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兵站局の声

 あの日から、一週間が経った。


 私はその一週間、病院のベッドの上にいた。

 人間共の使った新兵器の傷を癒すのに少し手間取ったのだ。


「まさか化学兵器を使ってくるとは……これからの対策が大変ですよ」


 見舞いにやってきたアキラは、そう言った。


「アキラなら、やってくれると思ったよ。化学兵器とやらの対処法を知っていたとは、さすがだと言うしかない」

「いえ、偶然ですよ。私が日本人で……祖父が、あれに巻き込まれかけたから、興味を持って調べるようになった……。それだけです」

「……アキラの祖父は、兵士だったのか?」

「いえ、普通の人でしたよ。幸運なことにたまたまその日が休みになって、あの憎たらしい事件――『地下鉄サリン事件』に遭わなくて済んだ」


 彼の故郷では、「サリン」という毒ガスは有名な兵器らしい。

 民間人に多数の犠牲が出た卑劣なテロ事件に、それが使われたからだと言う。


「日本では、テロと言えばサリン。訓練でもサリンの使用を前提としてシナリオが作られているくらいには、有名な物質です」

「だから君は詳しかった、というわけか」

「えぇ、まぁ。……普通なら役に立たない知識なんですけど――なんの運命の悪戯なんでしょうね」


 アキラは、そう言って少し微笑んだ。


 しかし私は、これが運命の悪戯だとは思えない。

 私は彼を、アキツ・アキラを救世主として召喚した。我ら魔王軍を救う存在として、異世界から召喚した。


 そして彼は、救ってみせた。

 私と言う存在、ひいては魔王軍という存在を。救世主召喚の儀式は、成功したと言うことだ。


 だから私は、彼には礼をいわなければならない。

 アキラが召喚されて兵站局と言う組織を立ち上げていなかったら、私は死んでいたのだから。


「アキラ」

「はい? なんでしょう、陛下?」


 だから私は言ったのだ。


「――ありがとう。感謝するよ」


 心の底から、そう言ったのだ。


 アキラは私の命の恩人だ。

 この恩は、返しきれないかもしれないな。


 もっともそれを言ったら、彼は「これが仕事ですから」と笑ってごまかされてしまったが。


 でも、私は幸運だった方だ。

 私の護衛であり、緊急展開部隊であり、精鋭だった親衛隊は大きな損害を受けた。


 親衛隊の死者及び戦闘不能者は合計で三八名。大きすぎる損害だった。

 親衛隊は連隊とは名ばかりの少数精鋭の部隊で、五〇名程しかいないのだ。


 しかし彼らのおかげで、私は生きている。

 動いている自分の手を見て、それを実感する。彼らを思い、私はこれからも生き続けよう。この大陸から戦が消える、その日まで。


 そのことをアキラに呟いたら、彼が言ったのは弔意の言葉ではなく、仕事の話だった。


「魔王軍戦死者の墓を作りましょう。現状、専用の墓はないんですよね?」

「あぁ、やはり墓は家の者と一緒がいいと思ってな」

「それも良いと思いますが、しかし戦いの中で芽生えた友情を死んでも大事にしたいという考えもあります。それに……祈りの場にもなります」


 アキラのその言葉には、実感がこもっていた。


 つまり、アキラの元いた世界でも同じようなものがあって、それがどういう効果があるのかを身を持って経験していると言うことだ。


 彼の言葉に、恐らく間違いはないだろう。

 祈りの場は必要だ。戦死者を思う場所が、生き延びた者、生き延びてしまった者には、それが必要なのだ。


「場所を検討しなくてはならないな。かなり大きな墓になるだろうから」

「……はい。今後も、戦争は続きますし」


 平和な世界など二度と来ないから。


 アキラは、そんな顔をしていた。





 そして私が退院して真っ先に向かったのは、兵站局だった。

 今回の最大の功労者と言っては過言ではない彼らの功に報いるために。


 魔王暦五〇三年産のユトレヒトの葡萄酒を持ってきた。

 アキラは酒に弱いらしいが、そんなものはどうでもいい。


