第28章 第5話
翌日。
僕は商店街にある質屋、中吉質店の前に立っていた。
看板には今風にリサイクルショップとも書かれて、質屋としては結構広い。
礼名が欲しいと言う鍵盤アコーディオンはまだそこにある。
お値段は二十万円なり。
この一年で僕たちが必死に働いて貯まった貯金が五十万円。
買えないわけではないけれど、この金は礼名と一生懸命に頑張って何とか貯めた将来のためのお金だ。ここで二十万円が消えるのはとても厳しい。
ヒジョーにキビシー、のだ。
「ごめんくださ~い」
誰もいない店に入ると周りを見回す。
僕がこの店に売りにきた父母の想い出の品がまだあった。父の腕時計七十八万円、母のバッグは五万円、店内のウィンドウに未だ残っていた。だけど母の指輪や父のギターなんかはもう売れてしまったのだろうか、どこにも見当たらなかった。
「あれっ、悠也くんじゃないか!」
店の奥から現れたのは平賀店長。四十歳過ぎだろう、少し前髪が寂しい長髪にジーンズ姿の若作り風なおじさんだ。
「お久しぶりです、店長」
「今や悠也くんも店長だろ?」
笑いながら歩いてくる。
「で、今日は何を売ってくれるのかな? どこより高く買うよ!」
「いや、今日は売りに来たんじゃなくて……」
言いながらショーウィンドウに並んでいる目的の品を指差す。
「このアコーディオンって安くなりません?」
「あれっ? 悠也くんって音楽やるの?」
「いえ、僕じゃなくて妹の礼名が」
ショーウィンドウの鍵を開け中からアコーディオンを持ち上げながら平賀店長。
「ああなるほど。礼名ちゃんはピアノの天才だからすぐに弾けるだろうね…… で、その礼名ちゃんは?」
「今日は僕だけです。実は……」
僕は平賀店長に二十万円と言う値段が僕らには厳しいこと、だから礼名が二の足を踏んでいると伝え、値切り交渉をする。
「う~ん、礼名ちゃんが使ってくれるんならタダで譲っても、と言いたいところだけど、うちも商売だからねえ。はいこれだね。ちょっと待ってて」
彼はアコーディオンを僕に手渡すと店の奥に戻っていった。
手渡された楽器はずっしり重い、10キロは超えていそうだ。
だけどとても綺麗な商品でパッと見たところ大きな傷とかは見当たらない。
「う~ん、勉強に勉強して十六万円、悠也くん特別価格適用で十五万円だね。それ以上はちょっと難しいな……」
電卓片手に戻ってきた店長はそう曰った。
十五万円。
貯金は僕らの将来の学資だ。大学のための資金だ。予定に届かなかったら礼名が何を言い出すか目に見えている。きっと彼女は僕の犠牲になる。
「お兄ちゃん何してるの!」
振り返ると店の入り口に立つマイリトルシスター。
「おっ! 礼名ちゃん、いらっしゃい!」
軽く手を上げる店長にペコリと頭を下げると礼名は店に入ってくる。
セーラー服に赤いカバンを後ろ手に持った礼名は不思議そうに。
「お兄ちゃんが弾くの?」
「んな訳ないだろ。今店長に勉強して貰ってたとこだ」
「勉強? ああ、値段交渉だね」
話ながら礼名にアコーディオンを手渡すと、彼女はそれを担いで演奏のスタイルを取った。すっごく重いのに平然として鍵盤の上にその手を載せる。そうして白くしなやかな指を流れるように踊らせる。
「十五万円までは負けてくれるって」
「十五万円……」
僕と同じ考えなのだろう、値段を聞いて礼名も考え込む。
「折角だし弾いてみてよ」
「ありがとうございます」
店長が電源コードを持って来る。そうしてごそごそとセッティングすること約一分。礼名が鍵盤に手をのせるとピアノと言うよりオルガンに近い音が出た。
初めて手に持つその楽器の色んなところを確認していた礼名はやがて聞き覚えのある綺麗な旋律を紡ぎ始めた。
マイ フェイヴァリット シングス(My Favorite Things)
著名なミュージカルの一曲でジャズのスタンダードとしてもよく演奏されるその曲をいつの間に覚えたのか、アドリブまで織り交ぜて流れるように奏で始める。
「すごいや礼名ちゃん! 体が踊り出しちゃうよ!」
店でもよく流している曲だけど、コルトレーンでもエバンスでもブルーベックでもない。礼名なりの軽やかなアレンジに引き込まれる。我が妹ながら凄いとしかいいようがない。
店長は指を鳴らしながら完全に聴き入っている。彼は若い頃バンドをやっていたとかで、父のギターを売るときにも昔の話をしてくれたっけ。
十五万円。
微笑みながら弾くこんな礼名を見て、買わないなんて有り得ない。
いや、彼女のためだけじゃない。僕も欲しい。僕も聴きたい。
ずっと聴いていたい……
やがて。
パチパチパチ……
「よかったよ礼名ちゃん。凄いよ。聴き惚れちゃったよ!」
そう言うと店長はもう一度電卓を取り出した。
* * *
「ありがとうお兄ちゃんっ!」
巨大な箱を持った礼名は嬉しそうに何度も何度も笑顔を向ける。
「僕は何にもしてないじゃないか」
「早速練習するから、お兄ちゃん聴いてねっ!」
「もっちろん! 楽しみだな!」
結局僕たちは一円も払っていない。
あのあと暫く電卓と睨めっこをしていた平賀店長はアコーディオンを貸してあげようと言い出した。
「ご両親の大切なものまで売りに来てくれたんだ。悠也くん家がどんな状況かくらい僕にも分かるよ。だけどタダであげることも出来ないし。どうだろう、このアコーディオンを貸すと言うのは。どうせ事情があるんだろ? 勿論期限は設けないし貸し出し代も戴かない。用が済んだら返してくれ」
礼名と顔を見合わせるとふたり深々と頭を下げた。
暫く礼名が頭を上げなかったのは、そのくしゃくしゃの顔を見られたく無かったからだろう。
「しかし礼名凄いな。いきなりあんなに弾けるなんて」
「でへへっ。実はね、ピアノの先生のところに同じタイプのアコーディオンがあったんだよ。だから何度も弾いたことがあるんだ」
「道理で使い方を知っていたわけだ」
「えへへっ。そうじゃなきゃいきなりは無理だよ」
「ははっ、騙されたな!」
ふたり笑顔で商店街を歩く。
自然と笑みがこぼれてくる。
こんな時間がいつまでも続けばいいのにと。
第二十八章 完
第二十八章 あとがき
こんにちはっ!
