空襲の余話
ここ数日で対岸の森は、かなり広範囲に渡って洞窟衆が占拠していた。まさに、「浸食して」いったのだ。
もともと洞窟衆は、ファンタルやエルシムに代表されるようなエルフに薫陶を受けた者の集まりであった。森の中での挙動については基礎から叩き込まれており、平原の民としては例外的にその環境に馴染んでいた。加えて、多数の犬頭人たちという支援も期待できたので、ごく短期間のうちに周辺の森の中を自分たちのテリトリー、わが領土となしてしまった。
具体的にいうと、多数の罠をしかけ、事情を知らぬ者が足を踏み入れたら決して無事ではいられない場所にし、定期的に見張りを巡回させるようにしたのである。
ただそれだけのことで、洞窟衆の味方ではない山岳民にとってその森は、足を踏み入れれば牙を剥いてくる禁断の土地となった。
多数の罠を設置する一方で、ファンタルは傭兵の中から志願者を募り、森の中への潜伏作業についての習熟訓練も開始している。敵軍が自由に動けない森の中を動ける人数を多くすれば、それだけ自軍が有利になると考えたからだ。
洞窟衆の中にも戦闘技能を叩き込まれた者は少なくはなかったが、そうした者たちの大半はそれまで荒事には無縁の生活を送っていた者が多数含まれており、そうした付け焼き刃な者たちをいつまでもあてにすることにもそれなりの不安が存在した。実際の戦闘行為ともなれば、やはり場数を踏んでいる者の方が心理的にも余裕があり、落ち着いて行動することができた。そうした余裕は短期間の訓練程度では養えないということを、ファンタルはこれまでの経験から学んでいた。
実際には、「森の中での行動には馴れているものの、戦闘行為には不慣れ」な洞窟衆と「戦闘行為には馴れているものの、森の中には不案内な傭兵」とが入り混ざって行動することが多かった。両者はときに反発しながらもまずまず仲良くなっていき、徐々にお互いが持っている技能や知識を伝えあうようになっていった。
一方で、ムヒライヒ・アルマヌニアが率いる軍隊の方は、せっかく確保した橋頭堡を防備するための砦と多数の投石機を建造するために森の中から何十、何百という樹を切り出して使用した。通常であれば、水害を防ぐため、伐採する木はそれなりに距離を置いて選ぶのが通例であったのだが、なにより戦時だと焦りとここは敵地だという意識によって手近な場所から順番に、無差別に切り株を作っていくことになった。
その甲斐もあって砦と投石機の建造は急ピッチで進むことになったわけだが、総司令部より成果をあげることをさらに急かされた末、今、なんとか数を揃えた投石機を実際に投入することとなった。
投石機の長大な腕木がうなりをあげて跳ね上がるたびに、重石として乗せた諸々が軽々と宙に舞う。着弾点は森のむこうであり、肉眼では確認できない。何度も試射を繰り返して、各投石機ごとの飛距離や癖は把握しているので、おおよその予想はつくのであるが。
「……一番機、左方向に微調整!」
「一番機、左方向に微調整!」
森の中から伝えられた指示を復唱したあと、多数の人夫が巨大な投石機に取りついて動かしはじめる。具体的には、人力によって切っ先をわずかに左にずらすわけだが、一応車輪をつけてはいるものの、本来ならば直進しかできない投石機の方向を力ずくで変えるのは、これでなかなか骨が折れる作業だった。
一番機がそうして調整されている最中にも、他の投石機群は次々と腕木を跳ねあげ、それぞれの重石を宙に飛ばしていく。
それら、重石の内容を具体的にいうのであれば、空中でばらけるように切れ目を入れた麻袋に包んだ小石であったり、火をいれて真っ赤に焼けた木炭を脆い針金製の袋でまとめたものであったり、革袋にいれた油であったりしたわけだが、どれも投石機本来の用途、攻城戦時に必要となるような石弾よりは格段に重量がなかったので、気持ちがよいほどにどれも遠くまで飛んでいった。
そして、着弾のたびその成果や命中の正否を伝えてくるのは、洞窟衆の役割であった。
やつらは、どうした加減かかなりの距離があるはずの着弾地点の情報を観測し、あまり時差もなくこちらに伝えてくる能力があるらしい。その詳細については訊ねてもまともな答えが返ってくることはなかったが、今現在の状況では、便利でありがたい能力といえた。
