここまでは、順調。
と、トエスは思う。
予定通りに、事態は進展している。
『おい』
ヴァンクレスが、そんな風に確認して来た。
『評議会議所はこのまま鰐頭人に守らせて、おれたちはバネマに向かっていいか?』
「もうちょっと待って」
トエスは即答する。
「もう少ししたら、手が空いた犬頭人がそっちに向かうから。
それから、バネマに」
行議員たちの住居を包囲した犬頭人は、後から続いた人間の兵士たちが追いついた時点で評議会議所へと移動し、ヴァンクレスら騎兵部隊と合流する手筈となっている。
人間の相手は人間の兵士の方にさせておいた方が無難でもあり、家屋内部の捜索などは人間の兵士たちが分担することになっていた。
犬頭人たちが合流した後、ヴァンクレス率いる騎兵部隊は、そのままバネマへと先行する予定だった。
つまりヴァンクレスが確認して来たことは、予定通りの手順を確認しただけ、ということになる。
しかしトエスとしては、騎兵部隊ら、足の速い部隊をバネマに向かわせるのは、もう少しこのアゴウルの情勢を見極めてからにして欲しかった。
身柄を確保した評議員たちの扱いも、今後のことを考えると慎重にする必要がある。
ここまでは順調に推移しているが、これから先もアゴウルの人々が洞窟衆側に対して従順な態度をとり続けるかどうか、この時点ではなんともいえなかった。
正午になる前に、占拠することを予定していた施設はすべて洞窟衆が確保することに成功した。
洞窟衆の支配に反対していた評議員たちもほとんど捕縛され、そのまま評議会議所へと移送されている。
そこには洞窟衆側の交渉要員と、洞窟衆の進出に好意的な評議員が集合しており、これから時間をかけて占領後のこのアゴウルの統治について、協議をする予定だった。
もう少し時間が経てば、以前から声をかけていたこの港町の職能ギルドを代表する人々も評議会議所に集まり、その協議に参加をする予定となっている。
洞窟衆としては、このアゴウルの港町を改修し、港としての機能を強化した上で自由に使いたいという希望があったが、それに抵触をしない事柄に関しては、地元の住民に任せる方針を提示していた。
洞窟衆の補給基地になれば、このアゴウルを通過する物資も何倍かに増えるはずであり、港以外の産業に関しても波及効果は生じるものと、予測されている。
地元勢の意向を尊重していかないと、長期的に見て、洞窟衆側が期待している港町としての物流機能を維持することは出来ない。
洞窟衆側としては、そう判断していた。
もちろん、そうした会議の場にも洞窟衆側の人員が参加して睨みを利かせているわけで、このアゴウルが洞窟衆の支配下に入ったという事実は少しも変わらないわけだが。
そうしてアゴウルの統治が新しい段階に入るのと前後して、ヴァンクレスら騎兵部隊と犬頭人の部隊、それに鰐頭人の部隊は、評議会議所に合流、そのままバネマへの進軍を開始する。
トエスもそこに合流して、犬頭人を指揮する人間としてそのままバネマへと向かった。




