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【カスパルSide】最終話 もう、君を離さない。

最終話のカスパルSideです。

本編を読んでくださった皆様へ――心からの感謝をこめて。

楽団の演奏が――ふっと、吸い込まれるように途切れた。


その瞬間を、僕は待っていた。


ざわ、ざわ……と静かな波紋がホール中に広がる。

金と白の礼装に親衛隊が続く。


先頭を歩くのは――王。

この国の象徴であり、僕の父。


(……さあ、幕を開けよう)


胸の奥の氷が、小さく音を立てた。


「国王陛下!」


そのひと声を合図に、会場が揺れる。

空気そのものが震え、波のように膝をつく気配が広がった。


誰もが跪く中、彼女も慌ててスカートをつまみ、膝をつく。


白いドレス。

ぎゅっと握りしめられた、あのハンカチ。


(ノエル……)


視線がそこに吸い寄せられる。

胸の奥で、静かな熱がじわりと広がった。


頭を垂れたまま、肩がかすかに震えている。


(驚かせたね。けれど――ここまで来てくれて、ありがとう)


父の足音が一歩、また一歩と進む。

親衛隊の礼装が、規則正しい音を刻んでいた。


そのとき。


「アンッ――アンッ!」

「わふっ!」


甲高い鳴き声と、重い足音。


アナベルが駆け込み、ノエルの膝に前脚を乗せる。

その横でアモンが「ここにいる」と言わんばかりに鼻を押しつけた。


少しだけ、唇の端が緩む。


(君たちが僕と彼女を引き合わせてくれた――ありがとう)


彼らはいつも僕たちに寄り添ってくれる。

まるで、僕と彼女を仲間だと、とうの昔から決めていたみたいに。


「お父様……? お母様……?」


驚いたように顔を上げた彼女の声が震えていた。


彼女の胸の奥がどれほど揺れているのかを思うと、

握りしめた手に汗がにじむ。


(……間に合って、よかった)


彼女が手にした僕のハンカチを見つめる。


返さなきゃ、とでも言うように。

ただそれだけを頼りに立っているのが、痛いほど伝わる。


――そのとき。


「ノエル・カスティーユよ、顔を上げよ」


父の低く、よく通る声が、静かにホールへ落ちる。


「ふふ……驚かせてしまったかな?」


いつもと同じ穏やかさをまといながら、王の威厳を秘めている。


「なぜ王が執事の真似事などしていたのか――

 あなたという娘を、正しく知っておきたかったからだ」


「わ、わたしを……?」


彼女の瞳が丸くなり、震える。


(父も人が悪い。僕より先に彼女に気付いていたなんて……)


その様子に、父が静かに頷いた。


「それより――礼を言わねばならぬ。

 あの日、あなたがかけてくれた言葉が……息子を変えたのだ」


(……やめてくれ、父上)


思わず胸の奥がきゅっと縮む。

でも、もう止めることはできない。


「……わたしの、言葉で……?」


か細いノエルの声が届く。


「うむ。

 あの湖から戻ったカスパルは、まさしく“王子”の顔だった。

 私が愛した女性は平民の出でな……王宮に呼ぶことは叶わなかった。

 だが――あなたの言葉が、あの子の心を前に進ませてくれた」


父の言葉が、まっすぐ胸に刺さる。


(母上……)


脳裏に微笑む母の姿が思い浮かぶ。

王宮の馬車が迎えに来た時も、涙を堪えて送り出してくれた母。


そして、母と別れたあの夜の水面の光。風の匂い。

まだ幼かった僕の隣で、何も言わずに”ご褒美”をくれた少女の温度。


全部、鮮明に覚えている。

思えばあの時から、

僕の目には彼女しか映らなくなってしまっていたのかもしれない。


(僕の夜会は、いつも氷の底にいるようだった)


――誰とも交わらない、触れない。

”氷の王子”は確かにあのとき生まれた。

そして、その氷を砕けるのは――きっと彼女だけだ。


彼女が俯きかけた、そのとき。


「……ノエル嬢」


自分でも驚くほど、自然に声が出ていた。


彼女が顔を向ける。


金の髪に、潤んだ碧い瞳。

光の中で、彼女と僕の視線が重なった。


そっと手を差し伸べる。


彼女の指先がためらいがちに触れ――

そして、僕の手を取った。


(……離したくない。そう思ってしまう。

 君は、どう思っているの……?)