「……敵兵が山道をこちらにむかって来ているそうですが、いかがいたしますか?」
その洞窟衆から、奇妙な報告が伝えられてきた。
「どうしますか、とはなんだ?」
投石機群よりかなり先行した場所で防御陣地を敷いていたブシャラヒム・アルマヌニアは怪訝な顔つきでその伝令に応じた。
「敵兵ならば、問答無用で戦うべきだろう?」
「それが……それら敵兵は、武装をしていないどころか完全に戦意を喪失した様子で、ただただ逃げまどっているばかりだそうです。
兵士というよりは、恐慌にかられた有象無象といった様子だそうで……」
現代風にいうのならばPTSDとして分類されるのだろうが、ブシャラヒムたちはそうした概念を持たなかった。
「……恐慌にかられた、だと?」
ブシャラヒムは、ますます不審顔になる。
「戦う前にか?」
「予告もなしに空から攻撃されるという前例はあまりありませんから、そうなってもおかしくはないかと。
森の中で弓を構えていた洞窟衆の者たちも、無抵抗の相手を攻撃することに抵抗があるようで」
「ふむ……そういうことか」
ブシャラヒムは、ようやく何事か得心した顔つきになった。
「槍を前に突きだし、防御一辺倒に徹しよ。
やつらが気を落ち着けたときを見計らい、捕縛する。
戦意がない相手を殺戮したところで、なんの名誉にも手柄にもならん」
ブシャラヒムの任務は、まず第一に投石機を壊しに来る敵兵をここで足止めすることとされている。
おそらくこの状況では、どさぐさまぎれに浮き足だった敵兵を殺戮していってもどこからも文句は来ないはずではあったが、「殺すのも捕虜にするのも、敵兵の数を減らす意味では同じだ」という思いもあり、ブシャラヒムは敵兵を殺すことよりも捕虜にすることを選んだ。
こたびのいくさは、味方にも甚大な被害を生じているわけだが、ブシャラヒムの観測範囲はおおよそアルマヌニア公軍周辺に限られている。これからこのいくさがどう転ぶのかはブシャラヒムには判断できなかったが、味方にどんな被害が生じていようとも、今の時点では、アルマヌニア公軍は健在だった。
それに、人的な被害が大きければ大きいほど、戦後、労働奴隷の価格はあがるはずであり、この場で無傷の奴隷が多数手にはいるのならば、これはこれで手柄となり自領を富ませることにもなる。
ブシャラヒムは、そう判断した。
「……若!」
「どうしたら……」
「若!」
「若!」
「ええい!」
面倒なことは軍師に、バツキヤにでも訊け!
と怒鳴り返そうとして、あやういところで自制をする。
このザメラシュ・ホマレシュ、外面を取り繕うことにだけはむやみに長けている。
いな、無理にでもいい格好をしたがるのはこの若者の第二の本能となっていた。
「……今は逃げろ!
空からの攻撃に対する備えなんざあるわけがねえ!」
自身、馬を駆りながら、ザメラシュは叫ぶ。
なにがどうあろうとも、まずは命あっての物種だ。
「あの攻撃は、投石機によるものだそうだ!
だったら、追いかけては来れない!
やつの射程範囲の外に出れば、とりあえずの身の安全は確保できる!
逃げろ、逃げろ、逃げろ!」
ザメラシュの叫びが山岳民連合に呼び込むのは、希望かはたまた絶望か。
アルマヌニア公軍による投石機による攻撃は、小一時間ほどで終了した。そこで、用意した弾薬が尽きたのだった。
投石機が設置された場所からはるかに前進していたブシャラヒムの部隊は、捕縛した大人数の捕虜を後方にまかせると山道を全軍で前進した。
敵本陣の被害を確認するためのと、それに、状況によっては占拠をするためだった。敵陣まで届かなくても、この山道をすべて自軍のものにできれば、敵軍に対してもかなりの圧力をかけることが可能となる。
それ以降は、橋方面と山道、両方を警戒しなければならなくなるからだ。
ブシャラヒムの部隊に少し遅れて、投石機群も前進を開始した。彼らが前に進むということは、従来よりも広い範囲を射程範囲内に収めるということを意味する。山岳民の部隊は大きく後退を余儀なくされるはずであった。
「……なんだ?
