埃まみれの資料室です
墓は死者のためにではなく、生者のためにある。
死んでしまった家族や戦友に、もういないとわかっていても伝えたいことがある。その橋渡しとなるのが、墓というシステムである。
そしてここ、魔都郊外に新しく出来た戦没者墓地はまさしくそのためにある。
今日はこの墓地で、ペルセウス作戦における戦死者追悼式が執り行われた。
「先の戦いにおいて死力を尽くし散っていった私の愛する戦士たちの魂が、安らぎと共にこの温かく広い大地の下で眠ることを、ここに祈る」
全魔族・亜人・人外を統べる魔王ヘル・アーチェ陛下の言葉の後、追悼の魔術が空に放たれる。
俺は着慣れない喪服代わりの軍の正装を着て、やはりやり慣れない敬礼をしつつ、せめて祈りだけは一生懸命やった。
地平線の先まで延々と続く墓石が、戦争というものの悲惨さと壮絶さをよく表わしている。
これを見るだけで戦争に嫌気がさすものだ。
そんな無名戦士の墓を見ながら、祈りと共に思うのはただひとつ。
「墓石と棺桶の調達大変だったなぁ……」
「アキラ様、式典中は静かにしてください。殺されますよ」
そう話す人狼族の美少女ソフィア・ヴォルフの目は、鉄が切れそうなくらい鋭利なものだった。
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遡ること三ヶ月前。
魔王陛下救出作戦「ペルセウス作戦」が終了して暫く経った後、ヘル・アーチェ陛下が墓地新設の勅命を出した。
墓地建設に関しては兵站局が主導し、施工は民間の商会やギルドに任せることになる。
それは別に問題ない。輸送隊が使っていた倉庫の移設時と要領はほとんど同じだからノウハウもある。
問題は別にあって、それは陛下のある言葉から端を発する。
「アキラ、今度の戦死者墓地は『戦いで死んでいった全ての兵士』のための祈りの場所だ。それを忘れないでくれ」
「…………」
思い出して欲しい。
魔王軍は、人類軍と千年くらい戦っているという歴史的事実を。
ついでに魔王陛下の言葉は絶対であることも。
「……ソフィアさん、戦死者名簿ってありますか?」
「……えっ?」
「えっ? いや、あの、戦死者名簿をですね。人事局あたりにあるでしょう?」
「………………?」
「まさか……」
そして何より、魔王軍は未だに中世的な軍隊から抜け出せていないことを思い出してほしい。
「畜生めぇ!」
ついでに、叫ぶ俺を許してほしい。
俺が憂慮した通り、戦死者名簿はなかった。
しかし「戦死者遺族弔慰金」という制度が魔王軍にある。
読んで字の如く、戦死した兵の家族に対する補償金・年金制度で、それは当たり前だが魔王軍の予算から出されている。
というわけで俺ら兵站局は今、過去の年次会計予算をひっくり返しているわけです。
「会計は簡素明瞭に、というのが原則なのに……なんでこんなに分かりにくいんだこんちくしょう」
「文句を言っても仕方ありません。とりあえず文書が残っている魔王暦九二五年から調べますよ」
「今って何年でしたっけ」
「魔王暦一〇六九年です」
「帰ります」
一四五年分の予算を調べるとか殺す気か。
「それに帰ると言っても、アキラ様の家は執務室の隣の部屋だから大差ないでしょう」
「そうだった……」
俺って勤勉だなぁ……。
魔王城の中にある古い資料室で、俺とソフィアさんと、ちょっと前まで資料室で文書整理をしていた淫魔のリイナ・スオミさんの三人で、埃まみれになりながら年次会計予算を調べている。
「リイナさんが片付けてくれた後で助かりましたよ。おかげで文書を探すところから始める、ということをしなくて済みました」
「い、いえ。わ、私はこんなことくらいしかできませんから……!」
おどおどしつつ手を顔の前でぶんぶん振って否定する彼女だが、いやいやこれは偉大なる成果だよ。
