見慣れぬ不安と懐かしき危機感
「あれ、ヤヨイちゃんどうしちゃったの?」
ピエルドーラ陣地に俺らが降りた次の日のこと。魔像のチェックにひとまず満足したらしいレオナが俺らのいる官舎内にある休憩室に戻ってきて、そして怯えるヤヨイさんを見た。
「……」
ヤヨイさんは何も言わない。ただ黙って俺の隣に座り、左腕に抱き着いて離れない。
「昨日からこれなんですよ。なんだかよくわからないですけど、なんだかよくわからないものに怖がっているようで」
最初は初めての最前線で不安を覚えているのか、と思ったのだがそうではない。本人はそれを否定している。
ヤヨイさん自身が、この不安の原因がわからないようなのだ。
「そう言えば、整備隊でも何人か怯えてたわね。程度の違いはあるけど、ヤヨイちゃんくらい怯えてる子はいなかったわ」
と、レオナ。
それはヘル・アーチェ陛下も言っていたことである。
一部の兵が原因不明の不安を訴えていると言う情報だ。
それに対して数人の指揮官が「作戦を前に怯えきっている臆病者だ!」と罵っているようだが。
「でも作戦に参加しないヤヨイちゃんが怯えてる理由にはならないわよね。それに臆病者が多いとしても、集団で、同時期に、所属や普段の行動、性格関係なく不安がっているなんて」
「臆病風に吹かれた、ではないとすると他の原因があるってことか。共通点はあるのか?」
「ないわね。強いて言えば、比較的獣人系に多いってことかしら。でも不安がってない獣人もいるからよくわからない」
確かに、猫耳猫尾のレオナはご覧の通りピンピンしている。
レオナの報告によれば、吸血鬼なんかにも少数ながら同様の症状があるそうだ。
「つまるところ、統計学的に獣人が多いって域を出ないのか」
「でも全部確認したわけじゃないわよ? この辺に居る人だけだし、全体で見ると均一かも」
となると完全に手詰まり。証拠が少なすぎる。
それに俺だって人間行動学の権威というわけじゃない。
パニックのように集団で不安を覚える何らかの原因を突き止めるのは不可能だ。
でも、頭の中で何かが引っ掛かる。
似たような話を聞いたことがあるのだ。
この世界ではなく、数年前。つまり俺が日本に居た頃。
けどその引っ掛かりの正体を思い出す前に、陛下が休憩室にやってきた。
「おはよう、諸君」
「陛下、おはようございます」
「おはよーございまーす!」
俺とレオナは陛下に挨拶を返せた。
だが、ヤヨイさんが相変わらずそのままだったため立ち上がることが出来ず、やや不敬な挨拶になってしまった。
しかし陛下はそれを咎めることはせず、俺の対面側の席に座った。
「……ふむ。やはりヤヨイくんが一番重症だな。昨夜は眠れたのかい?」
陛下の問いに、ヤヨイさんは無言のまま静かに首を縦に振る。
そして、
「アキラさんが、抱き締めてくれたから……」
と、爆弾投下。
陛下が人類軍十二・七センチ野砲弾を食らった時のような顔をしていた。
レオナも同様の顔をしているだろう。そして恐らく、俺も似たような顔をしているに違いない。
背後から肩に柔らかい感触が来ると同時に、レオナの優しい声が聞こえた。
振り返るとそこには彼女の笑顔があり、
「アキラちゃん、どういうことなの? 場合によってはソフィアちゃんに報告するよ?」
と言った。
よく観察すると、目が笑っていない。
「違う、話せばわかる」
「ヤヨイちゃん、獣から離れましょう。真に怯えるべきはアキラちゃんよ」
「違うって!」
「アキラくん。恋愛は自由だがそういうのは流石に……」
「陛下、誤解です!」
別にそんな変なことしてないから。
いくらヤヨイさんが可愛くても十二歳の女の子にソンナコトしないから。それやっちゃったら一生世間の恥さらしだから!
