パン屋の娘オリビアの話③
「ありがとな。じゃ、また明日」
あの日からも毎日アランは店にやって来たが、何故か常によそよそしく、その度にオリビアの胸は軋んだ。
笑顔は優しかったが、アップルパイは選ばないし、髪を撫でることもない。
いつしかお互いの軽口も減って、彼との間に見えない壁ができたような、そんな距離感になってしまった。
「ダメだ! うじうじしてたらパンも不味くなる! アランと話さなくちゃ!」
悶々としていたオリビアは、騎士団の訓練場に行く事にした。
アランの態度のワケを知りたい。
朝はお互い忙しいし、夜は仕込みもあるし、早起きするために早く寝なければいけない。
オリビアは母にお願いして、夕方から店番を抜けさせてもらった。
「ちょっと近くに用事があったから、ついでに寄ったのよ。はいこれ、差し入れ」
会った時のセリフを何度もシミュレーションして、今までで1番心を込めて作ったアップルパイもお土産に用意した。
「巡回警備課支部第四小隊所属のアラン・ロベールに面会希望ですね」
アランは休憩中らしく、たまたま受付にいた騎士が案内を申し出てくれた。
案内の騎士の後ろについて、紙袋を抱えたオリビアは緊張しつつ訓練場の横を通り、食堂へ向かった。
中に入ると、遠くで座っているアランをすぐに見つけた。
「アラン──」
来訪を知らせようと、名を呼びながら手を上げようとした瞬間、オリビアは凍りついた。
「待ってたよ!!」
そう言って、オリビアがいる正面入り口ではなく、横の厨房の方に向かってアランが勢い良く立ち上がった。
視線の先には、サラサラの金髪が美しい可愛らしい女性。
「はい、アップルパイ」
「ありがとう!! 本当に嬉しいよ!!」
そう言って女性から紙袋を受け取るアランは、瞳を甘く潤ませ輝くような笑顔を見せている。
オリビアの目の前は真っ暗になった。
(アランのあんな顔…初めて見た)
僅かに上げていた手を下ろし、思わず紙袋を抱きしめていた。
(そっか……あの人のアップルパイが良かったんだ。アランは……あの人のことが好きなんだ)
目の前の光景が、夢の世界を遠くから眺めているように現実感が抜けていく。
見たくないのに、体は言うことを聞かず、オリビアは悪夢のような光景を呆然と見つめることしかできなかった。
「あの……どうかしましたか? 大丈夫ですか?」
優しく声を掛けられ、はっとしたオリビアは隣の騎士に顔を向けた。
「涙が……」
どうやらオリビアは泣いていたらしい。
騎士に言われてから気づき、慌ててそれを拭った。
「だ、大丈夫です。あの……面会、しなくて良くなったので、よければこれ貰ってください」
困惑する騎士に、オリビアは紙袋を押し付けた。
「いや、ですが──」
騎士が困った様子で紙袋に手を添えようとした時──。
「触るな!!」
アランの大声が聞こえたと同時に、オリビアは紙袋ごと騎士から引き剥がされ、強く抱きしめられた。
突然のことに目を見開いて見上げれば、オリビアを守るように抱きしめたまま、物凄い剣幕でアランが騎士を睨みつけている。
オリビアの胸は高鳴り、一気に舞い上がった。
それと同時に、失恋したくせに、こんな状況でも抱き締められただけで喜んでしまう自分に激しく幻滅した。
「大丈夫か、オリビア。こいつに何されたんだ」
視線を騎士から離さないまま、アランは労るように優しく尋ねてくる。
「い、いや何も」
──あなたに会いに来たのよ。
「嘘だ、泣いてる」
「これは目にゴミが入っただけ!」
──あなたが泣かせたんじゃない。
「じゃあ、この紙袋は何」
「これは、この人に渡そうと思って」
──アランのために作ったのよ。
「こいつに……?」
「そうよ」
──違う! あなたのためのアップルパイよ!!
オリビアの心の中はぐちゃぐちゃだった。
大好きなアランのあたたかさに包まれながら、自分の心を壊し続ける。
拷問のような時間に、オリビアの胸は張り裂けそうだった。
「これ、アップルパイだろ……? 本当に、こいつのために作ったのか……?」
何故か震えるアランの声に、オリビアはできるだけ明るく答えた。
「そうよ」
抱き締めていたアランの腕がゆっくりと解かれ、オリビアは寂しさと共にホッとした。
これで終わり。
そう思った瞬間、くるりと体をアランの方に向けられ、彼に紙袋を奪い取られた。
「ちょっと、返してよ」
「嫌だ」
バチっと目が合い、オリビアは目を見開いた。
目の前のアランは、顔を歪ませ、何故か泣きそうな顔をしている。
(なん……で)
何故アランがそんな顔をするのか。
泣きたいのはこっちなのに。
オリビアはギュッと唇を噛んだ。
「アランには、もうそれは必要ないでしょ」