なにせ綺麗に片付けた後でも滲み出る「汚さ」というのがあるのだから。
もしこれが手つかずだったら、多分予算書を片付けてる間に戦争が終わってたんじゃないかと絶望したレベルである。
いやほんと、リイナさんお手柄です。
九二五年から一〇六九年までの一四五年分の渡る年次会計予算書。
しかし定まった書式があるわけでなく「どうせ見直さないから適当でええやろ」という作成者の意図をひしひしと感じる適当差が合わさり最強にわかりにくい。
生きてたら一生閑職に回すレベル。
なにせ文字すら認識できないくらいである。誰だよ、これ作ったの。
「遺族弔慰金の支給者を調べるだけだからまだ楽ですけどね」
と、ソフィアさん。
勤勉で仕事の早いと評判の彼女ですら「全部見直しはやりたくない」と暗に認めた発言である。
俺は遺族弔慰金に限っても嫌だからあれだけど、ソフィアさんも匙を投げるレベルなのだ。
それなのに、リイナさんは嫌と言わずに整理したのだから凄いってもんだよ。
「リイナさんは、元は研究所の資料室にいたんでしたっけ?」
「え、は、はい。そうです」
「だから資料整理にも慣れていたということですか。研究所の資料室でも大変だったんじゃないですか?」
「そ、そうですね。分類ごとに分けないと研究員の人に怒られちゃうから……」
リイナさんの元職場、魔都第二研究所というのは魔術研究ギルドである。
魔術の仕組みを解析したり新しい魔術を開発したりする、この世界での理系の集まり。
レオナのような魔族の詰めあわせ……と考えるとなかなか恐ろしい。彼女一人でも苦労してるのにそれが複数いるとか地獄か何か?
そんなやつに怒られるって、精神的にやばそう。
「既存の魔石研究資料と新魔石精製研究資料を一度間違えたときは、本当に怖かったです……」
あー、わからんでもない。
某円盤少女マンガが「あ行」で始まるところにあったら怒りはしないけど「いやいや『や行』だろ!」って突っ込みたくなるもんね。
それと一緒……一緒だよね?
え、みんな気になるよね?
「……で、でも、局長様は……滅多に怒らないし……その……好き、です」
「うん? 告白された?」
「ち、違います! そそ、そういうんじゃなくて、あの……兵站局の今の雰囲気が、好きってことです」
あぁ、うん。そういうことね。
「まぁ、私も好きですよ。あの雰囲気」
というより、意図してああいう雰囲気にしているというのもある。
いつも空気が緊張してピリピリしている仕事部屋と言うのは、その緊張というか圧力を受けてミスを誘発しやすいものだ。
自由で和やかな空気というのも仕事には必要。
「緩すぎるのもどうかと思いますけどね。アキラ様はもう少しちゃんとしてください。私がどれだけ苦労しているか……」
と、本棚を挟んで対面にいるソフィアさんからの釘刺し。
目の前にある本を取ると、空いた穴から彼女と目が合った。
確かに和やか過ぎて緊張感や集中力に欠けるのもダメだ。そこら辺の気遣いも割と重要だから、管理職って結構大変なんだなって思います。
「でも、ちゃんとできる器量が残念ながら私にはないんですよ。それにソフィアさんがいるおかげで仕事が捗るんです」
ソフィアさんが厳しい目で見てくれるから俺はゆるゆるできる。自分で言うのもなんだがいいコンビだと思いませんか。
「だから感謝してます、本当に。これからもよろしくお願いしますね、ソフィアさん」
「……何を言ってるんですか」
「何か問題ありました?」
「…………いえ、別に」
彼女は顔を背け口を尖らせてそう言うと、空いた本棚の穴を埋めてしまった。
うん、かわいい。
そんなことを思っていたら、いつの間にか脇に来ていたリイナさんがこんな一言。
「局長様とソフィア様の関係って、ちょっと憧れます」
「俺も、こういうの嫌いじゃないです」
そしてこんな風に会話できる俺とリイナさんの仲も嫌いじゃないよ。
