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言葉の壁

 言葉の壁というものがどんだけ分厚いかについては、日本人には最早説明不要だと思う。


 殊、海外旅行経験者であればよくわかると思う。


 そしてそんな言葉の壁というのは国内でも生じることがあり、国家の趨勢さえも決定づけると言っても過言ではない。


 例えば、オーストリア=ハンガリー二重帝国などがある。

 この国は多民族国家であり、当然多言語国家となる。言語が違えば当然、連携に問題が生じるのだが、近代戦を戦う軍隊はひとつの組織として連携して戦わなければならい。

 そう言った多民族・多言語国家はその問題にぶち当たり、改革を施そうとした。

 具体的には、軍内部の言語統一に関しては「士官から兵卒への命令に関してのみ」言語を統一したり、手旗信号等で代用したり、民族や言語を考慮して部隊編成を行ったり、などがあった。


 どこぞの真っ赤な多民族国家では、嘘か真か手旗信号の意味が「攻撃」「進撃」「急進」の3種類しかなかったそうではあるが。


 しかしながら、そういう努力もむなしくオーストリア=ハンガリー帝国は第一次世界大戦に敗北し、解体されてしまった。敗因の中には、多民族・多言語国家故の上記のような事情があったという。


 話を戻して、魔王軍がもし攻勢に計画通り成功した場合、占領地における現地人類とのコミュニケーションをどう取るかも重要となる。

 上記のように、まさか手旗信号でやり取りするわけにもいかない。なので、簡単でもいいから会話ができると非常にグッド。


 そしてそれに関しても、日本では前例がある。

 第二次大戦前の日中戦争や、日本のタイ王国進駐に際して日中会話や日泰会話の本が売れ、それが統治政策で有効に働いたこと。そして攻守所を変え、アメリカによる日本占領時には『日米会話手帳』という本が戦後初のミリオンセラーを記録していたりする。


 とまぁ、その例に倣ってみようというのが今回の会議である。


「……めんどくせえから全員ぶっ飛ばせば」

「やめーや」


 仕事を増やされたくない部下の気持ちからすれば、余計なお世話に見えるらしい。種の生存をかけた戦争をしているので当たり前と言えば当たり前。


 人間に並々ならぬ怨嗟を持っている我が軍は、果たして穏当の占領統治ができるのだろうか? カルタゴみたいに塩を撒いたりしないだろうか、不安である。

 ローマにとってカルタゴという土地は別に必要なかったかもしれないが、魔王軍にとって人類軍占領地は必要な土地であるのには間違いないし。


「局長様、局長様。私はちゃんとわかってます!」


 リイナさんは会議出席者の中で数少ない味方であり、そして元気に発言をしている。もう君だけが頼り――


「開発局のレオナさんに頼んで奴隷化の首輪を開発して人間にはめればいいんですよね! 私、そういうのを本で読んだことあります!」

「リイナさん、それ変な本じゃないよね?」


 どうしようこの淫魔、(やっぱり)知識に偏りがあるんじゃないだろうか。


「人類奴隷化計画だか人類補完計画だか知りませんが、そういうことを目的としてるわけじゃないんですよ皆さん。確かに人類は憎むべき敵かもしれませんが、今は手に手を取り合って……」

「人間が言う台詞じゃないわよ、それ」


 コレットさんがボソッと言う台詞が突き刺さる。協力してほしいのである。味方がいないのでござる。私の心はもうボドボドだよ。


「アキラ様、人間と仲良くなんて言わずに正直に『人間を都合よく操るためにはどうしたらいいか』と言えばいいんですよ」

「ぶっちゃけ過ぎじゃない?」

「でも事実ですし……」


 そうだけれども。

 まぁ、取り繕っても仕方ないか。ここには家族を殺されたり、洗脳されたりしている人がいるのだし。ここは憎しみたっぷりな表現を使った方がいいのか。


 ……結果的に人間との関係より魔王軍内部でのコミュニケーションに苦労している気がする。


「人間を一人一人潰して回るのは骨が折れるし、開発局が奴隷化の首輪を開発させることができるかも、また開発できたとしてもコストがどれくらいかかるか、製造期間がどれくらいかもわかりません。ので、ここは手っ取り早く人間の言葉を理解しましょう」

