黒衣の騎士
ヴァンクレスは馬を駆る。
行く手を遮るものはすべて大槌で破砕し、あるいは、軽々と跳び越えて、先へ先へと進む。
いつもより、格段に敵の抵抗に、手応えがないな……と、ヴァンクレスは感じた。
浮き足立っている。
やはり、味方の攻撃が成功したという噂は本当だったのだろうか?
そんな考えも脳裏を横切ったが、ヴァンクレスはすぐにそれを振り払い、目前の戦いに集中する。
いつも思うのだが、人とはなんとも脆い生き物だ。
ヴァンクレスが大槌を振るえば鎧袖一触、あっけなく生命を絶ってしまう。
ヴァンクレスはもはや、他者の生命を奪うことに余計な感傷を抱かなくなってしまっている。
感覚が麻痺しているだけではない。もともとこの男は、幼い頃から自他の生命に対してあまり価値を置かず、ひどく薄情なところがあったのだ。
このようなとき、ヴァンクレスはよく哄笑を放つ。
それは機嫌がいいからというよりは、自分のうちの空虚さを自覚し、笑い飛ばすためのものであることが多かった。
ほとんど戦うことしか知らないこのヴァンクレスという男は、その実、自分の中に戦うべき理由というものをいっさい持たない。
内的な必然性ということでいえば、盗賊家業に身をやつしているときの方が、まだしも戦うことを正当化できたくらいだ。
そんなわけで……戦場にたつようになってからこの方、ヴァンクレスの中には日々、鬱屈した気分が累積しつつあった。
「……わはははは……」
ヴァンクレスは哄笑を放ちながら大槌を振るう。
皮肉なことに、積極的に戦うべき理由を持たないヴァンクレスは、戦いの渦中に身を置くときだけ、不思議と高揚した気分に満たされる。
「……なんだ、こりゃあ」
難なくボバタタス橋を越えて敵陣へと来たもの、そこで遭遇した景色を前に、ヴァンクレスは途方にくれる。
「戦う前から、もぬけの空じゃねえか」
おりしも、ムヒライヒ率いるアルマヌニア公軍による投石機の攻撃が終わった直後であった。
敵陣にいるはずの敵の姿は見えず、死体の山と燃えさかる天幕や小屋ばかりが残されている。
生き残った者は全員、少し離れた場所まで一時的退避しているのだが、当然のことながら、ヴァンクレスはそのような事実を把握する術もない。
「このまま引き返しますか?」
ヴァンクレスの背にしがみついているスセリセスが、そう声をかけてくる。
「いいや。
せっかくここまで来たんだ。
うしろから続いてくるやつらも大勢いることだし、行けるところまでいってみるさ!」
大声をあげて、ヴァンクレスは馬の腹に拍車をくれる。
ヴァンクレスの愛馬は、弾かれたように生々しい戦火の蹟を走り抜けた。
ヴァンクレスたちより少し遅れて、大勢の兵士たちが橋を渡りつつあった。
到着したばかりの、ベレンティア公が領地内から招集してきた兵士たちである。
この時点ですでに八万以上を数える彼らは、橋上に若干存在した抵抗勢力をあっけなく制圧しながら前進を続けた。
槍に棍棒、弓に剣。
手にする装備や服装がまちまちなこともあり、彼らは、統制の取れた軍隊というよりも山賊かなにかの集まりのように見える。
もちろん、実際にはベレンティア公配下の貴族が指揮を執っているわけであり、まったくの烏合の衆ということはないはずなのだが。
とにかく、殺気だったその一団は、難なくボバタタス橋を渡って敵地の土を踏むことになった。
そして、そこでヴァンクレスが見たのとまったく同じ光景を目にすることになる。
「……酷い有様だな」
「まったく。
これでは、略奪のしがいもない」
「奴隷に取れる捕虜さえいないとは……」
その兵士らは、口々にそんなことをいいながら、いまだに生存していた兵士たちを見つけては手際よく息の根を止めていく。
この行為は別に残虐さから発したものではなく、とうてい助からない傷を負ってなおかつ生き延びている者の苦痛を長引かせないための、むしろ慈悲から出た現実的な選択であった。彼ら、生き延びた者は全身に何十という穴を穿たれているか、それともひどい火傷を負っているかのいずれかであり、長生きしないであろうことは素人目にも歴然としていた。
「……ようやく、敵らしい敵をみつけた!」
ヴァンクレスが、叫ぶ。
「小僧!
