人間の話をしましょう
お母さんに、何かあったのかな?
お父さんがいるから、大丈夫だよね?
エレナは、おばさんのところでちゃんと大人しく待ってるよね?
私はそう思いながら、来た道を戻ります。
必死に走りながら目の前を見れば、そこにあるのはオレンジ色の光。でも太陽の光は、私の後ろから射しています。
数時間かけて歩いた道を、数時間かけて走って戻りました。
すっかり夜となり、明かりは燃え盛る炎だけになります。
「…………なに、これ?」
明かりは、村にあるほとんどの家についている炎だけになります。
私の家が、焼けています。
カニアおばさんの家も、当然燃えています。
村長の家は、火が消えて既に黒ずんでいます。
私の目に映ったのは、黒と、赤と、
「い……いや……あぁ……」
たくさんの、死体。
死体。
死体。
私の家の近くには、母と父が折り重なるように転がっていました。
カニアおばさんの家の近くには、カニアおばさんが火に包まれていました。
そしてエレナは――、
『おい、見ろよこれ。まだ子供だぜ!』
『勿体なかったな。ペットとして高値で売れただろうに』
『売るよりも息子の誕生日プレゼントにしたかったな。でも、死体だけでも価値があるんじゃあねーか? そういう変な物好きはいるし、これ見たところ、五歳くらいだろう?』
『犬っころの年齢なんてわかるかよ。にしても本当に頭から耳が生えてんのな。気持ちわりぃ』
当時の私には何を喋っているかわからない――でも今の私には何を喋っていたかわかるけど、理解できない――ことを喋る「人間」がいました。
人間は、体中から血を流し、白目を剥いて脱力している死体を持ち上げていました。
母と同じ髪色で、父から貰った髪留めをして、私と顔がそっくりな死体を。
それは、妹のエレナでした。
「エレ――」
妹の名前叫ぼうとして、でもできなかった。
突然背後から蹴飛ばされて、倒されたのです。起き上がろうとしても、背中を踏まれては何もできませんでした。
「がっ――あぁ――」
『生き残りはっけーん』
肺から息が漏れて、まともに呼吸の出来ない私を無視して何かを話す男の声。
こんな光景を前に、何が楽しくてそんな笑い声を出すのでしょう。
『隊長、どうしまし――って、それ』
『今日はついてるぜ。こんな辺鄙なところに村があって食い物もある! それに見ろよこれ、メスだぜ!』
『隊長って犬にも欲情するんですか?』
『さすがに動物に欲情しねぇけどよ。このキモい耳と尻尾切り落とせばまぁ、人間には見えるだろうよ。子供だから魔術とやらで抵抗されないしな』
『なるほど! 頭いいですね!』
『だろう? って、お前らいつまでそんな汚いもん持ってるんだ?』
『あぁ、すんません。すぐ処分しますんで』
瞬間、エレナの身体が地面に落ちます。そしてエレナはピクリとも動かなかった。
「……エレナ」
やっと出た声は、私を踏みつける男の耳には届いてなかったのか、あるいは聞こえても理解できなかったのか、何もしませんでした。
エレナを放り投げた男たちは村を物色し、私を踏みつける男はそのまま煙草を吸います。灰が私の顔や背中に落ちますが、痛みも何も感じませんでした。
「お母さん……お父さん……エレナ…………」
あるのは、絶望でした。
これから私は死よりも恐ろしい体験をするのだと、子供ながらに考えていたのです。
『隊長、他には生き残りはいないようです』
『わかった。んじゃずらかるぞー』
その会話の後、私は背中の重みから解放されると共に、髪の毛を掴まれて持ち上げられました。
もう、痛みも感じませんでした。
『隊長、それ本当に持って帰るんで?』
『俺は貧乏性でな。おい、誰か拘束用の縄あるか?』
『軍用犬用の首輪ならありますぜ?』
『ハハハ、いいじゃないか。犬にはピッタリだ!』
何が楽しいのか、何がそんなに面白いのか。
焼けた屍肉の臭いがするこの村で、いったい何を面白がっているのでしょう。
こんな狂気の世界、夢であってほしかった。でも肌に感じる炎の熱は、確実にそれが現実であると知らせてきました。
夢じゃないなら、誰か助けて。
「誰か……誰か、助けて……!」
誰にも届かないとわかっていても、そう言うしかできなかった。
人間たちの手が私の首にかかりかけた、その時、
「ガァッ……」
私をついさっきまで踏みつけていた男が倒れました。背中に、大きな穴が開けて。
「えっ……?」
私は困惑します。一体何が、と。
ですが困惑の度合いは、私より人間たちの方がずっと大きく、
『な、なんだ!?』
『まさか、このガキが……!』
人間たちが狼狽え、彼らは杖のような武器を構えました。
ですがその行動は無駄に終わります。
次の瞬間、彼らは大量の出血と共に地面に斃れます。悲鳴を挙げる暇もなく、彼らは胸に大穴を開けて息絶えたのですから。
助かった、とは思いませんでした。
次は私だ、とは思いませんでした。
ただ、何もせずに呆けていました。
