やっぱり人類軍には勝てなかったよ(by海軍)
エントロピー増大の法則というのがある。某魔法少女で聞いたことのある人も多いと思う。
これは「秩序は無秩序の坂を転げ落ち、二度と坂を上がることはない」というものらしい。
実際は違うとかそういう話を聞くけれど、そこまで細かい熱力学の話はしないからこの際見なかったことにする。
魔王軍と人類軍のあくなき生存戦争も、無秩序の坂を転げ落ちるボールと言えるのではないか。
しかもそれがただのボールではなくラグビーボールのような歪な形をしていて、坂道自体も凸凹の地面なのだ。
故に、ボールがどう跳ねて、どう軌道を描くのかが予測できない。我々一般人には、ただ坂道を転げ落ちるという結果だけが確実にわかるということだ。
完全に予測できるのは、それこそ神のみぞ知る。
神を崇拝しない魔王軍においては、誰も知らないという事になる。
つまり何が言いたいかといえば、
「はやく終わらねぇかな、これ」
「それは机に積まれた書類のことですか? それとも戦争の話ですか?」
「できれば両方だが直近の目標として書類」
書類増大の法則というのは覆しようのないことであるということ。
「刻一刻と基になるデータが変動して、その都度それに合わせた補給・輸送計画を立てなければならない。それが兵站局の使命とは言え……」
「口を動かす暇があるのならば手を動かしてください」
ソフィアさんが相変わらず厳しい。慣れたけど。むしろその厳しさが癒し。
ここは魔王軍前線司令部に設けられた兵站指揮所。
大規模作戦における大規模補給計画の策定ができる人材がいないので、俺とソフィアさんがこの陣で前線での兵站指揮を執っている。
つまるところ、後方の兵站計画策定に関しては規模と煩雑さを大きくしただけでいつもと変わらないから安心して部下に任せられるという事である。
「あ、それとアキラ様」
「なんです? 朗報ですか?」
「いえ、悲報です。魔王軍南方艦隊が人類海軍の攻撃に遭って負けたそうです」
「…………パードゥン?」
「海軍は負けました。第Ⅹ軍は現在人類海軍の攻撃に晒され、陣地から出ることができず前進できません。現在南部方面に展開中の飛竜隊が人類海軍を牽制攻撃しています」
やっぱ海軍って無能だわ。もういい、陸軍だけで勝つもん!
「アキラ様。意気込んでいるところ申し訳ないのですが南海制海権が取れない以上、第54-8計画の海上補給路の確定はほぼ不可能です。至急、陸上補給路のみでの計画を立てませんと」
「……そうでした」
前線の兵站計指揮をしながら魔王軍全体の兵站計画を立てろって?
ハハッ、無理ゲー乙。既存の計画を台無しにされたことと、新しいデカい仕事が舞い込んだと言う事実に頭ぶち抜いて別世界に旅立ちたいと思う今日この頃。
ソフィアさんを連れて平和な世界でのんびりと過ごしたい。
「現実から逃げないでください」
「たまには逃がしてください」
とは言え、自殺する勇気も動機も今の所はないので職務に励むことにする。この調子だと自殺する前に過労死してしまいそうだ。日本時代より働いているんじゃないだろうか俺。
「とりあえず前線の兵站指揮はソフィアさんに任せます。私は新規兵站計画の策定をしますので。あと本部に連絡を取って、同様に新規兵站計画の策定作業を手伝わせます」
「であれば新規兵站計画策定作業は本部で行った方がいいんじゃないでしょうか?」
「しかしそれをすると前線兵站指揮が……」
「そこは、代わりに本部から人員を提供してくれれば……」
ソフィアさんは自分にまかせてほしい、と遠回しながらも主張する。
確かに彼女の事務処理能力は局長である俺を凌駕するのであるが、しかし緊急事態対応能力に若干の不安があるのだ。
まだまだ「高度の柔軟性で以って臨機応変に対処する」能力が足りない。
実はこういう行き当たりばっ――じゃなくて、臨機応変さはユリエさんの方がある。彼女の体格と同じく、フットワークが軽いのだ。値切りの天才でもある。
となると応援の人員はユリエさんの方がいいかな……?