「じゃあなんだって言うの?」
と、詰問するレオナの顔は最早どこにも笑顔はないし、肩にかかる握力が凄まじいことになっている。
この世界でも幼女に対するそれは社会的な制裁が凄まじいということだな。
というわけで以下弁解。
別に大した話じゃない。
昨日から、ヤヨイさんは様子がおかしかった。
なんとか落ち着かせようとしたが震えは収まらなかった。でも夜は寝なきゃいけないし、一緒の部屋と言うのはたとえ相手が子供であっても自重すべきである。
だから俺は離れようとしないヤヨイさんを無理矢理引き剥がし、代わりにリイナさんにヤヨイさんのことを頼んだ(その時、何かあれば俺のいる部屋に連絡してくれとも言った)。
そして俺が自分の部屋に戻り床に就く。
そこから暫くした後に、誰かが来たのだ。
時計もないし、寝ていたからそれが何時なのかはわからない。
微睡の中で微かに毛布が動いたのと、何かがその毛布の中に入ってきたことだけは覚えている。
んでもって寝ぼけていた俺はそれを抱き枕のようにしてしまったらしい。
ちょっと体温が気持ちいい、とか思ってたかもしれない。
「で、朝起きたら腕の中にヤヨイさんがいまして」
「ふーん? 本当に何もしてないの? 目が覚めた後も?」
「何もしてないです」
何もできませんって。
朝目が覚めたら腕の中には狐耳美幼女がすやすやと寝ていたら誰だって石像のように動かなくなるはずだ。
「レオナくんの作った石像は動くがな……」
ちょっと陛下黙ってて。
でも実際何もしてないんで。ヤヨイさんの寝顔見られただけで十分なんで。
「……アキラさんは、抱き締めてくれただけ、です。おかげでよく寝れた……」
と、ヤヨイさんから援護射撃。
「本当に? 子作りしてない?」
おい、幼女に何言ってんだお前は。セクハラの上に教育上問題があるぞ。
だがレオナと違って根が真面目なヤヨイさんは、ちょっと頬を赤くしながらもちゃんと答えた。
「大丈夫。ちゅー、してない」
と。
「…………」
「…………」
「…………」
その答えを聞いた全員がどう反応して良いかわからない顔をしていた。
特に質問した本人であるレオナが口をへの字に曲げていたのが印象的だった。
「……?」
それを見たヤヨイさんが首を傾げたのは言うまでもない。
まぁ、その、なんだ。
そのままの君でいて欲しい。
「ま。まぁまぁ、ヤヨイくんがぐっすり寝れたようで何よりだ」
微妙に気まずくなった雰囲気を陛下が変えてくれた。
魔王ヘル・アーチェ陛下は人類軍を蹴散らせる上に空気も読める。
「そうですね。陛下、結局原因はわかったんですか?」
「いや、わからん。私もこういう事態は初めてだからな」
千年近く生きている陛下でさえわからない事態。
となると、この世界の人類軍がよくわからない電磁波兵器でも作ったのか。こう、魔族だけを不安症状に陥れるための。
どこぞのお米の国もオナラ爆弾とかオカマ爆弾とか作ろうとしてたし、人を不安にさせる爆弾を人類軍が作っていてもおかしくは……おかしいか。
別の意味で明らかにおかしい。
「しかし、こうも数が多いと攻勢作戦に支障が出る。最悪の場合、中止か延期を決断せねばならんな」
「そんなに多いんですか?」
「あぁ、戦闘部隊でも同様の報告がある。酷い所だと大隊丸ごとそうなっていたりしている。それに数騎の飛竜が勝手に出撃しようと暴れ回っているらしい」
こんなことは聞いたことがない、と陛下。
飛竜は特殊な訓練を受けている。
爆音くらいではビビりもしないし、爆炎が近くにあっても怯まず戦闘続行を続けられる程度の勇者でもあるはずなのに。
「そうですか……では、最悪に備えて準備します」
「頼む。私も司令部に赴き、司令官に――」
とその時、陛下の言葉が止まった。
そのまま陛下は立ち上がり、何もないはずの天井を見る。
いや恐らく天井は見ていないだろう。あらゆる感覚を研ぎ澄ましている、そんな感じだ。
何があったのか。
それを問い質す前に、異変が起きた。
最初に感じたのは、怯えきっているヤヨイさん。
俺の腕を抱き締める力が強くなった。
「――敵襲?」
次に異変を感じたらしいレオナがそう呟く。
そして最後に、俺がそれを感じた。
ハッキリとした感覚が、下からこみ上げてくる。
久しぶりに感じるそれは、嫌悪感や危機感の前に、懐かしさを感じたと思う。
「違う」
レオナの言葉を否定し、思わず立ち上がった。
この世界に来てから初めて感じるもの。
頭の中であらゆる記憶が再生されると同時に、聞いたことのある音と感覚が俺を襲う。
最初は小刻みで、カタカタと縦に揺れる。
その縦揺れは次第に大きくなり、何かに掴まっていないと立っていられない程の揺れになる。
大地が、そして煉瓦造りの官舎が不快な音と共に揺れる。
「ななな、なにこれ!?」
レオナが混乱の声を挙げて俺の服の端を掴む。
ヤヨイさんは更に強く目を瞑り、俺の左腕を抱き締める。
そして陛下と俺は、同じことを、ほぼ同時に言った。
「「――デカい」」
と。
瞬間、官舎に激震と亀裂が走った。
ガタガタと激しい縦揺れが、次に大きな横揺れが。
永遠に続くかのような錯覚に襲われながら、俺はその懐かしい感覚に恐怖した。
この世界に来てから、初めて感じたそれ。
地震。
大地震。
どうして気付かなかったんだと、なぜその予兆を感じ取れなかったのかと、そう後悔する前に、地震を前提に作られていない煉瓦造りの建物が、文字通り音を立てて崩れ始めた。
「クソッ!」
考える暇なく、俺は隣にいたヤヨイさんとレオナの頭を抱き締めて、覆うように身を屈めた。
その日、世界が揺れた。
大地が震え、天が落ちてきた。