いつもご愛読、超感謝してますっ!
アコーディオンを手に入れて毎日が超ハッピーな神代礼名ですっ!
さて、いよいよ輸入食品館ウィッグの開店が迫ってきました。
勿論わたしたちは負けませんよ!
オーキッドはお兄ちゃんと礼名の大切なお城。
ふたりの幸せな毎日を邪魔しようとするものは問答無用で叩きのめしてあげます。
皆さんも礼名の応援をお願いしますねっ!
では、またまた懲りずにお便りが来ているようです。
こちら、ペンネーム『もっと私に貢いでよ』さんです。
いつも陽気な礼名ちゃんこんにちは。
……はいっ! こんにちは。
私は容姿端麗で頭もよくって運動神経抜群なリア充大爆発中のJKです。
……リア充爆発してそのまま炎上しないことを願ってます。
さて、容姿端麗な私にも実は深刻な悩みがあります。
どうも最近ストーカーに纏わり付かれているようなのです。
まあ、容姿端麗だから仕方がないのかも知れませんけど。
先日もスマホをいじりながら夜道を歩いていると、ふっと背後に人の気配を感じました。私は立ち止まって振り返ってみたんですけど、誰もいません。その直後、目の前をダンプカーが猛スピードで通り過ぎていきました。
昨日なんか友達との約束に遅れそうになってバス停へ走っていると、何だか背後が気になって振り返ったんですけど誰もいません。おかしいなと思って来た道を少し戻ったりしている内にバスに乗り遅れてしまいました。しかも、次のバスに乗っていくと道が大渋滞で大遅刻しちゃいました。ちなみに渋滞の原因は先に出たバスが事故に巻き込まれて横倒しになっていたからですが。
そんなこんなで気配は感じるのに姿を見せないストーカーを捕まえてギャフンと言わせてやりたいんです。でも、警察に言っても被害はないからと相手にしてくれません。
礼名ちゃんは美人で可愛いからストーカー対処の仕方もよく知っていますよね。
どうしたらいいのか是非教えてください。
そうそう、今朝はストーカーに追いかけられる夢まで見ました。
振り返ると何故かそこには死んだはずのおばあちゃんがにっこり笑っていました。
だけど、おばあちゃんは私に凄く優しかったので犯人じゃないと思います。
ってなお便りですけど。
あの、容姿端麗な『もっと私に貢いでよ』さん、お手紙を読むと貴女はその「ストーカーの気配」に一度ならず二度までも命を助けて貰ってませんか?
それ、どう考えてもストーカーじゃないですよ。
貴女の背後の気配の正体、きっとそれは貴女の守護霊さまですよ!
礼名が思うに、貴女を守る守護霊さまが貴女を助けるために気配を感じさせたんですよ。
ストーカーなんて失礼なことを言ったらバチが当たりますよ。
それきっと貴女に優しかったおばあさまだと思います。
ストーカー対策なんて何もしなくてもいいですから、今度おばあさまのお墓にお参りしてください。それが礼名のアドバイスです。おばあさまきっと喜びますよ!
ちなみに礼名はご先祖様のご加護とか霊の存在とか、そう言うの結構信じる方です。
と言うわけで、容姿端麗な『もっと私に貢いでよ』さん、これからもリア充爆裂させてくださいねっ!
では、次章の予告です。
ウィッグ開店まで一週間を切ってきた。
ウィッグに負けじと対策に忙しい神代兄妹。
そんなふたりのお店に忘れかけていた男が客として現れる。
そう彼こそが何と!
次章『お兄ちゃんとのファーストキッス、えへへっ』もお楽しみにっ!
いつもタウリン3000mg配合、神代礼名でしたっ!
って、このわたしのキャッチコピー、薬事法には抵触しませんよね?




