常闇の夜明け
無力感に苛まれるのはいつものことだ。
アキラ様が来てからというものの、私はその無力感と戦ってきたと思う。
何かあるたびにアキラ様に泣き付いて、頼りにして、そして自分を成長させてきた……と思っている。思っていただけで、実際には何も変わっていなかったということが今回の件でわかった。
私は結局のところ、アキラ様の補佐しかできない女なのだ。
「はぁ……」
司令部の一角、風通しの良いバルコニーで溜め息を吐いて黄昏るのがここ最近の私の流行だ。ついでに、愚痴とか文句とか、アキラ様への陰口とかも言ったりする。
……今回の場合は、自虐が多いかな。
「どうしたら私は追いつけるでしょうか……あの背中に」
標準的かつやや猫背なアキラ様の背中は見てて頼りない。
けれどその大きさを実感できることは多い。勿論、比喩的な意味で。
いつかあんな風になりたい。
後ろを突いていくだけでは満足いかないのは無論のこと、横に立つだけじゃ物足りないのだ。
「私も、もっともっと頑張らないと」
「タカキも頑張ってるし?」
「ひゃぁ!?」
後ろから不意に声をかけられ、変な声が出ました。
「やっぱり……アキラ様ですか」
「『やっぱり』?」
「そういうことをするのは、魔王城に勤める男では1人しかいませんので」
「まぁ、そうだろうねぇ……。魔王城に勤める『者』だったらあと2人くらい増えそうですけど」
「……ですね。ところで、タカキって誰ですか?」
「いつも頑張ってる人」
「はい?」
なんだかよくわからない。アキラ様の、かつての友人でしょうか。チキュウだかニホンだかにいた……。
「で、なにしてるんですか。こんなところで」
「『こんなところ』とはなんですか。私のお気に入りの場所なんですよ、ここは。ていうかなんでここ知ってるんですか」
「ソフィアさんのことなら私なんでも知ってるので」
「……っ! う、嘘でしょう」
「まぁ、嘘ですけど。エリさんに聞きました」
…………一瞬でもときめいてしまった私のこの気持ちを返してください。
「あれ? 私何か変なこと言いました?」
「あとでアキラ様のこと蹴ります」
「なんで!?」
本当に、こんな方に追いつきたいと思っていたのでしょうか。
「私はただ単純に、ソフィアさんが何か落ち込んでいたようなので相談に乗ってあげようかと思っただけです」
「アキラ様がそこまで気を回すなんて珍しいです。誰かの策略ですか?」
「えぇ、まぁ、エリさんに……」
「そこは嘘でも『そんなことはない』って言うところですよ……」
まったく、私は本当に、本当にこの方を好きなんでしょうか。とっても不安になってきました。
対するアキラ様は、そんな私の不安を余所に「だって嘘吐いたところでソフィアさんは見抜くじゃないですか」と不貞腐れています。
はぁ……。まぁ、そこもある意味では魅力ではありますけれど……。
「別に大したことで悩んではいません」
「本当に?」
「本当です」
「嘘ですよね?」
「……そう言え、って言われたんですか?」
エリさんあたりに。
「いやいや。これは私の勘ですよ。大したことないのにそこまで悩む人でもないでしょう?」
「…………」
嘘は、言ってないですね。
アキラ様は嘘吐くときに瞬きの回数が多くなるのですぐにわかります。
「そういうところはずるいと思います」
「何がです?」
「何でもありません。……まぁ、アキラ様の言う通り私は悩んでいるのですよ」
常闇の宴作戦。
魔王軍の大規模攻勢作戦は、成功裏に終わった。それはいいことだ。
けど、それに至る過程で、意思決定の多くはアキラ様によるものだと気付いてしまった。
勿論、私も為すべきことを為したと思っています。
けれどアキラ様には遠く及ばなかった。
「私はアキラ様にはなれない。そう考えたら、なんだか闘志と言いましょうか……それが失われていく感じがしたんです」
「……私になんかになりたいんですか?」
「私は『なんか』と言われるような方を目標に努力していたとは思っていません」
自分を卑下することが却って他人を傷つけることがあるのだと、理解してほしいところです。
「すみません。……でも、私も同じですよ」
「?」
「私もソフィアさんのこと、結構尊敬していますし、ソフィアさんのようになりたいと思っています」
「そんな、私なんか……」
「ほら、ソフィアさんもそういう事言う」
言って、アキラ様は頬を膨らませます。凄く可愛くありません。ので、頬をつついて空気を吐き出させます。
……ちょっと面白い。
「ソフィアさん?」
「あぁ、いえ。……コホン。続けてください」
「いや続けろと言われましても……」
困ったようにオタオタするアキラ様です。
うん、いつも通りですね。
「……まぁ、私はこんなような人間ですので、いつも冷静沈着なソフィアさんが羨ましいという話です」
「私が冷静沈着、ですか……」
なんだか背中がむずがゆくなります。
そもそも、自分がそれほど冷静な人物でもないことが最近わかってきましたし、冷静でも、判断が出来なければ意味がありません。
いつも、そして今もオドオドしているアキラ様のように、すぐに判断ができるようになりたい。
それに、
「今回の作戦でも……結局最後の最後にアキラ様に助けられてしまいましたし」
「はい? 私、次期補給計画の策定で忙しかったですけど……なにかありましたっけ?」
「ありましたよ」
補給不足で、全方面における全面攻勢が不可能になったとき、陛下は南海制海権の獲得に注力すると決断しました。
それは確かに、陛下の言葉でした。
けれど陛下の言葉の真意は、根源は、陛下のものじゃありませんでした。
「あのとき陛下は『自分の考えではない』と言いました。……たぶん、誰かの助言とか、思想とかが混じった言葉だと思います。そしてそれができる人と言えば……」
私はアキラ様をじっと見つめます。
もう全部、わかっているんです。結局私は、アキラ様におんぶにだっこ……いえ、掌の上で踊っていたという感じなのでしょう、と。
「だから、落ち込んでいるんですよ」
無力感に苛まれて、ひとり黄昏ているところに、その原因がやってくる。
それがたとえ思い人であっても、案外心に来るものです。
「なるほど、そういうことですか。ようやく理解しました」
アキラ様は何度も首を縦に振りました。この鈍感……、わかったのならこの場から立ち去るなり気の利いた言葉をかけるなりしてほしいです。
……なんですけれども、アキラ様の取った対応は想定外の外でした。
「……あの、アキラ様?」
「なんです?」
「なんで頭を撫でているんですか?」
「嫌です?」
「……嫌じゃないですケド」
今度はこっちが頬を膨らませる番です。意味が分かりません。
そしてアキラ様はさっきのお返しだと言わんばかりに私の膨らんだ頬をつつきます。
「いやぁ、つい。勘違いって怖いですね」
「……はい?」
勘違い?
