リイナさんといっしょ
リイナさんメイン章です
ある夏の日のこと。
いつものように堆く積まれた書類に目を通してサインしてを繰り返していた時、ある通知が目に留まった。
それはとある施設についての話である。
兵站局が出来てから二年が経とうとしていたが、この手の話が来たのは初めてのことだ。
今日までその話が来なかったのは、たぶん俺のせいだろう。
そこまで頭が回らないほど忙しかったのもあるが、そういう話を全く考慮に入れてなかった俺のミスである。
なるほど、確かにこの案件は兵站局、あるいは戦時医療局当たりの管轄だろう。
あまり気乗りしないしどうせなら誰かに押し付けたいが、局長たる俺が知らないのは大問題なのでまずは俺が行くことにしよう。
「――ソフィアさん」
「はい、なんでしょう?」
いつものように、俺は秘書のソフィアさんに声をかけた。
彼女はすぐに立ち上がってこちらに来てくれる。そしていつものように、俺は事の次第を話そうとし――
「……」
かけたところで、口を噤んだ。
「……?」
ソフィアさんは、自分を見つめたまま口を閉じて黙りこくってしまった俺を見て首を傾げる。
一方俺は、頭の中でソフィアさんを呼んだことを後悔していた。
別に最近仲が悪いとか、気まずいとかそう言うのではない。
ただ単に、この案件に彼女を関わらせるのはまずいのではないかと思ったのだ。
いや真面目なソフィアさんのことだから黙ってついて来てくれるかもしれないが、不機嫌になりそうでもあるし、それに別の問題も起きそうだ。
「あの、アキラ様。なんでしょうか? 用がないなら呼ばないでほしいのですが……」
「あー……その、えーっと、すみません。ちょっと言葉が思いつかなくて。……戦時医療局のガブリエル局長に言って、人員を一人貸してもらえるようにしてくれませんか?」
「戦時医療局、ですか?」
「はい。公衆衛生問題で現地視察が必要になったのですが、その問題について私も直接目で見ておきたいので」
よくもまぁ、そんなことを言えるようになったな、と自分を褒めてやりたい。
いや嘘は全く吐いていないけどね。核心部分を言ってないだけで。
ただソフィアさんは疑問に思わなかったようなので、問題ない。
問題ないったら。
「畏まりました、すぐ手筈を。場所はどこになりますか?」
「トナーニアです」
ソフィアさんと視察についての日程を詰めて、俺が不在の間はソフィアさんに任せることにする。
今までにも何度かあったので、これはもう慣れたもんだ。
「しかし、トナーニアにまで一体何を? 前線ではありませんし……」
「まぁ、色々ですよ。あぁそれと、兵站局からも俺と同行する人を選びますね」
「はぁ。なら、私でもいいのでは……?」
「いや、ソフィアさんじゃちょっとね」
能力的には全く問題ないのだが、ちょっと問題があってね。
えーっと、そうだな。
まぁ今回行く場所は特殊だ。そんな特殊な場所に行くとするならば、選択肢はそんなにない。
「リイナさん!」
少し離れた彼女の執務室に向けて、声を張り上げて呼んだ。
その瞬間、リイナさんは10センチばかり飛び上がって反応した。
「ひゃ、ひゃい!? ななな、なんですかぁ? 私、何か間違えましたか?」
相変わらずの心の弱さである。まぁ、それが彼女の魅力でもあるが。
「いやいや、もっと自分に自信を持ってください。何もしてませんよ」
「うぅ……すみません。何もできてなくて……」
「そうじゃなくてですね……」
と、いかんいかん。これではいつまでたっても話が進まない。
「リイナさん。ちょっと付き合ってください」
「ふぇ!? そ、そんな急に言われても困ります。お付き合いするには、まず心の準備が……」
「そうじゃなくて仕事です、仕事」
「あ、その、そうでしたか……」
うん、そこで安堵するような吐息を出されると男として傷つくけど、誤解が解けたようで何よりです。
「戦時医療局の人と一緒に、明後日あたりにトナーニアに行きますよ。そんなに長くならないとは思いますけど、予定は大丈夫ですか?」
「は、はい。問題ありません」
「じゃ、よろしくお願いしますね」
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二日後。
「久しぶりですね、アキラさん」
「……」
「どうかしましたか?」
「いや、なんでガブリエルさんが来たんですか?」
「久しぶりにあなたに会いたかったんですよ」
「…………」
人馬族の牽く馬車の中、俺とリイナさんは戦時医療局長ガブリエルさんとご対面である。
まぁ最近あまり会ってないのは確かなので、ここぞとばかりに仕事の進捗をするのは吝かではない。
が、彼は天子族である。天子族は、背中にでっかい翼を持っている。
天子族って飛距離短いくせに邪魔だな!
