幼馴染アランの話①
オリビアにメニュー変更をお願いする数週間前。
「ああああああああああああ!!!! やばいやばいやばい! 今日もオリビアが可愛すぎる、なんだあれ『べっ』って!! 『べっ』ってぇぇぇ!!! はあーーーーもうちくしょう! 俺を殺す気か!!!!!」
オリビアの店を出てすぐ、アランは叫んだ。
いや、心の中で絶叫していただけで、実際には叫んでいない。
朝日が差し始めた街を颯爽と歩く彼は、側から見れば涼やかな表情をしたただの好青年だろう。
小躍りしそうな足を叱咤し規則的に歩みを進め、緩みそうな頬を表情筋を総動員してキリリと引き締める。
受け取ったばかりでまだほんのり温かい紙袋。
それを繊細なガラス細工のように大事に左腕に抱え、右手に残る柔らかなオリビアの髪の感触を反芻する。
瞬きする度に先程のオリビアの顔を思い出しながら、弾む胸を押さえアランは騎士団駐屯所へと向かった。
これが、アランの幸福な1日の始まり。
幼馴染のオリビアに恋して十数年。
もはやいつから好きだったのかすらわからない程、気づいた時にはもう好きだった。
「はあ……好きだ」
先程会ったばかりなのに、もうまた会いたい。
オリビアとの時間を心の支えに、厳しい訓練を耐え抜いていた。
だがそんなある日、アランはある事実を知った。
この日もアランは、オリビアから朝食を受け取り、騎士団駐屯所の食堂にいた。
「──で、何で毎日ここに入った瞬間そうなっちまうかな」
アランの横に、ドッカと座りながら同じ隊に所属するフレッドが言った。
呆れたような視線の先では、頬を緩め、とろりと甘い瞳のアランがサンドウィッチを頬張りながら、うっとりとアップルパイを眺めている。
「しょうがないだろ。このオリビアの化身を前に一日中普通の顔してるなんて無理。不可能」
「今日も朝からオリビア嬢への愛が重いなー」
フレッドに目もくれずアップルパイを見つめ続けるアランの正面で笑っているのは、同期のノアだ。
王城勤務の騎士達とは違い、街の駐屯所勤務の騎士に個人の執務室や休憩室はない。
仲間と集まって雑談を交わしたい時は食堂へ、というのが暗黙のルールだった。
フレッドとノアはどちらも貴族だが、男爵家の次男坊三男坊であるため、平民のアランともすぐに打ち解け、早朝訓練の前にこうして集まるのが恒例になっていた。
「今日こそは何か進展あったのか?」
「いや、ないけど」
「おいおい、勘弁してくれよ。俺達が出会ってから4年だぜ!? 毎日毎日飽きもせず愛妻弁当食ってるくせに、なんでお前ら付き合ってすらないんだよ!!!!」
「まあまあ、フレッド。アランはこの通りヘタレなんだからしょうがないよ。照れ隠しに憎まれ口叩きながら、どさくさに紛れて頭撫でるのが精一杯のむっつり野郎なんだよ?初恋拗らせてこんな歳まで来ちゃったんだからさ、優しく見守ってあげようよ」
「うぐぅ!!」
にこやかなノアの毒舌がアランの胸に刺さる。
フレッドはガシガシと頭を掻きながら机に頬杖をついた。
「はーーーーー毎回言ってるけど、俺には無理!! 好きって言うだけじゃねえかよ。何なら『愛してる』って囁いてキスの一発でも朝からかましてこいよ!」
「んなことできるか!!」
「できる、できないじゃねえ。やれって言ってんの。気持ち伝えろって言ってんの」
「伝えたよ!」
「はいはい、入隊決定した時な。『朝飯作ってほしい』発言な」
「付き合ってもないのに、遠回しなプロポーズは悪手だよねーせめてもう少しはっきり言わなきゃ」
「う……」
「愛が重いんだよ。騎士になったのも、子供の頃に彼女が『かっこいい』って言ってたからだし」
「いつでもパン屋になれるくらい密かに練習してるし」
「パン屋にならなくても養えるように悩んだ挙句、死ぬほど勉強して結局騎士にもなるし」
「なんでこれで付き合ってすらねえんだよ!」
「うぐぅ!」
アランは両手でアップルパイを掲げたまま、勢いよく机に突っ伏した。
撃沈しているアランの首根っこをフレッドが乱暴に掴み、無理やり顔を上げさせる。
「お前さ、良いわけ? そんなんじゃ、そのうち横から掻っ攫われちまうぞ!?」
そのままアランの顎を掴むと、物凄い勢いで右に向けられた。
「見ろ! 例えばあの新人だよ! めちゃめちゃ顔が良いって、街の女どもがキャーキャー言ってんの知ってるか? ああいう奴にさらっと奪われるぞ! そうなる前に早く捕まえとけよ!」
目線の先には、どこかの国の王子のようなキラキラした男が他の騎士と談笑していた。
最近入隊してきた黒髪の美丈夫だ。
「実体験に基づいたような切実なフレッドのアドバイスももっともだよ」
「ぐはぁっ!」
辛辣な流れ弾がフレッドに被弾したが、ノアはそれを無視して話を進めた。
「そろそろ告白して何とかしないと、とんだ営業妨害になっちゃうよ?」
「営業妨害?」
アランは水を飲みながら怪訝な顔でノアを見た。
「そう。そのアップルパイ、巷では『勇気のアップルパイ』って言われてて、それを食べて告白すると恋が実るって噂で密かに奪い合いになってるんだよ」
「ぶーーーーーー!!!!」
アランは盛大に吹き出した。
「きったねえ!!!」
フレッドに頭を叩かれたが、アランはそれどころではない。
「何だよ、それ! 初めて聞いたぞ!」
「そりゃそうでしょ。若いご令嬢達の間での噂なんだから」
しれっとした態度を崩さないノアに、アレンは顔を真っ赤にして戦慄いた。
「お…俺は! そ、そそ…そんなつもりで毎日食ってたわけじゃ…!」
「まあ、それはわかってるんだけどさ。そんだけ毎日食べてるんなら、彼女の店の実績のためにも、早く勇気を出して告白しろってこと」
その日のアランの動揺っぷりは、全く使い物にならない程だった。
(あのアップルパイが、告白するために食べるものだって……!? この噂、オリビアは知ってるのか? 明日からどんな顔して受け取ればいいんだ!!?)
その夜、アランは一睡も眠れず、結局出した答えは、苦渋の「メニュー変更依頼」だった。




