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パン屋の娘オリビアの話②

「見ろよ、オリビア」


 オリビアとアランの家を繋ぐ、川沿いの裏道。

 2人だけでダラダラ話す時は、決まってここだ。


 月明かりに照らされたアランは、誇らしげに騎士団の合格通知書を見せてきた。


 オリビアの胸は喜びの興奮と同時に、締め付けられるような鈍い痛みを感じた。


「すごい! 貴族様じゃないのに一発合格なんて本当にすごいよ、アラン!! おめでとう!!」


 街の自警団とは違い、王立騎士団に入るのは末端の街の警護担当だとしても平民には難関だ。


 実技試験はもちろん、筆記試験と面接も行われるのだ。

 アランがどれだけ頑張っていたかは、応援していたオリビアもよくわかっていた。


 本当に喜ばしいことだ。

 だが同時に、それはもうこうして気軽にはアランに会えなくなるという宣告書でもあった。


 心から喜べない自分に、オリビアは内心落胆した。


「それでさ、あー……なんだ、その」


 しばしの静寂の後、アランが視線を彷徨わせ、ポリ……と鼻の頭を掻いた。

 これは言いにくいことをお願いする時の癖だ。

 アランは世話焼きのおせっかい気質だが、自分からはあまり頼み事をしない。

 珍しいなと思い、オリビアは大人しく次の言葉を待った。


 しばらく「あー」とか「ぐぅぅ」とか唸っていたアランは、ようやく口を開いた。


「──あのさ……お、れに……俺に朝飯、作ってほしいんだ……毎朝」


「いいよ!」


「え!! 本当か!?」


 笑顔で即答したオリビアの両肩をガシッと掴み、嬉しそうな、だが少し不安そうな顔でアランが覗き込んできた。


 突然距離を詰められ、オリビアの心臓は爆発寸前だったが、何とかそれを隠し、精一杯の笑顔で答えた。


「もちろんよ。アランのお母さん夜に診療所の手伝いに行く日も多いし、騎士団は朝早いから大変でしょ? その点、うちはどこよりも早く開店だし、何も問題ないわ!」


 新人の騎士は忙しい。

 だが、もう会えないと思っていたアランと、毎日会えるチャンスがあるのだ。

 店頭での僅かな時間だけでもいい。

 オリビアは何としてもこの大役を手にしたかった。

 朝食の準備でアランを支えることができるなら、どれだけでも協力したい。


 (これからも、毎日アランに会えるんだ!)


 先程までの暗い気持ちとは一転、オリビアの心は踊った。


 だが、気付くと目の前のアランはオリビアの両肩に手を置いたまま、無言で俯いていた。


「アラン?どうしたの? そんなにホッとするほど頼みにくかった?大変じゃないし、ちゃんと毎日作るよ?」


 肩に置いた手にさらに力を込め、アランはそれはそれは長いため息をついた。


「……アップルパイ」


「え?」


「アップルパイがいい」


 むすっとした表情のまま、照れくさそうに呟いたアランに、オリビアは笑った。






 ──それから4年、店でのこの朝の時間は毎日続いている。


 アップルパイは、実は店の中でも数少ないオリビアが作っている商品。

 しかも一番自信があるメニューだ。


 アランもその事を知っているため、指定されたメニューにオリビアは内心淡い期待を抱いていた。


(もしかしたら……アランも私と同じ気持ちなのかも)


 毎日店に来るのも、一番得意なアップルパイを頼むのも、頭を撫でるのも、あの優しい瞳も──。

 

 自分に都合良く捉えすぎだと思いながらも、オリビアの期待は膨らんでいった。




 オリビアは毎日毎日、前日から丁寧に仕込みをして、一番上手く焼けた渾身のパイを紙袋に入れた。


 アランが怪我をしませんように。

 アランが今日も1日頑張れますように。


 そんな願いを込めて。





 そんな日常が続いていたある日、事件は起こった。




 その日もオリビアはドキドキしながら薄紅色の朝焼けを見つめ、アランが来るのを今か今かと待っていた。


 だが、その日はアランの様子がいつもと違った。


「……よう」


 何故かアランが大人しく、目も少し泳いでいる。


 そして言ったのだ。


「ごめん……あのさ……明日から違うメニューにしてもらっていいか」


「え?」

 

 ──どういうこと?

 オリビアが尋ねようと口を開くより先に、アランはその日分の紙袋を急いで掴み代金を置くと、早口で続けた。


「本当ごめん! 違うパンなら何でもいいから! じゃあまた明日!」


 そう言ってドアが閉められ、カランカラン…と鈴の音が響く。


 しん……とした店の中で、オリビアは暫く呆然とドアを見つめていた。


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