 私が酒を珍しく奢るのだ。飲んでもらわなければ困る。


 彼らの仕事がひと段落したであろう夕刻時を狙って、私が兵站局執務室の扉を叩こうとした時、中からは騒がしい声が聞こえた。


 何か緊急の案件が飛び込んだのかと不安になり聞き耳を立てた所、そうではなかった。


「というわけで、ペルセウス作戦から暫く経ってだいぶ情報が整理できたところで今回の作戦の反省会を開催します」


 と、局長のアキラが言う。


「いいじゃんかよー。何もかも上手くいったんだからさー」


 面倒くさそうな声、早く帰りたさそうな声はハーフリングで渉外担当のユリエ。


「何も問題なかったわけじゃないのよー。大規模作戦は今回が初めてだったから、得る物は多いと思うわよー」

「そ、そうですよユリエちゃん! ちゃんとお仕事しないと……!」


 これは経理担当のエリと、管理担当のリイナ。


「今回出た課題はかなり示唆に富んでいると思います。今後の組織改革、ひいては魔王軍全体の質の向上に繋がるものですし、ユリエさんの仕事にも直結しますよ」


 と、私がアキラの秘書に任命したソフィア。

 でも、彼女の声は私の知るソフィアのそれではない。声の質が変わったのが、扉越しに伝わる。


「具体的な課題ってなんだよ?」


「それはやっぱり、臨機応変な兵站というのが難しいってことじゃない? 中央から全ての兵站を管理するって、無理よ。司令部は状況を正確に把握できてるわけじゃないもの」


「それは現場に行った私も実感しました。また通信網が放射線状になっているせいで、横のつながりが殆ど遮断されていました。それを一から構築するのは大変でしたよ」


「それは作戦遂行上の弊害でもありますね。方面単位で指揮系統をある程度区切るしかないでしょう。魔王城の兵站局は、魔都周辺の兵站に特化しましょうか」


「し、食料はまさにそれだと思いましゅ! ます! えっと、食料は劣化して腐敗しやすいから、その、現地調達が一番安定する、んです!」


「でも過度な現地調達は地元に負荷がかかるのも確かねぇ……」


「そこらへんの塩梅も問題だなぁ……。食料以外も、例えば魔都でないと生産できない魔石もあれば、ある程度生産地が散らばってる魔石もあるし」


「魔石の購入先は慎重に選ばないと駄目かもしれないぜ。下手にやると市価が跳ね上がっちまうし不公平感が半端ないってギルドの連中が嘆いてたぞ」


「あー……」


「それと、そのア、アキラ……様。前線としては規定量を輸送するだけでいいとは限らないみたいです。やはり予備があると安心感があるというのがよくわかりました」


「なるほど。ソフィアさんの言う通り、それはあるかもしれませんね。予備が確保されてるからこそ思い切りのいい行動ができる……というのは戦闘だけには限らないか……」


「そ、それに最後のかがくへーき? でしたっけ? あれの対処法をもっと研究しないとだめじゃないですか?」


「もうそれは兵站局の役割じゃないわね。専門の部隊を新しく作らないと」


「ですね。草案を纏めて陛下に提出しないと。病み上がりですけど、陛下。まぁでも、大した障害もなく短期間で完治するって流石というかなんというか……」


「我らが偉大なる陛下ですから」


 その後も彼らの会議は終わらなかった。


 兵站局は、成功した作戦に浮かれることなく、前に進んでいた。

 話し合い、反省し、実行して、改善点を見出して、組織をそれに合わせて変えていく。


 そんな彼らに対して「勝利の美酒」を渡すなど、出過ぎた真似だろう。


「……それに、彼らのほうがいい酒を持っているに違いない」


 ならこれは生き残った親衛隊の連中に渡して、私も反省会とやらをするかな。


 私は扉を叩くのをやめて来た道を戻ろうとした時、どうやったらそういう髪型になるのかわからない猫耳の少女がこっちに向かって歩いていた。


「どうしたんですか陛下、こんなところで。お酒なんて持って」

「いや、なんでもないよ、レオナくん。気にすることはない。それより君はどうしたんだ?」

「私は単純に兵站局に報告。今回の作戦で私の研究心にビビッと来たからね、開発案を提出しに行こうかなって。……魔像、たくさん壊れちゃったし」