撫でることが? それとも撫でる理由が?
「意味不明なので説明を求めます!」
「あぁ、うん。まぁ……単純な話だと思いますよ」
そう言って、アキラ様はバルコニーの上を見ます。
視線の先にあるのは魔王城の上階。魔王陛下の居室もあることでしょう。
「陛下が言ってたことなんですけどね」
と、そう前置きするあたり、アキラ様は陛下の居室を見ているんでしょう。ここからだと角度的にはきついですが、ギリギリ見えます。
「『ソフィアくんのおかげで、私も決断できた』と言っていました」
「……はい? あの、何の話です?」
「さぁ? 私はそれ以上子細な話を聞いていませんので何とも。けれど確実に言えることはひとつあります」
そう言ったあと、アキラ様は改めて私と目を合わせ、言いました。
「私は今回、比喩でもなんでもなく、陛下に何かを吹き込んだりはしていませんよ。本当に自分の仕事で手一杯でしたし、ソフィアさんを信じていましたので」
「…………あの……つまり?」
今度は、察しが悪くなったのは私の方なのでしょうか。
話が見えてきませんでした。
「ソフィアさんは、自分で判断し、自分で決断し、陛下の心を動かしたということですよ。私じゃなくて」
「そ、そんなこと……」
「たぶん」
「…………」
最後の最後に締まらないひとことです。
まぁ、アキラ様は知らないのですから仕方ないのですけれども。
……私が決断したのでしょうか。
本当に?
「私はあの会議で、全てを陛下に押し付けてしまったというのに……」
「押し付け?」
「……はい。私は何も、決断できなかったですよ」
限定的な攻勢を最終的な勝利、戦略的勝利につなげる為に行うと主張しました。
そのために、どこが適切かの議論になって……。
「そのときに、どこを選びました?」
「……判断は、陛下にゆだねましたが」
「ソフィアさんの心の程は? あの方は心を読めるので、それで判断したという話かもしれません」
「…………陛下と同じ、南海制海権の奪取……ですが、私は……」
私はあのとき、判断できなかったのに。
迷っていた。
南海制海権の奪取は、人類軍を魔王軍の包囲下に置き、撃滅することが可能だと思った。人類を血祭に上げることが、魔王軍の最終的勝利に繋がると考えていた。
けれどそこに、迷いがあった。
「迷っていました。そのことを、言葉にするのに」
人類軍を撃滅する、虐殺することに、躊躇いを覚えてしまったのは……まず間違いなく、アキラ様のせいです。アキラ様という「人間」のせいです。
……だから言葉に出せなかった。
「なるほどなるほど。なら、陛下はソフィアさんのその迷いも全て読み取って、判断したということです」
「……私の弱い心を打ち砕いて、人類の撃滅を選んだ……ということですか」
だとしたら、私はやっぱり半人前の未熟者。
迷いに迷って、判断と責任を全て陛下に押し付けてしまった、哀れな事務屋ですか……。
「それはちょっと違いますかね?」
「……?」
もう何度目かわからない疑問符。
けれどアキラ様は、今回はその疑問に答えてくれることはなかった。
代わりの言葉は、間の抜けたような仕事の話。
「陛下から、戦後処理の仕事を早くやれと急かされていましてね」
「は、はぁ……?」
「特に大変なのが、今までにない規模の『捕虜収容所』の建設です。捕虜の取り扱い条約なんてありませんし、それに、占領地における住民統治に関しても私の意見を聞きたいそうで……」
「そうですか……それはまた大変――」
と、そこまで聞いて、気付きました。
当たり前ですが、死者に収容施設はいりません。死者に統治の必要はありません。
けれど、そうでないならば――。
「忙しくなりますよ、ソフィアさん。悩んでいる暇はありません」
「……承知しました。仕事をしましょう。我らが陛下の為に」
「えぇ。なんとも優しい陛下の為に」
陛下にその判断をさせてしまったのは、私かもしれない。
「アキラ様」
「はい?」
「……ありがとうございます」
「…………えーっと、どういたしまして?」
「ふふっ」
「な、なんですか! 急に!」
「なんでもありません。仕事をしましょう!」
「え。あの、本当になに!?」
……けれどやっぱり、私にその気持ちをさせてしまったのは、あなた。
だから私は、あなたのようになりたいのです。
第5-1章 常闇の宴 これにて終了です。
10か月もかかりましたが年内に終わってよかった。
次章は皆さん大好き占領統治篇。
たぶん間が空くと思いますのでGoogle先生で「戦略村」と検索するか書籍版『魔王軍の幹部になったけど事務仕事しかできません』を読みながらまったりお待ちください。