「局長の表現が一番辛辣な気がするのだけれど……」

「エリさん、そう言わずに。事実ですから」

「さっきまでの配慮はどこに行ったんですの?」


 いやこの世界にはPTAとかBPOとかCEROとか存在しないし配慮の必要性ってないかなって。


「ということで気を取り直して、コレットさん、お願いします」

「え、あの、それって丸投げって言わない?」

「でも人類の言葉なんて私知りませんし。構成とか言語の抽出とかはこちらでやりますからあとは訳語とか考えるだけですって」

「簡単に言わないでくれる?」


 大きく溜め息を吐くコレットさん。そして次に飛び出る言葉は、魔王軍に慣れ切ってしまったアキツ・アキラが忘れていたことである。


「そもそも、どこの国の言葉を書き出せばいいのよ? 私は連合王国語しか知らないわよ? まぁ、連邦は同じ言葉使ってるし、都市同盟でも通じるらしいけれど……」

「「「…………」」」


 黙り込む一同。自分含む。ただし、その意味はたぶん私とそれ以外で異なる。


「…………?」


 黙り込んだ理由を察知できないコレットさんは首を傾げ、そして思いついたのか、養豚場の豚を見るような目を向けてきた。もうね、コレットさんのこの眼差しは見慣れたよ。


「まさかあんた。人類がいくつもの言語を使ってるってこと、知らない……? 人間のくせに?」

「いやいやいやいやソンナコトハナイデスヨ? ほら、日本語とかドイツ語とか英語とかフランス語とかロシア語とか北京語とか広東語とか……」

「どこの言葉よそれ」


 地球の言葉です。大昔の人がバベルの塔なんて作りやがったせいで地球では幾千もの言語が存在していますので。

 ……あぁ、そうだった。度量衡がメートル法に統一されても言語は統一されてませんのよね、この世界の人類も。誰だバベルの塔作った奴は。あんなもの作るから神様に怒られるんだ。


「で、私は連合王国語を教えればいいの? Hello. See you. You are an idiot! とかを載せればいいの?」

「おいちょっと待て最後」

「あら、理解できたのね。ごめんなさい。責任取ってこの仕事を辞め――」

「何を言ってるんですかねこの人は」

「だって私あなたのこと嫌いだから……」


 ここまで面と向かって『嫌い』だと言われたの、あなたで58人目ですよ……!


「あの、アキラ様? コレット様の罵詈雑言はともかくとして、どうするんですか? さすがに攻勢予定地点にいる人類がどの言語を使用しているかなんてわかりませんが……」

「……ないよりマシ、ということで連合王国語の本を作りましょうか。コレットさんをスパイとして送り込むくらい実行力のある軍隊であれば前線にも多くいるでしょう」

「諒解です。では計画通り具体的な文例の選択をしましょう。状況に合わせた文例を、例えば――」


 と言った感じで進めていくことになった。グダグダというか、見切り発車感は拭えない。


 文例については状況にあわせた例文と、頻出単語を載せる程度でいい。魔王領での文字と、発音と、現地語の文字を記載する。

 そしていくつかのセクションに分ける。例えば「買い物時に使える!」とか「タクシーを使ったときの会話例文!」とか、旅行誌に載ってる感じを思い出してほしい。要はアレを作ろうとしてるだけだし。


『人魔会話集』と名付けられるだろう小冊子の土台は、こうして完成することになる。


「これで全然関係ない言葉の奴らが前線にいたら面白いだろうなー」

「嫌なこと言わないでくださいよ……そういうこというと、本当にそうなるんですから……」

「でも実際そうなったら、局長さんどうするんだい?」

「えっ?」


 もしも相対した人類が連合王国語通じなかったら……?


「…………仕事が上手くいかなかった腹いせに陛下に虐殺を要請して」

「局長さんが一番黒くね?」


 ユリエさんのドン引きした声が聞こえた気がする。

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