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お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法  作者: 日々一陽
第二十五章 ふたりの誕生日(前編)
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第25章 第2話

 店内が静まりかえった。

 僕の脳細胞もフリーズした。

 礼名ですらお冷やを手に持ったまま口をあんぐり開けている。


「あ、あのさ。それ、どう言うこと?」

「このお店を五億円で買うってことよ」

「いや、それは聞こえてるけど、何故、どうして、何のため!」


 うちの店の価値はせいぜい五千万だ。

 一年前、残っていたローンの清算をしたが、その時の価値はそんなものだった。ちなみにローンは半分以上残っていた。一般庶民としては莫大な借金だ。だから保険金も預金も金目のもの一切合切を使って清算したのだ。

 しかし、今、目の前で鼻高々と上から目線を炸裂させて僕を見下ろす金髪の美少女は、5億円と言ったのだ。相場の十倍。何か勘違いしていないだろうか。


「ちゃんとパパの後ろ盾もあるのよ。そう、倉成壮一郎よ」

「いや、おかしいよ! 余計な事するなよ! だいたいさ、この店の相場知ってる?」

「あら、五億じゃ不満なのかしら。じゃあ五十億で」

「違~うっ! バブル通り越してインフレーション宇宙だよ、それ!」

「そうです麻美華先輩! 金額の問題じゃありませんっ! どうしてそんなことを言い出すんですかっ!」

「あら、南峰首席の礼っちならすぐに分かると思ったんだけど」


 僕は礼名と顔を見合わせる。

 理由は簡単に想像がついた。

 桂小路に店の周囲を買い取られることが判明した今、この場所を捨て、他の場所に移転する方が利口だ、と言うことだろう。五億もあれば商店街のいいところに店を構えても四億はお釣りが来る。

 ってか、遊んで暮らせるじゃん。


 だけど。


「麻美華先輩、例えそれがわたしたちのことを思っての親切だとしても、このお店は絶対に売りません! 五億でも五十億でも五百億でも一緒です。ここはお兄ちゃんとわたしの大切な大切なお店なんですから」

「だけど礼っち……」

「それにおかしいですよ! どうして麻美華先輩が、倉成壮一郎さんがそこまでしてくれるんですか? そんな大金を使ってくれるんですか? 先輩とは学校が同じと言うだけの赤の他人なんですよっ!」

「礼っち、それは……」


 さっきまでの自信満々とした上から目線は消え、麻美華には狼狽の色さえ見えた。


「そ、それはきっと、倉成さんからしたらたいしたお金じゃないからじゃないかな? ねえ倉成さん」

「あ、ああ、そうよ礼っち。こんな店のひとつやふたつ、この倉成麻美華にとっては駄菓子屋でフーセンガムを買うようなものなのよ!」


 と、突然礼名は僕の方へ向き直った。


「ちょっと待ってください! 庶民の生活をペロペロ舐めきった今の例えもとても失礼ですけど、問題はそこじゃありません! お兄ちゃん! どうしてお兄ちゃんが麻美華先輩の肩を持つんですかっ?」

「あっ、いや、多分そんなことだろうなって……」

「いいえ、今のは完全に麻美華先輩への助け船でした! お兄ちゃんが優しいのは知っています。そんなお兄ちゃんは素敵です! でも、今は礼名の味方に付くべき時だと思うんですっ!」

「あ、あはは。そうかも、な」

「そうですっ! お兄ちゃんは礼名のお兄ちゃんなんですっ!」


 僕らの会話を聞きながら、麻美華は気まずそうにカウンターに腰を下ろす。


「あ、はい、メニュー。何にしようか倉成さん」

「じゃあ、いつものプリンパフェで」


 いつもの?