と思ってしまったのは内緒だよ?
「どうですか、仕事の方は?」
「ボチボチですね。理想の兵站局とは程遠いですが、まずは満足しています。そちらの方は?」
「そちらと似たようなものですよ。理想の戦時医療局とは程遠いですけど、今は不満はないです」
「でも従軍看護師の数、結構増えたと聞きましたよ? 戦時医療局の功績でしょう?」
戦時医療局の目的は、戦場における医療衛生の向上。戦時下における医療体制はガブリエルさん主導によって劇的に変革している。
戦傷者に対する治癒が改善し、死者の数が抑えられている。
多くの命を救っているのだから、誇るべき成果だろう。
提案したの俺だけどね! という些細な自画自賛を行間に埋め込むのも忘れない。
しかしガブリエルさんは謙虚である。
「軍医の数はまだまだ不足していますから、発展途上ですよ。第一、兵站局の方が活躍しているじゃないですか」
「戦時医療局と違って、目に見える成果はあまり上がらないんですよ、こっちは」
だからこそ風当たりが強いと言うかなんというか。
「ですが、兵站局の物資支援は適確ですし、我々は助かっていますよ。自力で調達しようにも、伝手やノウハウがないのでどうにも……」
「必要なところに必要な物を送るのが仕事ですから。それに私たちも、こういう時に手伝ってくれる戦時医療局に助けられていますから、お互い様ですよ。ね、リイナさん」
会話が弾む俺とガブリエルさんの脇で、一人会話に参加せず縮こまるリイナさんに声をかける。
「あのー……」
すると、いつものようにオドオドした様子で口を開いた。
「どうしました?」
「あの、えっと、私、今日何があるのかまだ聞いてないんですけど……。それに、何も準備出来てません……」
「あっ」
ソフィアさんの事を気にし過ぎて、リイナさんに伝えるのをすっかり忘れていた。
「あー、まぁ準備はなくて大丈夫ですよ。リイナさんは助言役なので」
「ふぇ? 助言役はガブリエルさんじゃ……」
と、リイナさんは首を傾げながらガブリエルさんの顔を見る。
彼は「なんでまだ言ってないの」みたいな顔をした後、肩を竦めながら解説してくれた。
「私はどちらかと言えば『実行役』ですよ。アキラさんが『見学』でリイナさんが『助言役』と言いますか『解説役』と言いますか」
「えっと……?」
リイナさんはこんらんしている。
今はもうソフィアさんを気にしなくていいので、普通に教えようか。
べ、別に現地についてからリイナさんの驚いた顔が見たかったとか、そう言うんじゃないんだからね!
「今回の目的地は、ここです」
そう言って、俺はカバンの中から資料を取り出しリイナさんに見せる。
彼女にとってはある意味馴染みのある言葉で埋め尽くされた紙だ……と思ったが、リイナさんの顔がみるみるうちに赤くなっているのを見ると、どうも違うようである。
「あ、あのあの、あの、ここって……!」
「まぁ、そういうことです。リイナさんが適任だと思ったのですが……」
知っての通り、リイナ・スオミは淫魔である。
如何にも! という性格をしていないので時々忘れそうになるが、彼女は淫魔である。
だからこそ適任。淫魔だからこそ、リイナさんに御同行戴いた。
馬車に揺られること数時間。
魔都の北にあるトナーニアという街に到着。ここは最前線ではないものの、魔王軍の駐屯地がある。
そしてその魔王軍兵士が通う店が、今回の目的地。
「…………」
目的地であるその「店」を前にした時、リイナさんは顔を真っ青にしながら棒立ちしていた。
人選を間違えただろうか。
もし無理そうなら、馬車の中で待機を――、と言おうとした時、娼館の扉が開け放たれた。
中から現れたのは、露出度の高い服を着た艶美な女性。
リイナさんと同じく、頭に黒い羽がついているその女性はリイナさんの顔を見るなり、
「あら? あらあらあら? リイナじゃないの! 久しぶりね!」
そう叫んで、リイナさんに駆け寄った。
対するリイナさんの反応はと言うと、
「――ミイナお姉様」
だった。
はたと気付き、持っていた資料を見る。
『ミルヒェ』店主 ミイナ・スオミ
……スオミという姓はよくあるらしいので気にしていなかったが、つまりはそう言うことらしい。
なんていうかその、なんだか波乱の幕開けな気がする。
何故ってそりゃ、店先には『ミルヒェ』と書かれた看板があって、そして看板の脇に小さく「魔王軍公認娼館」って書いてあるからなんだもの。