何もできずに、呆けていました。
数分して、私に話しかけてくる女性の声がしました。
「――大丈夫かい、お嬢ちゃん。遅れてすまない、助けに来たよ」
その女性は父より背が高く、頭から禍々しい角を生やし、鮮血の色の長い髪を持つ美しい女性でした。彼女は何人かを付き従えており、すぐに周辺の探索を命じました。
「……だれ?」
「名を訪ねるときは、まずは自分から名乗るものだよ」
大仰に、凛とした声で話す様は、妙に偉そうでしたが不思議と嫌悪感は抱きませんでした。
「……私は、ソフィア、です」
「ソフィアか。いい名だな。私の名前はヘル・アーチェだ。よろしくな」
ヘル・アーチェ。
子供の私でも知っている名前。
人類が恐れ、魔族が畏れる存在。魔王、ヘル・アーチェ。
それが今、私の前にいる。
「魔王……陛下……?」
「よく、そう呼ばれるよ」
魔王の存在は、子供の私でも知っている。
魔王は、世に普くすべての魔術を使える存在であると。だから私は、叫んだ。
「陛下! エレナを、エレナを助けて!」
必死に叫んだ。
必死に、妹の名を叫んだ。母ではなく、父ではなく、まず妹の名を叫んだ。
お姉ちゃんだから。
お姉ちゃんは妹を助けなくちゃいけないから。
私は近くにあった妹の身体を抱き寄せて、妹の名を叫びました。エレナ、エレナ、と。
「エレナ、起きて! お土産、欲しいんでしょ!? あんなにせがんだじゃない。なら起きて! 起きないとあげないから、起きないと、お土産見せられないから……!」
エレナの目は、物理的には開いていました。
でもエレナの目は私も、世界も何も見えていないのだとわかります。だけど私は、必死に叫びます。
「陛下、エレナを助けて! 陛下なら使えるでしょ! お父さんが言ってた。魔王陛下はなんでもできるって。だから陛下、エレナを……」
妹を、助けて。
そう続く言葉を放つことはできませんでした。
陛下が私の肩に手を置き、妹の瞼を閉じさせた後、母の様に優しく言ったのです。
「……ゆっくり、眠らせてあげなさい」
その言葉を聞いて、私は、目から溢れ出るそれを止めることはできなかった。
エレナは死んだのだと、理解したから。
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お母さん、お父さん、エレナ、カニアおばさん、そして村に住む私の友達、親戚、みんなのお墓を、私は作りました。
体中泥まみれになって、体中煤まみれになって、体中悲しみにまみれながら……私はひたすら穴を掘りました。
村にあった家は全て焼け落ちて、残ったのは、私と、お墓だけ。
「陛下。周辺地域に異常なし。人類軍はアッシュ峠まで後退した模様です」
「わかった。思念波で全隊に連絡しろ。撤収だ」
「了解しました」
陛下と、陛下の部下が何かのやり取りをする間、私は家族の墓の前で座り込んでいた。
何もかも失った。生きる気力でさえ、私は失ったのだ。
「ソフィアくん。これからどうするのだ?」
「……」
どうもこうもありませんでした。
死にたかった。生きる希望も気力も、生きる場所もない。
死ねば、妹や家族に会えるかもしれない。だから、死にたかった。でも、そう言えなかった。
「アテがないなら、私と一緒に来い」
その言葉を、拒否する気力もありませんでした。
陛下に誘われて、私は生まれて初めて魔都グロース・シュタットにやってきました。
初めて見る大都会に心を奪われる……余裕があるはずもなく、私は陛下の下で暮らします。
時間が解決してくれるのを待つしかない、という陛下の方針で、私は侍女見習いとして魔王城で働きました。
慣れないメイド服を着て、慣れない仕事をして、夜になれば家族のことを思い出して泣いて、陛下と共に暮らして、自分の身を守るため、陛下の身を守るために魔術を習い、そんなことを繰り返して、私は徐々に回復していきました。
陛下には、感謝の言葉だけでは足りません。
それから何年も経ったある日のこと。
陛下に呼ばれたのです。
「陛下、如何なさいましたか?」
「あぁ、ソフィアくん。今日、召喚の儀を行ったのは知っているね?」
魔王軍を救うために異世界から救世主を召喚するための儀式。
陛下が私に出会うずっと前から描いた魔術陣を使う儀式が、今日行われていたのです。
そして召喚された者の世話や補助を、私が行うことも事前に決定していました。
私はもう少し陛下のお世話をしたかったけれど、私以上に救世主殿の補助を勤めることのできる者はいない、そういう理由で。
陛下のお言葉とあれば、私はその要請を受け入れました。
「はい。それで、結果は……?」
「半分成功、と言ったところかな。召喚には成功したが、救世主ではなかった」
「では、誰が来たのです?」
私がそう聞くと、陛下は少し躊躇って、それを話しました。
「異世界に住む、人間だよ」
ロリソフィアちゃんを連れ去りたい(真顔)