今日は休みじゃなかったのか?」
ヴァンクレスが訝しげに呟く。
「なんだか、敵軍がえらく浮き足立っているらしい!」
決死隊に所属するなんとかという男が、叫ぶ。
ヴァンクレスは興味の持てない人間の名前を記憶する習慣がなかった。
「いい機会だから、手が空いているやつ全員で突撃をかますらしい!」
「昨日の今日だぞ。
また返り討ちにあって大損害を出すんじゃないのか?」
「そいつもいくさだろうよ!」
「おれたちだって、もうしこたま飲んでいるんだ!」
「どうせ明日をも知れない身!
せいぜい派手に暴れてやろうぜ!」
決死隊の面々は、みな、どこか捨て鉢な明るさを持っている。
「なら……少し、暴れてくるか」
呟き、ヴァンクレスは愛用の、ところどころ矢穴が空いた具足を手早く身につけはじめた。
兜までしっかりと身につけてから厩舎から馬を出し、その背に乗る。
「お前も、また、来るか?」
そういって、ヴァンクレスはスセリセスに手をのばす。
「行きます!」
スセリセスは元気よく答え、ヴァンクレスの手を取って馬の背に跨がった。
「小僧。
これを、お前の背にでも括りつけておけ」
「……これは?」
バンクレスから手渡された物体を手に取り、スセリセスは首を傾げる。
旗竿だ。
その旗には、奇妙な、見慣れない模様があしらわれていた。
「唯一、一対一でおれを負かした男の旗印だ」
ヴァンクレスは、言葉少なにそう答えた。
「ああいうやつばかりが相手なら、もっとおもしろい暴れ方もできるんだろうがな」
「いや、それは……」
飛竜乗りで斥候隊の生き残りであるニブロムは、叫んだ。
「……そうした動きに同調し、協力することは山岳民連合に対する裏切り行為ではありませんか!」
「それは、それは……」
グゲララ部族長のバジャスは、そう呻いたあと、何事か考え込む顔つきになった。
「……いや。
今の山岳民連合の有り様を変えるには、それくらい強引な手段を取る必要があるか……」
「面白いといやあ、面白いんだが……」
ガグラダ族のアジャスは、闊達にしゃべりだした。
「……いや、おれだって、今の上のやり方にまったく不満がないっていったら嘘になるんだがよ。
だからといって、誘われてすぐにはいそうですか、ってホイホイ寝返るわけにもいくめえ」
「今すぐにどうこうってことはないけど、協力する気になったら声をかけてくれ」
ハザマは、飄々とした態度を崩さずにそういってのける。
「合い言葉は、部族自立。
食うのに困らなくなれば、山岳民連合とやらに義理立てをしてつるむ理由もなくなる。
協力してくれるのなら、食料は責任を持って洞窟衆が売る。もちろん、こっちも商売だから相応の対価はいただくつもりだけど……とにかく、無闇に飢える心配だけはなくなる。
さっきゴグスさんに確認してみたところ、この大陸全体でみれば、穀物はむしろ剰り気味なんだとよ。国外に目をむければ、倉庫に山積みにされている穀物を売り込みたいって先はいくらでもあるそうだ。
輸送コストとか考えると割高になるんで、外国まで売買する例はこれまであまりなかったそうだけど、最近は航海技術が向上して輸送コストもかなりこなれてきている。
沿海州と繋がっているドン・デラを経由すれば、どうとでも調整できるレベルなんだってさ。
そういった穀物を、ハザマ商会はどんどん買いつけて売り捌いていく。相手が王国民だろうがそれ以外だろうが、関係ない。買ってくれるのなら、相手がどうであれ、そいつがお客様だ。
もちろん、おれたちに協力してくれる連中から、優先的に売っていくことになる。
あんたらが協力を拒んでも、こちらに協力してくれる山岳民の部族はいくらでもいることだろうな」