ゆっくりと彼女を立ち上がらせる。


近衛兵が儀仗を打ち鳴らし、ホールのざわめきがひときわ高まった。


振り返れば、蒼白になったジルベール。


「さ、さすがは僕の婚約者だな、ノエル……

 ぼ、僕も鼻が高いよ……?」


引きつった笑み。

その声に、ノエルの肩がわずかにすくむ。


「ほ、ほら……ノエル……?

 こういう時こそ、未来の伯爵夫人らしく……笑って……?

 ね? ね?」


隣のカトリーヌは扇子を震わせながら唇を噛んでいる。


(……滑稽だな)


胸の奥に、冷たいものがふっと落ちた。


「ふむ。その件だが――」


父が口を開いた瞬間、

僕は一歩前へ出た。


「父王。ここからは僕が」


父が満足げに頷き、道を譲る。


(ここからは――僕の役目だ)


ジルベールとカトリーヌの前まで静かに歩み寄る。

ただ近づくだけで、二人の肩がびくりと震えた。


「ジルベール・ラングロワ。並びにカトリーヌ・モンテスパン」


声をわずかに落とす。

きっと、今の声は氷の刃よりも冷たい。


「まず、ノエル嬢への度重なる侮辱行為。加えて意図的な流言。

 ――申し開きは?」


「そ、そそそ……そんなつもりは……っ!」

「…………っ!」


ジルベールは震えながらカトリーヌを見る。

けれど彼女は顔を強張らせたまま、何も言わない。


「そ、それは誤解だよ!

 ほらカトリーヌ! 君からも何か……言って……?」


扇子を震わせるだけで沈黙を貫くカトリーヌを見て、

ジルベールの顔色がさらに変わる。


「おいっ! お前も何か言えよ!」


荒げられた声が、ホールに空しく響く。


(優しさを装った仮面は、もう充分だ。

 ――これ以上、彼女に触れることは許さない)


胸が音もなく沈み、怒りが沸き上がるのを必死で押し込めた。


親衛隊の騎士が進み出て、書状を広げた。


「ラングロワ男爵家、モンテスパン子爵家。

 共謀によりカスティーユ伯爵家を没落させしめた罪。

 両家は全財産を没収の上、伯爵家へ返還すること」


ノエルの視線が揺れ、ジルベールへ向かう。

彼は目を逸らした。


(両家の悪事を暴き、この場に引きずり出すまで――

 あまりにも時間がかかってしまった。

 ノエル。本当に、すまなかった)


「い、嫌よ! このわたくしが没落など……!」


カトリーヌの叫びも、

容赦なく示された別の書状の前では意味を持たない。


(まるで自分が被害者のような口ぶり……。

 まだだ。もっと思い知るがいい)


「――婚姻後にノエル嬢を離縁し、カトリーヌ嬢と再婚して伯爵家ごと乗っ取る計画。

 その全てに、両家当主みずからの血判が押されている」


ノエルの息が止まり、肩が小さく震えていた。


(ノエル――君は、何も悪くない。

 ただ利用されていただけだ)


ジルベールはなおも彼女に縋ろうとする。


「ふふふ……君は僕を見捨てられない。

 ……これからも、僕だけを見ていればいい」


見下ろすような視線。縋るような声。


「ねえノエル? 君は、僕と結婚するしかないんだ」


その言葉に、ノエルが半歩後ずさるのが見えた。


(……もう沢山だ)


僕は一歩前に出て冷ややかに告げた。


「欺かれていた事実は明白。

 ゆえに、約定は無効。

 この場をもって――王家の裁定により、この婚約は破棄とする」


ホール全体が揺れ、息を呑む気配が広がる。


「……そ、そんなぁ……!」


ジルベールは膝をつき、頭を抱えた。


カツン――ッ。


カトリーヌの扇子が床に落ちる。


「嫌あぁぁぁ――ッ!」


牡丹色の唇が震え、その場に崩れ落ちるカトリーヌ。


けれど、誰も――取り巻きでさえも、二人を支えようとはしない。


「没落して反省するがいい。……できるものなら、だがな」


冷たく言い放つ。

それは、まさに氷の宣告だっただろう。


(……彼女を弄んだ罪は、その身をもって払ってもらう)