 こいつが言う「いつものプリンパフェ」って、さくらんぼ大盛りだったりプリン2個重ねだったりするのだが。


「さくらんぼとかプリンの増量は?」

「普通でいいわ普通で、悠くん」

「普通って何だ? 増量は一切なしか?」

「ええ、そうよ……」

「普通じゃないな……」


 そんなこんなで。

 完全に意気消沈したその日の麻美華は、ごく普通にパフェを食べ、ごく普通に会話をし、ごく普通に帰って行った。


          * * *


「お兄ちゃん、ごめんなさい」


 最後のお客さんが帰っていくと礼名は僕に頭を下げた。


「何のことだい?」

「今日はお兄ちゃんを困らせてしまったよね、麻美華先輩のこと」

「あ、あれは…… 僕だってこの店を売る気はこれっぽっちもないんだ」

「分かってるよ。だから麻美華先輩は困った顔をしたんだよね。それで優しいお兄ちゃんは麻美華先輩を助けてあげた……」


 それは違う。

 咄嗟とっさに僕は恐れたんだ。

 麻美華との関係がバレるのを。


「それなのに礼名はお兄ちゃんを困らせる言い方をしてしまいました。ごめんなさい」

「いや、謝るのはこっちだよ」

「いいえ、礼名こそ。だけど息が合ってたね、お兄ちゃんと麻美華先輩…… あっ、お腹空いたよね! 今すぐご飯の用意するねっ!」


 ぎこちない笑顔を見せると、礼名は足早に台所へと去っていく。

 僕もすぐに店の片付けを終えると居間へ戻る。


「今夜はスパゲティだよ。お腹空いたよね、麵はたっぷり湯がくからねっ!」


 白いエプロン姿の礼名はいつもの明るい笑顔を見せる。


「うん、ありがとう」


 ふと壁のカレンダーを眺める。

 早いなあ、もう一月も十日。

 そして二月に入るとすぐに礼名の誕生日だ。

 誕生日。

 昔はいつも母がご馳走とケーキを作って祝ってくれたけど、今年は僕がやらなくちゃ。


「今日のスパゲティはトマトソースだよ。ハムを贅沢に使ってみるよ、ハムはたくさん貰ってきたからね。それから、スープは野菜たっぷりのコンソメスープね。こっちもハムがアクセントだよ。そして、じゃじゃじゃじゃ~ん! 食後のデザートはお待ちかねの礼名が待ってるよっ! 心配しなくても礼名はハムじゃないからね、マグロじゃないからねっ! 今夜の礼名はちょっと小悪魔系でお兄ちゃんをイチコロで落としちゃうよっ! じゃあ、今晩はお兄ちゃんのベッドで待ち合わせだねっ!」


「却下」


 礼名の話はすぐに急展開するので注意が必要だ。

 迂闊うかつに聞いていると誘導尋問に引っかかる。


「ちぇっ! 乗ってこないんだよな~ ぼ~っとカレンダー眺めてたから今日こそ引っかかるかと思ったんだけどな~っ」


 そう言いながら手際よくスパゲティを盛りつけて運んでくる。

 礼名の作るスパゲティはとても旨い。

 本人曰く、愛情がたっぷり入っているからだそうだ。


「はいどうぞ」

「いただきます…… って、うん、美味しいよ。やっぱ礼名のパスタは旨いよ」

「お兄ちゃんってトマトソース好きだもんね。スープだってグラタンだってトマトソースにしとけば何でも美味しいって言うよね」

「…………」


 愛情の正体、ってそんなものだったのか。


「野菜スープはお代わりあるからね」

「うん」

「こうしていると新婚さんみたいだよね、わたしたち」

「兄妹だけどな」


 ねたように僕をにらんだ礼名は、しかしすぐにどこか遠い昔を懐かしむように微笑んだ。


「昔は楽しかったな~ 晩ご飯が終わるとお兄ちゃんと本読んだり、ドロップを賭けてトランプしたり、ちょっと大人のお医者さんごっこしたり」

「最後のは記憶にないな」

「マンガも並んでよく読んだね。お兄ちゃん、わたしが買ってた少女マンガにはまってたもんね」

「だって面白いんだから仕方ないだろ」


 僕はスープを一口啜る。


「誰も悪いなんて言ってないよ。だけどさ、あの頃はそんな毎日がいつまでも続くって思ってなかった? 礼名は思ってた。いつまでもお兄ちゃんがいて、礼名は可愛がって貰えて、毎日がとっても幸せで。心配事なんてなかったって思う」

「そうかな? 悩みもそれなりにはあったんじゃないか。ただ、忘れているだけで」

「そうかもね。でも忘れるくらいの心配事だったんだよ。欲しかったおもちゃが売り切れたとか、ちょっと友達とけんかしたとか、さ。だけど今は心配がいっぱいだよ。胸が張り裂けそうなくらいに…… じゃない、はらわた煮えくりかえるくらい。桂小路のハゲじじいめ! 絶対返り討ちにしてギャフンと言わせてやるんだから!」


 それまで淡々と語っていた礼名が急に闘志をたぎらせる。


「全部桂小路が悪いんだ! あいつがお母さんをいじめて、お兄ちゃんとわたしを追い詰めて! メイド喫茶のメグちゃんだってひどい目に遭ったんだ!」


 朝、三宅社長の話を聞いて青い顔をしていた礼名だが、今や戦う気満々だ。


「礼名は絶対負けないよっ! 必ずこのお店を守ってみせるからねっ!」


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