 そう言って彼女は遠い目をした。


 今回の作戦では一〇〇以上の魔像が破壊され、その中にはレオナ渾身の超巨大魔像も含まれていただけに、彼女の意気消沈具合は凄まじかった。

 切り替えが早くいつも快活な彼女が、今でも少し尾を引いているくらいだ。


「でもどうせ、よん号の開発に着手してるのだろう?」

「まあね! 肆号ちゃんはまだ設計段階だけど、凄いですよ!」

「期待しているよ」


 やはり彼女の切り替えの速さは見習いたい。

 そんな時、扉の向こう側で気になる会話が漏れ聞こえてきた。


『ところでソフィアさん。なんで私の名前呼ぼうとしたときちょっと詰まったんですか?』

『い、いえ。大した意味はないんですよ、その。……アキツ様』

『えっ?』


 ふむ。どうやらソフィアくんは真実を知ったらしいな。

 世界というのは意外と広いのだ。


「じゃあ、そういうことなんで陛下。お大事に!」

「あぁ、君も溢れ出る研究心を自重せずにアキラにぶつけたまえ!」

「当然です!」


 レオナはそう言って廊下を走って、ノックもなしに兵站局の扉を開ける。若干引くレベルで豪快に。


 あぁ、兵站局の扉は相変わらず綺麗だなと思ったら、どうやら彼女が原因らしいな。

 全壊になった扉から、元気な彼らの声が漏れる。


 魔王城にいれば、魔王軍にいればどこにいてもよく聞こえる彼らの声。




「レオナァ! だからいつも言ってるだろうがァ!」


「いいじゃん、どうせ予備のドアあるんでしょ!」


「予備のドアがあることがおかしいことに気付けよおおおおおお!」


「お、落ち着いてください、局長様!」


「おうおう、相変わらずレオナさんはよくわかんない髪の毛してるなー」


「ユリエが髪型に興味なさすぎるだけよ? あなたもう少し伸ばしたら?」


「めんどい」


「あなたねぇ……」


「みなさん五月蠅いですよ! それとカルツェット様、今我々は仕事中で――」


「なによー。真実を知って赤面してるソフィアちゃんに言われたくなーい」


「な、なにを言っているんですか! 私は別に何も――」


「え、何々? 何の話してるんですか?」


「ア、アキツ様! 仕事とは全く関係ないです! 全く!」


「ならいいんだけど、なんでソフィアさん急に余所余所しい呼び方になったんですか。ちょっとへこむんですけど……」


「い、いや、あの、それはこの、深い事情が――」


「そんなことないでしょ? 単にそれはソフィアちゃんが勘違――」


「カルツェット様! それは言わないでください! お願いします!」


「大丈夫だってソフィアちゃん、言わないから」


「ホッ。ありがとうござい――」


「ソフィアちゃんは親しい間柄の人にだけしか名前でしか呼ばないのに『アキラ』を姓だと勘違いして『アキラ様』って呼んでたことなんて誰にも言わないから安心して!」


「何を言ってるんですか―――!! アキラ様、これは違うんです!」


「あ、今戻ったな」


「戻りましたわね」


「も、元の呼び方に戻りましたねっ」


「親しい仲になりたいっていうソフィアちゃんの本心が透けて見えるね」


「あなた達は少し黙っててください!」


「俺も仲良くなりたいからそのままでいいですよ、ソフィアさん」


「だから違うんです!!」


「何が違うんですか……」


「とにかく違うんですうううう!」





 彼らの声は、魔王城でもよく聞く。


 五月蠅いほどに、彼らの声はよく響く。




「まったく……これからの人生が非常に楽しみだよ、アキラ」




 魔王軍はそんな彼らの、兵站局の声に支えられている。



はい、というわけでストックしてあった1巻相当十数万字分がこれにて完結しました。


そしてストックはもうないので、書きながらの投稿となります。

更新速度が極端に落ちますが、生暖かい目で見てくれたら幸いです。


第二章はもうちょっと緩い話を書きたいなって(プロット未定)

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