もとよりユリエさんは渉外担当なので計画策定作業や事務作業は苦手らしいし、アドバイザーとしてソフィアさんの傍に置く方がいいかもしれない。
「わかりました。ソフィアさんに甘えます」
俺がそう結論を出すと、ソフィアさんはちょっと嬉しそうに微笑んだ。なんでだろうと一瞬考えたが、すぐに思い出した。あの震災のときの、ソフィアさんの言葉だ。
まぁ、俺はいつでも彼女に頼り切りな気がするけれど……。
「はい、アキラ様。私の責任において前線兵站指揮を執らせていただきます」
「あ、それはダメです」
「へっ!?」
びしっと決めた背筋が、俺の言葉と共に崩れ去る。ちょっと面白い。
「責任を取るのは責任者たる私の仕事です。勝手に私の仕事を取らないでください」
「は、はぁ……しかし……」
「少しは格好つけさせてくださいよ」
ただでさえ責任を取ることくらいしかカッコイイ所見せられないんだからさ。
そもそも副官兼秘書である彼女に前線指揮の全責任を負わすのは間違い。任命した自分に責任がある。そのことに気付いたのか気付いていないのか、ソフィアさんは若干不満そうだったが、最終的にそれを了承してくれた。
「では私はグロース・シュタットに――」
戻って仕事をする、と言いかけたところで、兵站局前線指揮所に入ってきた人物が一人。
魔王軍総司令官にして統治者、魔王ヘル・アーチェ陛下である。
「やあ2人とも。元気に仕事しているかい?」
いつものように大仰な挨拶をする陛下。陛下自身が戦闘に出ることはないと決めているこの作戦では、フラストレーションがたまっているのではないかと一部兵士が噂しているが、見た所そんなことはないようだ。
……夜にコッソリ人目を盗んで戦っているという説も一部兵士の間にあるが。
「はい陛下、おかげさまで仕事で手が一杯ですよ」
「丁度いいところにいらっしゃいました。今アキラ様と話していたのですが、南方艦隊撤退の件でお話があるんです」
ソフィアさんがそう言うと、陛下も「おお」と言って手を叩いた。
「私もそれに関することで来たんだ。まぁ君達の言葉の方が重要度が高そうだし、そちらの用件から聞こうじゃないか」
「ありがとうございます」
陛下に先程のやり取りを伝えるソフィアさん。一通り説明し終えると、陛下は安堵したのか、溜め息を吐いた。
「いつもながら素早い仕事だと感心するよ。早めに来た甲斐があった」
「と、言いますと?」
「その南方艦隊撤退に関して第Ⅹ軍の戦略が一部見直されることとなった。具体的な作戦についてはこれからだが、第Ⅹ軍も侵攻を開始する」
「制海権を握られた状態で、ですか!?」
「あぁ。奴らの艦砲射撃とやらが届かない内陸で侵攻を開始し、第Ⅹ軍正面に展開する人類軍部隊――仮にA軍集団としよう――に対して攻撃を行う。尚これに際して、予備軍である第Ⅺ軍と隣の第Ⅸ軍も投入されることとなった。最終的な目標は、人類軍A軍集団を南海岸線まで追い込み包囲殲滅することだ」
「それは……!」
大規模な作戦の最中に大規模で大胆な戦術を取ることにした、ということらしい。
それに関わる兵站指揮となると、今までより煩雑・大規模なものとなる……。
「詳細は追って知らせる。前線兵站指揮と新規の広域兵站計画の策定は引き続き兵站局に任せる。何か質問は? ……ないなら、私は作戦参謀たちと話してくるよ」
嵐のようにやってきて、雷を落として去って行った積乱雲の主、魔王陛下。とんでもない衝撃の大きさに、しばし固まる俺とソフィアさん。
なにせ前線兵站指揮の重要性が一気に高まったのだ。
このままソフィアさんを置いて言っていいのだろうか。やはりここは――
「アキラ様。任せてください」
残ろうと言いかけたところでソフィアさんが先に言った。自分に任せて欲しいと、燃える目がそう言っている。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。私は兵站局最古参の局員の一人です。やってみせますよ」
いつぞやの言葉が再び脳内に響く。泣きじゃくりながら放ったあの言葉だ。
『私は、アキラ様の支えになりたいんです』
そして今の目の前にいる彼女は、それとは比べ物にならないくらい毅然とした態度でいる。本領発揮と言う事なのかもしれない。
「……わかりました、頼みますよ。無理はしないで、わからないことがあれば聞いてください」
「はい。必ずや、職務を全うしてみせます!」
ソフィアさんの決意が、仮の指揮所に木霊する。
今までにないほど満面の笑みを浮かべていた、と感じたのは気のせいだろうか。




