第26章 第1話
第二十六章 ふたりの誕生日(後編)
「さあ、一気に合意を取り付けるわよっ!」
二月になった。
例年この時期から三月まで南峰生徒会は忙しくなる。
理由は次年度の予算調整。
限られた予算を二十以上ある部活に割り振り合意を取るのだ。
割り振るのは簡単だが、合意を取るのは至難の業。
何せどの部にも欲望があって独りよがりで、少しでも多くの予算が欲しいのだから。
しかし、今年の生徒会はひと味違った。
「華道部の予算は去年と同額なの。増額申請があったけど我慢してくださらないかしら」
「はいっ! 勿論です、麻美華さま~っ!」
何故か女生徒に圧倒的人気を誇る麻美華。
「卓球って格好いいわよね、今度教えて欲しいわ。そうそう来年の予算は少し減っちゃうけど体育館の利用ローテは希望通りなの。ねえ、これでOKくれたら綾音も嬉しいわ!」
「は、はいっ!」
学校のアイドル、桜ノ宮さんが放つ爆発的Hカップの迫力に全ての男の思考は停止し。
「文芸部の次年度予算は少し厳しめですけど、聖應院との読書会も仲介しますからねっ! 何とかこの予算でお願いしますっ!(にこりっ!)」
礼名の瞳に見つめられ、その笑顔に逆らえる者などいるはずもなく。
去年は揉めに揉め、結局二ヶ月掛かった予算調整がたった一週間で終了した。
「後は報告書を作るだけね。じゃあ今日はこれまでにしましょう」
麻美華の声にみんなは席を立って帰り支度をはじめた。
今日は水曜日。
いつもなら麻美華と公園で待ち合わせる日だが、暫く外で会うのは止めることにした。一昨日の月曜に、また気味が悪い出来事があったからだ。
月曜日。
ちょっとだけ話をしたいと麻美華に誘われ、いつもの公園で落ち合った。
「今日も寒いでしょ? 歩きながら話しましょう」
僕らは公園を出て、どこへともなく歩き出す。
「ねえ、お兄さまは甘い物はお好きですか?」
「まあ好き、かな。納豆以外なら何でも食べるし」
「納豆は栄養豊富なんですよっ! 好き嫌いはいけません! 今度、麻美華お手製の絶品・チーズ納豆バーガーを作って来てあげますね。納豆のネバネバとチーズのとろーり感が絶妙にアンバランスでクセになりますよ!」
「そのメニュー、今考えなかったか! 僕を実験台にするなよ!」
そんな、金でも銀でも銅でもよいことを語らいながら、ふと公園の横に駐まる白い車を見た僕は息を飲んだ。
車に乗っているサングラスの男に見覚えがあったからだ。
桜ノ宮さんといたときに見た男じゃないか?
僕はぐるりと住宅街を回ると、また元の公園へ戻ってみた。
そうしてさっきの白い車を見る。
あの男はどこへ行ったのか、路上の車には誰も乗っていなかった。
僕は公園に行くのをやめ、大通りの方へと歩き出す。
「ごめん麻美華。実は……」
そうして麻美華に桜ノ宮さんと外出したときの一件を打ち明けた。
勿論、今見たことも話した。
麻美華は頭の切れる子だ、桜ノ宮さんとなぜ一緒にいたかは追求されず、今日はもう別れて帰ろうと言われた。
「気味が悪いわね。だけど、もしそうなら、いつから観察されていたのかしら……」
そう言う理由で、当面麻美華との公園デートはなしだ。
「お疲れさま! じゃあまた明日!」
校門を出ると他のみんなに手を振って礼名とふたり帰路についた。
「今日は早く終わったね。コン研には行かないの? いつも水曜は行ってるみたいだけど」
「あ、今日はいいんだ」
「ふう~ん…… あ、そうだ。せっかくだから敵情視察にいかない?」
「ウィッグか?」
「うん、バス停もすぐそこだし」
と言う流れで。
僕と礼名は市一番の繁華街へと向かった。
バスに乗って三十分、バスを降りて歩くこと五分足らず。
平日だからか人通りはまばらだった。
「ここだね、憎っくき輸入食品ウィッグ!」
入り口は広く、たくさんのコーヒー豆が並んだカウンターがある。
ブラジルサントス、モカ、コロンビアスプレモ、キリマンジャロ、ブルーマウンテン、マンデリン、トラジャ、ハワイコナ、グアテマラ……
特売品から驚くほど高価なものまでストレートの銘柄だけでも実に豊富。