魔法の準備は大丈夫か?」
ヴァンクレスが発見したのは、空からの攻撃が止んだのを確認して引き返してきた山岳民連合の兵士たちだった。
スセリセスが返答するよりも早く、ヴァンクレスは馬を進ませ、その歩兵の群の中に馬体を突入させる。
「……わははははは……」
ヴァンクレスは、笑った。
なにが楽しいというわけでもないのだが、こうして敵と遭遇し、実際に戦いを堪能できることが嬉しかった。
実際にはその兵士たちは、戦意に溢れた敵兵というよりは焼け出された難民と呼んだ方が実態に即しているような有様であったが、ヴァンクレスにしてみればそこまで相手の事情を斟酌してやる道理もない。
ヴァンクレスが大槌を振るうたびに、周囲にいる敵兵が、文字通り、吹き飛ばされていく。
「……わははははは……」
一撃目を逃れた敵兵たちは、巨大な馬に乗り大槌を振り回して次々と味方を倒していくヴァンクレスの姿にすっかり気圧されて、逃げ腰になっていた。すでに実際に逃げ出している、目端が利いた者もいる。
すっかり腰が引けている敵兵たちの態度に頓着する様子もなく、ヴァンクレスは大槌を振るい、次々と敵兵を薙ぎ倒していく。
「……わははははは……」
どくん、と、スセリセスは、身の内になにか熱い塊が流れ込んでくるような感覚をおぼえた。
まただ、と、スセリセスは思う。
この感覚は……。
振り落とされないよう、スセリセスはヴァンクレスの腰に回した腕に力を込め、訝しく思いながら周囲を冷静に見渡す。
「……わははははは……」
恐怖によって見開かれた、敵兵たちの目。目。目。
彼らは明らかに、常軌を逸したヴァンクレスの様子に恐れを抱いていた。
……ああ。
そのとき、スセリセスは、直感的にこの事態の本質を理解した気分になった。
……彼らの恐怖が流れ込んできて、ぼくらの力となっている……。
中心にいるのは、当然、ヴァンクレスだ。
彼が恐れられれば恐れられるほど、その恐怖の念が流れ込んできて、ヴァンクレスを中心とした仲間たちに力を与えている。
だが、これは……当のヴァンクレス自身にとっては、果たしていいことなのだろうか?
「……どうした?
なぜ、魔法を使わない」
「彼らは……こちらにむかってくるよりも、逃げているように思えました」
「ふん」
ヴァンクレスは、スセリセスの言葉を自分にとって都合がいい形で解釈した。
「まあ、逃げ回るやつらを始末するのも、確かにつまらんよなあ」
そういってヴァンクレスは馬首を返し、逃げまどう敵兵を追撃しようとする。
反射的にそれを止めようとしかけて、スセリセスはあやうくその声を出す寸前で止めた。
これは戦争であり、ヴァンクレスは別に間違ったことを行っているわけではない。
ただ、スセリセスの心情としては、ヴァンクレスにこれ以上、弱いものいじめめいた殺戮を行って欲しくはなかった。
ヴァンクレスの馬が、背を向ける敵兵に追すがろうとしたそのとき、細長い物体がどこからともなく飛来し、ヴァンクレスの胸元に襲いかかる。
柄の長い大槌を両手で振り回すため、ヴァンクレスは盾を持たない。
しかし、ヴァンクレスはその物体を、難なく片手で掴み取った。
黒い塗装を施された、投げ槍。
「……誰だ、お前は」
掴んだ投げ槍を投げ捨て、ヴァンクレスは投げ槍が飛来してきた方向へ声をかける。
意外に静かな声だった。
「騎士道に反した行いをする輩に名乗る名はない」
凛とした声が、帰ってきた。
騎士道。
この戦場において、これ以上ふさわしくない言葉も他にはないだろう。
「お前……頭、沸いてんのか?」
今回ばかりは、ヴァンクレスのいい分の方に分があるように思えた。
「名を、聞いておこう」
騎兵だ。
こちらと同じように、黒い騎兵が、こちらに近寄ってくる。
「だから、名を訊ねたのはこっちの方が先だろう!」
「弱きを挫くその了見はさておき、貴公。
腕前の方は確かなものとお見受けする。
ここは一つ、一騎打ちの勝負で破れた方が名を明かすということではどうか?」
「お……おう。
喧嘩で決めるんなら、そりゃ、手っ取り早くていいな……」
なにか、ヴァンクレスが相手のペースに乗せられてきているし!
