ものがたり
「物が語るゆえに、物語り」
初めて聞いた時、面白いことを言うもんだ。と感心したんですよ。
これは「舞台 刀剣乱舞」で使われているフレーズでして、
詳しい人に聞いたところ、ゲーム由来ではなく、舞台のオリジナルらしい。
特殊な力によって人の身体を得た刀たち。
そんな彼らの来歴や、かつての所有者たちとの逸話を題材に、
歴史や、人物、戦、今の所有者への忠誠が
刀たちによって紡がれ、語られる。
本来、物言わぬはずの、「物」である彼らが語るゆえに「物語り」
言い得て妙だ。絶妙だと感心したわけです。
物語りの語源は、「もの」について語る。らしい。
ここでいう「もの」とは、広い意味での「もの」。
物質を指す「物」ではなく、まさしくいろんな「もの」
存在を示す 「もの」
出来事を示す「もの」
魔訶不思議な「もの」
人が作った 「もの」
「もの」について語るから「物語り」
とまぁ、そんな感じの由来らしい。
自分が読みたい、語りたいのは何についてだろう?
と考えてみた。
人であり、心なんだろうなと。
「人語り」であり、「心語り」
どんな媒体であろうとも、
人が感動するのは、誰かの想いや、そこから生まれる行動であり、
その人物がどういう人物で、何故そう思ったのか、何故そう行動したのか、
その理由について感動するのであり、
結局のところ、人であり、心を描くことが物語りの基本だろうと。
ロッキーが試合に勝つだけじゃ足りない、
試合に勝ってエイドリアンの名前を叫ぶから感動するんですよ。きっと。
源義経の正体を悟られるわけにはいかないっていう、
忠誠心があるからこそ、忠義とはまるでかけ離れた、
義経を叩くという本来ならありえない行動、
絶対したくない行動を弁慶がするから、
勧進帳は人々の心に残ってきたんですよ。たぶん。
強い力を持った主人公が、敵を圧倒的な強さで倒しても、
その心の内が何も描かれていなかったら、
たぶん読んでいて面白くないんじゃないかなぁ。
物語りじゃなくて、資料になっちゃうんでは?
私はそういうのは書きたいとは思わない。
ちなみに私は刀剣乱舞のゲームユーザーではありません。
たまたま、CSのチャンネルで放送していた、
舞台の刀剣乱舞を視聴した、というだけのニワカです。
いわゆる2.5次元と呼ばれる括りの作品。
なんとなくのイメージしか持っていなかった。
イケメンの俳優がたくさん出演していて、
それを目当てにして観劇する女性が多い。とか。
マンガやアニメの人気に便乗する実写化みたいなもの。
まぁ偏見に満ちた見解です。
刀剣乱舞の舞台に関しては認識を改めました。
シナリオが実に面白い。
日本史や武将が好きな人なら、「ほほぅ?」となるような作り。
役者の演技や殺陣も、実に素晴らしかった。
関わっている人たち、穿った見方をしててごめんなさい。
ホント、そう思いました。
人の身と心を持った刀たちや、歴史上の人物の、
為人、心情がものすごく丁寧に描かれ、演出されていて、
それがうまく絡み合って、
刀も含めて、「人語り」、「心語り」がされていて
心を大きく動かす「物語り」に仕上げられていました。
食わず嫌いだったなぁ。と感じました。
よく考えてみれば、その道のプロが集まって作っている作品です。
低レベルな方がおかしいんですよね。
変な先入観を持ってしまっていたから、
自分の中で、勝手に大したことないと思い込んでいた。
そんなにクオリティが高くない。と決めつけていた。
今思えば、なんて愚かな思い込み。傲慢ですよね。
思い込みってホント、怖いです。
いろいろと、こうだろうって思っていることを、
見つめ直す良い機会になりました。
真実はいつもひとつ。ではないかもしれない。