そんなこんなありつつ、俺とソフィアさんとリイナさんの三人は過去の予算書から戦死者の名前を割り出してそれをメモするという地味ながらも大変な作業を丸一日行った。
その結果、戦死者名簿(仮)ができたのだが、試練はまだまだこれからである。
「ソフィアさん、調べて思ったことがあるんですけど……」
「奇遇ですねアキラ様。私も思うところがあります」
「私もです……」
あぁ、みんな考えることが同じなんだね。安心したよ。
じゃあそれが本当に同じなのか確かめるために「せーの」で言おうか。
せーの、
「「「不正の温床になりそう……」」」
珍しくハモった。
なに、別に難しい話じゃない。
戦死者が出る度、人事局によって戦死者の集計が行われ、それに基づいて遺族年金が支払われるのだ。
だがその管理が杜撰であれば――ていうか杜撰だったが――どうなるだろうか。
例えばこんな方法がある。
戦死者を水増しして年金支給のための予算を獲得してそれを着服する、とか。
あるいは戦死者を過小に報告して戦死した者に対する給料を懐に入れる、でもいい。
いずれにせよ、担当者の財布はウハウハだ。
「……き、局長様。どうしますか?」
「どう……って?」
「その、陛下に報告します?」
「うーん……」
いや、結構悩ましい所である。
人事局の経理担当部門は、既に我が兵站局の経理担当エリさんの手に委ねられている。
彼女がこのようなちんけな不正をするようには見えないし、彼女の作る会計書はかなりしっかりした書式である。
対策は既に十分なされているのだ。
それに場合によっては一〇〇年以上前の不正を報告することになる。いくらなんでも時効だ。
「しかし魔族の寿命を考えると、当事者はまだ生きている可能性は十分ありますよ」
「それもそうなんですけど……どうにか穏便にできませんかね」
「陛下を弾劾した会議の時のアキラ様は、どこへ行ったのですか?」
そんなものは最初からいませんでした。あれは割と忘れたい記憶です。
「あれは計画を進めるために止むを得ず行ったものですからね……」
不正を弾劾し反対論しか唱えない他の部局を威圧するための核爆弾だったわけだ。
しかし今、その核爆弾を起爆させる意味はない。反対論を声高に叫ぶ奴は今となってはもうあんまりいない……と良いなぁ……。
「しかし陛下に不正を報告しないのは、陛下に対する裏切りである……ですよね?」
「……そうですね」
あぁ、かつて自分が言ったことだ。
不正は見逃さない。見逃したら、陛下に対して申し訳が立たない。
「でも、誰が不正をしたのかは不明ですし、恐らく解明は不可能でしょう。我々がやることは再発防止策の策定ですよ」
「わかりました。具体的にはどうすればいいでしょう」
「そうだなぁ……。とりあえずはエリさんにこのことを報告して応急対策した後、陛下にも提言して監査を担当する部局を設立させましょう」
「その監査局だか監査部だかに、我ら兵站局も拘わりますか?」
「いや、やめておきましょう。監査部門は独立性が重要ですからね。提言だけして、あとは陛下に任せて――」
などと色々考えた時、俺の服の袖が何者かによってくいくいと引っ張られた。
まぁ、言うまでもなくリイナさんであるが。
可愛い。さすが淫魔はあざとい。
「あ、あの……」
「どうしました? 今ちょっと忙し――」
「そ、そうなんですけど、これ……」
そう言って彼女は顔の前にススス、と紙を見せてきた。
婚姻届だったら思わずサインしてしまいそうな仕草にグッと来たが、違った。
紙には名前が延々と記載されていて、それは今までの魔王軍の戦死者名簿で――、
「あっ」
すっかり忘れてた。
ソフィアさんの方を見ても、似たような顔してた。
「アキラ様、まずはそっちから片付けましょうか」
「そうしましょう」
あぁ、こうやって仕事って増えていくんだなと思いました。