と、スセリセスは心中でツッコミをいれた。
言動もなかなかに頓珍漢なところがあったが、それ以上に目立ったのは、その騎士の外見。
兜から手甲、鎧まで黒ずくめで揃えた具足はまだいいにしても、跨がっている黒馬の額から、一本の角がまっすぐに伸びていた。
「……ユニコーン?」
珍しい……どころではない。
実在が疑問視されるレベルの珍獣に、その騎士は平然と跨がっている。
……いや。
山岳民は、珍しい獣を能く使役する、とは聞いているけど……と、スセリセスは慌てて自分自身を納得させようとする。
でも、あれって……確か、乗ることができるのは……。
「どうした?
来ないのか?」
「お前の方が先に来い」
「……ふむ。
そちらのタイミングに合わせようと思ったのだがな。
仕方がない。
貴公。
その、背に乗せている子どもを降ろしたまえ。
先ほどから、なぜそんな無駄な荷を背においているのかと疑問に思ってはいたのだ」
「無駄な荷、って……。
こいつは、そんなんじゃないんだが……」
ぶつくさと呟くヴァンクレス。
「勝負がついてからいいわけの種にされるのも、好ましくはないと思ってね」
「っち。
そんなセコい真似をこのおれがするかよ!
おい、小僧!
降りろ!」
「……え?
で、でも……」
「いいから降りろ!
おれに恥をかかせる気か!」
仕方がなく、スセリセスは馬から降りて少し離れた場所まで移動する。
万が一、ヴァンクレスに何事かがあったら、魔法で相手の黒衣の騎士を吹き飛ばすつもりだった。
その黒衣の騎士は、長大なランスを手にしている。
黒衣の騎士とヴァンクレスとは、五十メートルほどの間隔を置いて向かい合っている。
「そこの子ども」
黒衣の騎士が、スセリセスに声をかける。
「開始の合図をしたまえ」
スセリセスがヴァンクレスに目配せをすると、ヴァンクレスはかすかに頷いた。
「……はじめ!」
その動作を確認してから、スセリセスは合図の声を出す。
ふたつの黒い人馬は、一斉に駆けだした。
物語の中ではよく描かれる、騎兵同士、一対一の戦いも、実際に戦場でお目にかかることは、まずないといっていい。そんなことをする理由やメリットが、まるでないのだ。
二騎があっという間に近づき、相手の騎士のランスがヴァンクレスの胸元に迫る。
ヴァンクレスは大槌でそのランスの切っ先を横薙ぎに払う。
ランスを払われ、黒衣の騎士は上体を大きく泳がせる……と思われたが、そうなる前に黒衣の騎士はランスを手放した。
二騎が、すれ違う。
「貴公。
なかなかの手練れであるな」
「お前もな!」
ヴァンクレスと黒衣の騎士とは、少しいった先で再び馬首を返して、再び向き合った。
黒衣の騎士は、鞍に括りつけてあった予備のスピアを手に取る。
「今度こそ、決着をつけよう」
「望むところよ!」
スセリセスの合図を待つまでもなく、二騎はほぼ同時に駆け出した。
大槌とスピアとが交錯し、ヴァンクレスと黒衣の騎士とは、上体を大きく逸らすことで相手の攻撃を避ける。
ある程度の速力を維持しながら、馬上でそんなことをするのは実はとんでもなく難易度が高かったりするのだが、二人は平然と乗りこなしていた。
「やるな!」
「そっちこそ!」
いったん離れた二騎は、再度、馬首を返してすぐに最接近し……今度は、むかい合った状態で馬の足を止め、スピアと大槌とで相手を攻撃しあった。
ぶん、ぶん、ぶん、と、二人の武器が宙を切る音ばかりが、あたりに響く。
どちらの攻撃も、いつまでも、命中しない。
「見かけに寄らず、素早いではないか!」
「お前もな!」
一瞬、膠着状態になるものと思われたが、すぐにその状況を崩した者がいた。
黒衣の騎士が乗る一角獣が、額から伸びる角でヴァンクレスの乗馬を刺そうとし、ヴァンクレスの乗馬はというと、その動きをいち早く察知して一角獣の角をくわえ、首の力に任せてそれを引っ張った。
強引に角を引っ張られた一角獣は姿勢を崩し、ヴァンクレスの攻撃を避けようとしてただでさえ不安定な姿勢になっていた黒衣の騎士は、鞍の上から転がり落ちた。
「……わはははは……」
哄笑を放ちながら、ヴァンクレスも大槌を振りかぶって鞍から飛び降り、勢いよく大槌を黒衣の騎士の上に振り下ろす。