彼らに背を向ける。

このような者たちと向き合うだけで反吐が出る。


僕は、ようやく本当に守りたい存在の方へ歩き出した。


彼女――ノエルは、息をするのも忘れたように立ち尽くしている。


(……大丈夫だ……。君をもう一人にはしない……)


彼女の足元でアモンがそっと身体を寄せる。


(アモン、ありがとう。けれど、これからは――)


一瞬だけ、あの湖畔で僕を見上げた彼女の顔が、胸に浮かんだ。


そんな彼女の前に――もう一歩、歩み寄る。

彼女の睫毛がふるりと揺れた。


さっきまで自分が纏っていたはずの冷たさが、嘘みたいに遠い。

代わりに僕の胸にあるのは、穏やかで、優しくて、どうしようもなくあたたかいものだった。


(今の僕が、彼女にはどう見えているのだろう)


「も、申し訳……」


反射的に謝ろうとするノエル。

僕は優しく彼女の言葉を遮る。


「――ノエル嬢、君は自由だ。君はどうしたい?」


その問いに、彼女の瞳が大きく揺れる。


(僕は、君に選んでほしい――)


胸の奥が熱くなる。

ノエルが震える指で、白いハンカチを握りしめる。


(――誰かのためじゃなく。君自身のために)


やがて彼女の唇が開き、震えながら紡がれた言葉は――


「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか……?」


胸の奥が――ふっと熱を帯び、驚きに思わず瞬きをした。

けれどすぐに、込み上げてきた喜びのままに微笑んでいた。


五年前、月の光の中――


『いつか君が困ったとき――

 僕にできることなら、なんでもあげる』


あの言葉が、ゆっくりと今に繋がる。


「……なんなりと」


(――今度は僕が、君に返す番だ)


彼女は手を握り締める。

そして、まるでこれまでで一番の勇気を絞り出すように言った。


「――わたしと、踊ってくださいますか?」


その瞬間、空気が完全に止まった。


(……ああ)


胸の奥で、長い間張りつめていた氷が――


パリン。


確かに、割れた。


(彼女が、僕を――選んでくれた……!)


手が震える。


僕は彼女の手を宝物に触れるように取り、

その甲に、込み上げる熱を抑えながらそっとキスを落とした。


「……喜んで。……その言葉をずっと待っていた」


胸の奥から、真っ直ぐに出てきた言葉。


王子としてではなく、

一人の男として。


僕の瞳には――今、確かに彼女だけが映っている。


「バウッ!」

「アンッ!」


アモンとアナベルが嬉しそうに跳ね、

恋人たちのように並んで座る。


(アナベル、アモン。――見ていてくれ)


父王が頬を緩め、片手を上げる。


楽団が再び音を奏で始めた。

カスティーユ伯爵夫妻も寄り添って微笑んでいる。


その曲は――ふたりのためのワルツ。


父が僕たちのために選んでくれた曲。


彼女がそっと、遠慮がちに。

けれど――自分から僕の手を引いた。


温かい。


こんな温度で誰かに手を取られるのは、

きっとこれまでも、これからも――彼女だけだ。


夜会が終わったら、彼女を連れて母に会いに行こう。

この人が、僕が選び、僕を選んでくれた――


(――僕の宝物だと)


そう思いながら、彼女へと微笑む。

彼女もそっと微笑みを返す。


(――だから、誓おう)


「……僕はもう、君を離さない」


「わたしも、ずっとお傍に……」


彼女の手を取って、一歩前へ。

二人の影が一つになり、ホールの中央に差す。


――この瞬間、

長い間氷に閉ざされていた僕の夜会が、ようやく幕を開けた。


彼女と、並んで。

腕の中に引き寄せ、ワルツの一歩を踏み出す。


もう、君を離さない。



カスパルSide:(完)


カスパルSideお読みくださり、ありがとうございました。

お気に召しましたら、評価やブクマ、感想などで応援していただけるとすごく嬉しいです。


これからも、皆さまの心に少しでも残る物語をお届けできますように。

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