僕も仕事柄コーヒー銘柄の特徴は舌に叩き込んでいるつもりだ。だけどコーヒーって本当に奥が深いと思う。例えば僕の好きなキリマンジャロ。酸味に優れて甘く上品な香りが特徴だ。だけど畑や収穫時期、焙煎などでも味は変わる。この店のキリマンと隣の店のキリマンが同じであるとは限らないのだ。
「お兄ちゃん、コーヒー豆見るの好きだね。でも今日はグッと我慢だよ」
礼名が微笑んで待っていた。
コーヒー豆売り場の横では試飲のコーヒーを配っている。どこでも見かける小さい紙コップ。ふたりはそれを貰うと店内に入った。
入ってすぐの大きな棚には輸入物のチョコレートがたくさん並んでいる。
「もうすぐバレンタインだからだね」
箱入りのウィスキーボンボンからシンプルな板チョコ、キャラクター容器に入った子供向けチョコまで近所のスーパーではお目にかかれない舶来チョコばかりがズラリと並ぶ。
「お兄ちゃんに買わなきゃだねっ! あっ、勿論ここでじゃないよ。だけど凄いね、こっちはベルギー産コーナーだって」
礼名は手にとって熱心にチョコを見ている。手に取ってみているからといって店員さんが寄ってくる訳ではない。好きに見て聞きたいことがあればこちらから聞く、って感じだ。
僕は礼名を置いて中へと進む。
平日水曜日の夕方でも主婦や年配の方、サラリーマンやOLなど、お客はそこそこ入っている。僕は手に持ったコーヒーを一気にあおった。この店のブレンドだろう。バランスの取れた軽めの味だ。まあ、それなりに美味しいけど、普通かな。
空になった紙コップを近くのゴミ箱に放り込むとアジアからの輸入食材を見る。
タイのトムヤンクンスープの素がたくさんある。瓶詰めやレトルト、香草が入った袋詰めパックもある。トムヤンクンは父が好きだったから小さい頃から何度も食べた。酸味があってとっても辛い代表的タイ料理。父は辛いところが美味しいと言っていたけど、僕にはひたすら辛いだけだった。だけど今なら美味しく食べられる気がする。
「お兄ちゃん何見てるの? アジアンフード? あっ、トムヤンクンだね。礼名は結構好きだよ。今度作ってみようか!」
瓶詰めを手に取り値段を見て考え込む礼名。
「レモングラスにバイマックルーでしょ、それにフクロタケ、エビとか買うと結構するね。あ、こっちは香草がセットになってる。凄いな、こんなのあるんだ……」
今日は見るだけだと言っていたのに、今にも買いそうな勢いでチェックする礼名。
「またの機会にしよう。お兄ちゃん、こっちも見て見ようよ!」
アジアンフードの横は輸入ワインやリキュールのコーナー。そしてその奥には紅茶がズラリと並んでいる。イギリスの有名なブランドから聞いたことがないブランド、そして『ウィッグ』ブランドの紅茶やハーブティーまであった。
「バニラティーがあるね。昔お父さんが買ってきたの美味しかったな」
「そうだな、そういや最近飲んでないな」
「また今度買おうか……」
苦笑いしながら手に持った『ウィッグ』ブランドのバニラティーを棚に戻す礼名。
「こっちはチーズとかハムもあるよ」
壁際に沿った冷蔵ケースにはチーズやハム、スモークサーモンなどがずらり並ぶ。
「チーズか。最近サンドイッチ用しか喰ってないな」
「ごめんね。だけど結構値が張るんだもん」
「いや、礼名の所為じゃないって」
チーズって本当に種類が多い。僕の知らないタイプや銘柄もいっぱいある。
青カビのやつもある。青カビのチーズってよく聞くけど美味しいのかな?
「ブルーチーズだね。礼名は一度食べた事があるよ。お友達の家で。案外美味しかったよ」
「へえ~ だけどすっごく高いな」
「……ホントだ」
それからも僕たちはクッキーやドライフルーツ、香辛料にオリーブオイルなどなど、三十分以上さんざん見て回って何も買わずに店を出た。
「どうだった? お兄ちゃん」
「うん。正直、面白かった」
「わたしも……」
店を出てふたり並んでバス停へ向かう。
そして今後のことを考えると、さっきまでの楽しい気分は一気に吹き飛んだ。
「あんなお店に無料の喫茶スペースが出来るんだよね……」
「ああ、最強かもな……」




