東部州州都シャダル
「――へっくち」
「……風邪かい?」
「いや、これはソフィアに悪い虫が集ってる合図」
「なんだそれは?」
天子族の男が首を傾げる。冗談のつもりだったけれど通じなかったらしい。
私、コレットとガブリエルなんとかは旧人類軍占領地帯である東部州――要するに、元々は魔王領だったけれど人類軍に制圧され、かつ旧住民は退避された場所に向かうため共に馬車に揺られている。
その東部州を暫定統治する東部州諮問委員会の現地要員としての派遣。肩書は立派だけれど、要するに使い走りだ。
私の目の前にいるオッサンは、医療関係者だから別の目的があるけど。
「やっぱりこんな仕事引き受けるんじゃなかったわ。裏切り者の私がどの面下げて人類軍領地に行けっていうの。それもあんたみたいな男と一緒に」
「君みたいな人物だからこそ、適任とも言う。現状において人類のことをよく知っているのは、君くらいなものだろう?」
「……アイツでいいじゃない」
「兵站局長のことかね? 残念ながら、あの人はこの世界の住民ではないからね。この世界の人類については知らないだろう」
「…………はぁ」
溜め息が出る。
彼、アキツ・アキラとかいうへたれ野郎が異世界から召喚された「救世主」と知った時、出来の悪いフィクションだと思った。
もし救世主だとしたら今すぐ壊した方がいいんじゃないだろうか。とも思った。
……で、今となっては周囲の証言や彼自身の身振り手振りから本当に召喚された男だと知って「あぁ、なんだはやく滅んだ方がいいな」と思いながら馬車に揺られている。
なんなんでしょうね、本当にこの世界。
「あいつ、魔王軍に与するということは人類絶滅まで共に戦う気なのかしら。……あぁ、いや、ペンと紙しか持たないけど」
「それはないんじゃないか。人類絶滅を謳うのなら、それこそ東部州諮問委員会なんてものは必要はないはずだ」
「……そうね」
戦争なんてものは始めることより終わらせるほうが大変。なんて言ったのは、どこの誰だっけ。スパイやってた頃の、私の相棒だったかしら。それとも別の何か?
今となってはどうでもいいこと……というか、忘れたい出来事だけれど。
「ところで、そろそろ現地到着じゃないか? 見えてきた頃だぞ」
「あら、意外と近いのね」
ガブリエルに促されて外を見る。
確かに、建物が見えてきた。魔王領特有の建築物に、人類領――特に帝国領でよく見る建築物が混ざっている。もともとそれなりに規模の大きかった街に、人類が入植してきた結果なのだろう。
その町は人類が占領統治していた頃は「ポート・ボイシ」と呼ばれ、魔王領となった現在では、旧来の地名である「シャダル」と呼ばれている。……とりあえず、公式書類では。
シャダルが東部州最大の街であり、人類の入植が最も盛んだった場所だ。
北大陸の北岸に位置しているため気候は寒冷。しかしそれでも入植を盛んにしてくれる存在がある。
そしてそれは馬車から見えるほどに象徴的なものだ。
「……なんだか見たことのない建物? がいっぱいあるようだが……あれはなんだ?」
「油井ね。あとオイルタンク。石油を掘ってるのよ」
「石油……?」
「黒くて燃える水のことよ。ここ、確か石油が自噴するってことが航空偵察とか工作員情報から知られてたから、人類軍には最重要拠点としての価値があったわ」
「確かに、不自然なほどに北部を重点的に攻めていたような……」
大量の石油が湧き出て、しかも魔族はそれに価値を見出していない。
金・銀・銅・鉄・宝石などの鉱山は魔族でも採掘されているけれど、石油・石炭・ボーキサイトなどは別だろう。
私が知る限りでは、ウランみたいな鉱石も需要が伸びてるらしい。なにに使うかは知らないけれど。そんなにガラスが欲しいのかしら。
そこに、攻撃に際して北部に力を入れていた「帝国」は、昨今の経済事情から益々金になる土地が欲しかったという事情も合わさる。
「そう言えば、あれは南岸地域だったが、ダイヤモンド鉱山がある町に人類軍の入植が進んでいたという話もあったな」
「……もしかしてセリホスのこと? 連邦でもかなり話題になってたらしいわよ」
「…………そうなのか?」
「あなた達って人類軍のラジオ聞かないの? 状況が良ければ魔都でも電波拾えるのに」
「ラジ……オ?」
さすが魔都に工作員をやすやすと招き入れてしまう魔王領らしい情報戦の弱さだ。これをアイツが知ったら、どんな顔するだろうか。
……いや、意外と「あぁ、その点に関しては既に情報部に改善を提言していますので」とか言いそうだな……。ちょっと想像したら腹が立ってきた。
「セリホスの街――ってか南岸地域って地震やら津波があったでしょ? それに対して魔王軍が援助をしたって、向こうじゃ話題になってたわ。政府の公式発表はなかったけど、なんとかって名前の与党議員がそんな発言をして物議を醸してる」
「少しわからない単語が多いが……つまりそれは、大問題ということか?」
「さぁね。政治はよくわからないし。ただ、私達にとっては特に問題はないかもね。あっちが勝手にあたふたしてるだけだし」
とりあえずシャダルの街にもラジオがあるから、人類語の学習がてら聞いてみれば、と提案してみる。
本来は医者である彼に興味はないだろう、と思ったけれど、患者の言葉を自分の耳で理解できるのは重要だ……とか何とか言って、意欲を見せている。
……ついでに、言葉を教えてくれとも言われた。
やだやだ。なんで自分から報酬に反映されない仕事を自分で増やさないといけないのよ。シャダルに行けば学校くらいはあるだろうから、自分で勉強しなさいな。
そんなことを語りつつも、稼働していない油井を横目に馬車は十数分でシャダルに到着する。
ここが、おそらく東部州最大の都市で、そして東部州諮問委員会現地本部が立てられる場所になる。
――けれどそこは、
「これなら、いっそ人類を虐殺しまわっていた方がよかったんじゃないかしら」
そんなことを言っても許されるんじゃないか、ってくらいに荒廃が進んだシャダル――いや、ポート・ボイシの町があった。




